十二月二十四日 木曜日①
地図が好きで気づくと時が経つのも忘れてあちこちの地図を見ているという人間は男女問わずに存在する。それはもちろん、異能の有無も問わない。
久遠舘学院にも不特定多数の地図好きがいるわけだが彼等に言わせると、久遠舘学院は小文字の『y』の上にあると言う。
最寄りの鉄道の駅から北東の方角に延びる道を進むと二又のy字の交差点に出る。その交差点より北側が久遠舘学院の敷地となっているから『y』の上にあると言うのだ。
そのy字の交差点を右手に進むと久遠舘学院の校門があり、更に進むと霧園市の北部郊外に出る。
左手に進むと久遠舘学院の更に北側に聳える霊山霧園山の登山口へと続く。
交差点から二㎞程の場所に登山口を示す大きな鳥居がある。その前に覚醒装束に身を包んだ浅陽とミシェル、そして優希人の三人が立っていた。突入組として先行する三人だ。
「本当にここでいいんですか?」
浅陽が訝しげに訊ねた。
『間違いありません。痕跡はそこで途切れています』
三人の着けた片耳に装着するタイプのインカムから奏観の声がした。
「って言っても何も無いし。鳥居の向こうは神域……」
浅陽は自分で口にしてハッとした。
「……まさか、境界?」
『うむ。現世と神域との狭間にいると思っていいだろう』
「タスク様の言う通りかと」
「そうか」
優希人は鳥居の〝向こう側〟をキッと見据えた。
「ーーー行こう!」
そして優希人が一歩、鳥居を潜った。奇しくもちょうど午前零時だった。
優希人が鳥居を潜りきった途端、背後で古い大きな扉が強風に煽られて勢いよく閉じる音が響いた。
「ーーーッ?!」
振り返るとそこには鳥居の代わりに黒く大きな扉があり、いつの間にか漆黒の壁に囲まれた玄関ホールの様な場所にいた。そして、
「浅陽? ミシェル? 二人とも何処行った?」
すぐ近くにいた筈の二人がその気配ごと消えていた。
「共の者がいなくて不安か、〝忌み児〟の少年?」
「ッ!?」
慌てて振り返る。そこには筋骨隆々の大男ヤグルシが立っていた。
優希人は胸に下げたペンダントの羽根のチャームを、祈りを捧げるように両手で包み込んだ。
ミシェルの背後で古い大きな扉が強風に煽られて勢いよく閉じる音が響いた。
「ーーーッ?!」
振り返るとそこには鳥居の代わりに黒く大きな扉があり、そして浅陽と優希人の姿が無いことに気づいた。
「罠? それとも……」
直後、背後から妖しい気配を感じて再び振り返る。そこにもまた大きな扉があり、そしてーーー、
「……やはりお前達と繋がりがあったのね」
ミシェルの目の前にはマネキンの顔の様な黒い仮面を被り漆黒のローブに身を包んだ女が立っていた。
ミシェルは腰の後ろに差してある〈ニヴルヘイム〉を抜いた。周囲の気温が空気中の水分が凍りついてキラキラ光るくらいに急激に下がる。初っ端から本気である証拠だ。
「ワタシのすべてを賭けて、オマエ達を滅ぼすッ!」
しかしその瞳はいつもとは少し違い、強い復讐の炎が揺らいでいた。
浅陽の背後で古い大きな扉が強風に煽られて勢いよく閉じる音が響いた。
「ーーーッ?!」
振り返るとそこには鳥居の代わりに黒く大きな扉があり、そしてミシェルと優希人の姿が無いことに気づいた。
「ミシェル? 穂村さん?」
直後、妖しい気配と共に〝周囲の気温が急激に下がった〟のを感じた。振り返るとそこにも大きな扉があり、そしてマネキンの顔のような黒い仮面を被った少女が立っていた。
「炎、風に続いて今度は氷の黒仮面ってこと?」
〈焔結〉を正眼に構える。
炎の使い手は剣技で浅陽の前に立ち塞がり、
風の使い手は剣の司る風の〝力〟でミシェルと対峙した。
氷の使い手は剣技か、その司る〝力〟か、それともまた別の方法で攻撃してくるのか。
浅陽が待ち構えていると、突然ブリザードが吹き荒れた。
