名前をつけてくれ
先を歩く少女は、まったく俺を省みない。ここは見知らぬ土地で、置いていかれたら間違いなく生きていけない。比喩ではなく。
「ねえ…」ふと、きづく。そういえば彼女の名を知らない。「キミ」
少女は足を止め、俺を見た。
「なに?」
「名前、教えてくれよ」
少女は俺に構う気はないらしく、再び歩き始めた。
「あんたから名乗ってよ」
一応、相手をする気はあるらしい。
俺は名乗った。しかし、少女はふん、と鼻をならした。その態度にいらっとする。
「なんだよ」
「あたしは名乗れって言ったのよ。あんたが言ったのはただの『記号』。音の羅列。名前って、自分の代名詞でしょ。それじゃあんたが何者なのかがなんにもわかりゃしない」
「じゃあキミの名前はなんなんだよ」
「あたしは『鍵師』。どんな鍵でも開けられるから、鍵師。どう?あたしが何者で、どんなことができる人物なのかがよくわかるでしょ」
「まあ、ね…」
俺は返す言葉もなく口を閉じた。
俺の代名詞といえるほどの、何か。それを俺は持っているのだろうか。
町に着いた。暗い、じめっとした町だ。
「鍵師。そいつ誰だ?」
子猿を思わせる少年が、鍵師に声をかける。
「盗人。元気?彼は新しい住人よ。よろしくしてあげて」
「ふーん」盗人はじろじろと無遠慮に俺を見渡す。「ま、適当によろしく」
再び鍵師と町を歩く。
「さっきの子は、その、泥棒なのか?」
「そうよ」
けろりと少女は応えた。もしかすると鍵師と盗人はコンビを組んでいるかもしれない。
突然、俺たちの前に男がふらりと現れた。濁った、うつろな目の、いかにもアブナイ男だ。
男はひひ、と空虚な笑みをこぼす。
「よう、かぎし」
「馬鹿。暫く見ないから、死んだのかと思ってたわ」
「くいもん、くれよ」
「あんたに遣るくらいなら捨てるわ」
「すてるもんがあるなら、よこせ」
じりっと滲みよる『馬鹿』。鍵師は嫌悪を露に距離をとる。俺はといえば、逃げ腰で、隅に避難していた。
鍵師は打ち捨てられた棒をさっと拾い上げた。
「消えて失せろ、馬鹿」
「なぁ、はらぺ---」
棒切れが勢いよく馬鹿に降り下ろされる。
馬鹿はその場に崩れ落ち、いてぇ、いてぇと声を漏らす。
「前もこうやって痛い目にあったろう、馬鹿。いい加減学びやがれ。何度も何度も同じことして同じ目にあって。だからてめぇは『馬鹿』なんだよ」
鍵師と俺は、馬鹿を残してその場をあとにした。
やがて、巨人がてきとーにいくつかの小部屋を引っ付けたようなアパートにたどり着いた。
鍵師はなんなく鍵を開け、なかに足を踏み入れる。どうやらここが俺の住み処のようだ。
「さ、これであたしの役目はオワリ。あとはあんたの好きにしてね」
鍵師は鍵だけを置いて出ていった。
俺は木のベッドに腰掛け、横になる。
名前。自分を示す、代名詞。俺が俺であることの証明。
俺の名は、、、。
翌朝、ぶらりと町を出歩く。立ち並ぶ露店にはロクなものがない。人々の顔は暗く、気が滅入る。いつもこうなのか?
「あんた、無事だったんだ」
振り替えると、鍵師が険しい顔でたっていた。
「随分な挨拶だな。何かあったのか?」
「盗人が死んだ。殺されたのよ。早朝、そこの川に打ち捨てられたのよ。まるでごみでも捨てるみたいにね」
せいぜい気を付けて。鍵師はそう言い残して姿を消した。
俺はひとり、町の雑踏に取り残される。
そうか。こんな簡単なことでいいのか。
昨晩、俺の家に一人の客が来た。手荒な歓迎の結果、客は二度とは目を開けることはなかった。
俺が俺であることの証明。それは…。
「なあ、あんた」
そこには馬鹿がいた。町のぴりびりした雰囲気もどこ吹く風。馬鹿は昨日と変わらず、ひひ、と空っぽの笑みを浮かべ、俺に手を差し伸ばしてきた。
「くいもん、くれよ」
俺はにっこりと笑みを浮かべた。
「ああ、やるよ。俺の家にあるから、付いてきな」
俺の名は、殺人。そんなとこか。




