十二月二十四日 木曜日②
「そういえば、ボクってどれくらい寝てるのかな?」
輝星美那は未だ精神世界から覚醒出来ずにいた。
「体感では十日程になります。ですが……」
「ですが……?」
「三次元の時間では二年と三ヶ月程経っているようです」
「二年と三ヶ月っ!? 」
思わぬ長さに美那は驚いた。
「どーゆーこと?! ボク、眠ってる間に二歳も歳とったの?」
「美那さん。意識を失う前のことを覚えていますか?」
「突然なんですか? 意識を失う前……。ん〜……」
美那は思い出そうと記憶を巡らせる。
「緋織さんのぬくもりくらいかな。あとは強い風が吹いてたような……」
「それは私達が〝次元の狭間〟に吸い寄せられている時でしょうか」
「〝次元の狭間〟……? 誰かがそんなことを言ってたような……」
「あの時、三次元ではあり得ない程の質量が一ヶ所に集中してしまった為に空間に穴が開いてしまいました。そこにあったのは空間と空間の間にある〝次元の狭間〟なのです」
美那が驚愕の表情を浮かべた。
「実際今私達がいるのは、私達が出逢った世界とは似て非なる別の世界です」
「そんな……」
この世の終わりのような顔をした美那だが、すぐにハッと何かに気づいた。
「そうだっ!? 優希人は? 優希人はどうなったの?! もしかして……もう会えないの……?」
今にも泣き出しそうな程に美那は顔を歪ませた。
「安心してください。ここは優希人さんが流れついた世界でもあります」
そう言って緋織は美那の頭を優しく撫でた。
「優希人が流れついた世界……っ!」
美那の顔がぱぁっと明るくなった。
「ですが〝次元の狭間〟は時の流れが非常に不安定な為、彼らと私達とでは流れついた時期にズレが生じてしまったようです」
「ズレ……?」
「彼らはどうやらほぼタイムラグ無しに〝こちら〟にやってきたようです」
「じゃあ優希人は二つ歳をとって高校も卒業しちゃったってこと?!」
「それは分かりませんが、私の知り合いの所でお世話になっているようです」
「そうなんだ。……でもよかった。優希人が一緒ならボクは…………」
緋織は温かい目で美那を見つめている。それに気づいた美那は一瞬で顔が真っ赤になった。
「ふふ……。よほど彼のことが好きなのですね」
「な、なななななーーーッ!?」
「隠さなくても大丈夫ですよ。というか精神世界では隠し事は出来ませんから」
「んなッ?!」
真っ赤になりながら美那はアワアワしている。
「は、早く精神世界から出ないと……! ってか、なんで起きられないのっ?!」
それを聞いた緋織が急に暗い顔になった。
「おそらく封じられているのだと思います。私が邪魔だから……」
「緋織さんが邪魔? それって緋織さんが天使だから?」
「ッ!? 気づいていたのですか?」
「意識を失う前に優希人の声が聞こえたんだ。凌牙さんと緋織さんが天使だって言うのが」
「その通りです。私は人間達が〝天使〟呼ぶ存在です。だから眠っていた美那さんを誘拐するのに邪魔だった私を封じ込めた」
「優希人を呼び寄せる為の人質として、か」
緋織は黙って頷いた。
「ねえ、じゃあ優希人はやっぱり普通の人間じゃないってこと?」
「そうですね。人間としては普通ではないと思います。何せ人間と天使のハーフなのですから」
「じゃあ優希人のお母さん、優羽さんは天使だったってことだよね?」
「優羽さんをご存知なのですか?」
「うん。とても綺麗で優しい人だった。でも格闘技を教わってる時は厳しかったな」
「ふふ……」
緋織はまるで自分の事を褒められたみたいに、嬉しそうな笑みを浮かべた。