「剣の〝力〟で来るのね」
〈巫羽織・焔舞〉のスカートの炎が勢いを増す。浅陽は意識を〈焔結〉に集中させる。剣の〝力〟プラス剣術で対応する為に。
ミシェルが対峙している黒仮面の女は、ミシェルの鼻先に突きつけるように剣を構え、もの凄い熱気と圧力を放っている。
「凄い殺気ね。でもワタシにとっては涼風のように心地いい」
ミシェルは〈ニヴルヘイム〉に魔力を集中させて練り上げていく。それと同時に気温はグングン下がっていく。
熱力学における最低温度はマイナス二七三.一五度、つまり絶対零度と呼ばれる温度である。しかし現代の技術でその絶対零度を〝再現〟するのは未だ不可能とされている。絶対零度を再現出来るモノがあるとしたら、それは魔術に他ならない。
そしてミシェルの最大の奥義は、最高でも絶対零度という代物である。彼女はそれを詠唱無しでやってのける。
「『嵐吹き荒れる奈落の氷河』ッ!!」
そのミシェルは、自らの仇敵が目の前にいると分かった時点で、何の躊躇いもなく奥義を放った。
途轍もない魔力の高まりに、浅陽が攻めに転じようと〈焔結〉の柄を握る手に力を入れた瞬間、
『待つんだ、浅陽』
浅陽の耳に女の声が届いた。〝浅陽の中〟にいる〝彼女〟の声だ。
「今はそれどころじゃ……」
『あれは剣の〝力〟ではなさそうだ』
「どういうことよ?」
『以前、別次元のお前の姉が持っていたあの黒い炎の剣。そして先日の〈厄災〉とやら。あれらからは〈星の欠片〉と似た〝力〟を感じられた』
「じゃあ、黒仮面はあたし達と同じ〝力〟を持ってるっていうのっ?!」
『そうは言い切れないが、とてもよく似ている。まるで光と影のようだ』
「光と影……」
否定したい気持ちの強い浅陽だったが、〝彼女〟の言わんとしている事も朧げながらも分かるような気がしていた。
『兎も角、〈星の欠片〉ひいては〈星刃〉は未だ謎が多いのに代わりはない』
「じゃああれは純粋な魔術?」
『しかもデカいのが来るぞ!』
直後、凄まじい冷気の奔流が吹き荒れる。
「詠唱も無しで…………まさか!?」
浅陽は詠唱無しで高度な魔術をぶっ放すことの出来る魔術師を一人知っている。
それは時に反発し、時に背中を預けることもある銀髪の少女だった。
そして発動した術の規模からして、それが彼女の最大の奥義であると予想される。
「くッ!!」
後手に回ってしまった浅陽が、迫り来る絶対零度を相殺するには時間が圧倒的に足りない。
『仕方あるまいッ!!』
浅陽の左手が〝本人の意志とは関係なく〟高々と掲げられた。
ミシェルの魔術が発動した直後、凄まじい轟音と共に稲妻が迸った。
「炎だけでなく稲妻までーーー?!」
そして彼女はその雷光の刹那に見た。
刹那の光に照らされた黒仮面の女が浅陽の姿をしていたのをーーー。
「ーーーッ!?」
一瞬幻かと疑うと同時に、自分の居る場所が敵地であることを思い出した。
「同士討ちさせる為の幻影ーーーッ!?」
仇敵を目の前にすると、〝罠の存在を予測していたことすらも忘れてしまう程〟冷静ではいられなくなるようだと、この時ミシェルは自覚した。
これが罠だと判明したのはいいが、発動した術は止まらない。放たれたミシェルの奥義は容赦なく浅陽に襲い掛かる。
がしかし、小川のせせらぎに打ち込まれた杭のように、浅陽の周りを絶対零度の奔流が避けていく。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッッ!!」
稲妻の熱を引き鉄に、〈焔結〉から発した炎が浅陽の雄叫びと共に唸りを上げる。
それでも相殺できないミシェルの奥義は驚きの一言だろう。
やがて絶対零度の奔流は収まり、唸りを上げる炎もその勢いを弱めていった。そして浅陽が崩れるように膝を着いた。
