十二月二十日 日曜日
聖夜祭を目前に控えた久遠舘学院高等部では、日曜日であるにも拘らず生徒達の手でその準備が着々と進められていた。ノコギリで木材を切る男や金槌で釘を叩く音が学院中に鳴り響く。
そんな中、浅陽は生徒会長である迅水めぐりと敷地内を見回っていた。
「皆さん、頑張ってらっしゃいますね」
「そりゃそうですよ。なんたってもう一週間切ってるんですから」
元々聖夜を厳かに過ごす催しだったが、いつからか文化祭のようなイベントとなっていた。ただ唯一といってもいい名残として聖歌隊の合唱があるだけだ。
「一時はどうなるかと思いましたけど、無事に開催出来そうなので安心しました」
めぐりは一週間程前の襲撃事件を差して言った。
「そうですね……」
それに関連した事件も収拾して何の憂いも無いと言い切りたい浅陽だが、喉の奥に魚の骨が刺さったような違和感が消えないままだった。
その原因は、未だ眠り続けている空から降ってきたあの少女だった。そして彼女を見た時の穂村優希人の反応。訳ありなのはどうみても明らかだった。
「あ、いたいた。浅陽ちゃん」
浅陽達の前方から秋穂がやってきて浅陽に向かって手を振った。
「秋穂? どうかしたの?」
「ちょっと相談したいことがあって」
「相談? あたしに?」
浅陽はめぐりの方を窺った。
「私はまだあちこち見回らなければなりません。申し訳ありませんが、浅陽さんにお任せします」
「ありがとうございます。じゃあ浅陽ちゃんをお借りします」
秋穂がめぐりに向かって律儀に頭を下げると、めぐりはその場から去っていった。
「それで? 改まって相談ってなに?」
「あの、これ……なんだけど」
秋穂が浅陽に見せたのは、一枚の便箋だった。
「手紙?」
「今朝来たら下駄箱に入ってたの」
「それってまさか……」
「読んでみて」
「いいの?」
秋穂が頷くので浅陽は便箋から手紙を取り出した。
『お話ししたいことがあります。放課後に屋上で待ってます。』
そう書かれていた。
「どう見てもラブレターじゃない」
「うん……」
果たし状しか貰ったことの無い浅陽には羨ましい限りだった。
「あれ? でもこれ差出人の名前が無いね」
「そうなの。だからちょっと怖くて」
そういうものなのかと浅陽は思ったが口にはしなかった。
「それで、あたしについて来てほしいってことでいいの?」
「来てくれる?」
少し潤んだ目で秋穂は浅陽を見上げた。同じ女である浅陽でもその姿はとても可憐に思えた。
「もちろんいいよ」
浅陽は快諾した。
「でもさ、怖いんなら無視しちゃってもいいと思うんだけど」
その浅陽の言葉に秋穂は首を横に振った。
「たぶん勇気を出して一生懸命書いたんだと思うの。だからきちんと答えてあげたい」
「偉いね、秋穂は」
「ううん。だって私も解るもん。好きな人に想いを伝えるってとても勇気がいることなんだって。だから私はまだ……」
秋穂は俯いて苦笑した。
「大丈夫。秋穂の気持ちはきっと伝わるよ」
「ありがとう、浅陽ちゃん」
「それじゃあもう行く? 放課後になって結構経ってるよね」
「そうだね」
「そういえば、ミシェルには話さなかったの?」
「放課後になるなり二人ともすぐ出てっちゃったから探してたんだよ」
「あ、そっか。でも呼ばれてたのあたしだけだよ」
「それじゃあミシェルちゃんどこ行ったんだろ?」
ミシェルが礼拝堂の扉を開けると、聖母像の前に跪いて祈りを捧げる者がいた。ブロンドの髪をオールバックにした紳士だ。
「わざわざこんな所に呼び出して何の用かしら?」
ミシェルは男の背中に訊ねた。
「君が見た〝天使〟についてもう少し詳しく訊こうと思ってね」
紳士は立ち上がるとミシェルの方へ振り返った。
「アナタに送った報告書通りよ、ジョシュア。雲間から射した光の中を十二枚の翼を持った天使か舞い降りてその腕に抱えた少女をワタシ達に託すと、少女の【念晶具】に吸い込まれるように消えたわ」
ミシェルは聖母像から向かって右側の列の一番前の長椅子に座った。