「それにしても、意識を失いかけても声が聞こえるなんて心から彼が好きなのですね」
「だからそれはっ!? ……でも優希人の声なら寝てても聞こえるかも」
『ーーーーーー……ッ!!』
「ほら、今だってボクを呼んで…………え?」
「美那ぁぁぁーーーッ!!」
優希人はその部屋、玉座の間のような空間に駆け込んだ。
「ようこそユキト君、欲望の城へ」
空間の一番奥、スポットライトの様に差す光の中でノーブル・ロードは玉座に座っていた。
「ノーブル・ロードッ!!」
「僕の名を覚えてくれて光栄だよ。ユキト・ホムラ」
「美那は何処だッ!!」
「そう焦らないで。少し僕と話そうよ」
「お前と話すことなんて無い!」
優希人は〈凪薙〉と〈刃羽斬〉を構えた。
「そうやってすぐ〝力〟で捩じ伏せようなんて、さすがは〝忌み児〟なだけはあるね」
「なんだと……?」
「だってそうじゃないか。そうやってすぐ暴力に訴えるなんて…………まるで〝僕ら〟と一緒じゃないか」
「ーーーッ!!?」
「でも僕は平和主義者だからね。さあ、少し話そうじゃないか」
「っ……」
二振りの剣は光の粒となって消えた。
「ダメですよ、穂村さん!」
浅陽とミシェルが駆け込んできた。
「まったく。突っ走ってくれちゃって。そんなにあの美那って子が好きなんですか?」
「……ああ。好きだよ」
「ーーーッ!?」
優希人の答えに問い掛けた浅陽の方が顔を赤くしていた。
「ふふ……。男らしくて素敵ね」
ミシェルはどうやら優希人の事が気に入ったようだった。
「でも〝堕天使〟は口が上手いから、話しているうちにノせられてしまうのが相場だから止めることをお勧めするわ」
そう言うとキッとノーブル・ロードを睨みつけた。
「キミ達も暴れるのが好きだねぇ」
「〝堕天使達〟に言われる筋合いはないわよ」
「さっき彼にも言ったけど、僕は平和主義者なんだよ。〝堕天使〟が暴れるイメージがあるのは低級な連中のせいだよ。まったく困った連中だ」
ノーブルはやれやれと肩を竦めてみせた。
「それじゃあアナタも低級な連中のお仲間ってことかしら」
ミシェルの一言にノーブルは一瞬キョトンとしたが、すぐに噴き出した。
「ぷっ……。あははっ。これは手厳しいね」
機先を制しようとしたミシェルだったが軽く受け流されてしまった。
「まあ、僕も他悪魔に使われてるあたりは確かに低級なのかもしれないね」
「他人というのは、あのメフィストフェレスの主なのかしら?」
「よく分かったね。まあ別にそれを知られたところで何てことはないのだけどね。それにしてもよく彼女を突破してきたね。アレはアレで一応悪魔の端くれなんだけどね」
「リリィ・フェニックスがあたし達の代わりに戦ってくれてるのよ」
「なるほど、突然現れた大きな〝力〟はあの女か。こんな所まで追いかけてくるなんてね」
ノーブルは呆れたように溜め息を吐いた。
「確かもう一つ大きな〝力〟が現れた気がするんだけど。多分タスクかな? 道理でキミがここまで来られたわけだよ、〝忌み児〟君。……でも時間の問題かな」
ノーブルは最後にボソリと呟くと不敵な笑みを浮かべた。
「それより聞いてくれるかい? あの女の主は僕に仕事を依頼しておきながら、自分でそれを掻っ攫っていったんだよ? 酷いと思わないかい?」
「は、はぁ……」
愚痴りだしたノーブルに浅陽は毒気を抜かれかけた。
「お前の仕事ってのは、浅陽を暴走させることだったな」
「そう言えば〝忌み児〟君には前にそんなこと話したっけ」
「ん? あたし暴走してませんけど?」
