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さらば「勇者」よ

 とある時代のとある夜。かつて勇者と称された男は老いた身体をベットに横たえていた。過去の栄光は誇りとして痩せた胸に刻まれていたが、埃ほどに腹の足しにはならない。

伝説の剣も盾もいまや倉庫の肥やしとして眠り続けている。手元にあるのはねじ曲がった杖だけだった。

 音もなく窓が開き、1匹の若い悪魔が部屋のなかに滑り込んできた。手には鈍く光る剣を握っていた。

老いたとはいえ、かつては勇者。気配を察し、痛む身体に鞭打ってベットに腰掛け、杖を握り締めた。

そんな姿を見て悪魔は闇のなかでほくそ笑んだ。

「こんな死にぞこないが我が一族を滅亡寸前まで追い込んだとは信じがたいな」

 老人は杖にすがりながら、悪魔を見据えた。若く力に溢れているのが見て取れる。その気になれば一瞬で自分など肉塊にできそうだ。そうしないのはただ単純に舐めきっているからだろう。実際、今の自分に抵抗する力などありはしない。

「若い悪魔よ。この哀れな老人をどうしようというのだ」

「決まっている。殺すのさ。とはいえ貴様を恨む同族がこのぼろ小屋の外で積年の恨みを晴らさんと待ち構えている。簡単には死ねぬと思え」

闇の中で悪魔の瞳がぎらぎらと光る。小屋の外からはもはや気配を隠そうともせず、魑魅魍魎どもが騒ぎ立てている。

「こんにち、かつての私のように勇者と称されるものは大勢いる。私などにかまっている暇などないぞ」

悪魔たちの笑い声がより一層高らかに響いた。

「その勇者たちならすでに我が眷属の一員だ。貴様も知っておろう。人間を悪魔に変える秘術を。そしてそれを操る悪魔の王を。わたしがその最後の末裔というわけだ」

若い悪魔はくつくつとからだを揺らす。

「まぁ、勇者どもを寝返らせるためにいくつかの国と軍を灰にしてやったがな。そう苦労はなかったぞ」

老人は杖にすがった。そうせねば今にも倒れそうだったからだ。

 悪魔がつぶやく。

「しかし、歴代の魔王のなかでも最強と謳われたわが父を打ち倒したほどの勇者が、こうも人間の世界から隔絶され、孤独に過ごしているとはな」

「人とはそういうものだ。常に前に進み続ける。過去に固執はしない」

だが。と、老人は続ける。

「人のためにあるべき勇者は堕ち、人のために戦ったものを汚れた紙のごとく切り捨てる所業は耐え難い」

すきま風が吹き、虫すら寄り付かぬほどの困窮ぶりに若い悪魔は口をつぐんだ。

「・・・若き悪魔よ、いや次代の魔王よ」

かつての勇者はかすれた声で囁く。

「わたしを貴殿の眷属としてはもらえぬだろうか」

「老人などいらぬ」

「いや、悪魔の眷属となれば寿命は飛躍的に伸びる。人として終わりかけの我が命も悪魔としてならばまだ輝けるはずだ」

老人の声に抑揚はなく。あきらめと憔悴とが混じり合っていた。

 若い悪魔は考えた。老いたとはいえ、今、目の前にいる男の超常的な強さは聞き及んでいる。それを眷属として従えれば人などもはや敵ではなく、神の軍勢すら雲の上ではなくなる。

「よかろう。ただし万が一にも裏切れば、わかっておろうな」

「あぁ。死後我が魂は地獄で一生開放されぬ苛めを受けるのだろう。承知の上だ」

 若い悪魔は手に持つ剣で己の腕に傷をつけ、血に垂らした。老人がそれを這いつくばって舐めとる。

 こうして契約はなった。高尚な勇者の魂は汚され、ここに1匹の最凶の力を持った悪魔が誕生した。







 と、老人、いや、勇者の杖が若い悪魔の胴を薙いだ。真っ二つになる胴体。みるみる張りを取り戻したその筋骨隆々とした腕を振るい、勇者はさらに若い悪魔の身体を両断した。

 異変を感じ取り、表で待機していた魑魅魍魎どもが踏み込む。

 勇者は伝説の剣と盾の名を呼んだ。小屋からその2つは飛び出し、勇者の手に収まった。

 

 戦いとは呼べぬ、一方的な殺戮が終わり。勇者は若さを取り戻した身体をしげしげと眺めた。その目の色は血のように赤く、人のそれではない。しかし、その輝きは間違いなく悪魔には持ち得ないものだった。

「若く、そして青い悪魔よ、『勇者』をあなどってならんぞ。勇者とはいかなる境遇に堕ちようとも人のためにある存在なのだ。人の存続をおびやかすモノを討ち果たすためならば、いかなる目に逢おうとも、いかなる屈辱であろうと受け入れるのだ。・・・・・地獄で会ったときにまた教えてやろう」

 幸いにもまだ時間はたっぷりある。まずは「勇者」の名を汚した愚か者どもに制裁を加え、そののちに人の敵を全て排除する。

 「勇者」である悪魔の旅がはじまった。





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