セイラと坂本の企み
校舎に入った。
今はまだ授業中らしく、廊下は静かだ。
セイラはどこにいるのだろうか。さっき電話した様子から、何か学校でできることがあることはわかるが、どこに行けばいいのかは聞くことができなかった。
「ジュキヤ」
声の方を振り返ると、セイラが階段を駆け下りて来ていた。
「U子は?」
「ここにいる」
握りしめたU子をセイラに見せる。
「おい、U子。U子」
とセイラが声をかけるが、やはり反応はないままだった。
「本当に、動かない」
「なあセイラ。どうすればいいんだよ。何か考えがあるんだろ」
「ああ」
セイラの表情は明るくなかった。彼女は今初めて、動かなくなったU子の姿を目の当たりにしたのだ。それも当然なのかもしれない。
「行こう」
と唇を噛み締めて彼女は言う。
「どこに行くんだよ」
「化学室。坂本先生が待ってる」
「坂本って、担任のか? どういうことだよ。待ってるって」
問いただそうとしたが、セイラに手を引かれる。
「とにかく急ごう。歩きながら説明する」
そう言って早足で歩き出した。その背中を黙って追う。
どういうことかわからないが、今はセイラに着いていくしかない。
U子も動かないままだ。
「U子はさ。セイラがジュキヤの家に連れてきたの」
「は?」
一瞬、時間が止まったように感じた。気付けば、セイラの背中を凝視していた。問い詰めるように、疑問を投げかけるように、すがりつくようにその背中を見つめる。
しかしセイラは振り返らないで、背中を向けたまま静かに歩き続ける。
セイラが連れてきた。それって、
「どういうこと? どこから……」
確かに初めてU子を見た時に、セイラがなにかしているのではないかと疑った。けれど、U子は、そんなどこにでもいるような存在でもないし、セイラにどうにかできるようなものだとも思えなかった。だからずっと信じていた。自分の部屋にあったU字型の磁石が、生き物のようになったのだと。そうだ。あの磁石はずっと昔から僕の家にあったものだ。引っ越して来た後も、ずっと冷蔵庫に貼ってあった。
「あれは、U子はずっとうちにあった磁石のはずだろ」
「すり替えたんだよ。似てる磁石があったから。ジュキヤの家にあったのはただの磁石だ。セイラの家に置いてある」
「なんで――」
「着いたよ」
なんで今になってそんなことを言うんだ。ずっと騙していたのか? うちでU子を見た時、初めて見たようなフリをしていただけなのか。
気付くと、化学室の前まで来ていた。
入学してすぐ、登校しなくなっていたから、初めて来る場所だった。
セイラが先に中へ入る。
「ごめんジュキヤ、ずっと黙ってて。坂本先生に頼まれたんだ。U子を連れて行くように」
「どういうことだよ」
状況に思考が追いつかず、そう質問を返すのがやっとだった。
頼まれた?
担任の坂本の印象はそこまで強くない。ただ、中学の時までの先生たちより、ドライだと思ったくらいで、他のことは特に知らない。僕が両親を亡くして、登校しなくなってからも、連絡をしてきたのは1度だけだった。
――君が自分の意思で行こうと思えないのなら、きっと今は来ない方がいいんだろう。好きなようにしなさい。高校は義務教育では、ないからね。
確か、そんなことを言われた気がする。
義務教育ではないから、「学校に来い」とは言われなかった。
そんな坂本が、何のためにU子をうちに?
そして、そもそもどうしてセイラはうちに来るようになったのだろうか。自分の中で、もうひとつの疑念が浮上する。
嫌な言葉だと感じた。けれど気付いたら言葉に出ていた。
「お前も、先生に頼まれたからうちに来てくれてたのか?」
セイラがうちに来るようになったのは、最後に坂本がうちに来た日より後だった。
何度も邪険にしたし、迷惑ばかりかけていた。
それでもうちに来て、何気ないことを話して、外に出られなかった僕の代わりに買い物までしてきてくれていた。
なんでそんなことをしてくれるのか、ずっとわからなかった。
わからないまま、その行為に甘えていた。純粋に、心をゆるしていた。
根拠がないまま、信頼してもいい相手だと思い始めていた。
でもそれも違かったのか?
全部。頼まれてから、そうしていただけなのか?
「それは違うよ」
セイラへの質問の答えは、化学室の奥から返ってきた。
「坂本先生」
「十ノ木、ありがとうな」
教室の奥から現れた人物はそう言った。彼は担任の坂本だ。一瞬、誰のことを呼んだのかわからなかったが、そういえばセイラの名字は十ノ木というのだった。
「久しぶりだな、東名」
「お久しぶりです」
警戒するように、静かに挨拶を返す。
白衣姿で無表情の坂本の表情からは、なにを考えているのか読み取ることができなかった。
「十ノ木が君の家に行っていたのは、俺に言われたからじゃないよ」
「え?」
「俺が頼んだのはその」
と視線でU子を指した。
「磁石を、君の家に持って行ってほしいということだけだ。それ以外は彼女の意思だよ」
セイラを見ると、恥ずかしがるように視線を逸した。
少しの沈黙が生まれる。
授業時間中の校舎は、静寂が染み渡っていた。少し離れたグランドから、体育の授業の音が静かな部屋の窓を微かに響かせる。
その空間に合わせるように、静かに坂本が話し始めた。
「その磁石はな、俺が大学で電磁気系の研究をしていた時に、偶然できたものなんだ」
「研究?」
「ああ、教員になる前の話だけどな」
「でも、こんなすごい物を作ったなんて話、聞いたことがない」
研究とか発明とか、そういう世界のことはよくわからないけれど、生きた磁石を作ったなんて話を、世間が放って置くとは思えない。
「まあ、誰にも言ってないからな」
「なんで言わなかったんですか」
とセイラが訊いた。彼女も詳しい事情については知らないのだろうか。
「なんかいいじゃないか。自分だけの秘密にしておくのもさ。それに、多くのヒトが知れば、どんな形で利用されるかわからないからな。誰にも言わないことにしたんだよ」
その気持は、少しだけ分かる気がした。
僕とセイラも、U子のことは誰にも言わないで飼うと決めていた。それは、U子の存在が公になった時、どう扱われるかがわからなかったからだ。
「でもそれなら、どうしてうちに……セイラに頼んでまで」
セイラと目が合うが、彼女は小さく、「自分も知らない」と言うように首を横に振る。
U子の存在を隠しておくつもりだったのなら、僕の家に連れてくる理由はないはずだ。
それだけが、まだ理解できなかった。