「ああ。君はそれをその少女が召喚したモノではないかということだったね」
ジョシュアは左側の一番前の長椅子に腰を下ろした。
「そんな能力は聞いたことがないけど」
「僕もだよ。たとえそんな能力の【念晶者】がいたとしても、複数の翼を持つ天使が召喚に応じるとは到底思えない」
「複数の翼を持つ……それはつまり上位の天使の証」
「それも十二枚。天使の中でも最上位とされる【熾天使】。更にその中でも〝力〟のある天使だ。そんな天使を従えているのだとしたら、その少女は神か何かかい?」
ジョシュアは大きく肩を竦めてみせた。彼の言うその少女は今だ眠り続けている。
「それを再確認してどうしようというのかしら?」
「彼女が興味を持ってね」
「彼女?」
「リリィ・フェニックスさ」
その名にミシェルは尋常ではない驚きを見せた。
「リリィ・フェニックス!? ヴァチカンの【聖槍降魔聖省】の重鎮中の重鎮で滅多に人前に姿を現さないと言われているあのリリィ・フェニックス?!」
【顕現者】の存在が世界中に知れ渡っておよそ八十年。【異能研】や【ヘブンズノーツ】のように【顕現者】による組織が表立って動くようになった昨今、未だにその存在を秘密にしている組織もいくつかある。
その一つがヴァチカン教皇庁の【聖槍降魔聖省】である。
かつて【禁書目録聖省】や【検邪聖省】などと共に異端審問の名の下に魔女狩りの先鋒として存在していた。その役割は実力行使。主に異端の教義や【顕現者】を抹消してきた精鋭集団だ。
今でも精鋭集団に変わりはないが、その理念はいくらか柔軟になり、世界の裏側からの治安維持を目的としている。
そんな組織の重鎮が動いたというのだから、その存在の知る者ならばミシェルでなくても驚いて当然の出来事だった。
「彼女曰く、その天使が捜しモノかもしれないとのことだったが、どうやら他に見つかったようだよ」
「天使が他にも……?」
まるで天啓のようにミシェルの脳裏に一人の人物が浮かび上がった。
「彼女が目を付けた者の名はユキト・ホムラ。稀有な人物と知り合ったものだね、君も」
そして示し合わせたかのように、ミシェルが思い浮かべた人物をジョシュアが口にした。
「〝彼〟がその身に宿しているあれは、天使ーーー」
「おや? その様子だと何か知っているのかな?」
ジョシュアが剣呑な空気を醸し出すが、それでもミシェルは毅然としていた。
「彼に義理立てするつもりはないけれど、一応約束したから」
「そうか。君もとうとうパパに隠し事する歳になったか」
「娘という立場で言わせてもらえばそういうことになるわね」
そのミシェルの発言にジョシュアは少し驚いていた。
「なにかしら?」
「君を日本にやって正解だったみたいだね」
「どういうことかしら?」
「本国にいた頃の君は盲目な所があった。だが今はその様子は影を潜めている。物腰が少し柔らかくなったようだ。いい傾向だよ」
「……別に変わりはないわ。ワタシは今でもヤツラを殲滅する事だけを考えているわ」
だがそう言うミシェルの表情には先程までの毅然さはなかった。
その表情をジョシュアが見つめる。ミシェルは無意識に顔を逸らした。
「君がそう言うのならそうなのだろう。そういうことにしておくよ」
「何か引っかかる言い方ね」
「そうかい? まあ何にせよ安心したよ。娘がしっかり成長しているのが分かったからね。ただ……」
何か言いかけてジョシュアは口を噤んだ。
「ただ……、なに?」
その真剣な表情にミシェルは思わず訊き返した。
「いつになったらパパと呼んでくれるのかと……」
ガタンと音を立ててミシェルは長椅子から立ち上がった。
「おや? どうしたんだい?」
「話が終わったようなので帰ろうかと」
「冷たいなぁ。久しぶりにあったんだからもうちょっと……ッ」
ジョシュアが口を噤むのと同時に、ミシェルは礼拝堂の扉の方を振り返った。正確には、その向こうにある学院の校舎へ。
「この妖気は、まさかーーーッ!?」
ミシェルは礼拝堂から駆け出した。
浅陽と秋穂は屋上へ入る扉の前にいた。
