第38話:城塞都市フィロリア
「冒険者! 冒険者ですよ! 先輩!」
美咲の弾んだ声が、乾いた空気の中に響き渡る
小さな広場の片隅、馬車の近くで彼女はまるで子供のようにはしゃいでいた。
「なんでそんなテンションが上がってるんだ?」
俺は肩をすくめながら、美咲の様子を眺める。
「だって、冒険者ですよ! 異世界の定番じゃないですか!」
その言葉に、俺は少し考え込む
確かに、異世界モノでは冒険者という職業は定番中の定番だ
剣と魔法の世界で、未知のダンジョンやモンスターに挑む者たち。だが——。
「三十路を超えたサラリーマンが異世界に転移するなら、商人ギルドも定番じゃないか?」
「た、確かに!」
美咲は一瞬驚いたように目を見開いた後、勢いよく頷き、手をポンと叩いた。
「でも! それでもやっぱり冒険者って夢がありますよね!」
「危険なことはしたくないし、北沢にもさせたくないんだがな……」
この世界に来てから、赤鉤団との戦い、黒狼との死闘、決闘……思い返せば、命のやり取りばかりだった
ゲームの中で見る分には面白いが、実際にやるとなると話は別だ
冒険者になれば、確実にそういった命の危険がつきまとう
そんなものに自分から飛び込むつもりはない
ましてや、美咲にそんなことをさせるわけにはいかない。
「俺的には、やはり商業ギルドが——」
「別に、両方に登録しちゃいけないって決まりはないですよ。その分登録料はかさみますがね」
割り込むようにレオンが言った。
「両方に? できるのか?」
「ええ。登録自体は犯罪歴がなければ誰でもできます。ただし、登録料がそれなりにかかりますがね」
レオンの説明によると、登録料は冒険者ギルドも商業ギルドも金貨一枚なのだそうだ
そして、一年ごとに更新が必要で、その更新料が銀貨五枚とのこと。
「先輩? 金貨一枚って、日本円だとどのくらいなんですか?」
「およそ十万円ってところだな」
「じゃあ両方登録するなら二十万円必要ってことですか? 高いですね……」
美咲が思わず顔をしかめる
確かに、この世界の経済感覚だと、金貨一枚はかなりの大金だ
エルバーディア王国の貨幣価値は、以前セシリアに詳しく聞いて把握していた。
ざっくり言うと——白金貨が千万円、大金貨が百万円、金貨が十万円。大銀貨が一万円で、銀貨が千円。銅貨が百円で、最下級の賤貨が十円といったところだ。
こうして改めて考えると、金貨一枚でも一般庶民には大金だ
冒険者ギルドも商業ギルドも、最初の登録料だけで十万円はかかるわけで、更新料の銀貨五枚(五千円)はまだしも、初期費用が十万円というのはなかなかの負担になる
ある程度の経済力がないと、犯罪に走る可能性もあるからな。ギルドもそういった意味で登録にハードルを設けているのかも知れない。
問題は——俺たちには金がないということだ
「今回は諦めるしかないか……」
「あの……先輩? 例えば、私と先輩の持ち物を売却してお金に変えることって……できませんか?」
「なるほど……いけるかもな」
魔法の収納袋には色々な物を入れてあるし、登山用のザックの中にも多少の物品はある。異世界では見たことがないような現実世界のアイテムなら、それなりの価値がつく可能性もあるな
特に、俺の持っている登山用品やナイフ類は、高品質なものが多い
現代日本の技術で作られたものなら、この世界では手に入らないし、素材や加工技術だけでも価値を持つはずだ
異世界の鍛冶技術がどれほどのものかは分からないが、少なくとも「異国の珍品」として高値で買い取られる可能性はある。
「となれば……レオンさん。街に入るのを手伝ってもらってもよいですか?」
