↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【第一幕】無垢なる太陽の欠け落ち / FALLEN SUN   作者: 星乃ふみ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/50

第12話:鉄の貌、火種の心 / VISAGE OF STEEL

 ──しかし。

 これは絶好の機会だ。


 怒りで煮え繰り返っていたはずの少年の金色《こんじき》の瞳の奥で、氷のような論理《ロジック》が火花を散らした。


 システムのバグとは言え、自分は『黄泉比良坂《よもつひらさか》』という生存確率ゼロの地獄を潜り抜けた。今、高天原《たかまがはら》の心臓部において、最も警備が手薄で、かつ最も価値のある『鍵』――カケルという皇太子の懐に潜り込むことに成功しているのだ。


 この幸運を、ただ感情任せの暴力で無駄にするわけにはいかない。


 高天原の内部破壊。中央演算《マザー・システム》アマテラスを乗っ取り、天上界を丸ごと、その美しい偽りの静寂ごと奈落《ならく》へと叩き落とし、この傲慢《ごうまん》な国を崩壊させること。それが彼自身が魂に刻んだ、目的のひとつだった。


 そして、その先にある最大の目的。それを達成するには、目の前で呑気《のんき》に笑う皇太子を最大限に利用する必要があった。


 少年は、腹の底で渦巻く憎悪を抑え込んだ。冷やかな視線をカケルへ向けると、当のカケルは、少年と視線が合っただけで「友情が芽生えた」とでも言いたげに顔を綻《ほころ》ばせている。その温度差に、少年の心はどこまでも昏《くら》く澱《よど》んでいった。


 死線を越え、世界の腸《はらわた》を這《は》い上がってきた自分からすれば、警戒心の欠如したこの皇太子は、反吐《へど》が出るほど滑稽《こっけい》な温室育ちの未熟者に過ぎない。しかし、だからこそ、利用し甲斐《がい》がある。

 少年は、自らが最も忌《い》み嫌ってきた「運命の神」とやらに、生まれて初めて、感謝すら覚えていた。


(まずはこいつの懐に入り込み、処分の執行を先延ばしにするのが先決だ……)


 少年が描く算段《シナリオ》は、皇太子の喉を食い破ることよりも、より深くこの国のシステムへ浸食するための「静かな毒」へと切り替わった。


「……いいぜ。言う通りにしてやる」


 少年は剥《む》き出しにしていた敵意をあえて霧散《むさん》させ、掠《かす》れた声で紡《つむ》ぐ。カケルは目をパチパチとさせて、少年の言葉を咀嚼《そしゃく》していた。


「ただし、条件だ。……俺を、お前の護衛にしろ。何もせず、ただで居座るのは性に合わねえ。腕には自信がある。どうだ?」

「護衛に? 君が? でも、この高天原には生憎《あいにく》と争い事は起こらないんだ。だから、せっかくだけど……」

「俺がここに辿《たど》り着いたように、今後もこんなことがあるかもしれねえだろ。せっかく助けてもらったんだ。少しは恩返しさせろ」


 少年の思わぬ申し出に、カケルは驚きに目を瞠《みは》ったが、瞬時にその表情を一点の曇りもない歓喜《かんき》に染め上げた。


「それもそうだね! ぜひお願いしたいな。君のような人がそばにいてくれたら、僕も嬉しいよ」


 カケルは砕けた白磁の破片を回収し終えた手を膝につき、無邪気なまでの純真さを露《あら》わにして微笑む。その笑顔は、少年にとっては網膜を焼くほどに眩《まぶ》しく、耐え難いほどに愚かだった。カケルが動くたびに、部屋を満たす人工的な清浄な香りが鼻を突く。それは下界の「生きるための体臭」や「死にゆく鉄の匂い」を徹底的に排除した、拒絶の香りだった。


(笑ってろ。今のうちだけだ……)


 少年は、背に負わされた最上級シーツの不愉快なほどの柔らかさを噛み締めながら、心の内で黒い毒を吐き捨てた。


 この無知な皇太子を利用し、楽園の内側からシステムのすべてを暴いてやる。そして、この国を支える理そのものを根底から腐らせ、内部崩壊を招く。自分たちから光も、名前も、尊厳さえも奪い取り、その屍《しかばね》の上で穏やかに暮らすこの黒髪の皇太子を、必ずや自分と同じ泥濘《ぬかるみ》の底まで引き摺《ず》り下ろしてやる。


