第三話 初めての夜更かし
レクサス様は盛大にため息を吐き、持っていた本をベッドの脇にある椅子に置いた。
「プリメーラ。私が申したのは、お世継ぎをまだ急かすなという話の席でのことだ。『自分には愛する人がいるので、その人との間にできた子を世継ぎにしたい、今は待ってほしい』と、そう言った」
「……」
「その愛する人というのは、お前のことだ、プリメーラ」
レクサス様がこちらに向き直り、静かに、はっきりと、おっしゃった。
世界が、ちょっと止まった。
「……わたくし」
「他に誰がいる」
「…………」
「一年間、一日と欠かすことなく、毎晩お前の隣で眠り、お前の寝顔を見て、お前の寝息を聞いてきた男が、今さら誰を愛せというんだ」
それはそう。
確かにそうとしか思えない。
いや、待って。
「待ってください、殿下。では殿下は一年間、わたくしの寝顔を見ながら何を……?」
「本を読んでいた」
「その間、何も……?」
「お前が七分で落ちるのに、何ができる」
七分というのはご存知でいらしたのか。
数えていらしたのか。
それはそれで何か言いたい気もするが、今は置いておく。
「起こせばよかったのでは」
「あんなに天使のように可愛い寝顔で、気持ちよさそうに眠っているのに、起こせるわけがない」
「……」
「お前が眠るとな、本当に幸せそうな顔をする。起こすのが惜しくて、毎晩、気をそらすように仕方なく本を読んでいた」
「…………え?」
レクサス様は少し困ったようにおっしゃった。
まさかの、新事実。
殿下が健気だったのではない。
わたくしが、寝すぎていただけだった。
惜しくて。
仕方なく。
わたくしは何か言おうとして、言葉が出てこなくて、かわりに目がじわりと熱くなった。
なんだこれは。泣くのか。なぜ。
「……殿下が好きです」
気づいたら言っていた。
一瞬の沈黙のあと、レクサス様がふっと、本当に小さく笑われた。
「知っている」
「知っていたのですか」
「知らない夫がいるか」
「では、わたくしが眠れないでいると分かっていて、声をかけてくださったのですね」
「当たり前だ」
やだもう。
ずるい。一年間ずっとずるい人だった。
「……あ、あの、殿下。わたくし、そんなにすぐ寝ていましたか?」
「そうだな。たまに髪に触れただけで、すやすやと気持ちよさそうな寝息が聞こえてくる私の身にもなってほしい」
恥ずかしい。
死ぬほど恥ずかしい。
己の圧倒的な睡眠欲のせいで、最愛の夫を一年間も生殺しにしていたなんて。
顔から火が出そうなほど赤くなってモジモジしていると、レクサス様がふっと、いつもより少しだけ低い、熱を帯びた声で笑った。
「でも……今夜のプリメーラは、とても目が冴えているようだね」
「へっ!?」
気付けば、レクサス様の大きな体がわたくしを覆うように重なっていた。
その晩のことを、わたくしはほとんど覚えていない。
気がついたら、いつもより深く眠っていた。
ただ、起きた時のレクサス様のお顔が、なんとなくご機嫌そうだったこと。
それから、いつもより準備に時間がかかっているようだったこと。
侍女たちが、顔を見合わせてにっこりしていたこと。
……つまり、そういうことだった。
「プリメーラ様。お顔が赤いですが、熱でも?」
「……なんでもないです」
「そうですか?でも、今朝はお顔の色がよろしいですよ。なんといいますか、花が咲いたみたいで」
「……なんでもないと言っています」
こうして、わたくしたちの長すぎた『白い結婚』は、わたくしの初めての夜更かしによって、大変熱烈に幕を閉じたのである。
その日の昼餐。
ふと視線を上げたら、レクサス様と目が合う。
殿下は何も言わず、ただ、静かに微笑まれた。
わたくしは、また顔が赤くなる。
その後の話として申し上げると、お世継ぎ催促は翌月からぴたりとやんだ。
侍女たちは何かを察した顔をしていたが、詳しいことは、あまり聞かないでほしい。
わたくしはいまも早寝早起きの健やかな妃である。
ただし、以前のように七分で眠ることはなくなった。
理由は、やっぱり聞かないでほしい。
最後までお読みいただきありがとうございました。
よく寝る子は育つと言いますが、育ちすぎると王太子を一年間困らせるようです。
レクサス様、本当にお疲れ様でしたと思ったら、ブックマーク、★★★★★、リアクション
よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ




