21.二重の真相(最終話)
ついに日高孝男も死んだ。浜崎涼香、鬼塚庄之助、谷本正則と、次々と翼の元を人が去っていったが、翼は事件の全真相を、最初の依頼人である浜崎涼香に告げに行く。殺人事件の真相の奥には、もうひとつ別の真相があった。それは許されることだったのだろうか? 上条翼、孤独の果ての最終話。
その撮影スタジオは、無人運転のモノレールの通る人工島、そこに建つビルの5階にあった。
白い幕の前で、毛皮の襟のついたロングコートを肩にまといながらポーズをとる浜崎涼香の顔を、フラッシュが3、4度、見えなくした。
インディアンのようなバンダナを頭に巻いた男が、三脚にすえられたカメラのファインダーから目を離した。
「よくありませんねえ」
日に焼けたカメラマンは、かたわらで腕をこまねいている淡い琥珀色のサングラスをかけた女性を振り向いた。
「どうです。編集長」
編集長は組んでいた右手の指先をあごの側にあて、「そうね」と同意した。
「おかしいですか?」
涼香は、愛想笑いを浮かべたが、ぎこちないのは誰の目にも明らかだった。
「うん、おかしい。笑える状態じゃないのがよく分かりますよ」
インディアンのカメラマンは、明るい声で容赦なく言った。
カメラマンは、編集長に身を寄せてなにやら耳打ちをした。サングラスをかけた意志の強そうな編集長は、目をモデルに向けたまま、カメラマンの言葉に耳を傾けていたが、やがて何やら短い言葉を口にしてうなずいた。
「休憩します!」
カメラマンがもの慣れた大声をスタジオ内に響かせた。無言のざわめきとともに若い助手たちの緊張がいっせいに解けた。
編集長は、腕組みをしたまま、狼狽するモデルに歩み寄った。
「ここ一週間ほど、様子が変ね。何か悩み事があるんじゃないの。浜崎さん」
「いえ、別に」
「うそ」うりざね顔の編集長は冷たいのか優しいのか分からぬ声の調子で言った。「とにかく今日はもうよしましょう」
「大丈夫。何でもありません。続けさせてください」
涼香は前に乗り出した。
「やめときなさいよ」
全員が、その新しい声のほうへ向いた。
「仕事なら、私の話を聞いてからにしたほうが、うまくいくと思うわよ」
笑みを浮かべた上条翼が、開いた扉を背に、ポケットに手をつっこんで立っていた。
「仕事、終わったんだったら、つきあわない?」
涼香は、なおもしばらく、ミシンとこうもり傘が手術台の上で出会ったような顔をしていたが、顔を輝かせると、引き寄せられるように黒服の女に走りよっていた。
「よく、ここが分かったわね」
「私、探偵よ」
「忘れてた」涼香は舌を出した。
「どんなことやってるのか、見ものだと思って来てみた」
涼香は、探偵の肩を叩いて笑ったが、自分たちに注がれているおびただしい数の視線に気づくと、急に疲れた顔でそっちへ向き直り、
「すみません。やっぱり不調なので、今日はこれで失礼します」
と頭を下げた。翼は背後でふき出した。
「編集長」
インディアンのカメラマンは、モデルが連れ去られた扉を見やっている編集長にうれしそうな顔を向けた。編集長も目を輝かせながら、うなずいた。
「あの子ね。浜崎さんが言ってた子。イメージにぴったりだわ。正式に紹介してもらわなくちゃ」
着替えを終えた涼香は、エレベータ・ホールで翼と合流した。ふたりはエレベータに乗るまで、「お待たせ」以外の言葉は、何も口にしなかった。
「もう、破談になったの知ってるでしょ」
インジケータの光が1階を目指すのを見上げながら、ようやく涼香が口を開いた。
「残念がることないわよ。日高建設ももう長くないっていう話だから」
「どういうことよ」
涼香は驚いた顔を翼に向けた。翼もやはりインジケータを見上げていた。
電子音が1階への到着を告げた。
「とりあえず、あなたにとっては、うまくいったってことじゃない?」
「だから、どういうことって」
「外で話そ」
ふたりは、自動ドアを抜けて足早に外に出ていた。
飛行機の遠い爆音が似合う高い青空が、彼女らをむかえた。
