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BAR 夜明ヶ前  作者: 沼 正平
23/99

ボジョレー・ヌーヴォー解禁

 夜明ヶ前の店内ではズート・シムズの“ダウン・ホーム”がかかっていた。今流れているのはアルバム3曲目の“アヴァロン”、この盤の中で俺が一番好きな曲だ。ズートのテナーはもちろんだけど、デイヴ・マッケンナのピアノソロからジョージ・タッカーのベースソロに移り、そのベースにピアノが合いの手を入れるところが何とも楽しい。自然と酒の味も美味くなるってものだ。

 マスターは黙々と仕込みをしているけど、見た感じあまり忙しい風でもない。そりゃ当然だ、お客は毎度の俺一人だけ。この後だって何人も来るわけじゃないだろうし、早い話が手持ち無沙汰なんだろうな。こういう時はやっぱり常連の俺が構ってやらないと可哀想だ。

「マスター、今週はアレだよね、ボジョレー・ヌーヴォーの解禁日。今年も出すんでしょ?」

 俺はマスターが一番乗ってきそうな旬の話題を振ったつもりだったんだが、マスターは見事なまでに不機嫌そうな顔を俺に向けてきた。

「今年は辞め。いや、もうボジョレー・ヌーヴォーはやらないことにした」

「え、何で? 毎年好評だったじゃない?」

 夜明ヶ前ではワインを扱っていない。カクテル用にいくらかはストックしてあるみたいだけど、とりあえずメニューには載ってない。でもボジョレー・ヌーヴォーだけは毎年予約して解禁日に用意していたんだよね。

「解禁日に来た客は、ボジョレー・ヌーヴォーがあるって言えばほぼ100%が注文してくれたよ。確かに商売にはなるんだよ。だからワイン置かないウチの店でも、コレだけは扱ってたのさ。でもいい加減バカらしくなったというか、こんな商売してちゃダメなんだって思うようになってね」

「日本でも大人気のワインだし、儲かるんならイイんじゃない?」

「大人気って、ボジョレー・ヌーヴォーの何が人気なんだい」

「何って……」

 何だろう? 美味いのかな。スピリッツばかりの俺には良く分からないな。酒なんて嗜好品だから、味だけってことじゃないんだろう。

「ボジョレー・ヌーヴォーって日本が一番最初に飲めるんだよね。だから人気なんじゃない?」

 そこでマスターは大きくため息をついた。

「日付変更線を見ると日本が一番ってワケじゃないけど、まぁ確かに一番盛り上がってるのは日本だよ。何しろ生産量の4分の1を輸入してるんだからね。でもボジョレー・ヌーヴォーっていうワインの性格を考えれば、日本人が大騒ぎすること自体があまりにも滑稽なんだよね」

「性格って?」

 ハッキリ言って、ワインは門外だ。そんな話されても良く分からない。

「ブドウの収穫時期を考えれば答えは自ずと出てくるだろう。新酒の解禁日が11月の第三木曜日。つまりボジョレー・ヌーヴォーは“熟成させないワイン”なんだよ」

 確かに言われてみればその通りだ。ワインって言えば樽に入ってて、何年も寝かせるようなイメージだな。

「普通のワインはブドウを破砕して醗酵させるんだ。この時に皮をそのままにすると赤ワイン、取り除くと白ワインになる。ところがボジョレー・ヌーヴォーは破砕せずブドウの自重で潰されて醗酵する。つまりボジョレー・ヌーヴォーには“白”が無い、ってことだ」

「そう言えば赤ワインだけだよね」

「熟成させない醸造法を“マセラシオン・カルボニク”或いは“カルボニック・マセレーション”なんて言う。これは覚えておいた方がイイ。国産ワインでもこの醸造法を使って造ってるものがあるよ」

 うう、覚えられそうもない……。

「この速成醸造法は別にインチキでも何でもない。ちゃんとA.O.C.の規格として合致してるんだ」

「AOCって?」

「アペラシオン・ドリジーヌ・コントローレ、“原産地呼称統制”なんて呼ばれてるな。アペラシオンは原産地のこと。オリジーヌ・コントローレは語感からなんとなく理解出来るだろう?」

 そうか、オリジナル・コントロールってことだな。

「本来熟成させて飲むはずのワインを、何で速成醸造するか。それはもともとその年のブドウの出来を見るために、その地方のお祭りとして始まったものなんだ。それほどワインも消費せず、ワインの味も大して分からない日本人が、その年のワインの出来を占う新酒をこぞって飲むってのは、いかにも滑稽だろう」

「そりゃそうだけどさ。でもみんな喜んで飲んでるよ」

「でもこのワインの性格から考えたら、解禁日云々でなく、まずはブルゴーニュ、ボジョレー地区のワインを心から愛している地元の人達が一番に飲むべきなんだよ、こんな極東の成り上がりじゃなくってね」

「お、言ってくれますね。ちゃんとお金出して飲むんだから文句ないじゃない」

「それがいけないのさ、文化まで金で買おうとする。最近はペットボトルや紙パック容器入のワインが随分と幅を効かせてるみたいだけど、あれなんかまさに文化の破壊だね。日本酒や焼酎はイイよ、自分とこの酒文化だからね。よその国の酒文化を破壊するのは感心しないね」

「それが今年からボジョレー・ヌーヴォー出さない理由なの?」

「それもある。それに今年はボジョレー・ヌーヴォーの原料ブドウ“ガメイ”が史上最悪と言われる大不作だそうだ。例年の半分以下の収穫量ってことらしい。そんな時に先を争って日本が買い漁るのはあまりにも醜悪だろう。だからこれを機会に辞めようと思ってな」

 俺だったら儲かればイイと思っちゃうんだけどな。ここのマスターはホント、面倒くさい性分だよ。

「もう一つ、私をがっかりさせた話を聞いてくれ。数年前の話だけどな。ある男がボジョレー・ヌーヴォーを買って、それを自宅で寝かせるって言うんだ。その年に生まれた子供がハタチになったらその20年もののヌーヴォーで乾杯するんだと。ここまでワインのことを知らずに飲んでるヤツがいるのかと思うと、ホントに情けなくなってくるよ」

 マスターはそう言ってドサッと椅子に腰掛けた。自分で話しながら、自分の話に参ってしまったらしい。俺はワインのことは分からないけど、マスターの気持ちはなんとなくわかるような気がするなぁ。それに、俺もワインは寝かせれば寝かせるほど美味くなるものだと思い込んでたな。ちょっと勉強した方がいいかもしれないな。マスターが哀れだから……。


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