「言ったろ? 掻っ攫われたって。キミが生きてるのが証拠だよ」
浅陽は優希人の話を思い出した。彼がいた世界では浅陽は〈焔結〉を暴走させていたという出来事を。
そして〝この世界〟でも〝同じ日〟に惨劇が起きていた。
「まさか、黒仮面ーーーッ?!」
「でもまさかその彼女すら〝あの女〟の支配から逃れかけていたとはね。それが〝あの女〟の唯一の誤算だったわけだ」
「それでは、あの黒い【念結晶】はアナタ達の技術ではないということかしら?」
「確かに僕らのオリジナルではないけど。これ以上は高くツくよ? そうだなぁ……」
ノーブルは再び優希人を見た。
「キミが僕らの仲間になるなら教えてあげなくもないかな。〝忌み児〟君」
「なんだ、結局はお前も腕ずくが希望なんじゃないか」
優希人は再び〈凪薙〉と〈刃羽斬〉を顕現させて構えた。
「あれ? あれれ?」
ノーブルは心底意外そうに首を傾げた。
「ワタシにも同じように聞こえたわ」
「そうね。意地でも〝あの女〟とやらの事を聞きたくなったわ」
やれやれとノーブルが溜め息を吐いた瞬間、優希人達三人の背筋が凍りついた。
「……まったく、困った子達だ」
空気が変わった。
むしろ今しがたまでの和やかな雰囲気こそが異常だった。それならば張り詰めた空気に戻ったと言うべきか。
「困った子達にはお仕置きが必要だね」
ノーブルがパチンと指を鳴らす。すると彼の座る玉座の向かって左側の暗がりにスポットライトのように光が差した。そしてそこには……、
「美那っ!?」
王妃の玉座に美那がぐったりした様子で腰掛けている。
「お前ッ!?」
「ああ、心配する必要はないよ。〝この子〟には何もしていないから」
「その首輪が封印か何かなのか?」
優希人は美那の首に着けられた首輪を差して訊いた。
「察しがいいね。いや、タスクの入れ知恵かな? 確かにあれは封印だけど、ただの封印ではないよ」
ノーブルがそう言うや否や、黒い首輪から漆黒の靄が溢れ出し美那の全身を覆っていく。やがてそれはプロテクターのように変わり胴や手脚に固着した。
「美那……?」
「………………」
美那は何も応える代わりに優希人に襲い掛かってきた。
「美那ッ!?」
跳び上がり優希人目掛けて美那が拳を振るう。優希人が避けると拳はそのまま床を穿ち大穴を開けた。
「穂村さんッ!!」
優希人に駆け寄る浅陽。しかし、
「おっとキミ達の相手は僕だよ」
ノーブル・ロードが浅陽とミシェルの前に立ちはだかった。
「こっちは大丈夫だ。きっと美那を元に戻してみせる。だからそれまで持ち堪えてくれ」
「持ち堪えろだなんて、彼女達じゃ僕に勝てないのを解っていてそんな事を言うなんて。意外と残酷だね」
「随分と過少評価されているのね、ワタシ達」
「穂村さんの知ってるあたし達じゃないんだって見せてあげる!!」
リリィ・フェニックスの持つ炎を纏った片手剣〈ガン・ロギ〉。それはすべてを燃やし尽くす浄罪の焔の剣。その事はメフィストもよく知っていた。
「実際目の当たりにすると眩しくて敵いません。ですが……」
メフィストが何かに合図を送るように右腕を高々と掲げてると、影という影、闇という闇から黒い人影が現れた。
「〝黒晶人形〟! しかしそんな塵芥で、私の進軍は止められないと覚えよッ!」
リリィが〈ガン・ロギ〉を振るうと、〝黒晶人形〟は瞬く間に浄化されていく。
しかし、際限なく後から後から〝黒晶人形〟は姿を現わす。
その度にリリィは〈ガン・ロギ〉を振るう。それを何度か繰り返し、〝黒晶人形〟が姿を現さなくなった頃には、既にメフィストの姿も無かった。
「逃したようですね」
