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オフ・リミット  作者: 根本起男&黒岩研


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三十七~四十

 三十七

 午前0時20分 15コマもどる

 小近咲世だった。

 三太も何度か会ったことがある。一年生のころからの郁美の友人、親友だ。でもどうしてここにいる。

「イク、さっきわたし、留守電入れたし、LINEでやりとりしたよね」

 咲世は郁美のことを見つめる。郁美のほうは返事もせずに、いらいらとスマホをいじりだす。三太はいったいなにが起きているのか理解できなかった。

 困惑しているのは香織もおなじだった。「もしかして……咲世さんですか……」

 咲世はキャンカーに近づき、見知らぬ中年女に目をやってから小さくうなずく。

「でもどうして――」香織は言葉に詰まる。

 それを無視して咲世がつづける。たかぶる感情を抑え、つとめて冷静に言葉を選んでいるように見えた。

「わたしね、殺されるところだったのよ」

 母親の陰で身を縮こまらせる友人に強い視線を向ける。

「バイトの帰り道に誘拐されてトランクに押しこめられて。最後は洗面器に水を張って窒息させられるところだった。殺人のバイトを請け負った女の人にね。だけど、いろんな偶然が重なって、そのおねえさんと話をするようになったの。そうしたら、いつもと勝手がちがうみたいなことを言いだしてさ。世のなかには、いろんな人がいる。ぜんぜん知らなかったけど、百万円とかそこらでへいきで人殺しができる人が、日本にもたくさんいるんだって。発展途上国とかの話じゃないんだね。みんな、おカネのためならなんでもやる。そういう世のなかなのよ。

 わたしの命は五百万円だった。その手の仕事では破格に高額みたいだった。だけど、わたしみたいなふつうの高校生を殺してほしいなんていう依頼は、おねえさんのところにはまず来ないんだって。おねえさんにもそれなりに筋ってものがあって、やっぱり殺されても同情されないような相手を選んできたんだって。その意味で、どうにも奇妙な感じがするって話になって、それでただの気まぐれなのかもしれないけど、わたしは帰してもらえることになった。そのとき写真を見せてもらったの。依頼人がその人に送ってきた写真よ。それを見たとき、なんだかいろんなことがわかったような気がしたの。この写真よ」

 咲世はスマホを操作し、買い物袋を抱える彼女のことを道路の反対側から撮ったと思われる一枚の画像をディスプレイに表示した。

「JR蒲田駅西口を出たところにあるコンビニの前よね。一か月ぐらい前かしら。わたし、誰が撮ったか知ってるもの。ほんと好きよね、こういう盗撮みたいなやつ。これはママに買った誕生日プレゼント。銀座で買い物した帰りだった。待ち合わせして、いつもとおんなじ、マックでずっとダベッてた。」

 話の流れが徐々に見えてきて、三太は恐怖を覚えた。これは果たして現実なのか。加奈のほうをチラ見すると、やはり蒼白な顔をして固まっている。その背後に潜む郁美がどんな顔をしているか、のぞき見る度胸はいまの三太にはなかった。

 鼻をすすってから咲世がつづける。

「なにがあってもずっと友だち、大人になっても付き合うことのできる親友だと思っていたんだけどな。悲しすぎるよね、こういうの……そりゃ、二人であの人の遺体、隠したけどさ」

 遺体を隠した……なんのことだ。でもここに至るまでで登場した遺体とは、熊尻山で見つかった銀行員、闇バイトに深くかかわっているとされる男の遺体のみだ。そいつが失踪した時期に娘たちはおなじキャンプ場に行っている――。

「なに言ってんのよ、あんた。バカじゃないの」

 いらだちが最高潮に達したかのように、郁美は語気を強め、口汚くののしる。その声音にこもるゆがんだ波長が両親を悲しみの淵に追いやっていく。

 そんな親の気も知らずに郁美が呪いの言葉を吐きつづける。「だいたい、あんた、なんでここにいるのよ」

 咲世は涙を流しながらも冷静さを保っていた。

「イクが呼んだんでしょ。わたしたちを始末しようとして。さっきね、ここに着いたとき、警察官が近づいてきたの。危なかった。おねえさんが気付いてくれたけど、その警官、わたしたちに襲いかかってきた」

「知らないわよ、そんなこと。よしてくれるかしら、へんな言いがかりをつけるのは。わたしがなにをしたって――」

「待ってくれ」郁美を制して三太が咲世をただす。「警察官だって……」

「そうです。パトカーに乗ってきた。警棒で殴りかかられたんです。おねえさんと取っ組み合いになったんですが、わたし、怖くて逃げてきてしまった。おねえさんがどうなったか、とても心配です」

