その時
『僕』の話
人間は嘘をつく。でも常にじゃない。誰だって自分に正直になる瞬間がある。
悲しい時、嬉しかった時、恋をした時、憤りのあまり誰かに殺意を抱く時。それがどんな感情だとしてもその時だけは嘘じゃない、心の底からの感情が浮かんでくる。
本当の感情が出ない人間なんていない。僕は17年という長いようで短い今までの人生経験でそれを学んでいた。
僕の持論を覆すやつなんて現れない。そのはずだった。
あいも変わらずそこら中に充満する嘘の匂いを感じながら教室に入った。流石に17年もすれば慣れたもので特に不快感は感じない。いや、感じることには感じるが無視する方法を身に着けただけだ。そういう意味では僕も嘘をついているのだろう。そう思うと僕が嫌っている嘘つきに対する感情は同族嫌悪なのかも、と思って自嘲気味に笑う。
二年生となって既に一ヶ月、僕は順調にぼっちとなっていた。もともと人と好んで話す正確ではないし、相手を端から嘘つきとして認識しているためか友達らしい友達は出来たことはなかった。
「おう」
とはいえ隣の席の人の挨拶まで無視するほど嫌なヤツじゃない、と自負している。
「あ、おはよう」
いつもならここで終わり。でも今日は違った。
「お前さァ、好きな子とかいんの、いっつもつまんなそうな顔してっけどよ、不健全だぜ。」
嘘ばっかバラ撒いて女遊びばかりしているお前のほうが不健全だぜ、と思うが流石にそういうわけにもいかず目をキョトンとさせて黙っておいた。
「あ、やっぱいるんだな。」 いるわけがない 「誰だよぉ教えろよぉ」 お前とは違うんだ 「教えてよぉん」
やめろ気持ち悪い、その顔を近づけるな、と言いかけた時、彼はふと明後日の方向を向き、
「お、今日も綺麗だねぇ。」
と、今しがた教室に入って来た多数の女子を眺めながら呟く。気持ち悪いことこの上ない。どの人が、と言いかけてやめた。集団の真ん中で段違いに綺麗な女子が快活に笑っていた。人間関係というものを構築するのを諦めていた僕は同じクラスになって彼女を初めて見た。まるで人形のようだと思った。と同時に不思議な感覚に陥る。彼女のすべてが嘘に見えた。いままで見てきた嘘はまばらに人から飛び散り、至る所を汚してやがて消えていく、なんとも醜いものだった。だが、彼女のそれは違った。
彼女の内側に秘められ、体の奥深い場所に閉じ込められていた。まるで彼女の本質を覆い隠して守っているかのように。それは煌々と光り輝き、美しささえ感じた。
「どしたよ、惚れたかぁ」
彼の声でハッとする。見とれていたのだ。それほどに彼女は、いや、彼女の嘘は綺麗だった。彼には曖昧な返事をする。彼女から目を離さずに。
ふと彼女と目があった。不思議な目だった。その目まで嘘に染まっているのにまるで嘘をつきたくないと言っているような、そんな目。少ししたあと、彼女の目に怯えのようなものが浮かんだ。
気づかれた、と思った。見つめていたことではない。彼女の嘘を見抜いてしまったことに、だ。
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『私』の話
あいも変わらず私は嘘の鎧をつけて、誰にも気づかれることなく日常を過ごしていた。社交的でどんな人とも明るく楽しく話す女の子。そんな鎧を学校では装着する。それだけで私の周りには味方しかいなくなる。どんなに人付き合いが嫌いな人でも私にかかればあっという間に笑顔になる。いわゆるスクールカーストでは私の立ち位置は上位のはずだ。唯一話したことのない人がいた。二ヶ月もの間誰とも仲良くしているのを見たことがない。なんと見上げた根性だ、と快活な私が思う。かといってわざわざ話しかけに行くほど私の中ではあの女の子は好奇心旺盛ではない。
何でもない日だった。特段予兆があったわけでもない。いつもどおり心は重装備で家を出る。案の定待ち受けていたクラスメイトと共に学校へ向かう。いつも通りの下らない話。学校について教室に向かう。入った瞬間意外な光景を目にした。あの男の子が隣の席の人(女癖が悪いことで有名だった)と朝から話している。私の中の彼女はそれなりに驚いたらしい。今まで人と話すことはおろか、声を出していることすらあまり見たことすら無かった。あら以外、なんて思っていたときはまだ何の危機感も無かった。
ふと彼がこちらを向いた。まじまじと見られているのでそちらを向くと目があった。思っていたより清潔感があるな、なんて思った途端。
彼の目が驚きで満ちていることに気づいた。そして、少しの恐怖と感心したような目だった。なにか不吉な予感がした。これは彼女の感情ではない。私の感情だ。人生で初めて無意識に感じた予感。そしてそれはあまりに的確だった。
彼の目は不思議だった。蔑みに染まった目、しかしまた同時に深い愛を湛えていた。そして気付いた、見抜かれた、と。
絶対にバレないと思っていた。今までの17年間自分を覆っていた嘘が剥がされると思っていなかった。
それを、いとも簡単に。しかもたった一目で。プライドがどうという話ではない。怖かった。自分の嘘が剥がされるのが。鎧を無理やり脱がされるのが。
そして私にとって鎧は装備品ではない。私そのものなのだ。鎧がなくなれば私は何になるのだろう。
彼は私が怯えた理由を悟ったらしい。悪いことをしたとでも言うかのようにさっと目をそらし廊下へ出た。
さぞかし本当の感情が出れば嬉しいのだろうと思っていた。まるで何かを成し遂げたかのような達成感に包まれるのだろうと思っていた。
そしてその感情は硝子が触れ合うような、透明で美しいものだと思っていた。
私が初めて本当に感じた感情は、底のない穴に落ちていくような、得体のしれない汚らわしい恐怖だった。