「ハァ……、ハァ……」
浅陽の息が上がっている。
ちょっとやそっとの戦闘でも浅陽が息を切らすことはほとんど無い。その彼女が息を切らせている。ミシェルの奥義をやり過ごすのにそれほど消耗したということだ。
「やっぱり、あんた、だったんだ……」
少しずつ息を整えつつある浅陽だが、回復にはもう少し時間が掛かるのは目に見えていた。
「……ふぅ。ねぇ、今のもしかしてあんたの最強の魔術?」
「ええ。そうなのだけど、よく持ち堪えたわね」
「持ち堪えられてないわよ。もうクタクタ。今あんたが敵だったらあたしやられちゃってるわけだし」
そう言って浅陽は床にへたり込んだ。
「それにしても、アナタよく気づいたわね」
「あんたはあたしの中にもう一人いるの知ってたよね?」
「ええ。もしかして〝彼女〟が?」
「そゆこと。でなきゃあたしも気づけなかった。あたしはむしろあんたが気づかなかったのがおかしいと思った」
浅陽は浅陽でミシェルのことはそれなりに知っているつもりだった。
「ねえ、あんたはあたしが何に見えてた?」
「……黒仮面よ」
ミシェルは一瞬躊躇いを見せた後、そう答えた。
「あたしと同じか。そういやあんた、黒仮面に因縁があるとか言ってたっけ? あんたが冷静さを失うなんてよっぽどの事があったのね。ま、深くは聞かないけど」
「機会があったら話すわ。でも今は……」
「敵地だしね」
よろよろと浅陽が立ち上がる。呪力を消耗した浅陽の手元からは既に〈焔結〉は消え、〈巫羽織・焔舞〉も解除されて制服姿に戻っていた。
「……っとと」
よろめいた浅陽をミシェルが支えた。
「ありがと。でも今は置いてってよ。今のあたし思いっ切り足手まといだから」
「ここは敵地よ。単独行動は危険だわ」
「ありゃ、優しいわね」
「ワタシの不手際でアナタを消耗させてしまったもの。ユキトの事も気になるし」
「そうだね。でも穂村さんにはあの天使がいる。あたしにも、ってそうするとあんたが一人になるのか」
「ワタシなら平気よ」
「平気でいられんの? 黒仮面の奴等が関わってるかもしれないのに?」
「それは……」
いつの間にか互いに逆の立場になっていた。
「ありがと。もう大丈夫だから」
浅陽はミシェルから身体を離して地にしっかり足を着けていた。
『ふふっ。麗しい友情ですわね』
何処からともなく声が響いた。
「だれッ?」
二人が辺りを見回すと景色が一変していた。
扉と扉に挟まれた狭い空間にいた筈が、大きな玄関ホールに二人は立っていた。
二人の居る場所の正面に階段があり、その最上段に美しい女性が立っていた。長く艶やかな漆黒の髪の不気味な冷ややかな赤黒い瞳をしている。
「あんたはこの前のーーーッ!!」
「知っているの、アサヒ?」
「あれが杉崎を誑かした張本人よ」
「あれが……!」
甘ったるい匂いがしてきそうな妖しい空気が漂う。それは女の妖艶な雰囲気がそうさせているのかもしれない。
「誑かしたとは酷い言われようですね。私はただ彼が願いを叶えるお手伝いをしただけです」
「あんな禍々しいモノを与えて、何が願いを叶える手伝いよ」
浅陽がフラつきながらも前に進み出た。
「ふふ。人間ごときの欲望ですがなかなかどうして、純度の高い〝闇〟を生み出すのですよ」
「あたし達が闇を……?」
「ええ。そのようにして生まれた闇がやがて世界を、いいえ、宇宙を覆い尽くすのです」
「宇宙なんて元々真っ暗闇じゃない!」
「知りませんか? 宇宙の闇よりも瞑き闇、すべてを飲み込む偉大なる闇を」
「………………ブラックホール」
女の言葉を聞いて、少しの間黙っていたミシェルがぽつりと呟いた。
「ブラックホールって!? そんなモノを呼び寄せようだなんて、あんた達悪魔はそんなにこの世界が嫌いなわけ?」
浅陽のセリフを聞いて女は鼻で笑い、