「ここに来るまでにそれらしき人と出会わなかったね」
「じゃあもう来てるんだね」
秋穂がノブに手をかけ、回そうとする。それを浅陽が止めた。彼女は最上階に辿り着いた時、ピンと張り詰めた真冬の空気の中に微かに澱みを感じた気がしたからだ。
「浅陽ちゃん?」
「あたしはここにいるから。もし何か揉めそうになったらすぐ飛び出せるようにしておく」
「やだなぁ、浅陽ちゃん。そんなことにはならないよ」
「忘れたの、秋穂? あたし達が話すようになったキッカケ」
二人が話すキッカケになったのは、秋穂とのデートを巡って二人の男子が争っていたのを浅陽が止めた出来事だった。結局、喧嘩両成敗となり秋穂はどちらともデートに出掛けることはなかった。
元々身持ちが固いのか、彼女は特定の男子と二人きりで出掛けたということは今まで無い。
「たしかにあれ以来そんな事は起きてないけど、あんたはそれだけのモノを持ってるんだよ、秋穂」
「そんな、私なんて……」
「知ってる、秋穂? あんた学院内の『お嫁さんにしたいランキング』一位なんだよ」
「聞いたことあるけど、そんなランキング本当にあるの?」
「あるよ。めぐりさん達は黙認してるけど。ちなみにあたしは『出来るだけ相手にしたくないランキング』一位。ひどいと思わない?」
「ぷっ。なにそれ」
秋穂は思わず噴き出した。
ちなみに『出来るだけ相手にしたくない』というのは、ケンカ相手とかそういう意味での〝相手にしたくない〟で、彼女と対戦した中でもう二度と戦いたくないと思った連中が主に投票している。
だが、『お嫁さんにしたいランキング』では結果が及ばないものの、『学院内美少女ランキング』では浅陽も上位にランクインしているのは浅陽自身も知らない。
「話が逸れちゃったね。まあ、あたしも大丈夫だとは思うけど一応ね」
「うん。ありがと、浅陽ちゃん」
いくらかあった秋穂の中の不安が無くなったようで、浅陽は安心した。
「それじゃあ行ってきます」
「うん。行ってらっしゃい」
浅陽は秋穂の背中をポンと軽く叩いて送り出した。
そして屋上と屋内を隔てる扉は閉められ、秋穂は屋上に取り残された。
秋穂は屋上を見回した。すると屋上の端の金網の所で一人の男子生徒が下を見下ろしていた。
「来てくれたのか」
男子生徒が振り向く。秋穂はその顔を見て驚いた。
「杉崎……くん?」
扉を少し開けて屋上の様子を窺っていた浅陽も彼の登場には驚いていた。
「(杉崎がなんでこんな所に? だってあいつ家に帰ってないって……)」
前日、『ミラージュ』に杉崎哲哉の母親から電話がありその時点での昨日、つまり二日前から帰ってきていない事が判明した。
それから【異能研】と警察で捜索をしていて、今この瞬間もそれが続けられているはずだった。
「(ずっと学院にいた? ううん。そんな筈無い。学院の中にいてカナに気づかれないなんてありえない)」
あらゆる波長をも読み取る事の出来る七波奏観。彼女ももちろん杉崎哲哉の捜索に参加したが、成果は得られなかった。もちろん捜索した場所の中には久遠舘学院も含まれていた。
「(イヤな予感がする……)」
浅陽はいつでも飛び出していけるように臨戦態勢をとった。
秋穂は違和感を抱いていた。
彼女は好きな異性に想いを伝えることは、一世一代の大勝負だと思っている。しかし彼女の目の前に立つ杉崎は優しい笑顔を浮かべている。
秋穂には、とても一世一代の大勝負をしようとしている人間の顔に見えなかった。
「悪いな突然。手紙なんかで呼び出して」
「う、ううん。平気だよ。前に同じように貰ったことはあるから」
「そう……なんだ」
杉崎の表情にわずかに影が差した。それを察した秋穂の心に不安がよぎった。
「で、でも名前が書いて無かったからちょっと不安だったかな」
「書いてなかった?」
「うん」
「あちゃ〜。書き忘れちまったか。悪い」
杉崎は顔の前で手刀を切って苦笑いした。その様子に秋穂の不安も少し薄らいだ。
「ううん。大丈夫」
「それでだけど……」
