SideA 不透明に澄んだ心06
この長く暗い道に入ってからどれくらいの時間歩いただろうか。奥に行くほどに道を覆う水位は増し、深くぬかるんだ道は歩く者の体力を執拗に奪い続ける。
最初はイグルの足が止まりがちになってきた。そして次にヴァイアス。レイアは足こそ止まらないものの湿気とこの狭路に籠った熱気に汗を浮かべている。
「さすがにきついですわね……というかあなたなんでそんな平気そうなんですの? 相変わらずその重たいレッグアーマーをつけてますのに」
汗を拭い濡れた手をばっと振り払う。そうすることで手についた汗を飛ばしながらレイアは前を歩くシーアに悪態をつくように話しかける。
「うーん、まああなたみたいに火の玉を近くに浮かべてなければ案外ひんやりしてるんじゃない? まあ後は普段から旅と言ったら歩きか全力ダッシュだったから……慣れた?」
「全力ダッシュってあなた……それに、あなただって色こそ違えど火の玉を浮かべてるじゃありませんこと?」
レイアが指さした先。シーアが手をかざし浮かべている黒く揺らめく球体。黒いだけで見た目は炎と変わらない。その球体を中心に一定の範囲も照らされており、照明代わりにもなっている。
「ああ、これ炎だけど氷みたいなものだから」
「……は? どういうことですの?」
「あれ? "グルプネア"のときにあなたに言わなかったっけ? 私の"アミティ"について?」
「あれ本気で言ってましたの……?」
「うん? え、嘘だって思われてたの!? 真面目に説明したはずなのに、納得いかない」
むすっと不貞腐れた表情でレイアを睨むシーア。それを見てレイアは呆れ顔で額に手を当てる。
「だってあなた……精霊族でもないのに属性を操る術式が使え、その上"属性の性質を変化させた属性"が使えるだなんて世迷いごとにしか思えないでしょう」
「まるで私がおかしいみたいに」
「今ほどあなたがおかしいと思ったことはありませんわ」
「なんでよ!?」
シーアとレイアが騒がしく言い争っている隙に少し離れていたヴァイアスとイグルが追い付いてきた。
「ま、まだ続くのかよこの通路は……」
「れ、レイアちゃん……私、もうそろそろ……げん……かい」
疲労から目が虚ろになりつつある二人。レイアはヴァイアスの何かを訴えるような子犬のような瞳に困惑し、後ずさる。
「だ、だから無理についてこなくても良いとここに来る前に……」
「だって……こんな悪路をかれこれ半日近くも歩くだなんて思ってなかったんですもの」
「そ、それはまあこの遺跡のことは私も今朝ほど情報が入りましたし、まさかヴィア姉さまがここまでついてくるとは思ってませんでしたし……」
ヴァイアスが道端に転がる石レンガの破片にへたり込むように腰掛ける。近くの壁から崩れて落ちたものであろうが水に浸かる地面よりはマシと判断し椅子代わりに使用する。それを見てイグルも緊張の糸がほどけたのか壁に背を預け大きくため息を漏らす。
「シーアさん、少し休憩をお願いできますか」
「あはは、そうだね、そうしよう。誰が作ったのか知らないけどこんな長い地下道は私も初めてね」
「地下道というかもう洞窟みたいな感じですけどね……さてと……まずは体力の回復ですわね」
レイアは腰に下げている革袋からうっすらと黄色みを帯びた液体の入った小瓶を取り出し、ヴァイアスに渡す。ヴァイアスは目を輝かせながら受け取るとグイっと一息に飲み干す。
レイアはその様子に口の端を緩ませ、ふと横で肩で息をする様子のイグルに目を向け、すっと無言でヴァイアスに渡したものと同じ小瓶を差し出す。
「こ、これは……」
「スタミナ回復の効果がある水薬、"ラモンリキッド"ですわ。まあ、黙って飲みなさいな」
反射的に受け取りを拒否する仕草を取ろうとしたイグルの手首をガシッと掴み、無理やり水薬の入った小瓶を握らせる。イグルは手にした小瓶に視線を落したままどうしたものかと固まっている。
「安心してください、イグルさん。お代は結構ですし、あと美味しいですよ、これ」
