第十四話【リンカ王国の隆盛と滅亡:霊託】〜傾国の鉄宰〜
私が神代の遺物に封入された【霊託】を開くと謁見の間は深い闇と静寂に包まれた。
侍従や近衛騎士さえも席を外させて臨んだ今回の会談。参加者の4名が固唾を飲んで辺りを見守る中、それは唐突に始まった。
闇の中から蝋燭の灯りのような小さな火が生まれ、瞬く間に人をも一飲みにしてしまいそうな巨大な炎の獅子へと姿を変えた。
炎の獅子は、まるで生きているかのように国王に向かってゆっくりと歩み寄った。
不思議な事に炎から放たれる熱は、灼熱ではなく、春の野原を吹き抜ける温かい風のような心地よさだった。
魔法の力をも超越した神々しさに平伏したい衝動を何とか抑え、宰相と農政大臣は片膝立ちの礼を取った。
リンカ国王は国の頂点に立つ者としての矜持を貫き、立礼で踏みとどまっているようだ。皆が誇り高き一角の人物である。
3人を横目に私は座礼を取って声をあげる。
「偉大なる火の大精霊様、我等が導き手、総主教の魔力を以て、その御言葉をお聞かせ下さい」
主教の言葉に応える炎の獅子の声が静寂の中に朗々と響いた。
『滅びの時が近付いておる。我の兄弟姉妹たる水の大精霊は海が穢れ、其処に住まう者が嘆き悲しむ事を憐れんでおる。このまま暴挙が続けばリンカの地は贖罪の災禍に見舞われるであろう。火の愛し子たる人間が行いを正し、未来に幸多からん事を願う』
慈しみ深い炎の獅子の言葉が皆の胸の奥に突き刺さった。
霊託を下し終えた獅子は小さな火へと姿を変えて消えて無くなり辺りは元通りの明かりに照らされる。
暫く時をあけてみるが、リンカ王国側の3人はまだ深い思考の底にある様だ。
思い悩む3人を見遣りながら、どのような結末を迎えようとも眼を逸らさずに受け止めよう。自らが出来る全てを賭して民を護らねば…そう決めた半年前の事を思い出す。
〜半年前 聖火教本国大聖堂内、総主教執務室〜
「失礼致します。御召しと伺いましたので参上仕りました」
立礼の体勢のまま待つこと暫し、背後で扉が閉まる音がする。それと同時に前から声が掛かる。
「顔を上げてく下さい。突然お呼び立てして申し訳ありません主教。お力添えをお願いしたことがありまして」
顔を上げ声の主をみる。
久しぶりにお会いするが、相変わらずお若い。40歳はとうに過ぎておられる筈だが。
「拙僧でよろしければ何なりとお申し付け下さい」
「ありがとうございます」
「総主教猊下、主教にそのようなお気遣いは不要でございます。御心のままにお申し付け下さい…慈しみの心は大切ですが余りに過ぎますと、猊下が軽んじられかねません」
「諫言ありがとうございます。
以後気をつけますが私と先生の眼をくぐり抜けて、ここを覗ける者など、そうは居ないでしょう」
穏やかな声音の総主教猊下。
態度を改める気は無いようだ。
「相変わらず頑固ですな。先生と呼ぶならば、いい加減忠告をいれて態度を改めて欲しいものですが…」
「中々に人の本質とは変わらないもののようで…。先生もそうでしょう。立場が変わろうとも私達を護って下さるではありませんか」
「いい加減に過保護を止めねばと考えてはいるのです」
「無理ですね。主教は兄上に甘いですから」
2人きりの執務室に第3者の声があがる。
「ソブレ。先生に失礼ですよ」
私は執務室のサイドデスクに置かれた水皿を見つめる。
大人の一抱えは有りそうな水皿には古代龍の紋章が刻まれ、見事な装飾が施されている。美術品としての価値も相当なものだが、真価はそこには無い。
神の祝ぎ金で出来たそれは膨大な霊力が込められた神代の遺物であり青龍の水鏡と呼ばれている。
水鏡は2個で一対であり、霊力を注げば遠く離れた地に居る者とも話が出来る。
但し膨大な霊力を必要とする為、使うことができる人間は一部に限られる。
深淵の如き水を湛えた水鏡には小さな人が浮かび上がり、澄んだ瞳で私を見つめ、無垢な笑みを浮かべている。
「お久しぶりです。ソブレ様」
遠くリンカ王国に駐在する大司教に改めて立礼をする。
「止めて下さいよ。位階も主教の方が上位でしょう」
「本来であれば貴方様が主教として総主教猊下を支えるべきで…」
「まぁまぁ、その話は止めておきましょう。私の立場でしかできない仕事も有りますから。先ずリンカ王国内なの状況説明から…」
リンカ王国の現状が手短な説明でよくわかる。聖火教の活動も隠密性と効率を見事に調整している。
教会の運営と外交、商人の真似事までやってのけるソブレ様、如才ない。
