第42話:番犬の証、共犯の頸鎖 / COLLAR OF COMPLICE
高天原には、相変わらず人工太陽が穏やかな光を投げかける日が続いていた。
管理された大気、完璧に調律された湿度。
ここには下界のような予測不能な嵐も、肺を焼くような重油の混じった熱風も存在しない。
すべてがアマテラスの意思により、永遠の春を演じていた。
白磁の回廊を歩むカケルの数歩後ろを、ヤマトが影のように付き従う。
すれ違う高官や侍女たちの視線は、冬の刃のように冷ややかだった。
一点の曇りもない洗練された空間の中で、赤い髪をなびかせ、重厚な義手を晒して歩くヤマトは、誰の目から見ても「楽園に紛れ込んだ汚物」に過ぎない。
だが、冷笑を投げかける者たちも、カケルがふとヤマトに向けて見せる微笑みを目にすると、気まずそうに目を逸らした。
今の二人にとって、周囲のノイズはすでに意味を成さない、灰色の背景の一部となっていた。
カケルが歩を緩め、ふとした拍子に振り返る。
瑠璃色の瞳に宿る屈託のない信頼を受け取り、ヤマトは不器用そうに口端を歪めた。
「ヤマト、もう体は何ともない?」
「……しつこいぜ。そんな弱っちく出来てねえよ。いちいち気にすんな」
ヤマトは言葉を切り、視線を不自然に逸らした。
黄泉比良坂の落下。
カケルを庇ったヤマトの腹部を、無残に配管が貫いたあの瞬間。
命が消えかかったヤマトを背負い、指の爪を剥がしながら地獄の登攀をやってのけたのは、目の前の華奢な少年だった。
命を賭けて互いを守り抜いた記憶は、二人の間に、言葉を必要としない鋼のような信頼を打ち立てていた。
カケルの瞳に、アマテラスが計算し尽くした光が反射し、鮮やかに輝く。
そのあまりに澄んだ、けれどどこか危うい輝きに、ヤマトは微かな目眩を覚えた。
「そうだ! ねぇ、ヤマト。僕から君に、渡したいものがあるんだ」
「あ? そんなもん要らねえよ。どうせ味気ねえ最高級の菓子か、派手すぎるだけの調度品だろ」
「ううん、違うよ。友達としてだけじゃなく、君が僕の『正式な護衛』だっていう証。……だから、受け取ってほしいんだ」
カケルが懐から取り出したのは、掌の上で圧倒的な威光を放つ「指輪」だった。
それは、高天原の直系皇族だけが所有を許された指輪だった。
その一つを他者へ託すことは、受け取った者を皇族直属の随伴者として認め、自らの権限の一部を預けることを意味する。
太陽を抱くように、あるいは従属するように刻まれた龍の意匠。
龍の尾が描く流麗な水の曲線は、高天原の権能が下界の隅々にまで行き渡るさまを象徴していた。
「……指輪? 勲章かなんかか? 似合わねえだろ、俺には」
ヤマトは鋼鉄の指先で、恐る恐るその繊細な彫金に触れた。
ひんやりとした白金の感触が、義手のセンサーを通じて脳へ伝わる。
「これはね、僕の『皇太子コード』と連動する認証キーでもあるんだ。身につけた人を僕の正式な随伴者として登録して、通常なら入れない区画への同行を許可してくれる」
「……はぁ? 指輪なんて、ガラじゃねえんだよ」
ヤマトはあからさまに顔をしかめ、自分の武骨な手をカケルに突き出した。
長年の重労働により傷の目立つ左手と、無機質な輝きを放つ義手の右手。
そのどちらに嵌めたところで、精密な白金の指輪はあまりに不釣り合いに見えた。
「もっと実用的なもんにしろ。こんなもん嵌めて歩けるかよ。高天原の着飾るだけの貴族共と一緒にすんな。いざって時に引っかかるだろ」
「……そっか。そうだよね、ごめん……」
カケルの肩が目に見えて落ちる。
瑠璃色の瞳から光が消え、しょんぼりと俯くその姿は、まるで雨に打たれた子犬のようだった。
その「弱点」とも言える素直な落胆を突きつけられ、ヤマトは毒気を抜かれたように天を仰いだ。
「……ったく。そんな顔すんじゃねえよ」
ヤマトは深くため息をつくと、カケルの手から乱暴に指輪をひったくり、代わりに自身のポケットから、下界から持ってきた数少ない私物を取り出した。
「おい、カケル。こっち向け」
「え……?」
ヤマトは義手の指先でチェーンを器用に操り、指輪をその輪に滑り込ませた。