 三太はさっきのベテランらしき警官がキヨシに対して取った行動を思い浮かべる。警棒で、動かなくなるまで――。

 キヨシは三太たちを追跡していた。やつは三太よりも加奈に用があると言っていた。そんなチンピラ野郎を警官は……郁美がかかわっているって、どういうことだ。

「あのときさ、あの人の遺体を隠したあと、絶対に誰にも言わないって約束して帰ってきたよね。だけどさ、あのとき、イク、もしかしてキャンプ場にもどったんじゃないのかな。あの崖下に。家にはすぐに帰らないで」

「どうしてそんなこと言うのよ。困るわ、ほんとに」

「ちょっと待って」反応したのは加奈だった。「四月の熊尻山のキャンプの話をしてるんでしょう。もどったってなんのこと?」

「もどってなんかいないって」郁美がキャンカーのなかで大声を出す。

「サヨちゃん、ちょっといいかしら」加奈は娘を無視して咲世に訊ねる。「あのとき結局、あなたたち何泊したのかしら」

「ひと晩です。当初の予定もそうだったし、恐ろしい体験をしたので、夜が明けたら一刻も早く帰ってきたかったです」

「そうじゃないわ」忍び寄る恐怖にうろたえながらも加奈は、娘の友人――いまははたして親友と呼べるのか甚だ疑問だった――に問い直す。「イクちゃんから電話があったのよ。ちゃんと覚えてるわ。だっておカネのことでつらい思いをさせていたから、それくらい認めてやらないといけないと思ったのよ」母親は娘のほうに向き直る。まるで学校からたったいま非行の連絡を受けたかのような、困惑と憤怒と悲しみが入り混じった表情で。「あなた、電話してきたわよね。もうひと晩泊まることになったって」

 それには取材をつづける女性ディレクターが口を差し挟んだ。「待ってください。咲世さんのおかあさまは一泊だと言ってました。つまり、咲世さんは一泊だったけれども、郁美さんは二泊されたということでしょうか」

「どうでもいい話よね、そんなこと」郁美は自分の母親をにらみつけて言う。「ママには関係ないじゃない」

 そのとき聞きなれない着信音が車内であがった。LINEかなにかだろうか。三太のスマホではない。あまり聞いたことのない音だが、それが何度も繰り返される。まるでいらいらしながら応答を待っているかのようだった。

「誰のスマホだ」その場の責任者然として三太は口にする。

 郁美がそわそわと車内に目を向けるのが三太にもわかった。つぎはいったいなにが起きるんだ。絶望にも近い疑問を覚えながら、父親は妻子を押しのけて車内にもどる。

 居住スペースの端に三人のリュックが寄せつけてあった。異音はあらためてそのなかのどこからか聞こえてきた。もう一度鳴ったとき、三太は音の出どころを突きとめた。

 郁美のリュックだ。

 でも娘は自分のスマホを手にしている。三太は首をかしげた。

「二台お持ちなんですか、郁美さん」車内をのぞきこむように首をのばし、香織が訊ねる。

 郁美は顔をこわばらせてうつむいたままだ。

 三太は自分同様に当惑する妻を押しのけ、エントランスドアからふたたび外に踏みだす。なかにいると息苦しく気が滅入りそうだった。香織が不安そうな顔で見つめてくる。そのとき視野の端に熊のような影が動くのをとらえる。


 三十八

 午前0時30分 決算日間近

 麻子はふらふらとキャンプサイトの小道を歩きつづけた。

 十五分ほど前、あの若い警官は、闇のなかをマグライトを手に追いかけてきた。麻子は闇雲に走り、つまづいて派手に転倒した。緩やかな斜面だった。尖った石ころだらけで鋭い痛みが顔じゅうに走り、体が四回ぐらい回ったところで、なにか硬くて大きなものにぶつかってとまった。すぐ後ろから警官がやって来る。麻子はすぐに立ちあがり、障害物に手をのばす。ひざの高さまでだった。考えるまでもなく、えいと乗り越え、その場でうずくまる。そのとき手が障害物の一部に触れる。木だ。枝だろうか。いや、それよりも太い。薪だ。薪置き場だったのだ。

 生温かいものが顔を滴り落ちる。額を相当切ったらしい。ひりつく痛みをこらえる。周囲がうっすらと明るくなり、耳元に足音が近づく。麻子はできるだけ太い薪をつかむ。直径二十センチぐらいの、木の幹を斧で半分に叩き割った感じの印象だった。長さはたいしたことはない。でも鈍器としては十分使える。

 一か八かだった。

 やつはマグライトをどんなふうに手にしているだろうか。腰の高さか、それとも頭のわきか。どっちにしろそこを狙えば、衝撃を食らわせられる。それ以上考えている余裕はなかった。光がみるみる近づいてくる。

 一気に立ちあがり、バットスイングの要領で手にした薪を光源に食らわせた。腰よりもずっと高い位置だった。ゴンという音とともに明かりがあさっての方向に飛んでいく。警官は体勢を崩し、薪置き場に足を取られて転倒する。それでも右手には警棒を握りしめている。しかしやつはそれを放棄するなり、腰に手をあてた。銃だ。一瞬、すぐには撃てまいと頭をよぎる。リボルバーの引き金の後ろに暴発防止のための安全ゴムが装着されているはずだからだ。でも相手はLev.0の依頼を受けた殺し屋だ。そんなものとっくの昔に外しているにちがいない。

