第二章 :“虹色”の瞳と“異相体”
そこは大神殿の一角にあるとある施設――その名を“書院大書庫”と呼ばれる場所……
「……あ……!」
そこで何処か間の抜けた声が上がる。その直後、ドスンと言った鈍い音が数度響き、それに伴ってバサバサと言った軽い音が鳴り響いた。
「痛たた……」
「おい、大丈夫か……?」
額や腰を打って呻き声を漏らすラティルに向かって、ファーランが慌てて駆け寄って声をかけた。そんな彼の手には前を見られるかも怪しい程に高く積まれた書籍が抱えられていた。
そして、蹲っているラティルの周囲にも数冊の書籍が散乱していた。
そこは“大書庫”の地上一階と地下一階を繋ぐ階段の踊り場である。
ラティル達は借り受けていた史料を“大書庫”へと返却しに来た際、多忙であったらしい司書の神官より“書庫”内の書棚へ直接返還する様にと依頼されたのだ。
この事自体は、それ程特別なことではなかった。
同じ書院所属の神官であり、世界史編纂の為に頻繁に史料となる書籍を借り受けるラティル達は、“大書庫”内をかなり自由に往来することを許されていた。そのこともあって、“大書庫”から書籍・巻物を直接出し入れすることは、頻繁にとは言えないまでも相応の回数行われていたのだった。
ともあれ、借り受けていた史料を書棚へと戻す為に、“大書庫”の地下へと二人は向かっていた。しかし、何かの拍子でラティルが階段を踏み外して、盛大に素っ転んだ結果がこの惨状と言う訳である。
「ッタタ……あ、大丈夫だから……」
散乱する書籍の中で、打った腰や額などを擦りながらラティルは立ち上がり、歩み寄るファーランへと言葉を返しながら、散らばった書籍を拾い上げる。
「本当か?……気を付けろよな……」
心配そうに声をかけるファーランの言葉を耳にしながら、ラティルは自分の身に起こっている奇妙な経験のことを思い出していた。
* † *
ラティルがレインに求婚した日から、既に数日の時が経過していた。
その間、ラティル自は様々な変化がその身に訪れていた。
まずは、肉体的変化があった。
最初に挙げられるは、筋力の極端な減退があった。
本来の男性時には、数十冊の史料を抱えても平気な程度には自身の膂力はあった。しかし、女性体となって初めての出仕の日には十冊程度しか持ち上げることしか出来ず、日を重ねる内にその数は減っており、数日経った今となっては三~四冊程度も持てばふらつきかねない程までに筋力が衰えていた。
次に挙げられるのは、ティアス書院長に指摘された通り、容姿・体型の変化であった。
お蔭で、ラティルは朝目覚める度に自身の身体が女性のそれに変化して行くことを自覚せずにはおれなかった。日が経つにつれて胸の膨らみは大きくなり、その全体的な体型も丸みを帯びた嫋やかなものへと移り変わり、その身長も若干低くなっている様に思われた。顔立ちや体の各部の細かい所は劇的な変化が生じている訳ではないものの、徐々に女性的な印象を与える造形へと変化して行ったのだった。
その影響もあって、ここ数日のラティルは、起抜けに部屋に備え付けられた姿見に映る自身の姿を確認する習慣が付いてしまっていた。ちなみに姿見を備え付ける様に手配したのは、ティアス師とセイシア卿であるらしい。
ともあれ、日が経過するに従って徐々に美しく変化して行く“彼女”の姿に、一部の若い神官達から羨望の視線を集める結果となってしまっていたのは、当然の帰結であったのかも知れない。
次いで、自身の持つ諸能力についても変化が訪れていた。
それはまず、集中力や読解力等の増加している様に見受けられた。お蔭で書院での仕事の能率が日を追う毎に上がっていることが自覚された。昨日には一日懸りで仕上げられる程度の仕事量が、明日には半日程度で済ませられると言ったことが、ここ数日の間に続けて起こっていた。
そして、自らの魔力が強化され、各種魔法の威力や精度が増しているらしいことも感じられていた。
しかし、そうした良いことばかりが、その身に訪れている訳でもなかった。
女性の身体となったことで膂力が非常に低下しただけではなく、他の面でも不具合が生じていた。
それは身長や体格の若干の変化に伴い、距離感や身体の重心等が本来の男性時とは微妙に異なっていることが様々動作を行う際に認識の混乱を生じていると言うことだった。お蔭で、階段の類は十中六七程度の割合で踏み外し、物を取り出したり収めたりする際に目測を誤って取り落とすと言った出来事が頻繁に起こっていた。その為に、妙な所で同僚の神官達の注目を集めてしまうこともしばしば起こる様になっていた。
実の所、これらには体型の変化だけでなく、空間認識や平衡感覚が若干鈍っている所為の様にも思われたのだった。