杉崎が本題を切り出そうとする。意中の相手ではないが、秋穂は少しドキドキしていた。
「うん……」
「俺、岳中のこと……」
秋穂は静かに杉崎の次の言葉を待った。
「…………好きだ」
杉崎は正面から秋穂の目をしっかりと見て、告白した。
「俺と付き合って欲しい」
杉崎は想いの丈を伝えきった。平然とした顔で。
肚を括ったとも見えるが、秋穂にはどうもそうは見えなかった。
慣れているとも違う。何より彼がそんな器用で恋多き人間ではなさそうだというのはその人柄からも分かる。どちからといえば不器用な部類に入るだろう。
だが彼はいつも友人と会話でもするかのように告白した。彼のような人間には到底出来ない芸当だった。
しかしそうでなく、たとえ彼が不器用ながらに告白したとしても、秋穂の答えは変わらない。
「ありがとう。……でも、ごめんなさい」
秋穂ははっきりといい、頭を下げた。
それにショックを受けたのか杉崎は俯いた。
「……やっぱり、アイツがいいのか?」
地の底から響くような声に、秋穂はビクッと肩を揺らした。
「あ、あいつ……?」
「その身体の中に悪魔を飼っている、穂村優希人だよ」
「優希人さんの中にアクマ……? 杉崎くん、何言って…………ッ!?」
ゆっくりと顔を上げた杉崎の目に妖しい光を見た秋穂は一歩後退った。
「アイツの中には魔王が眠ってるんだッ!」
「杉崎、くん……?」
「そうだ。俺がアイツから岳中を守らなくちゃ」
ゆらりとまるで幽鬼のように一歩踏み出した杉崎。
秋穂は逃げ出そうにも、彼の異変に足がすくんでしまい動くに動けなかった。
浅陽達と行動を共にする事の多い彼女だが、今までに修羅場に直面したことは無かった。
この世界に異変は溢れている。だがそれに直面した時、素人に上手く立ち回れというのは無理な話である。
「なんで怯えるんだよ? 俺はこんなにもお前が好きなのに……」
近づく杉崎に、秋穂は尻餅をつき少しずつ後退る。
「い、いや……」
「〝あの人〟が言ったんだ……。あの男には悪魔が宿っている。だからお前を守れるのは俺しかいないって」
「あの人って誰?」
「ッ!?」
突然割り込んできた第三の声に杉崎は立ち止まった。
「ただの告白で済んだなら出て来なかったけど、さすがにこれは見過ごせないわ」
「浅陽ちゃん!」
二人の間に浅陽が立ち塞がる。
「水……薙……」
「で、あの人ってのがあんたをどこかに匿ってたわけ?」
「匿って……?」
「こいつ、一昨日から家に帰ってないみたいなの」
「帰って、ない……?」
秋穂がその事を知らなかったのは、二人の会話から浅陽は察していた。
「既に連絡はしてあるわ。家に帰りなさい、と言いたいところだけど、あんたには色々聞かなきゃならないことがあるみたいね」
「なぜ……」
「なぜ?」
「なぜ岳中は靡かない……? あの人から貰った〝力〟なら落とすのは容易いと……」
「あんたが誰から何を貰ったか知らないけど、残念でしたぁ」
浅陽は一枚の紙片をどこからともなく取り出した。
「それは……?」
「魔除けの護符。なんかいやぁ〜な空気を感じたから、念のために秋穂の背中に貼っといたんだ」
「あ、さっきの……」
秋穂は屋上に出る直前に浅陽に背中を軽く叩かれたのを思い出した。背中に手を伸ばすと左の肩甲骨の辺りに何か貼られているのが分かった。
「まだ剥がしちゃだめよ、秋穂」
「う、うん」
秋穂は慌てて手を引っ込めた。
「そもそもそんな他力本願な〝力〟で秋穂を手に入れて嬉しいわけ?」
「嬉しいさ。彼女を守ってやれるのは俺だけだからな」
「そう? でも魔除けの護符が効いてるってことは、あんたの〝力〟は守る為の〝力〟じゃない」
「力は〝力〟だ。〝力〟さえあれば何でも出来るッ!」
杉崎がポケットから何やら取り出した。
「それはーーーッ!?」
彼が手にしていたのは、あの闇の〝力〟を秘めた人造念結晶の黒いバングルだった。
それを見た浅陽の脳裏にある人物が浮かび上がった。
「〝あの人〟ってまさかーーーッ?!」
「これさえあれば俺は何でも出来る!」