白い雲がいくつも遊弋していた。ビルを出た正面に、クスノキとツツジの植え込みに囲まれた広い駐車場があり、その駐車場の向こうは、海に面した広場になっていた。ふたりは何も言わずそこまで歩いて行った。
海辺の広場には、遠くでスケートボードの練習をしている少年がひとりいるだけだった。
広場には、瀟洒で新しい木製のベンチがいくつか海に向いて置かれていたが、翼は周囲より少し高くなったコンクリートの堤防の上に立って、海を望んだ。涼香もその横に立った。
海の表面は、午後の太陽の光をあちこちにきらめかせて揺れていた。右手にマンションをたくさん乗せた人工島が突き出ている。左手の水平線の向こうには対岸の山脈が輝く雲と平行に、長くたなびいている。
「見つけたわよ。あなたの探していた人」
海に目を向けたまま、翼が言った。
「どこにいるの」
やはり海に目を向けたまま、涼香が訊いた。体が少し震えていた。
翼はポケットから手を出すと、前方を指さした。
「この中のどこかに」
涼香は、はじかれたように翼をふりかえった。
「どういうこと?」
「鬼塚をボディーガードに売り込んで、一緒に行かせたんだけどね……」
翼は水平線に目を見すえたまま、そこまでに至った経緯を話した。日高社長が息子をかくまっていたこと。そして、成功したら恋人となることを約束して、社長秘書にとりいり、鬼塚をボディーガードに雇ってもらうよう取り計らってもらったこと、そして、日高孝男が密航でタイに渡るその途中、香港に寄港する前夜に、海に落ちたこと……。
「落ちたって……自殺?」
涼香は案外と静かな声で訊いた。
「ええ、罪の意識からのね。やっぱり日高孝男は、復讐者に狙われていてそれで逃げていた」
「もしかして、その復讐者というのは、例の自殺した現場事務員の女の子の……」
翼は首をふった。
「ことのおこりは8年前の長崎の軍艦島。聞いたことあるでしょ。もう無人島になってるんだけど、かつての炭坑の今は廃墟の島、そこで起こったことがこの事件の発端だった」
「どうしてそんな話をあなたが?」
「さっきも言った社長秘書の谷本って人が教えてくれたの」
翼は、日高孝男がそこで、ふたりの仲間とともに、ふたりの女性を誘いこんだこと、そしてそのふたりの仲間というのが、殺された奥井と本屋敷であることを話した。
「復讐者にしてみれば、絶対に晴らしたかった復讐だったんでしょうね。だから奥井を殺したときに何かそれと分かるメッセージを置いていったんだと思う。日高は、奥井猛のマンションで、奥井猛の死体と、それを同時に発見した。そしてそのとき、そのメッセージも持ち帰ってしまった。自分たちの悪事への復讐として殺人事件が起こったことがばれないようにね。ライターはそのとき落とした」
「それで、犯人は捕まったの?」
「捕まってない。多分捕まることもない。警察も捜査を縮小した。担当だった刑事自身がそう言って地団太ふんでたわ。じきに打ち切られるでしょう。日高社長も息子の悪事をばらしたくないので警察に頼れないからもう迷宮入りよ」
ふたりは黙った。長い汽笛を鳴らしながら近くを通るタグボートのつくった大きなV字型の波が、彼女らの足元の岸壁に達し、飛沫をあげた。
「で、どちらの女性が犯人だったの?」涼香が海を見ながら静かに言った。
「どちらも違う。ひとりはアリバイがあったし、もうひとりはすでにこの世の人じゃなかった。それに、そのふたりは、ほとんど日高たちと合意の上で遊んだってことみたいだから」
「じゃあ、いったい誰が? 無人島だったんでしょ?」
「彼ら、5人はどうやって無人島に行ったのかしら?」
「船? その船に、他に誰かいたっていうの?」
「操縦する人がね」
「あたりまえじゃ……」
涼香は頭がからっぽになったような顔で探偵を見た。
「15歳の男の子だった」
涼香の目が驚愕で見開かれた。
翼はポケットから一枚の写真を出し、涼香に手渡した。
「一度、私のところで見たでしょ。それ、長崎県の佐世保港の写真よ」