 麻子は二振り目をあらためて相手の側頭部に命中させ、つづけざまにもう一発食らわせる。相手は攻撃から逃れようと、背中をこちらに向けて丸くなる。わずかな明かりに目の前でなにかが輝く。警棒だ。薪を手放して麻子はそれを拾いあげ、やつの背中をめった打ちにする。

 ぐったりとしたところで、腰の手錠をすばやく奪い、右手首と左の足首に手錠をはめて身動きが取れなくする。死ぬことはないだろう。あくまで正当防衛の範囲だ。手錠の鍵と銃を奪い、腹に強烈なキックをお見舞いしてから、腰のホルダーに収まっているスマホを取りあげる。苦痛にうめき声をあげる男の右手をつかみ、指紋認証をする。

「やっぱりか」

 スマホをスウェットパンツのポケットにしまうと、麻子は警官のマグライトを手に咲世を捜しに向かう。

 郁美がLINEで伝えてきた一番奥の場所がどこなのかわからずに徘徊したが、かすかに話し声が聞こえてきたのが幸いした。

 本当にキャンプサイトの外れだった。まわりに他のキャンパーは見えない。

 咲世の声がする。

 ぼそぼそと話すほかの人々の声も。ここまで来る道中で聞かせてくれた咲世の話が本当なら、たとえさっきの警官を封じたとしても、郁美自身が手をくだす可能性は否定できない。郁美の両親は果たして娘の真実を知っているのだろうか。

 ふいに麻子は自分がいったいなにをしようとしているのかわからなくなった。これまでの人生、なんの目的も持たず、ただ空腹を満たすためだけに生きてきた。死んだように生きてきたといったほうがいい。だからへいきで人を殺めることだってできた。心のどこかで、もう自分なんてどうなってもいいというやけっぱちな気持ちが強かった。すくなくとも他人と深くかかわって、同情したり、悩みを解決するために考えをめぐらせたりすることなんてなかった。それがどうだ。妹と呼ぶには若すぎるけど、まんざらでもない輝くような女の子と過ごすうちに、まるで重たい殻を脱ぐかのようにべつの自分になった気分だった。

 いまなにをすべきか。疑問を覚える必要なんてない。やるべきことがあるなら、前に進むだけだ。どうせいつか、すべてを清算するときがやって来るのだ。だったら、やらないより、やったほうがいい。そうに決まってる。

 自分のスマホで繰り返し返信を送りながら、麻子はキャンピングカーが投げかける光の環のなかに踏みだした。そのとき自分でもようやく気付いた。顔だけじゃない。ピンクだったTシャツはもはや真っ赤に染まっていた。

 もう一度、スマホから返信を送り、声をあげる。目の前に咲世の背中がある。

「この子を殺るようにシックスセンスで発注を受けたんだ。木曜の晩にね。ほっとくと誰かほかのやつに仕事を取られちまうから、すぐに返信したよ。OK、やりますって。いまみたいにね」

 血まみれのモンスターが現れたかと、郁美の一家――それにもう一人の見知らぬおばさん――がおびえたような目をいっせいに向けてくる。

 咲世が振り向き、走り寄る。「だいじょうぶですか。病院に行かないと」

「へいきだよ。こんなの屁でもないさ。さっきの警官はのしてきた」

 その言葉に咲世の顔がこわばる。

「心配いらないよ。殺っちゃいないから。のびてる間に指紋認証してそいつのスマホを見てみたんだけど、やっぱりシックスセンス使ってたよ。警察も不景気なんだねえ。三時間ぐらい前に闇バイトの発注に食いついてる。依頼人はあたしとおなじ。たぶんその車のなかから送信したんだろうね」

 すべては咲世の見立てだった。親友に関する悲しすぎるシミュレーションだ。

 今夜、九時半過ぎのことだ。

≪急・求むエスコート、神奈川県西部、Lev.0≫

 麻子のスマホに殺しの依頼がシックスセンスで届き、咲世は自分に降りかかった危機が、いっしょに熊尻山のキャンプ場に行った同級生も襲うのではないかと心配した。そこで郁美に注意を促す留守電を吹きこんだ。その直後、郁美からワイルドサイトに向かっているとの連絡が入ったのだが、咲世は、麻子から見せられた自分の写真を誰が撮影したかに思い至り、不条理極まりない仮定について考えないわけにいかなくなった。そしてすべての平仄がぴたりと合った。

 あとで郁美から届いたLINEではっきりしたことだが、郁美たち一家は「へんなヤツら」に追いかけられていた。つまりシックスセンスで届いた神奈川県西部でのエスコートの依頼は、そいつらを排除してほしいとの呼びかけだったのだ。もちろん郁美からの。

 その直後に録音された咲世からの留守電を聞いた郁美は、咲世がシックスセンスを受信できる人物、つまり咲世の殺害を依頼した請負人と行動をともにしていると察知する。Lev.0はいっしょにドライブなんていうのんきな指示ではない。抹殺だ。請負人のリスクも大きい。ところが誘拐から二十四時間以上たっているというのにいまだに行動をともにしているとはどういうことだ。当然、郁美は考える。二人の間でなにか想定外の事態が起こり、請負人が翻意したのではないか?