自分の分を飲み干したヴァイアスは少し疲れがとれたのか、笑みを浮かべイグルに語り掛ける。イグルはそれでも躊躇していたが、やがて何かを決心したのか顔を引き締めぐいっと小瓶の中身を飲み干す。
「ありがとうございます、レイア様。これでまだついていくことができそうです。足を止めて申し訳ありません」
「ふん……なら結構。まあ、もう少し休んでなさいな……ちょっとこの人とお話がありますので」
そういってにやにやしながらレイアを見ていたシーアの胸倉をぐいっとつかむ。シーアは慌てて手を挙げ首をぶんぶんと横に振る。
「ぼ、暴力反対!」
「却下ですわ! あなた、それだけ不思議で便利な力があるならどうして私がこの蒸し暑い中"フラムスフィア"を出してるのに何も言いませんの!」
「いや、私は別に暑くなかったしレイアもその辺うまく調節してるのかなーって」
「判決。罪状として拳骨一発。確定ですわね」
「だからなんでよ!?」
その後ぎゃあぎゃあと喚くような二人の会話は10分近く続いた。その間イグルもヴァイアスに倣い水面から突き出ていた石レンガに腰掛ける。目の前で言い争う二人をヴァイアスはどこか楽しそうに、イグルは苦笑いで見つめていた。
* * * * *
「これは……すごいですね。それしか言葉が出ません」
「こんなの使えるなら先に言ってくれよ」
「全くですわ!」
前を歩くシーアは黒炎の球体をかざしながら後ろをちらっと見て大きくため息をつく。
「見た目は炎ですが、それが冷気を放っているだなんて……。そんなことが本当にあるのですか?」
「試しに手を突っ込んでみる? 凍傷になっても文句を言わないなら止めはしないけども」
シーアの返事にヴァイアスは思わずすっと自分の左手を右手で覆うように隠す。目の前で揺れる炎に手を突っ込んだ想像をしていたのだろうがその様子を見たレイアもこっそりとヴァイアス同様に手をもう片方の手で覆い隠していた。
「むぅ……そろそろ出口が近いと思ったらまた面倒な」
そういって顔をしかめるシーア。何事かとすぐ後ろを歩いていたレイアがシーアの見つめる先に視線を向け、同様に顔をしかめる。
「これ……明らかに誰かが崩しましたわね」
二人が見つめる先は一見して行き止まりのようになっているが、崩れた土砂に紛れて側壁に埋め込まれていた石のレンガの破片が入り混じっており、本来は道が続いていた形跡を残している。
「大方私たちの先を行ってた巡回騎兵の馬鹿どもじゃないかな。何のつもりか知らないけど、自分たちの退路を断つなんて……」
「入り口付近で倒れていたあの人族たちに外傷のようなものはありませんでした。ただ、深い眠りについているようで起きそうにはありませんでしたが、もしかしてレイアちゃん……」
ヴァイアスは口元に手を当て思考を巡らせる。レイアも姉の推察に思うところがあったのかこくりと頷く。
「おそらく……この通路は今回の騒動の元凶、希源種が普段利用している可能性がありますわね」
「希源種? なんですかそれは?」
レイアのつぶやきにイグルは首をかしげる。ヴァイアスは少し困った笑みを浮かべレイアに視線を向ける。レイアもどうしたものかと腰に手を当て、シーアに視線を向ける。シーアは任せろと言わんばかりにトンと自身の胸を小突き、その後イグルの肩をポンと叩く。
「国家秘密だから知らないほうがいいよ」
「国家秘密? じゃあなんであんたは知ってるんだよ」
シーアは本日一番の困った表情でレイアとヴァイアスに助けを求める。二人は頭を抱え大きくため息をついた。
「あなたに説明を任せられると1秒でも思った私が馬鹿でしたわ」
「会って間もないお方にこんなことをいうのもあれですが、任せては駄目だということは容易に想像できました」
「姉妹そろって失礼じゃない!?」
レイアはイグルの傍に寄るとすっと口の前に指を立てる。
「シーアさんの言うことはあながち冗談ではなく、存在自体がいわば秘密のようなものですわ。ただそうですわね……間違いなく好ましい存在ではなく、また、危険な存在ですわ。だからあなたは何があっても自身のことを第一に考えて行動しなさい」
「え、それってどういう……」
