第40話:もう一人の渡界者!?
それはどう見ても地球の物品だった。
恐らく青鋼の鍛造のペティナイフ
刃渡りは15センチほどで、細身ながらも重量感がある。刃の表面には研ぎ跡がかすかに残り、繊細に手入れされた形跡があった。柄の部分は木製で、長年の使用により滑らかに磨かれ、手のひらに馴染むような感触を与えている。刃の根本には指の跡のような微かな変色があり、持ち主が長く愛用していたことを物語っていた。
——和包丁の形ではないな
言ってみれば小型の牛刀だが、牛刀とはすなわち西洋包丁のことだ。
刻印からみても、造りから見ても日本の鍛造品であることは間違いない。
カウンター越しのファルズが口を開いた。
「お前さん方と同じ、黒髪で黒目の女が、このナイフを売りに来たんだよ」
その言葉に、俺と美咲は無言で顔を見合わせる。まさか、とは思うが——
「……どんな女でしたか?」
俺の問いに、ファルズは懐かしそうに目を細めながら語り始めた。
◆
(※回想:ファルズの一人称視点)
その日、ワシの店の扉が”ぎぃ”と重たげに開いた。
年季の入った木製の扉がわずかに軋みながら開くと、冷えた外気がゆっくりと店内に流れ込む。店の奥では焚いていたランプの光が揺らぎ、カウンターの木目を柔らかく照らしていた。
外気の冷たさに目を向けると、そこには黒髪黒目の若い女が立っていた
随分と小綺麗な服を着ているが、その顔には不安の色が濃く滲んでいて、どこか頼りなく、場違いなほど怯えた眼差しをしていた。
「す……すみません」
声は小さく、戸惑いが滲んでいる。ワシは手を止め、女の様子をじっと見つめた。
「どうした嬢ちゃん、何か探し物か?」
ワシの問いかけに、女は懐から一本のナイフを取り出しすと、恐る恐るそれをワシの前に差し出した。
「これ……買い取ってもらえませんか?」
ナイフを受け取ると、手の中にずしりとした重みが伝わってきた
刃を傾けると、鋼の表面に浮かぶ美しい波紋が光を受けて鈍く輝く
その造りの精巧さに、ワシは思わず目を細めた。
——こりゃあ、並の職人が作ったものじゃねえな……
「ほう……なかなかの逸品だな。あんた、どこでこんなモン手に入れたんだ?」
「えっと……その……」
言葉を濁す女の仕草に、ワシはふと警戒心を抱く——こいつ、まさかどこかで盗んできたんじゃ……? しかし、目の前の女はどう見てもそんなことをするようには見えない。
「大事なもんなんじゃねぇのかい?」
ワシの問いに、女は肩を震わせながらも、小さく頷く。
「は、はい。でも……私、お金とか全然持ってなくて」
声が震えていた
見れば、唇がわずかに噛みしめられている
心細さと不安に押し潰されそうになってるのが、ワシにも分かった。
「金を持っていない? 盗まれたんか?」
「ち、ちがくて。その……私、全然違うとこにいて、気づいたらこの街にいて、何がなんだか分からなくて……」
ワシは女の顔をじっと見た
嘘をついているようには見えねぇ。こりゃ本当に困ってるんだな、と直感した。
「落ち着きなって。悪いようにはしねぇさ。あんた、どこから来たんだい?」
「えっと。日本の千葉県の……いえ、言ってもきっと分からないです。街で声をかけてくれた親切なおばさんは”多分、渡界者だろう”って言ってて」
「ああ……なるほどな。あんた”渡界者”だったんか。それは不憫なことだな」
”渡界者”って存在は、昔から聞いている話だが、結局のところ、違う場所に連れてこられてしまった不憫な奴らだと、ワシは思っていた。
「”渡界者”は帰れないんだって聞くな……」
「おばさんも、そう言ってました……」
女の肩が小さく震える。堪えきれず、涙がぽろりとこぼれ落ちた。
「すまんな。無神経なことを言った。このナイフは鑑定するからよ。ちょっとここに座って待っててくれ。茶ぐらいは出させてもらうかんな」
ワシは椅子を用意し、上等な茶を淹れてやった
女は小さく礼を言い、ゆっくりと茶を口にする。その表情が少しだけ落ち着いたのが分かった。
「嬢ちゃん。これからどうすんだい?」
「帰り方もわからないし……。でも言葉は通じるから、なんとかやってくしか無いかなって」
「ほぉ~。あんた、強い人だね」
そう褒めると、女は小さく笑って首を振った。
「そんなこと……無いです。でも、死にたくはないから」