 闇バイトの世界について、郁美に十分な知識があるなら、こうした状況では、こんどは請負人自身に危険がおよぶとわかるはずだ。じっさい麻子は仕事を全うできなかった連中の始末が専門だった。となれば、咲世といっしょにいる請負人は、こんどは自分が殺される立場に陥ったと察知し、窮地を脱するためには、大元の依頼人を自力で始末する必要に駆られる――。

「そこであんたはエサをまいた」

 麻子は、キャンピングカーのエントランスドアの向こうで母親の体に隠れるようにして立つ女子高生に向かって話しかける。

「ワイルドサイトに向かってる。パパが急に行くって言いだして――とかLINEしてきて。あたしがそれに食いついて必ずやって来ると考えたんだろ。この子といっしょにさ。だってそうだろ。あんたのことはもちろん、ここにいる両親やこの車のことを知っているのは、この子なんだし、なにより親友だと思っていた相手に裏切られた悔しさは、想像するにあまりある。あんたはよくわかってるだろうけど、この子はすっごくまっすぐだ。だからあたし一人にまかせたりしないで、直接自分で問いただしに来るはずだ。それであたしたちがこっちに到着したときに、べつの殺し屋にひと仕事させる。そう考えたんだよね?」

 麻子の背後でがさりと音がする。

 ドキリとして麻子は振り向き、木々の合間の闇に目を凝らす。そう遠くないところを人影が足音を忍ばせて立ち去っていく。とっさにマグライトを照らすと青シャツと白髪が浮かびあがった。警官だ。さっきのパトカーに同乗してきたのだろうか。そろいもそろってとんでもないやつらだ。しかしここまで接近したところで、状況の変化に危険を察知し、自ら撤退の道を選んだようだ。

 状況の変化か……いよいよだ。

「あたしもそろそろ潮時、清算しないといけないのさ。だったらあんたももういいかげん観念したほうがいいよ」

 咲世がエントランスドアに一歩近づく。

「ねえ、イクが盗んだんでしょ。あの銀行員、山内さんのスマホ」

 それに合わせるように見知らぬおばさんも促す。

「踏みとどまるなら……郁美さん、いましかないですよ」

 おばさんの呼びかけに応じたわけではないだろう。それよりも同級生にこれ以上勝手なことを言わせまいと怒りに震えて飛びだしてきたのにちがいない。母親をぐいと押しのけて車から現れた娘は、染み一つない純白のTシャツにひざ丈でカットしたスリムなジーンズ。いかにも都会からキャンプに来た女子高生だった。


 三十九

 午前0時45分 決算日

「あんたさ、あのときわたしが助けてあげたのを忘れたの? バカじゃないの、そうやってなんでもすぐに忘れて、自分だけがいい子みたいに感じちゃってさ。ほっといたら、あんた、あのときレイプされてたんだよ。そうしたらどうなってたかな。一生、心のキズを引きずって生きなきゃいけないんだよ。そうならずにすんだんじゃない。だからあそこでなにが起きたかなんか、忘れちゃえばいいのよ。なにがあろうと言っちゃダメ。約束したよね? それをなんでペラペラ、ペラペラ。あんたの家はおカネ持ちだからいいけどさ。こっちは火の車なのよ。ちょっとぐらい夢見たっていいでしょ。すこしは大目に見てくれたっていいじゃない。

 死体を隠したあとでさ、なんかこう、どうしてわたしは不幸な目にばかり遭うんだろうって頭にきたのよ。せっかくの夏の講座が家の事情で行けなくなって、その憂さ晴らしにやって来たキャンプでひどい目に遭って……なんかムカついちゃってさ。それにあの男、あんなことをへいきでするやつなんだから、死んで当然だし、逆にこっちが損害賠償してほしいくらいでしょ。だからもらえるものがあるなら、もらっといたほうがいいに決まってるじゃない。わたしはね、あんたとちがって、自分だけ損するのはイヤなの。絶対にイヤ。損したり、泣き寝入りしたりだけはしたくない。