「悪魔、ですか」
そう言って不敵な笑みを浮かべた。
「(あの笑みは何……?)」
ミシェルは女の微笑が気になったが、浅陽は気づいたのか気づいてないのか、女を睨みつけたままだった。
「そんなこと、あたし達がさせないッ!」
浅陽は再び〈焔結〉を喚び出そうと右手を前に突き出した。しかし直後、急に力が抜けたかのように浅陽はガクッと膝をついた。
「アサヒ?!」
女が何かした様子はない。〝力〟を使い果たした後に再び〈焔結〉を喚び出そうとした為に浅陽の中の呪力が尽き果てたのだ。
「ふふ。〝欠片〟に選ばれたとは言え所詮は人間ですね。それも〝主〟の意に沿わない〝光の欠片〟」
「(また〝光の欠片〟……?!)」
ミシェルは風を纏った黒い剣〈ディザスター〉を携えた黒仮面の女が同じ様に言っていたのを思い出す。
「ですのでここで〝欠片〟を回収して〝あの方〟に捧げるとしましょう」
女が階段を一歩下りた。
同時にミシェルは浅陽の前に出た。
「〝あの方〟というのは、ノーブルとか言う悪魔の事かしら?」
「彼等はただの協力者です」
「協力者?」
「あの者達は確かに強大な〝力〟を持っているようですが、〝あの方〟のお考えを理解することも出来ない愚か者です。それどころか勝手な行動ばかり目立つ」
一枚岩ではないようだと言っていた羽衣の考えが的中していた。
「だから彼らが倒されようと私には何の支障もありません」
女はそのまま歩みを止めずに階段を下りてくる。
「〝あの方〟というのは余程立派な考えを持っているみたいね。でも、世界を終わらせるなんて到底賛同出来そうにないわ」
そう言ってミシェルは〈ニヴルヘイム〉を抜き、再び臨戦態勢をとった。
「〝欠片〟に選ばれたのに理解出来ないとは、やはり人間は愚かしい」
そして階段を下りきった女がミシェルの前に立ち塞がる。
「うっ……」
まるで重力が増したかのような重圧が彼女を襲う。以前対峙した低級悪魔とは比べ物にならないが、ヤグルシと対峙した時程ではない。だがそれでも彼女を威圧するには十分な〝力〟だった。と、その時、
ーーーコン、コン……
何かを軽く叩く音がした。
「何ですか、今の音は?」
女が怪訝そうに周りを見回す。するとまた、
ーーーコン、コン……
という音がした。それは女の前方、ミシェル達の後ろの方から聞こえてきた。
「まさか、ノックの音だとでも言うのですか? ここは通常の空間ではないのに……」
彼女達がいる場所は、現世と神域の狭間に作られた異空間である。その異空間の入り口は今でこそ扉という形で彼女達に認識されているが、それは〝内側〟にいるからこそである。
表からはただの鳥居にしか見えないにも拘わらず扉を叩く者がいる。それは女からしてみれば考えられない出来事であった。
「まさか……」
女は、ただの喫茶店のオーナーだと言った〝人間〟が頭に浮かんだ。〝人間〟と言うには些か強い〝力〟を持っているあの〝人間〟ならもしかしてと女はミシェル越しに扉を見た。
扉はギィィと重々しい音を立てて開いていく。女の目はそちらに釘付けになっていた。
ミシェルも女の動きに気を配りつつ肩越しに後ろを見たが、誰かが立っているということしか分からなかった。
扉の所に立っている〝人物〟が予想とは違っていたが、思いも寄らぬ来訪者に女は目を見開いた。
「〝彼〟の後を追って来てみれば、これはまた懐かしい顔に出会いましたね」
凛とした女性の声が玄関ホールに響く。
「貴女は……、いや、お前はーーー!?」
「久しぶりですね、メフィストフェレス」
クチナシ色の髪の女性が女の名を口にした。
「リリィ……フェニックス……!」
ヤグルシの大剣が唸りを上げて優希人に襲い掛かる。対する優希人は〈凪薙〉と〈刃羽斬〉で受け流すのが精一杯で防戦一方だった。
