傾国の鉄宰 第三十二話 【ランゼルと兵士長ロイド】 〜ロストジェネレーションって何だ!
――サクヤの街、東の正門――
「ハイデル子爵家、騎士隊長ランゼル・ヴィルドナーである。サクヤの新代官ケイン・ハイデル様の名代として参じた。副代官様にお会いしたい」
ランゼルの凛とした声が響く。伝令の兵士が転がるように代官所へと走り出す。他の者たちも顔を見合わせて浮き足立つ。
「慌てるな!こちらは私とヒムで対応する。伝令以外は他の入街者への対応に当たれ!」
「「はっ!」」
中背の男のひと声で場の雰囲気が引き締まる。
「お見苦しい姿をお見せ致しました。本日、東門の責任者を務めておりますロイドと申します。遠路の任務、ご苦労様です。お疲れのところ恐縮ですが、身分証と名代の委任状を拝見させて頂きます」
「これだ」
鷹揚に差し出された身分証と委任状を、恭しく受け取り内容を確認するロイド。
「確かに。ありがとうございました」
受け取った時以上に丁寧な所作で身分証と委任状を返すと、ロイドはランゼルに慇懃に語りかけた。
「本日は代官様はお見えにならないとのことですので、客車と荷馬車の荷物をあらためても宜しいでしょうか」
「どういうことだ?」
「昨今、御用商人や共和国の官吏や使節の名を騙る不心得ものがおりまして、委任状等が真正であっても荷物等を検める事にしております」
「私を疑うのか?」
ランゼルの声は固くなり、わずかに気が高まる。例え一兵卒であっても国境の兵士だ、その覇気の凄まじさを肌で感じる。
職務を放棄して逃げ出したくなる衝動を何とか抑え込み、震えそうになる膝を叱咤してロイドは応える。
「決してそのような事は、ございません。国境の街ですので人の出入り、物の出入りは国家の重要な情報です。何卒ご協力下さい」
(ほう。覇気を感じられる才能と努力。権力と暴力に屈しない心。その心のよりどころは誇りか、忠誠心か、それとも義務感か)
「……良かろう。聞いたな! 客車の扉と、荷馬車の幌を開けてやれ!」
「「はっ」」
騎士隊長の号令とともに、客車と荷馬車に近い騎士たちが扉と幌を開ける。
「ご協力感謝いたします。ヒム、お前は荷馬車を検めろ」
ロイドは敬礼をすると客車へと小走りで向かった。急いで馬車へと向かう二人の後方から声が掛かる。
「待て」
「なんでございましょう」
「貴様に限り客車への立ち入りを認めるゆえ、存分に検めるがいい」
「!……ありがとうございます」
(子爵家の家紋入りの馬車に無断で押し入ったとか言われて、背中からバッサリ……なんてことはないよな?)
背中に冷たいものを感じながらも、ロイドは客車の隅々まで丁寧に検分した。
「兵士長、こちらは異常なしです」
「こっちもだ」
ヒムの声に応えるように、ロイドは客車から降りた。
「問題は?」
重厚な存在感を持つ騎士隊長の問いに、門兵二人は最敬礼で応じる。
「ございません。お時間を取らせ、申し訳ございませんでした」
「ところで、荷物の検分の徹底は誰の判断だ?」
二人の様子を見ていたヒムの肩が跳ね上がる。
「私の判断です」
「……」
視線を交わす二人だったが、ランゼルの射抜くような視線が突然それた。その先を目で追うと、はるか前方に副代官の元へと走った兵士の姿が見える。
(あの距離の、しかも一度見かけただけの一兵士の気配を探知したのか? 冗談だろ……ハイデルの騎士は猛者揃いとは聞いていたが……)
出立の指示が出され、粛々と準備をする一行。そこに伝令兵が戻ってきた。
ロイドに若い伝令が頷くのを見たハイデルの騎士隊長が声をかける。
「では、通らせてもらうぞ。役目ご苦労」
騎士たちはサクヤの門兵を横目に整然と進む。隊列の後方、荷馬車の姿が街の中へと消えると、ロイドとヒムはどちらからともなく大きく息を吐いた。
「酷い目に遭いましたね、兵士長」
「ああ、まったくだ」
「でも、ハイデル家の御子息の名代なら、なぜ西の正門じゃなかったんですかね?」
「さあな。偉いさんの考えることは分からん」
「まあ、西の正門の連中に、あの横柄な貴族騎士様の相手が務まるとは思えません。血の雨が降ってもおかしくないでしょう。まぁ、そのほうが街のためには良かったのかもしれませんがね」
「ヒム、滅多なことを口にするな。我々が割れれば、国境の小さな街など何が起こるか分からんぞ」
「はい。すみません」
「どうしたヒム、またロイドさんに叱られてるのか?」
全ての入街希望者の対応を終えた他の兵士たちが集まってくる。
「余計なお世話だ」
「……で、何の話だ?」
直接対応していないとはいえ、全員が騎士の一行に緊張していたのだろう。皆、いつも以上に饒舌だ。
「なぜハイデル家の馬車が東の正門に来たのか、って話だよ。横柄な騎士が西の正門に向かっていたら、少々まずいことになっていたかもってな」
「そのことですが、兵士長。名代様の車列の後に並んでいた者たちが妙に落ち着いていたので、わけを聞いたんです。皆が言うには、騎士の皆様は穏やかで礼儀正しかったので、下手なことは起こらないだろうと思ったそうです」
「ああ、俺も聞いたよ。騎士様を初めて見る子供の一人が手を振ったら、『騎士様が小さく手を振り返してくれた』って喜んでました」
「そんなところをあの騎士隊長に見つかったら、怒鳴りつけられるんじゃないのか?」
「それが、手を振り返したのは騎士隊長らしいんだ」
「…何かの間違いだろ?」
「俺もそう思ったんだが、体格や服装、どれを聞いても騎士隊長のそれなんだよ」
「それが本当なら、俺たちに対する態度と違いすぎるだろ……でも、なんだかあり得そうだと思うのはなぜだ?」
ヒムが呟く。そうなのだ。ロイドが感じた違和感も、正にそれであった。ランゼルのロイドたちに向ける言動は傲慢そのものであった。
しかし、その所作の一つひとつには洗練された美しさが宿り、法を侵す者の雑味がなかった。
新任代官の名代という特権を振りかざして列に割り込むことすらせず、彼はただの入街者の一人として列に身を置いていた。部下の騎士たちも整然と並んでおり、他者を威圧するような態度は一度としてなかった。
ロイドたちに対する威圧的な言葉とは裏腹に、その行動は法と秩序を完璧に遵守していた。
礼節と威圧が奇妙に同居するその光景を思い出し、ロイドはある可能性に思い当たる。
「試されていた……? 何のために」
兵士長の問いかけに答える者はなかった。
鋼鉄の正門が、重々しく軋みを上げて閉じられる。その鈍い音は、街の喧騒を断ち切る終わりの合図のようだった。巨大な扉が完全に合わさる瞬間、隙間から覗いていた夕映えの残滓がふっと消え、サクヤの街は藍色の夜へと塗り替えられていく。
正門の傍らには、それとは対照的な小さな潜り門が口を開けていた。夜間の訪問者を迎えるその場所には、すでに夜番の兵士が立ち、掲げられた松明の炎が冷え始めた風に細く揺れている。
「試されていた……」
再び呟いたロイドの声は、誰に届くこともなく夜の空気へと溶けていった。
境界の街サクヤ。閉ざされた門の内側で、運命の歯車が静かに、しかし確実に回り始めたことを予感させる――そんな夜の始まりだった。