『やはり〝貴女達〟は眩しすぎる。中でもかつて仕えた〝あの人〟は輝きの名を持つ者。とても耐えられませんでしたよ』
「メフィストッ……!」
『そのような〝貴女達〟ですが、〝あの方〟には到底及ばないでしょう』
「〝闇の巫女〟……。それほどまでに……!?」
『では、ご縁がありましたらまた遭いましょう』
「待ちなさいッ!!」
しかし既にメフィストの気配は一切消えていた。
「……〝闇の巫女〟。こんな事なら〝あの人〟にもっと詳しく聞いておけばよかった」
リリィは〝あの人〟が今何処にいるのか知らなかった。それを知る為にも優希人にきちんと話を聞かなくてはならなかった。
「羽衣の話では彼の記憶は戻ったようだけど……」
リリィは【聖櫃】を手渡した少女達に合流する為に奥へと向かった。
撃ち合う剣戟の音が広間に響く。
「ふははは! どうしたサタン! この前の様な〝力〟を感じぬぞ!!」
「なに、リハビリだよ。〝自分の身体〟で戦うのは久方ぶりなのでな。それに……」
タスクが振り下ろされたヤグルシの大剣を振り払う。
「俺は堕天した魔王でも、神や人間の敵対者でもない! 我が名はタスク・ヴァルカン・シャヘル! 秩序を守る、輝きの一振り!!」
「ならば! その輝く剣で秩序を守ってみせろ!!」
「そうさせてもらう」
タスクが〈クレイヴ・ソリッシュ〉を〝青眼〟に構える。
ヤグルシは攻撃する隙を見つけられないばかりか威圧される。しかしそれで尻込みするようなヤグルシではなかった。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!!」
有りっ丈の〝力〟を込めてヤグルシが大剣を振り下ろす。タスクがそれを迎え撃つ。
雷鳴のようなヤグルシの雄叫びが響く中、キンッと通る澄んだ音がすると辺りは静まり返った。
「ぐっ……ぉおおおおおおおおおおおッ!!?」
〝その衝撃〟に膝を着き声を上げたのはヤグルシだった。
「き、貴様ァ……!? よくもッ……!!」
タスクは傘に着いた雨の雫を振り払うように〈クレイヴ・ソリッシュ〉を振るった。端から見ればそれは勝者のポーズの様に映るだろう。
「〝ソレ〟が無ければお前とて〝この世界〟には居られまい」
【聖櫃】を手にしたタスクが〝この世界〟で活動出来る身体を手に入れたように、彼らにも【聖櫃】に相当する物がある。それが【穢櫃】である。
タスクはヤグルシの大剣に飾られていた【穢櫃】を破壊した。それによってヤグルシの肉体を維持していた〝力〟が崩壊し、魔力が分散していく。
「お、のれ……! この屈辱は、いずれ……!!」
そしてヤグルシを形作っていた〝力〟は三次元から消えた。
「……言いたい事があるならハッキリ言えばいい」
ヤグルシを倒した余韻も束の間、タスクは背後にいる人物に向かって振り向かずに語りかけた。
「…………タスク」
姿を現したのはリリィ・フェニックスだった。
「お前は……」
リリィはタスクに駆け寄る。だが、タスクの表情は険しいままだった。
「忘れてしまったの? 婚約者である私のことを……」
「婚約者のことなら、……覚えている。だが、お前がリリィだと?」
「ええ。私はリリィ・フェニックス。あなたの婚約者にして天界の……」
「もう黙れ」
タスクはリリィの言葉を遮るように言った。
「いい加減下手な芝居は止めたらどうだ? 下衆の匂いがぷんぷんするぞ」
「下衆なんてそんな……」
リリィは両手で顔を覆い泣き出した。だが、タスクは眉一つピクリとも動かさない。
そして、タスクは見た。両手で覆い隠された下で、彼女の口が醜く歪むのをーーー。