「どうした、〝忌み児〟の小僧? この前のキレがまったく感じられぬぞ」
「くっ……!」
互角に戦えていた前回と違い、明らかに劣勢なのは優希人も感じていた。前回はヤグルシが手を抜いていたのもあるのだろうが、それだけでは説明がつかなかった。
その原因は焦り。
凌牙に焦るなと言われ一旦は落ち着いた優希人だが、彼はまだ二十歳にも満たない青年である。知らず知らず焦りを募らせているのに自身で気づかないのも無理はない。
「余程あの人間が大事か?」
「ーーーッ!」
振り下ろされる大剣を斬り払い、優希人は間合いを取った。だが、それは優希人が意図したことではなかった。
『凌牙さんーーー?!』
「おれ達はこんな所でやられるわけにはいかない。だが、今のお前に任せておけんな」
優希人の山吹色の瞳が今は金色に変わっていた。
「この気配ーーーッ!? 貴様、〝忌み児〟の小僧ではないな?!」
ヤグルシの表情が歓喜の色を浮かべた。
「来い、サタン! 先日の怨み晴らさせてもらうぞッ!!」
女ーーーメフィストフェレスはリリィ・フェニックスを目の前にして動揺を見せた。
「あれが、リリィ・フェニックス……?」
クチナシ色の髪をした人とは思えぬ美しさを持つ、【聖槍降魔聖省】重鎮中の重鎮『リリィ・フェニックス』。
その肩書きと、育ての親で【ヘブンズノーツ】の司令でもあるジョシュア・シェフィールドの友人でもあると聞いていた事から、ミシェルは若くても三十代後半くらいだと思っていた。
しかし目の前に現れた彼女は、ミシェルや浅陽達とそう歳の変わらない、ほんの少し歳上くらいに見えた。
にも拘わらず、得も言われぬ迫力と威厳を持っている。そのせいかミシェルはいつの間にか彼女に道を譲るようにその場から退いていた。
「(そういえば彼女も天使だと言っていたわね)」
ならばミシェルの中に浮かんだ疑問はすべて解消したと言ってもよかった。
「貴女が〝彼女〟以外の下につくなんてね」
「……あ、あの頃は若かったんです」
メフィストは気圧されていた。ミシェル達を圧倒した彼女でさえリリィ・フェニックスの前では赤子同然に見えた。
ミシェルはそんなリリィ・フェニックスに、タスク同様の畏怖の念を禁じ得なかった。
そのリリィはメフィストに背を向けてミシェル達の方に向き直った。
「貴女がミシェル・J・リンクスですね? ジョシュア・シェフィールドの養子の……」
「は、はい」
ミシェルはリリィの前に両膝を着いて、祈るように胸の前で手を組んだ。
「貴女は敬虔な神の子なのですね」
リリィはタスクとまったく同じ事を言った。
「美しい高貴な魂をお持ちで……」
突如リリィが言葉を切った。
「リリィ様?」
「貴女はもしや……」
「え……?」
彼女は温かく優しい眼差しでミシェルを見た。
「なんでもありません」
そう言ってミシェルの目の前に白銀のロザリオを二つ翳して見せた。
「これは……?」
「これを〝彼ら〟に渡してください」
「〝彼ら〟……?」
「〝輝髪の青年〟に渡せば分かると思います」
「〝輝髪の青年〟……」
そう言われてミシェルが思い当たったのは、並行世界から来たという二刀の剣士穂村優希人だった。
「……分かりました。〝彼〟に渡せばよいのですね?」
「よろしくお願いします」
するとリリィは次に、〝力〟を使い果たして座り込んでいた浅陽に歩み寄った。
浅陽は半ばぼぉっとしたまま二人のやり取りを見ていたが、リリィが近づいてくるのを見て少し身構えた。
「身構える必要はありません。貴女が異教の神を信じていようとも私は貴女の味方です」
不思議とそのセリフには浅陽を安心させるモノがあった。同時にほんの少しだが〝力〟が戻ったのを感じた。
そしてふと見るとリリィが浅陽に向かって手を差し伸べていた。
「あ、ありがとう、ございます」
