第37話:帰還の条件と城塞都市への到着
俺たちは不安を抱えながら、ゆっくりと街道を歩いていた。
異世界はある程度慣れている俺とはいえ、今回の転移にはこれまでと違う要素が多すぎた。
美咲が一緒に来てしまったこと、どこに転移したか分からなかったこと。そしてなにより——恐らく今回の帰還条件は、これまでよりも厄介で達成が難しそうなこと……。
そんなことを考えながら歩いていると、隣を歩く美咲が突然足を止め、こちらを振り向いた。
「なるほど~!」
突如として輝くような笑顔を見せた美咲に、俺は一瞬戸惑った。
「……どうした? 急に」
俺が訝しむと、美咲は嬉しそうに頷きながら言った。
「つまりですよ? 今回の転移って“好きな人がいる”っていう話が原因になってるんですよね? しかも、その相手はブロンドの女性ってことになっています!」
美咲の言葉を聞いて、俺は思わずため息をついた。
「北沢、お前……暗い顔してそんなこと考えていたのか?」
まあ俺も、それを考えていたわけだが……。
「私にとっては大問題なんです!」
美咲はぷくっと頬を膨らませながら、真剣な顔つきで詰め寄ってくる。
「本当は好きな人……いないんですよね?」
「まあ、そうなるな。それがきっかけで、コチラに転移してきたわけだから”好きな人がいる”って話は”嘘”ってことになるな」
俺がそう認めると、美咲は満足そうに頷いた。
しかし、その顔が次の瞬間、みるみる青ざめていく。
「……あわわわわ」
美咲はまるで計算ミスに気づいた数学者のように、小刻みに震えながら俺の顔を見つめてくる。
「どうした?」
「ということは……です。現実世界に戻るためには、先輩が“ブロンドの女性を好きになる”必要があるってことじゃ……?」
そう言われて、俺も少し考え込む。
「うん? なるほど……確かに。そうかもしれないな」
確かに美咲の言う通りかもしれない。
俺が帰還するためには“ブロンドの女性を好きになる”必要がある。
だが、一体どうやってそれを達成するのか? そもそも、何を基準に“好き”と判断されるんだ? その辺が全くもって、不明瞭なんだよな。
「……あの!」
美咲が突然真剣な顔になって俺を見つめる。
「私、金髪にしようと思うんですけど!」
「は?」
「この世界に脱色剤ってありますかね? もしなかったら、魔法とかでどうにかならないですか?」
「……そんなこた知らんよ」
美咲は本気で考え込んでいるらしく、腕を組みながら”魔法ならいけそう”とか”でも薬草系もありそう”とか、ぶつぶつと呟いている。
嘘をついたときに俺が思い浮かべていたのはセシリアの顔だった。しかし、これまでの転移ルールを考えれば、ある程度のこじつけが許されるのも事実だ。
金髪になった美咲を好きになったとしても、条件はクリアできる可能性は高い。
問題は——俺が女性として美咲を好きになるかどうか、だな
そこが一番のネックだ。
そもそも、何をもって“好き”と判定されるのかも分からない。
誰かに告白すればいいのか? それとも、神様なりが俺の心を読んで”こいつは恋に落ちた”と判断するのか?
「神様なら、判定できるのかね?」
俺は曖昧な空を見上げながら、小さく呟いた。
◆
街道を進むにつれ、遠目にぼんやりとしか見えていなかった城壁が、徐々にその輪郭をはっきりとさせていった。
「すごい……こんなに大きいなんて……」
美咲が感嘆の声を漏らす。
目算では、城壁まではまだ4〜5キロはある。
それだけ距離があるにもかかわらず、城壁が視界いっぱいに広がってきている。
街全体を囲むその巨大な壁は、俺たちがこれから向かう場所の規模を雄弁に物語っていた。
「……これ、横幅どれくらいあるんだ?」
俺がぽつりと呟く。
城壁の端はまだ視界の外だが、ざっと見積もっても3キロはありそうだ。
「まるで国境の防衛拠点みたいですね」
美咲が、じっと城壁を見つめながら言う。
「確かにな。ここまで大げさな城壁を設けるってことは、単なる商業都市じゃなく、軍事的な意味合いも強いんだろうな」
考えてみれば美咲の言うことも納得だ。
この都市はただの都市ではなく、王国の東端を守る要塞都市でもある可能性が高い。ここがエルバーディア王国ならば、という仮定ではあるが……。
さらに近づくと、城壁の細部が見えてきた。
高さはざっと20メートル。
城壁が円状に都市を取り囲み、その途方もない規模がようやくはっきりしてくる。
「城壁って、ああやって組み上げられてるんですね……」
美咲が壁の造りに目を凝らしていた。
