149 芸能界 ⑤
実家に戻って数日、ずっと部屋でゴロゴロしている優奈。
爆発的に増えたインスタやTikTokのフォロワー、そして新たに始めたXへの投稿などSNSを中心に毎日を過ごしていた。
「する事ないなら友達でも呼んだら?さすがに外では会えないだろうし」
「ん~…う~ん…」
最後に数時間だけ登校した日に親友たちと気まずい空気になってしまった事は母には言っていない。
余計な心配をかけたくないという思いからだったが、この夏休みが終わってしまえばまた学校には行くつもりだった。
あれ以来毎日聞いているBeastRushのトレーラー。
勝也は今どこでどうしているのだろう。
日本に帰ってきているのか、まだアメリカにいるのか、そして学校はどうするのか…。
気になる事は山盛りあるがそれを聞ける相手がいなかったのも事実だった。
あのアパートにはまだ優奈の私物がたくさん置いたままで、本当なら服や下着など取りに行きたいものはある。
だがあの部屋から物を持ち出すという事がどうしても出来ない。
実家に戻ってからもまだ一度もあのアパートには入っていない。
こっそり夜中に家を抜け出しアパートの前まで行った事は何度もあったが…。
ついに夏休みが明け登校日が来た。
実際のところ気持ちと足取りは重い。
親友たちは受け入れてくれるだろうか。
また笑顔で話してくれるだろうか。
ひょっとしたら今度こそ孤立してしまって一人ぼっちになってしまうのではないだろうか。
大きめのマスクで顔を出来るだけ隠してバスに乗り学校へ向かう。
そしてバス停から学校へと続く長い直線道路をトボトボ歩いていると…
俯き加減の優奈の顔の前にニョキッ!と3つの顔が現れた。
「わっっ!!」
驚いて顔を上げた優奈に
「ほっらぁぁ!!やっぱり優奈じゃんっ!!」
「ホントだぁぁ!!!」
「おっかえり~~!!!!」
みさ、ありさ、千夏。
3人同時に抱きつかれた。
「わっ!!ちょ…ちょっと…」
みさ達の大騒ぎっぷりで優奈が登校してきた事が周りにも伝わる。
「きゃあぁぁ!!安東先輩っ!!!」
「うっわぁぁぁ……芸能人が……」
何も心配はいらなかった。
やはり親友は優奈を受け入れてくれた。
涙目になりながら再会を喜び、本当に久しぶりに4人で教室へ入る。
教室内が騒然となりながらもみんな以前と同じ笑顔を向けてくれる中、蘭と目が合った。
「…あの…蘭…」
「久しぶり。…その前に…こないだはごめん。優奈だって辛かったはずなのにあたしヒドい事ばっかり言っちゃって」
「う、ううん!蘭は間違った事言ってない!全部あたしが悪いんだから」
一番気になっていた蘭ともまたこうして話すことが出来た。
全校生徒が体育館に集まり始業式が行われた。
相変わらず騒がしい集会だったがなぜか担任の姿が無い。
その式の後また教室に戻るといなかったはずの担任が入って来た。
「はいはい、今日はこれで終わりだからな。もうちょっと耐えろ~」
「あれぇ、さっきの始業式の時いたぁ?」
「ん?あぁちょっと用が…って…安東が来てるじゃないか!」
「えへ♪ご無沙汰です」
今日初めて教室へ入った担任は優奈が来ていることを知らなかった。
「いやぁ、このクラスから出た有名人が『2人とも』来るとはな(笑)」
その言葉に一瞬教室が静寂に包まれる。
「…え?」
「……2人とも?」
「え?…あ!……いや、1人だよな…はは……何言ってんだろ俺」
途端にうろたえる担任だがもう遅かった。
「…どういう事?」
「誰の事言ってんだよっ!!」
オロオロする担任だったが、ついに観念したように
「ダメだなぁ俺は。調子に乗るとつい口が…」
クラス全員の目は真剣に担任を見つめている。
「……来てたの?」
蘭の言葉で優奈の鼓動が一気に早くなり、頭に血が上っていくのが分かる。
そして…
「あぁ…さっきまで松下が来て話してた。だから俺は式に出れなかったんだ」
「それでっ?!」
康太の質問になかなか答えようとしない担任。
しばらくの沈黙の後
「…やっぱり………退学するそうだ…」
教室内が騒然とした。
優奈の目は涙を一杯に溜め、担任を見つめたまま微動だにしない。
勝也が来ていた。
今自分がいるこの校内にさっきまで勝也がいた。
そしてやはりこの学校をやめる決断をしたという。
体が震えだし、動悸が激しくなっていく。
「それで勝也は…」
「必死で止めたよ…もう一度考え直せって。あと数か月で卒業なんだからそれまで頑張れって」
「だから勝也は今どこにいんだよっ!!」
「とりあえず今日は帰った。…みんなには…合わせる顔がないそうだ」
すると突然
ガタァァァァン!!!!