「変装は得意な方なんですけどねぇ〜」
彼女が両手を顔から離すと、リリィとはまったく別人だった。
「やはり貴様か、メフィスト」
「いつからバレてました?」
「無論、最初からだ。外見や仕草を真似てみても中身までは変われなかったようだな」
タスクは振り返り、メフィストに〈クレイヴ・ソリッシュ〉を突きつけた。
「そんなのを見抜くなんて貴方がたくらいです……っと、〝本物〟が来たようですね」
メフィストが傍の物陰に退くと闇に融けるように消えた。
『またお会いしましょう』
そう言い残してメフィストの気配は消えた。
そして入れ替わるようにして本物のリリィ・フェニックスが現れた。
「……タスク」
「…………よう」
タスクはまるで街中で偶然会ったかのように、だけどぶっきら棒に言った。それを見たリリィは呆れて溜め息を吐いた。
「変わりませんね、貴方は」
「……そうか?」
「ええ。それに腕も鈍っていないようですね」
「お前こそ、少し見ない間に腕を上げたようだな」
「それはもう、貴方の居なくなった穴を埋める為に奔走していましたから」
「…………そうか」
タスクは肩の荷が下りたようなそれでいて少し気まずそうに微笑むと、奥へ向かって歩きだした。
「タスク……?」
「ここは敵地だ。彼らがまだ戦っている」
「でも……」
再会した喜びからか、リリィは女の顔をしていた。
「……話なら終わった後でも出来る」
それだけ言うとタスクは走り出した。
「そう、ですね……」
タスクの後を追ってリリィは走り出した。その顔は戦士の物に戻っていた。
ミシェルが杖を振り翳すと、彼女の背後の空間にこれでもかと言わんばかりの氷の矢が出現した。
「詠唱も無しにそれだけのモノを造り出すなんて、なかなかやるじゃないか」
ノーブルは驚いた風だが、その程度かというニュアンスが、両手をポケットに突っ込んだままな事からも十分過ぎるくらいに伝わってきた。
それに対してミシェルは表情を変えることなく杖を振り下ろす。実際彼女は内心少しだけカチンと来ていた。
その間にも氷の矢がノーブルへ殺到する。その直前まで崩れなかった彼の余裕の表情は、冷気の霧で見えなくなった。
だが、その冷気の霧は一瞬にして晴れ、再びノーブルは余裕の表情を覗かせた。
「まあそれでも、ニンゲンにしてはだけどね」
と、その余裕の表情の眼前に〈焔結〉が振り下ろされた。
「おっと」
そう危なげなく避けた。
「あたしがいることを忘れちゃ困るんだけ、どッ!!」
浅陽は振り下ろした刃を返して斬り上げた。だがそれもすんでの所で躱され、彼の前髪を数ミリ散らした程度だった。
「ありがとう。そろそろ切ろうかと思っていたんだ」
ノーブルは左手はポケットの中のまま、右手で切られた辺りの髪を摘んで礼を言った。
「なら斬り揃えてあげるから、そのまま動かないでよねッ!!」
そして言葉とは裏腹に顔のど真ん中を刺突する。
ノーブルはそれを切られた前髪と同じように軽々と摘んだ。
「もう、危ないなぁ」
そして、背後にあるゴミ箱に鼻をかんだティッシュを放り投げるように無造作にそれを放った。
「なっ?!」
〈焔結〉を手放すという選択が浮かぶ前に、浅陽はそのまま宙を舞う。浅陽は空中でクルリと一回転して態勢を立て直し着地した。
「まるで猫だね」
浅陽とノーブルの視線がぶつかる。と、ノーブルの背後からスモークが流れてきた。
「冷気……!?」
ノーブルが振り向くと、冷気の霧が一気に彼を包み込んだ。
「『嵐吹き荒れる奈落の氷河』」