分厚い石造りの壁はただの防御施設ではなく、計算され尽くした要塞のようだった。継ぎ目のない巨大な石が巧妙に積み上げられ、無骨な強さを感じさせる。
都市の内部をのぞくことはできないが、街道の突き当たりにある大きな城門が、そこに人の営みがあることを示していた。
その門前には商人や旅人、そして明らかに冒険者風の連中が列をなしていた。
さて、問題は——俺たちがこの街に入れるかどうかだ。
「どうしたものかな?」
「身分証みたいなものは持ってないんですよね?」
「ああ。ないな」
二人で顔を見合わせる。
異世界で街の中に入るには、身分証のようなものが必要になることが定番だ。
嘘をついて適当な身分をでっち上げることもできなくはないが、それでボロを出したら余計に面倒なことにりそうな気がする。
「嘘をつくより、正直に”身分証はないが街に入りたい”って言った方が良さそうじゃないか?」
美咲も頷く。
「ダメでもともとですしね。ダメなら……奈落の森の方へ戻ればいいだけですし」
「そういうことだな」
幸い、天気も穏やかだし、最低限の食料はザックの中にある。
リスクを取るより、素直に交渉するのが賢明だろう。
城門前まで来ると、その巨大さに圧倒される。
門は10メートル近くはあるだろうか? ただ、巨大な城門は閉じられており、城門脇にいくつかの通用口が設けられているようで、並ぶ人々の流れは、城門脇の一つの通用口へと続いているようだった。
俺たちもその列に並ぼうとした——その時だった。
「あれ? ナオヤさん? いつ戻ってきたんですか? しかもこんなところで何を??」
唐突に、聞き覚えのある声が背後から響いた。
「鍛冶師のおっさん!? たしかレオン・ストラウスさんでしたよね?」
カドアビ村の鍛冶師、レオンが驚いたような顔で、こちらを見ていた。
レオンは旅の軽装ながらも、どこか鍛冶師らしい逞しさを残していた。分厚い手袋を腰に下げ、道中の埃を被ったシンプルなチュニックに丈夫なズボンを履いている。短めの黒髪にやや無精ひげを生やした顔つきは変わらず、陽気な雰囲気の奥に職人の落ち着きを感じさせた。
確か40代半ばの年齢だった気がする。
「ナオヤさんってば、決闘中に突然急に消えちまいましたからね……。つっても2回目だったし、いずれ戻ってくると思ってましたけど、今回はかなり早かったですねぇ?」
「……俺が消えたのって、どれくらい前だ?」
「昨日の昼っすね」
「昨日の……」
つまり、太陽の高さから見て、今は決闘の次の日の昼前ってところか。
俺が前回転移したとき、現実で過ごした時間の三分の一の時間がこちらの世界で経過していた。今回、現実世界で過ごしたのは2日ちょっとだけ。つまり、16時間程度しか経過していないことになる——計算は合うな。
「今回コッチに来た時の場所が、この近くだったんだですよ。この城壁の街って、村から近いのですか?」
「近いっちゃ近いですね。俺の足で10時間くらいでつきますかね~。俺は健脚なんで」
10時間の距離——時速3〜4キロで歩くとすれば、およそ30〜40キロの道のりになるな。思ったよりも近い。
ふむ。運が良い事に、村の近くに転移していたってわけだ。
「ちなみに、俺と……今回はこの、ああ、この子も”渡界者”なんですが——二人でこの街に入ることってできますかね?」
「普通に入ろうとしたら面倒ですけどね。オレは元々この街の出身でして。割と最近に村に移住した人間なんで、まだ顔が利きます。オレが保証人になれば入れると思いますけど……入りたいんで?」
入れるなら是非とも入りたいところだ。
なにせこんな格好だ。今のうちにコチラの服を手に入れたいし、今後もいつ帰還と転移を繰り返すか分からないのだから、余分に服はキープしておきたい。
さらに言えば、どこに転移するかもわからないのだから、身分証なりを手に入れられたらベストなのだが……。
「ちなみに、この国の街に出入りしやすくなるような、身分証のようなものを、この町で発行してもらうことは可能ですかね?」
「ふーむ。この町に住むなら、領民の証書が出ますが……」
「別にここに住む必要はないというか、住みたいとは思ってはいませんね」
「なら、自由民のほうが良さそうですね」
「自由民?」
「セシリアさんみたいな冒険者とか、行商人とかっすね。移動を前提とする奴らのことです。こういった人たちの身分は、領主じゃなくて冒険者ギルドとか、商人ギルドが保証してくれるんですよ」
「冒険者っ!」
美咲が、どこか嬉しそうな声を上げた——。