 そう思ったらさ、あんたと別れたあと、そのまま家に帰るわけにいかなかったんだよ。そう、もどったのよ。もう一泊するって電話してからね。昼過ぎから山に登り直してキャンプ場着いたのは夕方だった。崖を下りて、あいつのウエストポーチから財布とキーホルダーを取って、スマホは死体の指で指紋認証して開くことができた。そのまま通販サイトにつないで、保存されてるパスワードを調べたら、みんなおなじだった。誰でもそうでしょ、パスワードは保存しておいたほうがラクだし、その後はいちいち変えないのよ。ためしにそのパスワードを使って新しい指紋、わたしの指紋が登録できるかやってみたんだけど、やっぱりドンピシャだった。セキュリティなんてないようなものよ。けどね、もしそのときパスワードがちがっていたら、こんなことにはならなかったと思う。マジに。けどさ、それも運命なんだよね。

 もう夜になっていたから懐中電灯で照らして山道を下ったわ。バスは終わってたから、駅まで歩いた。スマホの中身をたしかめたかったけど、がまんした。人に見られちゃいけないと思ったからね。免許証にあった住所に着いたのは夜の十時ぐらいだったかな。汐留のタワーマンション。あの男、わたしたちと話してるとき、一人暮らしだって言ってたじゃない。半信半疑だったけど、インターホン押したら誰も出ないから、思いきってマンションのなかに入ってみたの。

 東京湾を見わたす超豪華な部屋だった。そこでひと晩過ごして、手に入れたスマホの中身を調べてみたの。メールの履歴とかぜんぶね。あいつ、大都銀行東麻布支店の営業課長だった。レイプ魔が表向きはそんなきれいな仕事してるのかと思ったら怖くなったわ。でもそんなものなのよね、この世のなかは。みんな、ウソついて暮らしてる。だけどスマホの見慣れないアプリを開いてみて、もっととんでもないことがわかったの。ネットで調べたんだけど、シックスセンスっていう犯罪とかに使われるチャットアプリだった。履歴を遡ったら、なんかものすごく悪いこと、強盗とか犯罪の元締めみたいな感じがした。しかもビデオ通話するときには『カワイ』って名乗っていた。

 驚いたっていうか、なるほどと思ったことがあってね。わたし、ためしに自分のスマホにもシックスセンスのアプリを入れて、通話してみたのよ。そうしたらわたしのスマホに映ったのは、わたしの姿じゃなく、真っ黒いフードみたいなのをかぶった顔色の悪い男だった。その男がしゃがれ声でしゃべるの。わたしが話しているのにね。どうやったかわからないけど、自動的に変換されてた。

 この人、いったいウラでなにしてるんだろうって思ったら、もう勝手に体が動いて家宅捜索していたわ。それでファイルが見つかったの。襲撃先の情報や闇バイトで集めた人の連絡先、カネの集め方、分配金の支払い方とかがまとめてあったわ。そのときは自分でもどうしてそんなことするのかわからなかったけど、こういうのってちゃんと記録に残さないといけないと思って、ぜんぶ写メしたのよ。

 ひと言で言うなら、スマホ一台で人を動かして大金を手にしていた。大都銀行とはべつのネット銀行に口座をいくつも持っていて、おカネは分散していた。たぶん闇バイトに応募してきた人たちを使って奪ったカネなんじゃないかな。本物の悪人よ。しかもレイプ魔。そう思ったらさ、なんて言ったらいいのかしら、自分のなかに怒りとか憎悪とかそういうものとはちょっとちがう、妬ましいような気持ちが芽生えてきたのよ。それにこういうやつなら、ちょっとぐらいなにか頂戴したってバチはあたらないっていう気持ちもね。それでね、ファイルとかぜんぶきれいに元にもどして、触れたところに指紋が残らないよう念入りに拭きとってから部屋を出たの。もちろんインターホンの着信履歴も消しといた。

 朝になっていたわ。

 とっても気持ちのいい朝。

 カフェに入って自分のスマホを操作してネットバンキングでわたし名義の新しい口座を作ったわ。それからフレンチトーストをかじりながら、山内の口座の一つからためしに送金してみたの。とりあえず十万円。心のなかで小躍りしたわ。もうおカネの心配しなくていいんだって。

 けど、つぎの日にはもう心配してた。捕まるんじゃないかとか、そういうのじゃないの。そんな気はぜんぜんしなかった。絶対だいじょうぶだってへんな自信があったんだから。それよりもママが投資で出した損失っていくらだっけとか、パパの会社がつぶれるんじゃないかとか、そういう心配がどんどん出てきたのよ。だったらおカネっていくらあればいいんだろうって、マジにシミュレーションしてみたわ。それでね、とりあえず一億円ぐらいは必要だろうって思ってさ。それであらためて山内の口座見たんだけど、まだまだそのレベルには達していなかった。もっとほかに投資とかしていたのかもしれないけど、すくなくともわたしが把握できる口座の合計残額は、もっとすくなかった。

 だからしょうがないでしょ。やることやらないと。あの男、銀行の営業課長だから顧客情報をかなり細かく握っていた。そのリストを写メってあったから、そのなかから誰を狙うか吟味していった。最初は怖かったけど、やってみたら、さっきのキヨシみたいな指示役たちがてきぱきと動いて、さらにその先の実行犯たちもきちんと汗をかいてくれた。カワイが狙うのはいつも現金のみ。だから一回につき数百万が手に入ればいいくらいなんだけど、その通りにやるしかなかった。関わってるやつらに不審に思われたくなかったからね。

