訓練所にて
夜のうちに雨が降ったようで、朝起きると地面が濡れていた。
王宮の敷地内はそれなりに整備されているけれど、私のいる端っこまで石畳が敷かれているわけもなし、玄関から外に出るとぐちゃぐちゃにぬかるんだ地面。泥が跳ねるのが絶対に嫌だ、というわけではないけれど、外に出ないでリモートで仕事ができないものかと考えてしまった。
まぁ、この世界にそういう技術はない。
仕方ないのでいつものように、定時にサハイさんの研究室に出勤しする。サハイさんは今日は外出されており、私は前日に指示された実験道具の片づけと在庫の少なくなってきている薬品等の発注書を書いた。
終業時間になったので出入口にある私の出勤簿に退出時間を記載し、預かっている鍵をかける。
普段一緒にいるとあれこれ口うるさく言ってくるサハイさんがいないと、私はそういえば誰とも口を聞かずに日中が終わってしまうのではないかと思った。いや、ウィルソンくんは別だが、あれはバレーボールである。
「そういえば」
勇者候補の少年少女が集められ、日々訓練をしているという西の塔はこのあたりではなかったかと思い出す。
大勢集められた彼らは年齢別だか実力別だかクラス分けでもされているのだろうか。少し興味がわいて見に行くことにした。
王宮でふらふらしていると怪しまれるかと思うが、私はそれなりに有名人なのだ。時折「あ」とか「ほら……あれ……」と、貴族の方や兵士さんたちがひそひそと、こちらを見て顔を顰める。
はい。国家予算を食いつぶして召喚された役立たずです。
しかし私が彼らにとって無価値で無能だったことは私の責任ではない。私だってこんな場所にいたくはないが、そちらの都合で連れてこられ、戸籍もない人間がなぜ異世界で苦労しなければならないのか。
元の世界に戻るまで王宮でひっそり息をひそめているつもりなので、お互い干渉しないでやっていこうではないか、と私は勝手に思っている。
そそくさと華やかな、貴族たちが使う道を避けて移動する。次第に少し開けた場所に出た。
騎士たちとは明らかに違う、まだ幼さが残る青年や少女たちが広場に集められて何やら訓練をしていた。
基礎トレーニングか何かだろうか。走り込みをしたり、剣を振ったりといくつかグループが出来ている。
それぞれに教官らしい人もついていて、いかにも体育会系といった雰囲気で子供たちを熱心に指導していた。
若干違うかもしれないが、スポーツ推薦で進学してきたエリートたち、のようなものだろうか。もちろん彼らはサッカーや陸上競技をやるために訓練しているわけではない。彼らは「魔王を倒して世界を救う」勇者になるためにここに集められたらしい。
真面目に訓練している者もいれば、手を抜いている者もいる。やる気がない者も、まぁ、これだけ人数がいればいるだろう。
中には多分、かなりいいところの……貴族の坊ちゃんなんだろうな、と思われる、身なりが違う集団もいて、彼らには一人一人教官役らしい騎士がついており、とても丁寧に教えてもらっている。
私の素人目にも動きが他の子たちとは明らかに違う。教えられた動きをすぐに覚えて、剣を振るう。最初はただの教官役だった騎士が次第に押されていくのは、彼らに対して演技をしているという風ではなく、本当に、あの子たちの成長速度が速いのだろう。
あの子たちのうちの誰かが勇者になるのだろうな。私でもそう思った。今日初めて見た私でさえ思ったのだから、彼らと一緒に訓練している勇者候補たちは猶更「自分と彼らは違う」と気付いてしまって、やる気がなくなっているのもあるかもしれない。特に子供というのは他人と自分の優劣の差に敏感だ。目的が一つしかない場所で、席が限られているその場所で、目に見えてついている勝敗に対してもがこうと思うことは難しい。
さて、それではそんな中で、アゼルくんはどこにいるのだろうか。
私は知らない顔しかない集団の中に見知った顔がないものかときょろきょろと見渡した。
「何か」
と、さすがにその姿は不審者だったのだろう。
私の方に近づいてくる騎士が一人。
「見学希望です」
「………………」
面倒くさそうな顔をされた。
そこそこのご年齢、中年と言って差し支えないだろうが、騎士というだけあって体格も良くシュっとしている。
「見世物ではない」
「素振りをしている未成年を見ることでしか得られない栄養素があるんです」
「……あなたが何を言っているのかわからないのだが」
私が真面目な顔で言うと、騎士さんは顔を顰めた。
「あなたは王弟殿下の客人だろう。貴婦人がこのような場所に、護衛の者も伴わずにいるのは如何なものか」
おやこの騎士さん。私に対しての嫌悪がなかった。ただ、邪魔だから帰れ、というただの、この場の大人として必要な感情しか向けてこない。
「知り合ってる子がいるんですよ。アゼルくんっていう子で。様子を見に来ました」
なので私も礼儀正しくしようかと、背筋を伸ばして騎士さんを見上げる。
「……」
態度の変わった私を騎士さんは少し意外そうに見下ろした。考えるように沈黙して、一度目を伏せる。
「アゼルは訓練には参加していません。あれは勇者候補たちのための雑用を行っている」
と、騎士さんが目線で指示した先には魔法の練習をしている勇者候補たちの、動く的になっているアゼルくん。
「……」
「魔力が低く、体力や体格も他の候補者たちと比べるまでもない。それであれば他の勇者候補の練習相手として補佐をする役目を与えるべきだろう」
もちろんそういう役はアゼルくん以外にもいるようだ。300人も集めたのだ。確かに、その中で上澄みだけに時間とお金をかけた方が良い、というのは効率として理解できる。
「世の中のすべての志しのある者が、英雄になれるわけではない。素質があろうと、勇者の椅子に座れるものは一人きりだ。で、あれば、〝勇者になれなかった者”ではなく、城に勤める者としての未来を見据えた方が良いだろう」
淡々と、騎士さんは話す。
言っていることはわかる。
その考えは、とても……大人として、良いものだ。
田舎から出てきた何も持っていない子供が、「勇者になれませんでした」と、失敗者、失格者、落第者になるよりは、王都に来れたことをチャンスとして、農夫で終わるはずだった人生を少しでも良いものに変えられれば良いだろう、と。
なるほど、そういう考え方もあるかもしれない。
私は納得して広場に顔を向けた。
アゼルくんが教官たちに怒鳴られている。
避ける速度が徐々に下がってきて、それでは的にならないと怒鳴っている。
アゼルくんは無言で、無表情で、黙々と言われたことを行っていた。