大きな音を立てて椅子を倒しながら蘭が立ち上がり
「何やってんのよ優奈…」
「…え?」
全員が振り返り注目する中
「何ボーッとしてんのよ!!あんた今ここで追いかけなくていいの?!…これが最後だよ?このチャンス逃したらあいつはもう絶対戻ってこない!あんたがこのまま指くわえて見てるっていうんなら、あたしが勝也の事追いかける!!」
「…蘭……」
「そうだよ、今しかないよ!」
「早く行けって!!」
「まだそう遠くには…」
「優奈ちゃんっ!!」
「…でも……もうあたしは……」
すると目に涙を溜めた蘭の口から
「あたしは勝也の事が好きだよ。ミュージシャンとしてじゃない、男として…一人の男としてホントに勝也の事が好き。…正直、優奈さえいなくなればって何度も思った。あんたの事が羨ましくて仕方なかった。でも勝てるわけないじゃん…勝也があんたを見る目は他の誰にも向けない特別な目なんだよ…。そんな視線を独り占めしてきたくせに…今までずっと勝也の事独り占めしてきたくせに…なんでここまできて諦めんのよっ!!!」
泣きながら叫ぶ蘭。
これほど感情を表に出した姿を見たのはみんな初めてだった。
そしてまた優奈の目からも親友たちの目からも大粒の涙が零れ落ちた。
「優奈っ!!」
「行けよ優奈!!」
「勝也を連れ戻してこい!!」
親友たちの言葉を聞いて優奈が立ち上がる。
そして扉を開けて教室を飛び出した。
廊下を走り、階段を駆け下り、校門を出る。
この直線道路に勝也の姿はない。
だがそれでも必死に走り続けた。
勝也はどこに向かったのか…あのアパートではないはず。
右へ行ったのか左へ行ったのかもわからないまま、それでも必死に勝也を探し続ける。
正直自信はなかった。
もし勝也に会えたとしても何を話せばいいのか、それ以前に話してもらえるのか…。
一生懸命に走りながらポケットからスマホを取り出す。
そして勝也の番号を呼び出すと発信を押した。
あれ以来何度かけてもずっと圏外だった勝也の電話。
だが…そのスマホから初めて呼び出し音が聞こえてきた。
それを聞いて立ち止まる。
今、勝也の電話に繋がっている。
まだ出てはくれないもののずっと鳴り続けている。
「…お願い……お願いだから…出て…」
大きく肩で息をしながらその音を聞き続ける。
そして長く長く続いていたその呼び出し音がついに途切れた。
「………よぉ…」
勝也の声だ。
ずっとずっと聞きたくてたまらなかったあの大好きな声だ。
一気にボロボロと涙があふれ体の震えが止まらなかった。
「…勝…也ぁぁ……」
「久しぶりだな」
「今…どこ?」
「元気だったか」
「どこにいるの…教えて?」
「教えてどうすんだよ、お前は東京だろ」
「今は戻ってる。撮影終わって…学校にも来た」
「…そっか」
「勝也も…来てたんでしょ?」
それからしばらく沈黙が続き
「ホンットにあの人は教師のクセに凄まじい口の軽さだな」
「…会いたい…」
「会ってどうするんだ?」
「…ちゃんと話したい…」
「何を?」
「…これからの事…」
「これからってもう俺達は…」
「あたしは今でも勝也の彼女だもんっ!!」
勝也の言葉を遮るように叫ぶ。
「あの時一方的に別れようって言われたけどあたしはイヤだってはっきり言ったよ?あたしはまだ別れたつもりなんてない」
「俺はもうお前の彼氏じゃない」
「あたしが認めてないんだからまだ彼氏だよ」
「じゃあ勝手にそう思っとけ」
「…もし本気で彼氏じゃないって言うんなら…何の関係も無いって言うんなら…会ったって問題ないじゃん……」
「………………」
「『最後に』…顔ぐらい見せてくれてもいいじゃん…」
それから長い沈黙の後
「………探せよ」
「…え?」
「どうしても会いたいっていうんなら俺を見つけてみろ」
「見つけるって……」
「もし見つけられたら会ってやるよ」
それだけ言い残すと勝也は電話を切った。
通話の切れたスマホを耳に当てたまま動かない優奈。
そのまましばらく固まった後、走り出すことなく静かに歩き始めた。
まだ夏の気温を残した海辺はもう海水浴客の姿もなくガランとした雰囲気だった。
電車を降りてその海辺に出る。
海の家も撤去されて遠くまで見渡せるその防波階段に一人の男が座っていた。