「指輪なんて気取ったもんは、高天原の奴らだけで十分だ。……だが、『番犬』なら話は別だ。指に嵌めるんじゃなく、鎖に繋がれたタグだと思えば、これくらいが丁度いい」
無骨な首元で、白金の意匠がチャリと硬質な音を立てる。
それは高貴な身分を証明する「勲章」というより、互いの魂を繋ぎ止める「重い楔」のようだった。
ヤマトは指輪を漆黒の肌着の中へ押し込み、左の生身の拳で軽く胸を叩いた。
白金の冷たさが薄い布越しに胸へ触れ、心臓の鼓動に合わせて微かに揺れた。
「これなら文句ねえだろ」
「……ヤマト!」
カケルの顔に、パッと花が咲いたような笑顔が戻る。
ヤマトは不遜に鼻を鳴らし、照れ隠しに足早に歩き出した。その後ろ姿を、カケルは小走りで追いかける。
二人が辿り着いたのは、天岩戸アーカイブを一望できる黄金のテラスだった。
雲海を突き抜け、下界のすべてを見下ろすことができる絶景。
だが、カケルはその景色よりも、隣に立つヤマトの表情を盗み見ていた。
かつて初めてここに二人で立った時、ヤマトはただ遠くにある下界を見つめていた。
この空の上から、妹のサクラを祈るように探していた、あの時の孤独な横顔を、カケルは忘れていない。
カケルは、胸の奥に秘めていた「禁忌」の決意を口にした。
「ヤマト。サクラちゃんの体を治す薬を、僕たちで作ろうよ」
ヤマトの肩が、びくりと跳ねた。
「……何言ってんだよ。俺はこの城の情報網を片っ端から漁ったんだ。だが、下界の人間は治療の提供対象外として処理されてる。そんなもんは、どこにも……」
「治療法そのものはなくても、薬を作るために必要なものが眠っているかもしれない。表向きのデータベースじゃなくて、天岩戸アーカイブの最深部。失われた環境記録や、鉱物汚染に関する古い研究が残されている可能性がある」
ヤマトの金色の瞳が、驚愕に大きく見開かれる。
「お前、本気か? そんな事したら、あの琥珀が黙ってねえだろ」
「気付かれない様に、僕が残した『閲覧の足跡』を直接書き換えておくから、大丈夫だよ。……僕にはその権限がある」
カケルの言葉には、少年らしい純粋さと、同時に「高天原の人間」としてサクラの光を奪ったことへの、消えない罪の意識が混ざり合っていた。
だが、その決意の熱は、琥珀の監視が厳しさを増している現状さえも、彼に忘れさせていた。
「……おい。よく聞け。」
ヤマトは低い声で、カケルの言葉を制した。
その瞳には、下界で地獄を潜り抜けてきた男の冷徹な現実感が宿っている。
「……お前、琥珀を甘く見すぎだぜ。言いたいことは分かった。だが、やるなら慎重にしろ。あいつに見つかったら終わりだ。……お前のやってることが琥珀にバレれば、結果的にサクラを救う唯一のツテも消えることになる。わかるか?」
ヤマトは胸元に隠した指輪を、肌着越しに強く握りしめた。
「……俺たちの繋がりを、あいつに利用させるな。システムに残る『閲覧の足跡』の改竄は、俺がやる。……絶対に、あいつの鼻に嗅ぎつけられないようにな」
「うん、わかった」
ヤマトがこれまで独りで城の深淵にハッキングを仕掛け、システムを欺いてきた執念の成果が、今ここでカケルの権限と結びつこうとしている。
琥珀の追撃をかわし、妹の病を救済する。
その絶対不可能なはずの未来が、初めて二人の目の前に輪郭を現した。
「……諦めるのが、手っ取り早いと思ってたけどよ」
ヤマトは照れ隠しのように、両手を腰に当てて俯いた。
逆立った赤い髪が、逆光に照らされて炎のように揺れる。
その顔には、カケルの気遣いに対する深い喜びと、抑えきれない戸惑いの色が混ざり合っていた。
「あいつを助けられるなら、やってやろうじゃねえか」
かつて手放し、諦めることだけを学んできたヤマトの瞳に、かすかな希望の光が宿り始める。
「いいか、カケル……これで俺たちは、最後まで『共犯者』だ」
「……共犯者。……いい響きだね」
カケルは満足そうに微笑み、再び広大な天空を仰ぎ見た。
吹き抜ける風が、ヤマトの赤い髪とカケルの白い羽織を激しく揺らす。
ヤマトの首元には、目に見える銀の鎖が。
そして二人の間には、決して断ち切ることのできない「運命」という名の鎖が、音もなく深く打ち込まれていた。