浅陽はその手を取り立ち上がった。するとリリィは手を握ったまま浅陽を傍に引き寄せ、その耳元に顔を寄せた。
「どうかよろしくお願いします。〝デイブレイク〟の遺児を……」
「〝デイブレイク〟の、いじ……?」
浅陽は意味が分からずポカンとした。
「さあ、二人とも。ここは私に任せて先に進みなさい」
リリィが再びメフィストの前に立ち塞がった。
「悔しいことに、ノーブル・ロードの〝力〟は強大です。ユキト・ホムラ一人では到底敵いません。ですが、〝彼〟と貴女方〝継承者〟が居ればあるいは……。だから早く!」
「分かりました。ご武運を、リリィ様」
ミシェルは浅陽に向き直り、強引に浅陽の手を引いた。
「行くわよ!」
「え?」
そして浅陽を杖に乗せて自分も横乗りに座って飛び去った。
「行かせない!」
メフィストが二人を追おうとするが、リリィが立ち塞がった。
「貴女こそ行かせませんよ」
「何故邪魔をする?! 〝彼女達〟は我々悪魔はおろか、お前達天使にとっても脅威と成り得る存在だと知らない筈がない!」
フッとリリィは鼻で笑った。
「悪魔? 今の貴女は悪魔に与しているわけではないでしょう?」
「なに?」
「何者ですか、貴女の主は?」
リリィの射抜く様な眼光がメフィストを捉える。
「あのお方は、闇の巫女にして闇の救世主」
メフィストは淀みなく讃えるように答えた。
「闇の巫女……? ……………………まさかあのーーー?!」
思い当たる節があるのかリリィは驚愕した。
今度はメフィストがニヤリとする番だった。
「ヒトの身でありながら神に近づこうとして空高くまで建造され神罰を降された〝彼の塔〟の伝承。そしてそれと共に語られる神の依代として選ばれた巫女の伝説があります」
リリィはとある人物から聞いた話を思い出しながら語る。
「あの伝承の真実は〝神〟を降臨させる儀式でしたが、結果失敗し〝神〟ではなく〝災厄〟が地上に降り注いだ。その時災厄に飲み込まれ闇にとり憑かれた巫女が闇の巫女として降臨したと聞いています」
「さすがですね。しかしその答えだと百点満点中二十点がせいぜいですね」
「伝説にある闇の巫女……。これは直ちに報告しなければいけませんね」
「いいのかな? 私はお前がこの場から立ち去るのを止めはしない。その場合にどうなるか」
「誰が立ち去るといいましたか?」
リリィは尚もメフィストの前に立ち塞がる。
「貴女の主が真に〝闇の巫女〟であるならば、〝継承者〟である彼女達は正に希望となるでしょう。私達天界に属する者はおろか、貴女のような悪魔にとっても脅威と成り得る存在なのですから」
リリィの背後から突如炎が巻き起こった。それは美しい翼のような炎だ。
そしてリリィが右手を前に翳すと炎はその手に集まってきた。
「眼前の敵を薙ぎ払え、〈ガン・ロギ〉!!」
炎は一振りの剣となった。
「ぐうッ!!」
ヤグルシがタスクの一撃に唸った。
優希人の身体を借りているタスクとヤグルシは一進一退の攻防を繰り広げていた。
「やるなサタン! だがこの前のようなキレは感じられぬな!!」
「強がりをッ!」
実際ヤグルシの言う通りだった。優希人の身体を借りている状態でヤグルシ程の相手をするのにはかなり無理をしていた。
二人の刃が交じり合う。今まで均衡を保っていたのが、少しずつヤグルシ優勢に傾いてきていた。
「強がっているのはどちらかな?」
ヤグルシの大剣が〈凪薙〉と〈刃羽斬〉を弾き飛ばした。
「しまったッ!!」
二振りの刃は弧を描きタスクの背後の壁に突き刺さった。
「死ねぇッ!!」
ヤグルシが大剣を振りかざした。
「また行き止まりね」
浅陽とミシェルは迷宮のような広い空間を、優希人を探して彷徨い続けていた。
「確かに大きな〝力〟のぶつかり合いは感じるんだけどね」