「……それは、あんたが思ってるような生優しいモノじゃないんだよ!」
浅陽は右手を前に突き出した。
「五芒の扉 五星の交叉ーーー」
その右手の先に五芒星が現れ風が渦巻く。
「星が導く四獣五皇ーーー、
暁告げる鐘の声 赤烏となって舞い上がれーーー」
浅陽が指で五芒星をなぞり、渦巻く風が炎と化す。
「羽撃け 火翼剣舞」
そして浅陽は炎を掴む。
「―――唸れ、〈焔結〉!」
炎が弾け、火の粉が桜の花ビラとなって舞い散る。浅陽の手には霊刀〈焔結〉持ち、その身には〈巫羽織〉を纏っている。
「浅陽ちゃん……!」
「わかってる」
浅陽は秋穂は杉崎の身を案じているのを瞬時に悟った。
「でもアレはヒトを狂わす危険なモノ。アレのせいで織恵もおかしくなってたの」
「あれが織恵さんを……」
杉崎の持つ人造念結晶からは、まだ彼が身につけていないにも拘らず闇が溢れ出していた。
それを見て秋穂は恐怖に駆られた。
「杉崎はあたしが何とかするから、秋穂は早くここから離れて!」
「う、うん」
秋穂が屋上から出る扉へ駆け出す。
「なんで、逃げるんだよ……!」
秋穂に向かって闇の触手が伸びていく。だが、一閃と共に触手は霧散した。
そして秋穂は屋上から出ていった。
「あんた、何してんのかわかってんの?」
「どけ! 俺が、彼女を守るんだ……」
もはや彼は闇に呑み込まれていた。
「そいつを壊さなきゃダメみたいね」
素人相手に刃を振るうことに一瞬躊躇した浅陽だが、クラスメイトの危機であることにその迷いを打ち消した。
目にも留まらぬ迅さで距離を詰めて浅陽が踏み込む。そして人造念結晶だけを狙って、それを斬り裂くつもりで斬り上げた。
しかし人造念結晶は真っ二つになるどころか甲高い音を立てて、杉崎の手から弾き飛ばされ空高く舞い上がった。
「なッ?!」
浅陽は我が目を疑った。人造念結晶の破壊に失敗した事に驚きを隠せなかった。
その僅かな一瞬に隙が出来た。
空に舞った人造念結晶から闇が溢れて、怒涛の勢いで浅陽に襲い掛かってきた。
「しまっ……!?」
獲物を絡め取る蜘蛛の糸のように、闇が浅陽を捕らえた。
「くっ……!?」
そしてみるみるうちに浅陽は闇の繭に包まれていく。
「く……ぉのぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
浅陽が雄叫びをあげると、闇の繭が炎を上げて燃えた。繭の中で浅陽の〈巫羽織〉は〈巫羽織・焔舞〉へと進化していた。
だが、そうして闇の繭から解放された浅陽の前には、人造念結晶も杉崎哲哉の姿も既に無かった。
浅陽は急いで扉へ駆け寄って勢いよく開けた。
「きゃっ?!」
扉の傍にいた秋穂が短い悲鳴をあげた。
「秋穂……。よかった無事で」
「うん。浅陽ちゃんが屋上から逃がしてくれたから」
「え? 今杉崎がここを通らなかった?」
「う、ううん」
先程の杉崎の様子を思い出したのか秋穂は一瞬怯えたような表情を浮かべてから首を横に振った。
「まさか……」
浅陽は再び屋上へ戻って金網越しに下を覗きながら屋上を一周した。
幸い騒ぎになっている様子はない。もしここから飛び降りたりしたのなら、彼の手に入れた〝力〟のお陰で無傷で降り立ったとしても、聖夜祭準備中の学院で騒ぎにならない筈がない。
「屋上から消えた……」
残された可能性は一つ。
「人造念結晶……!」
未だ謎の多い人造念結晶。模造品でありながら、オリジナルを凌ぐ機能が備わっていた。そして……、
「また〝あの女〟の仕業なのね……」
杉崎哲哉が〝あの人〟と呼ぶ存在で浅陽が思い当たったのは、かつて風崎美由紀と名乗っていた、〈災厄〉の名を冠した剣を携えた黒仮面の女だった。その黒仮面もまた、謎に包まれた存在であった。
「世界に〝災厄〟をもたらす、か……」
浅陽はふと、黒仮面の女が去り際に残していったセリフを思い出した。
「そんなこと……させるもんですかッ!」
そう遠くない未来に再び黒仮面と相対するような予感がして、浅陽はそう誓った。