「構いませんが、今からギルドの登録とかするとなると、結構時間がかかりそうなので、街で一泊になりますけど……問題無いですか?」
レオンは俺の意図を察し、提案してくれた。
「まずは手持ちの物品を売って、それを金に変えたいです。上手く金が稼げれば、ギルドに登録して一泊。思ったような金額にならないなら、村に同行させてください」
「構いませんよ。どうせ私も親戚の家に用があって、こっちでもう一泊の予定でしたしね」
レオンはこの街の出身で、昨晩も親戚の家に泊まっていたらしい。
「それなら、俺たちもそちらに泊めてもらえますか?」
「それも問題ないですよ。でも、せっかく街に泊まるなら宿屋も悪くないですよ?」
「それは確かに……」
せっかく街に入るなら、宿屋の雰囲気も味わってみたい。美咲も同じことを考えていたようで、期待に満ちた表情で俺を見ていた。
「それじゃあ、街の中に入ってみますか」
レオンは胸を張りながら続ける。
「衛兵には俺が話しますんで、任せてください」
◆
通用口へと続く列には、様々な姿形の人々がいた
例えば、背が低く、がっしりとした体型の、髭も毛髪も長いオッサンとか。
「あれはドワーフですね。俺の鍛冶の師匠もドワーフ族ですよ」
レオンが教えてくれる。
「そういえばナオヤさんの世界には人族しかいないんでしたっけ?」
「ああ、少なくとも俺の知る限りは、人族しかいないな」
他にも、狼の耳と尾を持つ獣人や、猫のようにしなやかな動きをする者たちがいた。
「獣人の狼族や猫族ですね。エルバーディア王国は人族至上主義なので、亜人族は少ないですが、この辺境ではまだ差別が少なくてマシな方なのですよ」
「マシな方、か」
「王都ほどではありませんが、多少なりの差別はありますね。ただ、国境の街は交易が盛んで、色々な種族が集まりやすいんです。カドアビ村なんかじゃ、差別なんてまず無いんですがねぇ」
なるほど。この街は国境の要塞都市でありながら、商業都市としての側面もある。異世界の多様性を垣間見た気がした。
◆
列がゆっくりと進み、ついに俺たちの順番が回ってきた。
「次! 身分証を出せ」
城門前の詰め所に立つ衛兵が、鋭い声で命じる。鋼鉄の胸甲をまとった彼の姿は堂々としており、長年の経験を積んだ軍人の風格があった。
「どうも。グレッグさん」
レオンが軽く手を上げて挨拶する。
「レオン……お前、今朝も来たばかりだろう?」
グレッグは目を細め、胡散臭そうに俺たちへ視線を向ける。
「そうなんですけどね。実はこいつら、ちょっとした事情がありまして。身分証を……まぁ、なくしてしまったようなんですよ」
レオンは苦笑しながら言った
……まあ、嘘も方便だ。いちいち”異世界から来ました”なんて言えるわけがない
グレッグの視線が俺と美咲に移る
鋭い目つきでじろりと見据えられ、無言の圧力を感じた
俺は反射的に背筋を正す。美咲も同じように頭を下げるが、彼女の手のひらがわずかに握られているのが見えた。緊張してるのか? そりゃそうだよなぁ。
「レオンの連れ……ねぇ?」
グレッグが腕を組み、レオンを睨む。
「カドアビ村に滞在している人たちでね。訳ありなんですけど、悪い奴らじゃないですよ?」
「ふぅむ……良い悪いに関係なく、レオンの保証で街に入る……で良いんだな?」
「はい。構いません」
「滞在は三日まで。何か問題を起こした場合は、レオン、お前に責任が降りかかるが、それでいいのか?」
「承知してます」
レオンが穏やかに頷く
グレッグはしばし考え込むように顎をさすった後、俺たちに目を向けた。
「……良いだろう。それではそこの二人、こっちへ来い」
俺と美咲は視線を交わし、無言で従った。
◆
俺たちは詰め所の中へと案内されていた。
詰め所の内部は意外と質素だった