「それがものすごく近くに感じるのだけど、とても遠くにも感じる」
「一体どうなってんのよ、ここ………………ん?」
浅陽が何かに気づいた。
「アサヒ?」
「……ねえ、あれ何だと思う?」
「あれ?」
ミシェルは浅陽が指差した方を見た。そこには行き止まりの壁があるのだが、アルファベットのXの様な亀裂が走っていて、そこから微かに光が漏れている。
二人は恐る恐るその亀裂に歩み寄った。
「「ーーーッ!?」」
そこには、今まさに、ヤグルシの大剣が優希人に振り下ろされる瞬間だった。
タスクの背後の壁に突き刺さった二振りの刃。それらがまるで意思があるかのように、壁を斬り裂いていく。やがて壁にはアルファベットのXの様な亀裂が出来上がった。
だが、タスクはそれに気づかない。
「死ねぇッ!!」
ヤグルシが大剣を振りかざした。その時、タスクの背後から冷気が流れ込んできて、瞬く間のうちにヤグルシの全身を凍りつかせてしまった。
「これはーーーッ!?」
タスクが後ろを振り返る。その瞬間、そこにあった壁がまるでガラスのように砕け散った。そしてもうもうと立ち昇る水蒸気の中から浅陽とミシェルが現れた。
「お前達!? 無事だったか!」
「はい。リリィさんのおかげで……って、あれ?」
浅陽は優希人に違和感を抱いた。
「タスク様、ですか?」
その違和感に逸早く気づいたミシェルが彼の前に跪いた。
「その通りだ。今は優希人の身体を借りている。ところで今リリィと言ったか?」
「はい。あの方がやって来てこれを貴方にと」
ミシェルが献上するように二つのロザリオをタスクに差し出した。
「これは……!?」
タスクはそのロザリオに手を伸ばして、ピタッと止まった。
「こいつをリリィが?」
「はい。貴方にお渡しすれば分かると」
「そうか」
すると伸ばした手の先から、半透明の手が伸びてロザリオの一つを手にした。そして半透明のタスクが優希人の身体から離れると眩い光を放った。
「「「ーーーッ!!?」」」
やがて光が収まると、黒のライダースジャケットを纏い灰色のジーンズと黒のワークブーツを履いた、長いプラチナブロンドの男が立っていた。
「おおっ!!」
浅陽が驚きの声をあげた。
「凌牙……さん?」
目が慣れてきた優希人がパチクリさせている。
「ああ。【聖櫃】のおかげで〝三次元(この世界)〟でも自由に動けるようになった」
「このロザリオにそんな〝力〟が……」
「それは緋織……ルージュのやつに渡してくれ」
そう言うとタスクは氷漬けになっているヤグルシの方に向き直った。同時に氷に亀裂が入り、ヤグルシが復活した。
「この俺を凍りつかせるとは大した魔力だ。……ぬっ?!」
そしてその目はタスクを捉えた。
「どうやらこれでようやく本気が出せそうだな」
「それはこちらのセリフだ!」
タスクの背中から美しい光の翼が現れた。その翼が光の束となってタスクの右手の中に収束していき、やがて一振りの剣になった。
「眼前の敵を滅せよ、〈クレイヴ・ソリッシュ〉!!」
光は一振りの剣となった。
「行け! 〝二人〟を頼む!」
「う、うん! 行こう、浅陽! ミシェル!」
優希人は〈凪薙〉と〈刃羽斬〉を回収すると、二人を連れて奥へと進んでいった。
「みすみす死にに行くようなものだな」
「果たしてそうかな?」
勝算のありそうな笑みをタスクが浮かべる。
「なに?」
「確かに優希人だけではアイツには勝てない。だが、あの二人、〝継承者〟の二人がいれば勝てる確率は格段に上がる」
「そう言えばあの炎の娘! この前俺に傷を付けたな。なるほどそういうわけか。だが!」
ヤグルシが再び大剣を構えた。
「そうそう負けるあの方ではない!!」
「それもよく知っている。だがアイツらもそう簡単にやられはしないさ」
二人の剣が再び火花を散らして交叉した。