「領主様に保護してもらうってのもあるが……やめといたほうが良いかもな」
「そうなんですか?」
「そうさなぁ。悪いようにされないかもしれんが、どうなるか読めないってのが正直なところだ。嬢ちゃん、何かできることはあんのかい?」
「できること?」
「”渡界者”は、特別な力を持っていると伝えられているな」
「そんなこと……何もできないです。お菓子作りは得意ですけど……」
「 ワシは腕を組みながら、じっくりと考える。
「料理ができるんなら、それは立派な生きる術だな。お菓子作りが得意って言ってたが、普通の料理もできるんか?」
「はい。多分……人並み以上には」
「ほぉ。それなら話は早ぇ。商売人の端くれとして言わせてもらうが、料理の腕があれば食いっぱぐれることはねぇよ。うちの知り合いの飯屋でも働き手を探してたしな」
そう言うと、彼女の目が少しだけ希望を見つけたように揺れる
ワシは笑いながら、革袋に銀貨と銅貨を詰め込み、女に手渡した。
「金貨5枚分で買い取らせてもらいたい。普通の宿なら食事付きで200日は暮らせる額さ。商人がよく使う大銀貨ならばもっと使いやすいかもしれんが、持ち慣れていないと感覚が掴めんだろうしな。どうだ?」
女は驚いた顔をして、ワシと袋を交互に見つめる。
「そ、そんなに……?」
「まあな。金貨ってのは、庶民には滅多に手にできん大金だ。しばらく生活するには十分だろうが、くれぐれも無駄遣いはするなよ?」
「あ……ありがとうございます! あの、私、春日井……じゃなくて、チナツ・カスガイといいます」
彼女は深々と頭を下げる。その顔には、少しだけ安堵の色が浮かんでいた。
「ワシはファルズだ。大変だと思うが、頑張んなよ」
そう言いながら、ワシは彼女の表情をじっと見つめる。強がろうとしているが、不安が完全に拭えたわけではないことは分かる。それでも、何かを掴もうとしている目だ。
「無理はすんなよ。困ったら、またここに来な」
「はいっ!」
チナツはやっと、本心で笑ってくれた気がした。
◆
(※回想終了:直哉の一人称視点に戻る)
ファルズの語る話が終わり、静寂が流れた。
「そんなことが……」
俺は思わず息を吐きながら、ファルズの話を反芻する。
「チナツさんは、今もこの街に?」
隣で美咲が、心配そうに尋ねる。
「いや。最初の一年くらいはワシの紹介した飯屋で働いていたんだがな。ある日、視察に来ていた貴族に料理の腕を買われて、王都に行っちまったよ」
美咲は胸元で手を握りしめ、小さな声で尋ねた。
「王都……無事なんですよね?」
その瞳には、不安とわずかな希望が入り混じっている。その問いに、ファルズは腕を組み、渋い顔をした。
「さぁな。だが、その貴族は悪い噂は聞かねぇ男だって話だ。だから大丈夫だと思いたいが……」
どこか悔しそうな、そして心配そうなファルズの表情に、美咲がそっと口を開いた。
「あの……ファルズさん。同郷の人に良くしてくれて、ありがとうございます!」
美咲は深く頭を下げた
ファルズは少し驚いたようだったが、すぐに笑い、手を振った。
「いんや。嬢ちゃんが礼を言うことでもねぇさ。それにチナツには随分と感謝されたもんだから、もう十分だよ」
懐かしそうに目を細めるファルズ。
「ま、昔話はここまでにしとくか。ぼちぼち鑑定させてもらうかね」
ファルズはそう言うと、一旦奥に引っ込み、しばらくして茶の入った木製のマグカップを三つカウンターに置いた。
「ほれ、これでも飲んで、ちょっと待っててくんな」
そう言いながら、ファルズはカウンターの奥から粗削りの木製スプーンを取り出し、茶の中をゆっくりとかき混ぜた。香りを楽しむように鼻を近づけ、一口すすってから満足げに頷く。
「いい塩梅だな。ちょっと葉を多めにしといたから、風味もしっかりしてるはずだ」
湯気の立つ液体を見つめながら、俺はそっとマグカップを手に取る
口に含むと、柿の葉茶に似たほんのりとした甘みが広がり、口内に穏やかな温もりが満ちていた
最初はほのかな草木の香りが漂い、その後、わずかに酸味を感じる滑らかな余韻が残る。渋みは控えめながら、微かな苦味が後味を引き締めてくれる。喉を通るときの感触は柔らかく、体の奥にじんわりと染み込んでいくような感覚があった。
「このお茶、意外と飲みやすいですね」