「レイアちゃんが言った通りです、イグルさん。希源種はいわば未知の化け物の総称のようなもの。私たち精霊族は外の世界事情に疎いものも多く知らないかもしれませんが、このセブンスフォード全土に存在し、多くの被害を種族を問わず及ぼしている危険なものたちが存在しているんですよ」
「そ、そんなやつらが存在するのですか!?」
慌てるイグルにレイアとヴァイアスが説明する中、シーアはすっと行き止まりの壁の手前、少しくぼみのある地面に手を当て、目を細める。
「運が良ければこの後見れるかもしれないし……運が悪ければさらに地獄を見ることになるかもね」
「え?」
「ここだけ地面がまるで耕したように柔らかい」
無言のままレイアが近づき、暗い視界の中シーアが触れる地面を同様に目を細め睨むように見つめピクリと眉をひそめる。
「これは……まるで掘られたような跡ですわね」
「正確には掘って潜った跡じゃないかな。はは、いよいよ人間の仕業じゃないね」
不自然な化け物を想像し、誰もがごくりと息をのむ中、シーアはすっと立ち上がると眼前を塞ぐ瓦礫交じりの土の壁にすっと手を当てる。
こんな状況でなければ奇麗だと誰もがその光景に感嘆の声を漏らしたかもしれない。シーアが触れた壁が仄かに青い光に照らされるその光景はどこか神秘的……なのだが……。
それを見たレイアが本日一番のぎょっとした表情を浮かべ後ずさる。それを見てヴァイアスは何かを察知したのかすっとイグルの前に手をかざし下がるように指示する。
「あ、あなた何をするつもりで!?」
「私の予想もたぶんあなたたちと一緒だ。入り口付近で伸びていた連中はおそらくこの先に進んだ巡回騎兵の退路を確保する見張りのようなもの。そして運の悪いことにやつらは"帰ってきた"希源種によって倒された。そしてこの辺りで先に進んでいた巡回騎兵に出くわし戦闘になった。おそらく巡回騎兵はかなわないとでも思ったのか敵の追跡を防ぐため通路を崩したんだろう」
壁を照らす光が徐々に激しさを増していく。ヴァイアスは何が起きているのかわからず、レイアに目をくれる。
「その考えは確かに私たちと同じ。そしてその不自然な地面もおそらく今回の希源種の仕業。でも……この後あなたが何をしようとしているのかが私には考えもつかないのですけど?」
「巡回騎兵どもに希源種をどうこうできるとは思わないけども、あんまりもたもたしてると希源種がさらったイグルのお友達が危ないかもだしさ」
シーアの台詞にイグルはなおも強まる光を手で覆い隠し、光源に立つシーアへと視線を向ける。
「アノは生きてるのか!?」
「それはこれから確認しないとね」
シーアは触れている壁に向き直り、腕に力を込めていく。レイアは慌ててヴァイアスとイグルを引き寄せ、すっと地面に手を触れる。
「まったく! いくら急ぎとはいえあとでお説教ですわよシーアさん!」
「あはは、なんだやっぱり"わかってる"じゃないレイア。私の考えが!」
「れ、レイアちゃん!?」
「下がっていてくださいなヴィア姉さま! あれに巻き込まれないように。"アースプロテクト"!」
レイアが触れた地面の少し先で急激に地面が隆起し、岩の塊が現れる。岩はシーアとレイアを遮る壁のようにそびえ立ち、厚みを増していく。それを見てシーアは待ってましたと言わんばかりに楽し気な表情を浮かべる。
「さあ……邪魔をするものはぶっ壊す! "カラミティ・スパイラル"!」
壁に触れたシーアの手が激しく発光し、バチバチと火花のような音を立てる。そして、シーアの詠唱が終わるやいなや、青い稲妻がシーアの腕を取り巻くように螺旋を描き、壁へと解き放たれる。
それは槍が如く鋭さを増し、回転速度を上げながら岩を抉るように突き進んでいく。無論、それほどの威力を放つ力である。辺りは轟音と爆風につつまれ、この地下道全体が激しく震える。
「な、何が起きてるんだよ!? シーアは何したんだ!?」
「口を閉じてなさいな! 舌噛みますわよ!」
レイアはなおも地面に手を当て力を込めている。レイアが生み出したと思しき岩々はがくがくと激しく揺れ、崩壊が始まる。それを見てレイアは忌々しそうにきゅっと下唇を噛み、もう片方の手も地面につけ、さらに力をこめる。