 ママが浮気してるんじゃないかって思いだしたのは、六月に入ったころかな。だってそれまでほとんどなかった出張が週に一度の割合になっていたし、なんだか気もそぞろみたいにも見えたから。こういうときって、自分のことは棚にあげるものなんでしょ。わたしもそうだった。てゆうか、自分がなにをしてるかなんていうのとは次元のちがう話だったから。パパが仕事でたいへんそうにしているのに、それに自分のせいで家計に穴を開けたっていうのに、へいぜんとほかの男といちゃついてるなんて、ありえないでしょ。

 後をつけていったら、ママは鎌倉のあの家に入っていった。あのときは、そのまま乗りこんでいこうかとも思ったわ。わたしたちに話していた出張先とはぜんぜんちがうんだから。なによりもパパのことがかわいそうで、かわいそうで。怒りの涙が噴きだしたわよ。だからキヨシに指示したの。でも相手の男はどうなってもよかったけど、ママにけがはさせたくなかった。実行犯たちはキヨシからそのことをちゃんと聞いていたみたい。ママは無事だった。けど、もう火遊びなんてできるわけがない。天罰が下ったと反省してくれるはず。そう思ったわけよ。あとはわたしがうまいことおカネをためて、早めに自立するつもりだった。声優のことなんてもう頭から消え去っていたわ。なんでもいいから起業して、何年かしたら、意外ともうかったとかなんとかいう話にして、すこしずつパパとママに仕送りしてあげられるようになる。壮大な計画よ。

 だけどね、それをあんたが、サヨが台無しにしてくれそうになったのよ。あの男の遺体が見つかったってビビッて騒ぎだしてさ。バカじゃないの、マジに。じっと黙っていればバレるわけがないのに。誰にも見られていないんだし。あんたは、リュックのネームプレートが取られたとか思ってるかもしれないけど、そんなもの、わたしがちゃんと山内のポケットから回収してきたわよ。足がつくようなヘマなんてするわけないじゃない。でもあんたはいくら話をしても、自首しよう自首しようってうるさいのなんのって。いまにも警察に駆けこんでしまいそうだった。だからよ。エスコートをおねがいすることにしたの」


 四十

 午前1時 清算

「エスコートって……」

 たまらず三太が口を開く。すでに口のなかはカラカラで、歯茎と唇の内側が貼りついていた。

 平然と郁美が答える。「誘拐のことよ。カワイ以外の山内の別アカウントで発注したの。そうなのよ。請負人がすぐに見つかったから、蒲田駅前であのとき撮った写真を送ったの。レベルゼロでね」

「レベルゼロ……?」目の前にいる娘がこのときばかりは、見たこともない他人に思えた。いや、思いたかった。決壊したダムの亀裂はみるみる拡がっていく。それをただ茫然と眺めるしかない。

「始末することだよ」全身血まみれの女がぼそりとつぶやく。「報酬は五百万。破格の高額だよ。でも、いつもなら手早く仕事を終わらせるんだけど、今回はどうにもうまくいかなかった。あたしはこの世に神さまなんていないと思ってるけど、なんだかそういう見えない存在にいたずらされてるんじゃないかって、どうにも気色の悪さを感じていたのも事実なんだよ。いまにして思えば、仕事が順調に進まなくてよかったと思う。そもそもサヨちゃんは、あたしがこれまで始末してきたのとは真逆の相手だった」

 郁美が顔をひきつらせて場違いな笑みを浮かべ、鼻を鳴らす。三太にはその姿が山姥のように見えた。

「どうしてこう、うまくいかないのかな。マジ、笑っちゃうよね。ママは投資で大損、パパは失業……きれいな一戸建てに住んでるように見えても、結局は張りぼてなのよ。あとは細る一方。そういう運命だってわかってる。わたしはただ、そこから抜けだそうと思っただけなのに」

 まだ乾いていない地面を見つめながら、ぽつりぽつりと打ち明ける。焚火を囲むと、つい心の底にたまった澱のようなものが言葉になってこぼれ出す。しかしいまは、炎の魔力は必要なかった。娘は山の怪異に憑りつかれたかのように不条理の連鎖を訴えつづける。

「だけど天罰はわたしにも下ったのかもね。だってそうでしょ。笑っちゃうわよ。実行犯の一人がパパだったんだもの。どうしてそうなるのよ。ありえないでしょ。だけどそれもやっぱり運命なのかな。パパがあの家に入らなきゃわからなかったんだもの。ママの本当の顔」