涼香は呆然とその写真を見つめながら、しばらく身じろぎもしなかった。
「それが彼の一生のトラウマになったのよ。それが大人になって、その復讐を果たさずには自分は男になれないと、女性も愛せないと追い込まれた精神状態になった。そこで、彼はかつて自分に暴行を加えた三人組の男を捜しだすことにした。そして日高と奥井の正体が分かった時点で何らかのはずみか、あるいはチャンスがおとずれたのか分からないけど、彼は奥井をまず殺してしまった。そしてそのときに、それが8年前のうらみであることをアピールするため、そのことを示唆する何かを残したんだけど、それが裏目に出てしまった。なぜならそれで日高が逃亡してしまったから。彼は、自分が犯人だと分かるかもしれないと焦りはじめた。また、彼にはもうひとり見つけ出さねばならない3人目の男もいる。そこで、自分だけではとても手が回らないと思い、かねてから日高に近づこうとして懇意になった日高のフィアンセの女性を介して、ある探偵に日高を捜させるよう仕向け、その探偵の調査力を利用した」
翼はそこで言葉を切った。
涼香はいろいろ心当たりが思い出されるのか、あちこちに動揺の視線をさまよわせていた。
「今どうしてるのよ、彼?」
「知らない」
翼は、ため息をつき、小石でも蹴るように脚を振った。
「とにかく、まんまと使われちゃったってことよ。あいつに」
鋭い声がそれに応えた。
「嘘だわ」
翼は脚をふるのを止めた。
「あなたは使われてたんじゃない。全部わかっててやってたんでしょ」
涼香はじっと翼を見すえていた。翼はその視線の力に圧されたように動かなかった。
「どのへんでどう分かったかは知らないけど、全部分かってて、日高孝男を探してたんでしょ。全部分かってて、警察を利用し、社長秘書を利用し、全部分かってて、彼を日高のボディーガードにしようと、立ち回ってたんでしょ」
潮風が探偵の黒い髪が舞い上がらせ、さびしげな横顔をあらわにした。
「あなたもいやになった? 私のこと」
少し間があって涼香が答えた。
「全然」
翼は少し顔を上げた。涼香は海に目をもどすとこう続けた。
「私も、あなたと同じ立場で、早くにそれを知って、そして、あなたと同じ能力があれば、やっぱり同じようにしたかもしれない」
ふたりは海に向いたまま、しばらく何も言わなかった。やがて涼香が言った。
「200万。明日、振り込ませてもらうわ」
翼は、はじめてはっきりと涼香のほうを振り向いた。
「あなた、約束どおり、私のさがしていたもの見つけてくれたんだからね。本当に見つけたかったものを」
涼香はおだやかに微笑んでいた。
「大丈夫。父の会社も持ち直しの兆し、見えてるの。多少痛みはあるかもしれないけど、乗りこえれるわ」
翼は、相手に向き直ると、ポケットから出した両手を前に添え、深く頭を下げ、絞り出すような声で言った。
「ありがとう」
「よしなさいよ、翼」もう一度、社長令嬢は探偵の肩を叩いた。「もう、ビジネスは終わったんだから」
「ありがとう、涼香」
翼は顔をあげて微笑もうとしたが、相手の笑顔を見ると、涙が先にこぼれた。
秋吉香織が仕事帰りにスーパーで買い物をしていると、彼女の電話が鳴った。名を見ると上条翼。秋吉は買い物かごに入れかけた卵のパックとかごを元にもどすと、話をするために、小走りに外へ出ていた。
おもてではピンクに色づいた雲がいくつも水色と群青のグラデーションの空にたなびいていた。
上条翼のいつもの抑揚のない声が、日高孝男の死んだことを告げたので、秋吉はしばしスーパーの自動扉の前で立ち尽くしていた。近くに主人待ちにつながれた柴犬が、遊んでほしそうに秋吉を見上げていた。
「昨日、船から海へ飛び降りて……自殺です」
かなり長い沈黙があった。スーパーから、じゃれあいながら出てきたお使いの小さな姉妹が秋吉にぶつかったので、秋吉はやっと脇にどいた。
「なぜ、上条さんがそんなことをご存知なんですか」