石造りの壁に囲まれ、湿気を含んだ空気が鼻をつく
中央には頑丈な木製の机と椅子。棚には巻物や帳簿が並べられ、奥では別の衛兵が兵装の手入れをしている
軍隊というより、管理局のような雰囲気だ。
「そこに座れ」
グレッグの指示で、俺と美咲は並んで椅子に腰を下ろした。
「文字は書けるか?」
「多分。大丈夫だと思います」
「多分?」
グレッグが眉をひそめる。
そういえば、この世界の文字について、深く考えたことはなかった
カドアビ村で赤鉤団への矢文を書いたとき、なぜかスラスラとこちらの文字を書くことができたし、恐らく美咲も同じはずだ。
「まあよい。ここに名前を書いてもらう」
グレッグが紙と羽ペンを差し出してくる
俺は羽ペンを受け取り、紙の上に”ナオヤ・フジクラ”と書いてみる。やはり問題なくこちらの文字として書けている。おそらく、名前として書かれたこの文字は、表音文字なのだろうな
美咲に羽ペンを渡すと、彼女は一瞬ためらったが、恐る恐る”ミサキ・キタザワ”と記した。
「……あれ、普通に書けた?」
美咲が自分の書いた文字を見て驚いたように呟く。
「ナオヤ・フジクラとミサキ・キタザワか。なるほど、異国の人間か。大方、北方からの難民といったところか」
グレッグが紙を確認しながら呟いた
俺は曖昧に頷く
“渡界者”であることは伏せておいたほうがいい。貴族や軍の上層部に目をつけられるのは、絶対に避けたい。
「次に、手をここに置け」
グレッグが示したのは、木製の台座の上に置かれた金属製の鉄板だった。
——なるほど、これが例の”犯罪歴チェック”か。
レオンから聞いていたが、この鉄板に触れることで”神が過去の罪を暴く”という仕組みらしい
科学的な理屈は一切ない
ただ、誰もがそれを疑わないほど、信憑性のある魔法なのだという。
まさにファンタジーそのものだ——いや、ここは実際ファンタジー世界だったな。
軽微な詐欺行為や万引き程度では引っかからないらしいが、その判定基準は正確には分かっていないらしい。
「神が悪逆無道な者を見抜く、という話らしいな」
俺は内心でぼやきつつ、鉄板の上に手を置いた——何も起こらない
「ふたりとも問題ないな」
グレッグが頷く
まあ当然だな。俺も美咲も、悪逆な犯罪なんて犯したことはない。
「それでは、街に入ることを認めよう。レオンに迷惑をかけぬよう、くれぐれも問題を起こさぬようにな」
「もちろんです」
「もし問題を起こしたら……レオンがどう言おうと、私はお前たちを許さないからな」
グレッグは低い声で言い、鋭い目で俺を睨みつける。
「承知しました」
グレッグは最後に念を押し、俺たちの通行許可を出した
ふと、グレッグの表情を見ると、レオンに対する親愛がうかがえる。きっと、レオンはこの街でそれなりに認められている人物なのだろう。
「では、行きましょうか」
レオンが微笑みながら俺たちを促し、城門の通用口へと向かった。
通用口を抜けた瞬間、空気が一変した。
賑やかな人の声、混ざり合う異世界の匂い、行き交う荷馬車の軋む音——目の前には活気に満ちた市場が広がっている
広場には色とりどりの露店が並び、商人が声を張り上げながら商品を売り込んでいた
城塞都市フェイロリアの商業地区——この街が交易の要所であることを、一歩踏み入れただけで実感できた。
「すごい……!」
美咲が思わず感嘆の声を漏らす。
「さて、レオンさん。早速悪いんですけれど、道具やらを買い取ってくれる店ってありますか?」
「買い取りですか……知り合いの道具屋に行ってみましょう。ぼったくられる心配はないので、安心していいですよ」
レオンが笑い、俺たちは彼の案内で道具屋へと向かった。