 郁美は背後の母親を振り返りもせずにつづける。

「ある意味、浮気ぐらいのほうがよかったのかな。わたしにとってはおじいちゃん、見たこともないその人に相談しなければ、ママはそれまでのママでいられたんじゃないかな。せいぜい投資で痛い目に遭うぐらいでさ。鉢合わせしたパパを動揺させることもなかったんだし」

「よしなさい」

 強い口調で加奈が告げる。

「ほかの人にそんな話をする必要ないじゃない」

「もしかして、おじいちゃんというのは松村さんのことですか。芸能事務所社長の。闇バイト強盗の被害者の」番組ディレクターを名乗る女がすかさず訊ねてきた。忌々しい。どうしてこんな他人におれたちの恥部を探られねばならないのだ。だが女の口はとまらない。それまで収集してきた情報のかけらを必死につなげようと試みる。「被害者は一人のはずですが……加奈さんもあの場に……?」

「そうなのよ」母親を無視して郁美が答える。「自業自得だっていうのに、おカネの相談に行っていたのよ。それで会社のおカネに――」

「イクちゃん!」加奈がぐいと手をのばし、娘の肩をつかむ。「よしなさいって言ってるでしょ」

「そうだぞ」ようやく三太が口を挟む。「うちの話なんだから。それにこの人はマスコミの人だぞ」

「ママだってそうじゃない。キラキラして、自慢のおかあさんだった」

「だったってなによ」つかんだ娘の肩を揺さぶり、憤然として母親が問う。他人に聞かせたくないと言ったのは自分だというのに。

 母親の手を振り払い、郁美が振り返る。「手がとまらなかったんでしょ。おばあちゃんとおんなじで」

「いいかげんにしなさい!」

 ディレクターはもちろん、咲世も血まみれの女も唖然として二人のやりとりを見つめるばかりだった。まるでサイドウィンドウを開放した車内から漏れる一家のいざこざに足をとめて聞き耳を立てる通行人のようだった。三太は一刻も早く窓を閉めたい衝動に駆られる。人はそれぞれの車に乗って人生ゲームをつづける。傍から見れば順調に家族と資産を増やしながらゴールに向かっているかのようだが、コマとなる車のなかでは、それぞれ抜き差しならぬ事態が噴きだしているのだ。その一端がいま、はからずもわが家で起きている。

「そうじゃないのよ、ママ、ちゃんと聞いてよ」郁美は泣きじゃくっている。「それもこれもなにが原因なのか、さっきわかったのよ。ママの話を聞いたときに。わたしがどうしてこんなふうなのか、わかったのよ」

「やめるんだ」わきあがる恐怖が言葉となって三太の口から自然とこぼれ出る。「たのむから」

「血なのよ。そういう血筋なの。おばあちゃんは万引き犯、ママは横領犯、それでわたしは……抑えられないのよ。そういう血筋なの。飢えた血筋なのよ。山姥の血筋なのよ。だからもう――」

「イクちゃん、黙ってなさい」まるで人が変わったかのような落ち着いた声になって加奈が言う。「もうしゃべっちゃだめ。これ以上、うちの恥をさらしちゃだめ。あとはママとパパが考える。そうでしょ、サンちゃん」

 夫婦の視線が絡み合う。

 彼女とはじめて結ばれたときの昂りが突如よみがえってきた。

 ぜんぶ、とろけてなくなりそう。

 三太の全身に力がみなぎったとき、加奈が耳元でうめいた。

 しばらくして郁美が生まれた。神が遣わした天使だった。あの日のことは絶対に忘れない。ふらふらと病院を出て、昼間だっていうのに道端で大泣きした。感動の波に翻弄されるがままだった。あの歓喜は――。

 もちろんいまも。

 家族は三人。

 気が付くと虫の声が絶えていた。あらゆる生きものが固唾をのんでこの場を見守っているのかとも思ったが、じっさいには、最後の決断を自ら適切に下せるよう三太自身が一時的に聴覚を機能させなくしているだけだった。

 加奈は勤め先で経費の不正請求をした。でもまだ返せる範囲だ。おれは闇バイトに手を染め、警察は防犯カメラの映像を手に入れた。でも富永は死んだし、キヨシも消されたんじゃないか。郁美の指示で。

 問題はその郁美だ。山で亡くなった銀行マンになりすまし、闇バイトの元締めとして強盗を指示していたという。その対価がキヨシたちから、いくつもある銀行マンの口座の一つに上納された。そこから郁美が作った新しい口座に入金がつづいている。銀行マンに裏の顔があったことは警察も把握しているはずで、徹底的な捜査が行われる。とりわけ口座の出入金記録について。

 ある日、インターホンが鳴って、ぱりっとしたスーツの男女が家にやって来る。

 娘さんのことでうかがいたいことが……刑事たちだ。そうなったとき、どう答えればいい。すべてを白日のもとにさらすべきだろうか。

 加奈は万能感だと言っていた。しかしどうだろう。逆に言えば、どうして自分たちだけ小さく縮こまって生きなければならないのか。政治家も財界人も自分に都合のいいようにルールを作り、それを隠れ蓑に悪事をつづけ、私腹を肥やし、ぬくぬくと生きつづけているではないか。なのにどうしておれたちだけが?