「あなた、もう持ちませんわよ! もう十分でしょう!」
レイアの眼前の地面はさらに隆起を繰り返し、シーアとの間に新たな壁を生み出すまでになっていた。それによって襲い掛かる暗闇。光のない地下に轟音だけが鳴り響く。
時間にして10秒も経ってはいないだろうが、レイア、ヴァイアス、イグルにとってはその何倍もの時間に感じられたことだろう。
「レイアー、もう大丈夫よー。ていうか、生きてるよね?」
なんとも間の抜けたシーアの声にレイアは苛立ち混じりの笑みを浮かべる。
「あなた……罪状に拳骨10発追加ですからね?」
そう言ってすっと地面から手を放し、レイアは立ち上がる。だがすぐ様立ち眩みのようにくらっとふらつき倒れそうになるがそれをヴァイアスが背中から支える。
「だ、大丈夫レイアちゃん……って……嘘でしょ」
「おいおいマジかよ……」
レイアが地面から手を離すと同時に眼前にあった岩の隆起は収まり、まるで砂のように静かに崩れていく。そして舞い込む強烈な太陽の光。
「ちょっとやりすぎた? いや、でもまあこうするのが一番早いはずだし問題ないよね」
「問題しかありませんわ……」
ヴァイアスに支えられながら悪態をつくレイア。イグルとヴァイアスは信じられないといった様子で目の前の光景を凝視する。
それは圧巻の一言に尽きる光景だった。先ほどまであったはずの行く手をさえぎる壁はおろか、その先にあったであろう地下道もなくなっている。
いや、ただしくは無くなったわけではない。はるか先に洞窟の入り口のような洞穴が見えるがおそらく"それ"が地下道の続きなのだろう。
突如目の前に現れた広場のような平地は間違いなく地下だった場所。それが何もない開けたスペースへと変貌したのは間違いなく彼女の仕業。呆気にとられた3人の眼前で腰に手を当てて不安そうな表情を浮かべるシーアの仕業だ。
「大丈夫……だよね? あはは」
「し、シーアさん……あなたは一体……」
「言ってるでしょうヴィア姉さま。およそ常識とは程遠い化け物ですわよあれも」
顔を引きつらせるヴァイアスとイグルを見てレイアは苦笑を禁じ得ない。
「まあ、初めて見ればそうなりますわよね……ふふ」
ヴァイアスの呆気にとられた横顔に昔の自身の姿が重なって見えるような錯覚。だがそれをどこか心地よく感じたレイアは自身を支えるヴァイアスに力なくもたれかかった。
「だ、大丈夫レイアちゃん!?」
「ふふ……さすがに術式を使いすぎて"対価"の睡魔がひどいですわ。まあ、しばらくすれば収まるでしょうし申し訳ありませんがしばらくこのままでお願いしますわ、ヴィア姉さま」
そういってヴァイアスの膝を枕に横たわるレイア。"精霊術式"の代償として襲い掛かる睡魔に少し意識が朦朧としているが、その翡翠の瞳は力を失ってはいない。
「どうやらイグルが言ってた遺跡は近いみたいね。それに……聞こえるわ。怒号と悲鳴が混じったやかましい音がね」
これから起こるであろうトラブルにどこか期待しているかのようにシーアは不敵な笑みを浮かべる。うずうずとしてこらえられないのか、拳を開いては閉じてを繰り返している。
「レイアを任せてもいい? ヴァイアス」
「ええ、すぐに追いつきますから」
レイアも言葉こそ発してはいないが力強い眼差しをシーアに向ける。それを受け、シーアも力強く頷く。そして振り向きざま、背後で喧騒の先である遺跡の方角を向き顔をこわばらせていたイグルを見て口の端を緩める。
「あの崖の上が遺跡かな? ここからは地下道よりもあの崖を上がった方が早そうね。ついてこれる? イグル?」
およそ50メートルほどはあろうかというそびえたつ崖。それを軽く見上げた後、シーアはイグルに手を差し伸べながら問いかける。
「邪魔な化け物も馬鹿な人族も私がまとめて面倒見てあげる。だからあなたはしっかりアノの面倒を見てあげなさい」
覚悟を決めた戦士のように……うなずくイグルの表情はどこか勇ましさに満ち溢れていた。