そして最後に、社会的立場の変化にあった。
“記録”を司る女神でもある“知識神”ナエレアナ女神を奉ずる“セオミギア大神殿”所縁の地であるこの都市では、書物や書類の管理は古い時代から整っている。この影響もあって、“神殿都市”セオミギアでは戸籍等の整備が進んでいる。この為、国家の国民としての戸籍や、神殿所属を証する神官籍等が整備されている。
故にラティル=ウィフェルは、“都市国家”セオミギアの国民としての戸籍と、“セオミギア大神殿”の男性神官としての神官籍を保有している。しかし、このこと――神官籍の記載内容が“彼女”の立場を微妙なものにしていた。
女性化して最初の神殿出仕の際に、法院所属のホリエルス派等の“厳格派”と総称される教派の司祭達を中心に大騒ぎとなった。それは女性の姿でありながら、男性神官籍を持つと言う状況の異常性を問題視する声が上がった為だ。
この数日の間、性別が変化した神官――ラティルの扱いについて、“大神殿”として如何なる対応が相応しいかの喧々諤々の討論が繰り広げられることとなった。その長い討論は、書院長であるティアス=コアトリアが自身と言う存在を前例として持ち出すことで一応の決着へと踏み出すこととなった。そこには、ラティルが長い眠りに落ちている間に行われた根回しのお蔭もあったのだろう。
ともあれ、こうして辿り着いた結論とは、女性体のラティルに対して改めて神官籍を与えるというものであった。これによって、ラティル=ウィフェルは男性と女性と言う二重の神官籍を取得した人物と言うある種不可思議な存在になってしまったのだった。
しかし、この一連の騒動によって、自らの婚姻を進める為に神殿を徒らに混乱させたとして、厳格派に括られる神官達の一部から逆恨み的な敵意を受けることとなってしまっていた。
お蔭で、今まで一介の平凡な神官でしかなかった“彼”が、“大神殿”の中で色々な意味において強い関心を惹き付ける“彼女”へと変容して行くことになった訳である。
* † *
さて、ラティル達が“大書庫”で些細な騒動を起こしている頃と時を前後して、“神殿都市”の大通りを進む男の姿があった。
鬼気迫る形相に肩を怒らせて大通りを進むその男は、並の人よりも一回り大きな背丈に、それが霞む程に筋骨隆々とした体躯を持ち、そんな巨体に物々しい板金鎧を纏っていた。
その外見と振り撒く雰囲気から、大通りを進む都市の住人や巡礼に訪れた者達は、彼から避けて通る様に距離を開けていた。
そんな周囲の様子を気付いた様子もなく、彼は眼前に聳える壮麗な白亜の神殿を見上げる。
「やっと、辿り着いたぞ……!」
とある噂を聞き付けた彼は、その噂を調べ上げることで噂の人物が此処――“セオミギア大神殿”にいることを突き止めたのだった
彼は噂の人物と相対する為に、見上げる白亜の神殿――“セオミギア大神殿”に向けて歩を進めて行ったのだった。
ここでは、ちょっとした小話を綴らせて頂きます。
“異相体”を獲得したことで、ラティルは“魔法院”の神官達によって様々な検査を受けることになりました。
そうした検査の中で、(『魔力石生成』による試算による)彼女の推定内在魔力量の高さが判明した後のやり取り……
魔法院神官:並の術者の3~4倍の魔力量!……これだけの魔力があれば、ティアス書院長の協力を得られずとも、アノ儀式も、アノ実験も、実行可能に……!
ラティル :あの〜……?
魔法院神官:君の魔力量の高さは素晴らしい!……そこで時々で構わないので、我々“魔法院”が行う魔法儀式への協力をお願いしたい!
ラティル :あ、あの……私は“書院”の所属なのですが……
魔法院神官:なに、心配することはない。ティアス書院長からは、ある程度の協力の了承は得ている。それに元々、ティアス書院長には折に触れて“魔法院”の儀式魔法への参加協力や、実験等に要する魔力の補填に“虹色の輝石”の供与をお願いしているではないか……!
ラティル :……た、確かに……
魔法院神官:だが、これから君が協力してくれるなら、ティアス書院長のお手を煩わすことなく、“魔法院”の役目を進めることが出来る!
ラティル :……な、なるほど…………解りました。
魔法院神官:ありがとう、ラティル君…………これで実験………………(ゲフンゲフン)
ラティル :え?……今、実験動物って言いかけませんでした……?
魔法院神官:さ、さぁ……き、気の所為じゃないかね……?
ラティル :…………本当に……?
魔法院神官:あ、当たり、前じゃ、ないかね……(若干挙動不審)
ラティル :………………
この魔法院神官の息子が、彼女の義弟と友人になったかは……敢えて言及しないことにしておきます。