 方法は必ずあるはずだ。

「そうだよ」

 三太は自分を鼓舞するように大きくうなずき、ポケットのなかのものをゆっくりと取りだす。

 消音器つきの銃口を真っ先に向けた相手は、血だらけの大女だった。一番の危険から排除しないと。それまで忘れていたが、腰にはまだバールがぶら下がっている。心強い。やるなら最後までやり抜かないと。

 ディレクターは三太が構える銃に自分のほうから一歩近づいた。

「目を覚ましてください。真実を隠せば、一生のキズになる。とりわけ郁美さんにとって。つねに頭の片隅に巣食っていて、毎日のように顔をのぞかせて苦しめることになる。事実、わたしがそうなんですから」

 三太は銃を握りなおし、目でディレクターに問いかける。いったいなにが言いたい。

「カンニングしたんですよ。高校三年の秋の中間テストで。集団カンニングですね。それがバレて親が呼びだされる始末となった。わたし、怖くなって母に打ち明けたんですが、母はそれを学校に言わなかった。怖かったんだと思います。そんなことをしたら家族がどうなるか、なにより自分がどうなるか。それでわたしは大学の推薦枠に入れてもらえたんです。けど、わたしが選ばれたせいで、推薦枠から落ちた子がいて、その子、三浪の末に家で首を吊りました。わたしが殺したようなものなんです。そのことがずっと、ずっと頭に残っているんです。牟礼さんたちもきっとそうなる。この先一生、付き合わないといけないんですよ。それって思った以上に重たくてきついし、どうあっても自分を認めることができない。心の底ではね。だからなんです。牟礼さん、真実は隠しちゃいけないと思います。娘さんのためにも」

「でもどうなる」勝手に三太の口から飛びだしていた。「道は自分たちで切り拓かないといけないんだよ」

 引き金に指をかけながら考える。発砲したらすべてが終わることぐらい三太だってわかっている。じゃあ、どうすればいい。自分で口にしてみたものの、目の前の暗幕は取り払われない。

 ついにこのマスにとまったんだ。

 決算日。

 清算だ。

 おれたち家族に残されているものはなんだ。カネはいくらある? 人生ゲームでは、子どもを売って資産を増やすことができる。そんなことがまことしやかに語られたことがあった。でもあれはローカルルールか、単なるルールの読み間違え、勘違いだ。子どもを売るなんてありえないし、家族を売るなんてありえない。だってそうだろ。そんなことをしたら、いまの自分が消えてなくなってしまうじゃないか。

「イクちゃんの言う通りなのよ」

 加奈が声を震わせる。

「ほかの人たちになんと言われようと、どうしようもないの。血筋なんだから。この年になるとそれがよくわかる。似てる部分って、もはや変えようがない。それがうちの場合、抑えがたい衝動なのね。藤倉さんの言ってることは理解できるの。あとでキズになるんでしょうよ。一生消えないキズね。けどさ、それを気にしないことができるの、わたしたちには。そういう能力があるの。だって考えてもみてよ、わたしたち家族の人生は、これからもつづかないといけないんだから――」

 銃を構えるのがつらくなってきた。

 家族。

 それが世のなかでもっともたいせつであることは疑いようがない。でも頭の奥で妻との距離がわずかに開いたのが感じられた。同時にこれが男の弱さなのかもしれないと三太は思う。

「もうそんな物騒なもの、下ろしましょうよ」

 暗がりから白髪の男が現れる。さっきの警官ではない。軽快なポロシャツにチノパン姿だった。

「もうすぐ警察が到着する。さっき通報したんだ。闇バイトに手を染めていない、まともな公務員が来るはずだけどな」

「警察を待つまでもないですよ」ディレクターが周囲を見回してから言う。「もうなにもしないほうが得策かと思います。まわりをよくご覧になるといいですよ」

 いつしか闇のなかにざわめきが起きていた。虫でも鳥でもない。三太のキャンカーを遠巻きにするように人影があちこちで揺らめいている。みんな、腕を掲げている。スマホで撮影しているらしい。

「ぼっちキャンプにはわたしもひかれるんです。職場は人間関係の塊ですからね。そういうのから解き放たれて時を過ごしてみたい。時々、本気でそう思います。けど、人に関わられるのを嫌ってこんな場所に来た人たちも、ひとたび誰かに不幸の種が見つかれば、たちまち群がってくる。蜜の味なんですよ。他人の苦境は。悲しい人間の性なんですね。わたしたちメディアの人間は職業倫理上、むやみにアップしたりはできません。けど、あっちの木の向こう側からスマホを向けている人たちをとめることはできない」

 三太は銃を下ろそうか迷う。それとも手っ取り早く自分に向けるべきか。

 あとはルーレットを回すだけだった。

(了)

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