 少年の瞳に宿ったのは、偽りの従順だった。その胸に秘めた殺意の熾火《おきび》を、カケルはまだ知らない。


「……そうだな。とりあえず腹が減った」


 少年の投げやりな言葉に、カケルの顔がパッと華やぐ。


「そうだね、気づかなくてごめん。すぐに用意させるよ! ちょうど今日、下界から届いた新鮮な果実があるんだ。きっと気に入ると思うよ」


 下界から届いた果実。その一言に、少年の奥歯がギリと鳴る。それが何を意味するか、カケルは知る由《よし》もない。


 ハイヴの農民たちが、自分たちの食いぶちを削りながら、アマテラスへの「献上品」として血の滲《にじ》む思いで育てた成果物。それをカケルは「慈悲」として、微笑みと共に少年に与えようとしている。それは、少年にとっては自分たちの血の味を啜《すす》れと言われているに等しい侮辱だった。


「待ってて。すぐ持ってくるからね」


 カケルは弾んだ声で答えると、喜びを隠しきれない足取りで部屋を飛び出していった。


 静寂が戻った部屋で、少年はふかふかの枕に沈み込みながら、天井に吊るされた豪華なシャンデリアを憎々《にくにく》しげに睨《にら》みつける。


(……こんな能天気な笑顔を浮かべるガキのために、俺たちは……)


 激しい怒りで、身体の芯が震えた。少年の脳裏に、湿り気を帯びた暗い地の底の記憶が、黒い霧のように蘇《よみがえ》る。


 蒸気炭鉱夫に従事し、救助の手も差し伸べられないまま、冷たい石炭の山に埋もれた、誰よりも逞《たくま》しく強かった父。

 少年の眼《まなこ》に未だ焼き付いているのは、炭鉱の入り口へ墓標《ぼひょう》のように突き刺さっていた冷たい鉄骨の景色だ。助けようと身を乗り出した際、周囲の大人が吐き出した「下界の絶望を煮詰めたような言葉」は、今も呪いのような残響《ざんきょう》となって鼓膜《こまく》の奥で熱く脈打っている。


 そして、子供たちを養うため重労働に身を賭《と》した母を襲ったのは、下界の労働者の死神──「鉱血症《こうけつしょう》」だった。空気中に浮遊する微細な霊子廃棄物が肺を侵《おか》し、血液を金属へと変えていく奇病だ。皮膚は硬化して灰色の光沢を帯び、最後には内臓までが鉄に侵食される。


 母が亡くなる間際、必死に動かした喉から漏れたのは、愛する子供たちの名前ではなかった。


 ──『ギ、ギギ……』


 耳元で聞いた、耳障りで悲痛な金属の軋《きし》む音。愛する人の声さえも「鉄」に奪われ、機械の死骸のように変わり果てていく残酷な結末。息を引き取る瞬間、母の瞳がガラスのように無機質な鉄球へと変わっていった光景は、一生忘れることができない呪いだ。


 そして自分もまた、炭鉱の落盤事故で右腕を失った。


 瓦礫《がれき》に押し潰された腕は、救助を待っていては全身が腐り果てる運命にあった。だが、少年は迷わなかった。傍《かたわ》らにあった鋭利《えいり》な錆びた鉄板を掴《つか》み、自らの手で右腕を切り落としたのだ。


 妹を一人にするわけにはいかない。生きて、稼いで、食わせる。その一念だけで彼は地獄の門を叩いた。


 闇市から盗み出した中古の鉄腕──『ジャンク・ドライブ』。その装着は、治療ではなく魂を削る拷問だった。下界に麻酔の様な高級品など存在しない。剥き出しの肩の断面に、神経と機械を繋ぐ「神経釘《ニューラル・スパイク》」を大鎚《おおづち》で直接打ち込まれる。

 脳を焼かれる衝撃、脊髄《せきずい》を貫く振動。ショック死する者が後を絶たない処置の中、少年は血を吐きながらも意識を繋ぎ止めた。


 接合後も、地獄は続いた。異物を排除しようとする肉体の苛烈《かれつ》な拒絶反応。焼火箸《やけひばし》を突き立てられたような高熱にうなされ、膿《うみ》と血の混じった不浄な排熱蒸気が接合部から噴き出す時間が、少年を苛《さいな》み続けた。


「死んでたまるか……。こんなところで、俺が死んでたまるかよ……」


 激痛を乗り越え、不格好なジャンク・ドライブを肉体の一部として馴染ませたのは、ただ一つの憎悪と、一つの愛だった。


「……全部、食い尽くしてやる」


 少年の金色の瞳に、どす黒く濁った殺意が燃え上がる。カケルが運んでくるであろう「恵み」など、彼にとっては復讐の焔《ほむら》を絶やさないための燃料に過ぎない。


 やがて、廊下からカケルの軽やかな足音が近づいてきた。扉の向こう、その無垢《むく》な音が静謐《せいひつ》な楽園を乱していく。


 少年は瞬時に感情を殺し、再び「護衛」という名の獣の皮を被る。獲物を狙う少年の喉の奥で、運命の歯車が狂っていく音が、静かに鳴り響いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。