その姿を見て一気に涙が溢れ出る。
もしこの先『人生で一番つらかった時期は?』と聞かれることがあったら、迷わず『勝也に会えなかった2か月間』と答えるだろう。
事実かどうかも分からないごくわずかな情報をネットで探し、自分のスマホの中にある笑顔だけを見つめて過ごしてきたこの2か月間と。
逢いたくて逢いたくてたまらなかったその男はこっちを向くことなく海を見ている。
ボロボロ涙を零しながらもまっすぐにその男の横まで来ると
「簡単過ぎたか」
「…うん」
やっと逢えた…。
あの最後の日バイト先の前で別れたのが2か月前。
それ以来ようやく逢えた勝也は少し痩せて見えた。
口を開くことなく2人で海を眺める。
言いたい事は山ほどあるはずなのに今は目の前にいる事だけを噛みしめていた。
そしてようやく
「アメリカ…行ってたんだってね」
「あぁ」
「トレーラー聞いたよ、やっぱり『あの子』いい音してた」
「そっか」
「なのに…どうしてベースヤメちゃうの?」
「……………」
「どうして学校ヤメちゃうの?」
「……………」
「…どうして…別れなきゃいけないの?」
「言ったろ、お前はもう芸能人なんだぞ」
「芸能人は人と付き合っちゃいけないの?」
「もしそれがバレて…」
「…ヤメないよ」
「…え?」
「…もし勝也と付き合ってるのがバレたとしてもあたしはヤメない。…もしそれでファンが1人もいなくなったとしてもそれでもあたしはヤメない。自分がやり切ったって思えるまで中途半端にはヤメない、最後までやり切る。…途中で投げ出したりしない…」
「………………」
「なのにどうして勝也は何もかもヤメちゃうの?…ベースはやり切った?…学校は?…あたしの事は…もういらなくなった?」
「………………」
優奈の声はどんどん涙声になっていく。
「あたしは…ブランカのKATSUYAじゃなくて『松下 勝也』と付き合ってたの。どれだけ勝也が人気者でも、どれだけファンに囲まれてても…あたしはブランカのKATSUYAじゃなくて勝也しか見てなかった。…でもどうして勝也はあたしの事そういう風に見てくれないの?」
「………………」
「女優の仕事なら『演技』を魅せる。…モデルの仕事なら『服』を魅せる。でも…『安東 優奈』は勝也だけのモノじゃん!!」
泣きながら訴える優奈の言葉は勝也の心に突き刺さった。
それ以来口を開かなくなった勝也と泣き崩れる優奈。
時間だけが過ぎていった。
どれぐらい経っただろう。
ようやく顔を上げた優奈が
「ドコに住んでるの?」
「…………………」
「学校ヤメて何するの?」
「…………………」
「二度とベースは弾かないの?」
「…………………」
「もう…あたしには何にも教えてくれないんだね」
また沈黙が続く。そして
「あのアパート、勝也が解約した後あたしが借りることにした」
「は?」
「叔母さんから聞いてない?」
「…あぁ」
やはり叔母も2人に任せようと思っていたのだろうか。
「…継続じゃないよ。勝也が解約して空き部屋になったら、ちゃんと契約して次はあたしが借りるの。別に勝也に止める権利ないよね?」
「なんでお前はそういう…」
「あの部屋が無くなるのが嫌なの。知らない人が住むのも嫌。あの時勝也が言ってくれたのと同じ理由だよ…もう今はあたし一人の想い出になっちゃったけど…」
「…………………」
優奈だけがスッと立ち上がる。
「勝也がもうあたしの事彼女だと思ってくれなくても構わない。でもあたしはずっと勝也の彼女でいる。勝也の事を彼氏だと思って生きてく。あの部屋に一人で住んでずっと勝也の事だけ考えて一人で生きてく。女優続けてもどんな将来になっても…あたしはずっと勝也だけのモノだから」
そう言い残すと一人でその場から歩き始めた。
もうダメだ…勝也は戻ってきてくれなかった。
どれだけ想いをぶつけても勝也には届かなかった。
諦めかけた優奈の背後から
「優奈ぁ」
再会してから初めて勝也の声で名前を呼ばれた。
一瞬にして涙がこぼれる。
だが振り返る事無くただ立ち止まった。
この涙を見せてはいけないような気がした。
「……ん?」
後ろで勝也が立ち上がったのが分かった。
その気配は優奈に近づいてきて…そして追い越す。
その時
「ついて来い」
「…え?」