「それはお答えできません。でも秋吉さんなら私の申し上げることを信用していただけるし、秘密にもしておいてくださると思ったから、お知らせさせていただきました。今、私がお伝えしている話もすべて秋吉さんの胸の中にしまっておいてください。将来、日高建設の社長に、日高孝男がつくことは永遠にないだろう事実で、私の言うことは確かだと分かっていただけると思います」
また長い間。夕暮れの街には、高架を走る電車の走行音、自動車のエンジン音、何かの宣伝カーの声、などが入れ替わりたちかわり響いていた。
やがて秋吉が言った。
「ありがとうございます」
「私にその言葉を言われる必要はありません」
「いいえ、なぜか、私……あなたにお礼を言わなくては気がすまないの」
秋吉は、嗚咽しはじめた。通りがかりの買い物袋をさげた主婦が数名、ふりむいたのも彼女の目には入らなかった。
「それでは失礼します」
秋吉香織は不通になった電話にもう一度「ありがとう」といっていた。
冬らしい透明な光がまんべんなく街に行き届いた快晴の午後だった。駅前商店街にはクリスマスの音楽が流れ出していた。
翼は、オフィスで、鬼塚から送られてきた国際便の手紙を読んでいた。せっかく斡旋してくれた仕事も最後まで果たすことはできなかったこと。顔向けできる顔もないので、おそらく当分は日本に帰らないつもりでいること。そして、前金を送金してくれたことと、翼と出会えたその感謝とがしたためられていた。
翼はしばらく手紙を手にしたまま、彫像のようにじっとしていたが、そのとき、事務所のドアが乱暴にあけられた。
「翼さん!」
翼は素早く手紙をポケットに突っ込んで、怒鳴った。
「こら、何度言ったら分かる! 学校の帰りに、ここに寄るなって言ってあるでしょ!」
「だって、写真が1枚ないんだもん!」
明は、来客用のソファーの上に黒のランドセルをあわただしく降ろすと、中から青いアルバムを取り出して、開いたページを翼の前につきつけた。
「ほら、ここの写真! 学校で友だちに見せようとしたら、なくなってんだ! あの庄之助さんが写っている潜水艦のやつ!」
「ああ、ごめん、ごめん」
翼は引き出しから、件の写真を出した。
「あ! やっぱり犯人は、あんたか!」
「私に向かって、あんたとは何よ!」
「どろぼうには、あんたでも、ていねいすぎるよ!」
明はそう毒づいて、写真を翼の手からふんだくると、昨日はマスオさんみたいに酔っ払って帰って来るしさ、などとぼやきながら、アルバムのビニールをていねいに剥がして、復旧作業を開始した。
アルバムを元通りに修復した少年は、それを満足げにじっと見やると、突然、翼に向かって、にやにやした顔を向けた。
「ところで、翼さん、昨日、ぼくと約束したこと覚えてる?」
「え?」翼は目を丸くした。「約束?」
明は、やおらスマホを取り出すとボタンを押した。こもった音声が流れはじめた。
『新しい自転車買ってくれる?』
『ああ、買う買う。潜水艦だって買ってやらあ』
明は勝利満面でスマホをしまった。
「どう? 証拠は挙がってるんだけど?」
「確かにわたくしの発言です」翼は国会の証人喚問のように言った。
「やったあ!」
「してやられた」
翼は額に手をあてた。
明はしばしアルバムを持ち上げて飛び跳ねていたが、やがてそれを大事そうにランドセルにしまうと、そのまま背負った。しかし、部屋を出かけたところで足を止めて、翼をかえり見た。
「この写真、なんのために持っていったの?」
「あ、まあ」翼は言いよどんだ。「ちょっとね、写っている男の子が、可愛いもんだからさ、友だちに見せてたのよ」
明は、しぶい顔をした。
「かわいくなんかないよ。かっこいいんだよ!」
「そうだね、ごめん、ごめん」
明を送り出しながら翼も言った。
「かわいいより、かっこいいだよね」
『仮面の友情』 終
~作者あとがき~
最後まで読んでいただいた方に深い感謝をささげます。ありがとうございます。
(2025年聖バレンタインの日に記す)