現在は大司教の地位にあるが本来で有れば主教として兄君である総主教猊下を支えるべきお方だ。
総主教猊下は火の大精霊様と大地の上級精霊との重複加護という伝説級の御力をお持ちだ。加えて人望も有り、見識も深い。
間違い無く歴史に名を残す偉大な指導者となるだろう。
異母とはいえお二人は仲の良い御兄弟だ、兄君と共に歩めばソブレ様も歴史に名を残す事は疑いもない。
しかし総主教猊下と共に歩む事は私の儚い夢に終わった。
ソブレ様もまた風の大精霊様と水の上級精霊の重複加護を持ち、歴史に名を残す偉大な指導者たる資質を有していたのだ。
ソブレ様は出自や加護を隠し地方を回る日々を送りながら、奔放に行動された。教団内でその行動を疑問視する者も少なくない。
それでも類稀なる行動力で大司教の位階にまで昇り詰められた。
聖職者として真摯に活動を続ければ、能力と人望、実績は兄上に互するだろう。そうなれば教団が割れてしまう。
『聖火教の事は兄上にお任せして、私は好きにやらせて貰いますよ』がソブレ様は仰られる。
教団が世界の安寧を目指す者達だけであれば偉大な指導者が2人現れるという黄金期が訪れるものを。そのことを知りながら何も出来ない自分に忸怩たる想いだ。
ソブレ様は涼しい顔で青龍の水鏡を使いこなしておられるが並の術者ならば卒倒しかねない負担が掛かっているはずだ。
「………以上が私からの報告です」
ソブレ様からの報告は概ね予想通りだった。予想通りとはいえ落胆していると
「人はより良い結果を求める生き物です。性善性悪と言う人の根幹より更に深奥にある生き物としての本能。人類の進歩はその上に成り立っています。
例え聖火教の誰が来ようと耳を傾ける者は多くは無いでしょう」
「大災難が訪れるとしても、いつ何処で起こるかも明確じゃないあやふやな話じゃ、人も国も動かないだろうね」
総主教様もソブレ様も既にこれから先の事を考えておられる。
私も未来を見据えて動かなくては。
「それでも私が【霊託】を携えてリンカ王国に赴く事に意味はありますかな?王国との交渉が不調に終われば霊託、ひいては総主教猊下の権威にも傷が付きかねませんが」
「私の権威など取るに足らないものです。民草の為出来ることは全て尽くすべきです。いざとなれば私個人の資質の問題とすれば聖火教への影響も限定的で済むでしょう」
「しかし、それでは…」
「主教様、覚悟を決めた兄上には何を言っても無駄ですよ。頑固ですから」
諦めの言葉とは裏腹にソブレ様の瞳は強い想いを伝えてきた。
優しい弟君だ。
「出過ぎた事を申しました。お赦し下さい」
「先生を責める言葉など、我々は持っておりません。只々協力を願うばかりです…」
地図に書状に報告書、果ては契約書を広げて話される総主教様とソブレ様の考えは合理的で限定的でおよそ聖職者の構想ではなく、豪商の計画を聞いているような心地であった。頭の固い教団内の者達には理解、納得出来まい。
だからこそ救える命もあるということか…。
「リンカ王国への勅使の御下命、謹んで承ります」
私は全てを覚悟した。
そう全てを覚悟したのだ。
〜半年後、リンカ王国王宮内謁見の間〜
「火の大精霊様のお慈悲に感謝を…。可能な限り速やかに吸血鉱の投棄は停止しよう。それでも今暫しの猶予を頂きたい」
「陛下!それでは手遅れに…」
「分かっては!分かってはいるのだ…。
それでも今ここで歩みを止めればリンカは諸外国に、烈国に飲み込まれてしまう。元の穏やかな辺境の農業国家に戻ることが出来るのならば魔法白銀なぞ、疾うの昔に捨てておる」
「陛下」
宰相が声を掛ける。
この場に即わない、暖かい声色が見て取れる。
国王は感情を収めて私を見る。
「すまぬな主教殿。あなたがリンカの民を真剣に思いやる気持ちは 十二分に わかってはいるのだ。私もこの素朴な国を守りたい。 できる限りで構わない。力を貸してもらえないだろうか」
その眼に宿るは慈愛と覚悟か。
「水の精霊の加護を持つ者に大精霊様に時間の猶予を願わせましょう。猶予が頂けるかは分かりませんが」
「感謝する」
「感謝致します」
「感謝申し上げます」
リンカ王国の覚悟を背に受けて王宮を辞去する。
尊敬に値する為政者達であった。それでも人の欲に抗し得ぬのか。
人とは業の深い生き物だろうか。
暮れなずむ空の色は火の大精霊の慈愛の炎か、滅びの兆しを告げる血紅色か。
その先を見上げると大鷹が一羽、西へと駆けていく。