美咲がカップを手のひらで包み込むように持ちながら、感心したように言う。
「渋みが強いのかと思ったけど、甘みがあってほっとする感じ……」
「そうだな。ちょっと発酵した柿の葉茶っぽい風味があるな」
俺ももう一口含み、口の中に広がる柔らかな味を確かめる。
「日本の緑茶とはまた違った味わいですね。クセがないから、食後とかにも合いそうです」
「確かにな。胃に優しそうな感じだしな」
ふと気づくと、美咲はじっと俺を見ていた。
「先輩、こういうの好きそうですよね?」
「まぁ、落ち着く味だからな」
そう言いながらもう一口飲むと、体の芯から温まる感覚が広がった。
「美味そうに飲んでくれるとワシも嬉しくなるな」
ファルズが戻ってくる。
「このナイフも金貨五枚で買わせてもらいたいが?」
「チナツさんの時のように、色をつけてくれたのですか?」
俺がからかうように笑うと、ファルズは鼻を鳴らした。
「ねぇよ。あんたらは大丈夫そうだしな。それに、このナイフはチナツのものより使い勝手がいいし、造りもいい。妥当な値段だ」
「さすがナオヤさんのナイフですね! 金貨五枚なんて、相当な業物だ」
レオンが驚いたように言う
俺も、提示された金額に内心では少し驚いていた。
金貨五枚——日本円で五十万円ってところか。
実際、この剣鉈は八万円くらいで買ったものだし、地球の物品という付加価値を考えても、十分な値段をつけてくれたと思う。
——当面の金はこれで十分か。足りなくなったら、また来ればいい。
「それでお願いします」
「商談成立だな! 革袋はサービスしてやる」
ファルズは何も言わなくても、銀貨と銅貨を混ぜた金貨五枚分の硬貨を革袋に入れて渡してくれた。
「ありがとうございます!」
「まぁなんだ。あんたらも大変だとは思うが、頑張んなよ?」
そう言うファルズに、レオンが口を挟む。
「いや、ファルズさん。ナオヤさんは、元の世界に帰れるみたいなんですよ。この前も突然消えちまって……」
「何!? そうなのか?」
ファルズは思わず前のめりになり、カウンターに手をついた。目を大きく見開き、驚きと疑問が入り混じった表情を浮かべている
俺は苦笑いを浮かべながら頷いた。
「俺はコチラに来るのは三回目ですね。北沢……ミサキは俺が巻き込む形で初めてコッチに来てしまった感じではあるんですが……」
その言葉に、美咲が何故かニマニマと笑っている。
「帰る方法は——確定ではないにせよ、予想はついてます。ただ、それがチナツさんにも適用されるかは、やってみないとなんとも……」
「そ……うか。そうだよな」
ファルズは静かに息を吐き、少し目を伏せた。
「何にせよ、チナツのことを覚えていてくれるとありがたい。王都に行く機会があったら会いに行ってやってくれ」
「ええ。それは必ず。機会は必ず作ろうと思います」
「……ああ。ありがとうな」
ファルズにとって、チナツは娘か孫のように思えるのかもしれない。少し潤んだ目をしているファルズと固い握手をして、俺たちは店を出た。
「それじゃあ、次は服屋に行きたいところだが……」
そう言って、美咲を見ると、まだニマニマしている。
「何を嬉しそうにしてるんだ北沢?」
「え? 嬉しそうにしてましたか?」
美咲は頬を紅潮させながら、少し照れくさそうに微笑む。
「だって……さっき先輩”ミサキ”って呼んでくれたから……」
この世界ではファーストネームで呼ぶのが一般的なので、それに倣っただけなのだが……。そう嬉しがられると照れてしまうな。
「この世界じゃファーストネームで呼ぶのが普通なんだよ!」
「じゃぁ、これからも”ミサキ”って呼んでくれるんですよね?」
「そう……なるのか?」
「待ってください! そうなると、私も”ナオヤさん”って呼ばないとだめってことですよね? えっ、でも急にそんな風に呼んだら恥ずかしくて変な感じになりそうで……いや、でもこれはこの世界のマナー的なものですし……どうしよう、心の準備が……!」
美咲は顔を真っ赤にして、手をぱたぱたと振りながら困惑している。その様子に俺は思わず吹き出しそうになった
全く、気楽なやつだ
だが、異世界に来て混乱したり、悲しんだりされるより、俺としてはとてもありがたいのは事実だ。
美咲に感謝しつつ、俺たちは、レオンの案内で古着屋へと向かった。