ミシェル・J・リンクス最大最強の氷結魔術。世界樹の下層のニヴルヘイムに存在すると言われる氷の川から濃密な冷気が湧き上がる。
「これはーーーッ!?」
ノーブルの顔に動揺が少し表れる。
冷気は瞬く間にノーブルを包み込み、絶対零度の氷の棺が出来上がった。
そこへ浅陽が、燃え盛る焔を纏った〈焔結〉を頭上に構えて跳んだ。
「どおりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
そして焔が氷の棺を真っ二つにしようかという瞬間、植物の発芽の様子を早送りした映像のように、氷が割れて手が顔を出し、〈焔結〉の刃を掴んだ。
ジュウッと肉の焦げる音がする。だがノーブルの手が焔に焼かれたモノではない。〈焔結〉に加わった浅陽の退魔の〝力〟に焼かれた音だ。
「ーーーッぅ……」
ノーブルの呻くような声が漏れた。すると手の出た所から次第に氷の棺に亀裂が入り、水蒸気の霧となって彼の周りを包んだ。
「さすがに〈星刃〉の〝力〟は堪えるね」
そう言うものの、彼の焦げた右手は少しずつ修復されていく。
「あと一人〝継承者〟がいたら危なかったかもしれないね」
くわばらくわばらと人間臭く呪いを唱える。
一方、最強の術、全力の技を繰り出した二人は、次にどう動こうか頭を猛回転させていた。防がれたものの通用したのが、希望を繋げた。
「あと一人……」
浅陽にはもう一人の〝継承者〟に心当たりがあった。
三週間程前に出逢った雷の〈星刃〉の〝継承者〟。
浅陽の中にいる〈鳴神〉を操る謎の少女。
だが今は彼女を感じない。いや、その存在は確かに感じ取れるのだがかなり〝奥深く〟の方だ。
「ついさっきまで感じられたのにもしかして眠ってるの? この非常時に……!」
「アサヒ?」
「〝あのコ〟には期待しない方がいいみたい」
「〝あのコ〟? ……ああ。すっかり忘れていたわ」
それは残念ねとミシェルは溜め息を吐いた。
「それよりも、あの時の技を使わなかったのね」
「あの時の技?」
「アナタがユウヒと戦った時のよ」
それが水薙の奥義である事に浅陽はすぐに気づいた。
「いやぁ、それがさ、あれ以来うまくいかなくて……」
浅陽は頬をポリポリ掻きながら申し訳なさそうに乾いた笑みを浮かべている。
「は?」
信じられない事を耳にしたという風にミシェルは眉間に皺を寄せた。
「元々、奥義の取得は完璧じゃなくて。あの時たまたまうまく出せた、みたいな?」
ミシェルは呆れて深く溜め息を吐いた。
「なるほど。何か条件のようなモノがあるという事かしら? しかし奥義を放ちたい時に放てないようでは、アナタそのうち死ぬわよ」
「面目次第もございません」
「相談は終わったかい?」
律儀に二人を待っていたノーブルは再生の終わった右手の感覚を確かめるように握ったり開いたりしながら声をかけた。
「ま、相談したところで僕に敵わないのは分かったと思うけどね」
「そんなこと……!」
「それに、向こうももうすぐ〝終わり〟そうだし」
ノーブルに言われて優希人達の方を向いた瞬間、
「ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
苦悶する優希人の叫びが木霊した。
その頃、境界の外側。
ワンボックスカーの中の仮指令室で、七波奏観が霊力の大きな変動を感じ取っていた。
「これは……!?」
「どうした、七波? あいつらに何かあったのか?」
奏観の様子の変化に気づいた梨遠が彼女の傍に寄った。
「何があったのかは分かりません。ただ……」
「ただ、どうした?」
「一人だけ激しい〝力〟の変動を感じました」
「〝力〟の変動? まさか誰か殺られたのか?」
「いえ」
奏観は首を横に振った。その仕草には自らの感じた変動が勘違いであって欲しいという願望も込められていた。だが、彼女の能力が絶対であることを何より彼女自身がよく分かっていた。
「消えたとかではなく、何て言ったらいいのか……。いきなり表が裏になったというか。数値はそのままでプラスがマイナスに転化したというか……」
奏観はそこで突然言葉を切った。
「七波?」
「……囲まれています」
「なに?!」
梨遠が外の闇に目を凝らす。何も見えない。だが、闇に溶け込むようにして蠢く何かを〝視〟た。
「〝黒晶人形〟か」
それも一体や二体ではない。そこら中を支配する闇すべてがそう思えるかのような程の数。
「なら、俺達の出番ですね」
沈黙を守っていた誠夜がドアをスライドさせて外に出た。
「さてと」
誠夜は闇夜にあってもその白さを損なわない〈巫羽織〉を羽織っている。その懐から紙幣大の紙片を五枚程取り出すと、手品の様に縦に繋げてみせた。そしてそれを振り抜くと、一振りの日本刀になった。
「生憎と〈星刃〉じゃあないが、負けず劣らぬ一振りだ」
右足を退き半身になって腰を落とし、刀を目の高さで水平に構えた。
次の瞬間、撃ち出された弾丸の如き疾さで誠夜は駆け抜けた。十戒の様に〝黒晶人形〟の海を割り、その包囲を突き抜けた。
それは、道筋にいた〝黒晶人形〟を悉く破壊する程の豪剣の爪痕。
目に見えぬ爪が次々と〝黒晶人形〟の海を斬り裂くが、その数は一向に減らない。むしろ増えていく。
「さすがにキリが無いな」
誠夜が舌打ちして呟く。
「なら、助太刀しようか」
声と共に誠夜の目の前の人(?)垣が衝撃波で割れた。
「ッ!?」
そして姿を現したのは、ブロンドの髪をオールバックにした異国の剣士だった。
「と言っても、〝黒晶人形〟を操る人物、もしくは個体を倒さないことには無限に出てくるだろうけどね」
と悠々と歩いて誠夜の隣に、まったく逆の方を向いて並んで星夜の刀より一回り程大きな両手剣を構えた。
「なら増殖するよりも疾く殲滅するまで」
「うん。実に分かりやすくていいね」
次の瞬間には乱戦となった。異国の剣士は一振りで〝黒晶人形〟を四〜五体破壊し、一瞬でトップスピードで駆け出した誠夜はその倍の〝黒晶人形〟を斬り裂く。
戦力が増えた事で〝黒晶人形〟の数は減っていく。だが、増殖は止まらない。
そういった攻防が小一時間程続き、さすがの二人でも息が上がり始めてきた頃、片隅で火柱が上がった。
「新手か?!」
しかしすぐにそうでないと気づいた。火柱が上がった直後から〝黒晶人形〟の数が目に見えて減っていったからだ。
「【ヘブンズノーツ】の増援ですか?」
「いえいえ。てっきり【異能研】の増援かと思ってましたが違うのですか」
「はい。ですが……」
誠夜はこの時になってようやく、〝黒晶人形〟の核となっている個体を撃破した何者かの気配に覚えがあることに気づいた。
その時、並み居る〝黒晶人形〟の隙間から赤い髪の少女が見えた。顔は仮面に隠されていたが、誠夜にはそれが誰なのか見当がついていた。
「あれは……」
その懐かしさに思わず笑みを零していたことに彼は気づいていない。
「なるほど。確かにあれはあいつだな」
「何か嬉しいことでもありましたか?」
異国の剣士が目敏く訊ねた。
「いえ。困った身内も居たものだなと、ね」
口元が緩んでいるのを、今度は誠夜自身自覚していた。
嬉しそうな誠夜の表情に、なんだやっぱり【異能研】じゃないかと異国の剣士は相好を崩した。




