9話 思い出の花火は掌で
ロイスの目の前には、アリスとアセシアが腰掛けている。
本来なら、魔術書の作成に集中し、昨晩起きた事件の復旧作業にも顔を出したかった。
まだ昼過ぎだから、出来る事ならこの案件を速やかに終わらせてしまいたい。
しかし、肝心の2人ときたら魔術書がよっぽど珍しかったのか、あたりに視線を彷徨わせるばかりで一向に話を切り出す様子が見えない。
焦っても仕方がないので、ロイスは3人分のティーセットを準備すると、テーブルに置いて話を促した。
「南国の茶葉を使用した紅茶です。お口に合えばいいのですが」
魔導学園で生徒会を任される人物と言えば、ある程度の地位を持っているのと同義である。
普通の生徒よりも現実離れした体験をしてきているはずなのだが、目の前の彼女たちはまるで借りて来た猫の様に恐縮しているのが見て取れる。
それでも赤い液体を口にすると幾分かリラックスしたようだ。
「わぁ……。このお茶美味しい」
「ほんと、お茶なのに果実の甘味と酸味が味わえてとても不思議で美味しいわね」
「知り合いの冒険者から頂いたものなんですよ。こっちではかなり珍しくて、商業ギルドも目を付ける程です」
どうやらアリスはロイスに頼み事があるようだ。それは既に先程口にしているから、今この場に居ると言う事は話くらい聞くと言う暗黙の了解が成立している。
それ自体アリスも分かっているはずなのだが、どこか本題を切り出すのをためらっている様だった。
「そろそろ本題に移ってもよろしいでしょうか? 確かお願いがあるとか、でしたよね」
アリスはアセシアと一瞬だけ見つめ合うと、お互いに意を決した顔つきに変わった。
「率直に言いますロイスくん。来週のダンジョン演習にうちの班で参加してくれませんか?」
言うや否や、2人揃ってテーブルに当たりそうなくらいに深く頭を下げる。
アリスが言ってるのは、年に3回実施される課外授業の事だ。全学年対象とは言え、この時期の演習に新入生が参加する事は前例がない。
ロイスは前世の時ですら見送った行事なのだ。
「理由を教えてください」
ただでさえこの店の運営に時間を割いていて、しかも昨夜起きた事件の犯人も捜そうとしているこの時期だ。演習が来週とは言え、それまでに準備する時間も必要だろうから、ロイスの判断は瞬時に下されていた。
それでもなぜ自分なのか、その理由を確かめたいとも思っていた。
「昨日の事件はもちろん知っていると思うけど、実は前日、生徒会あてに一通の手紙が届いたの」
そこでアリスは一旦言葉を止める。
ここまで言って、まだ躊躇いを捨てきれていない様だ。
すると、続きをアセシアが引き継いだ。
「内容は……。ミノタウロス脱走の犯行予告……。差出人は不明だけどその通りになった」
ロイスが質問をした答えには程遠いが、むしろこちらの詳細の方が今は気になってしまう。
「アリスは責任を感じて言いにくいんだと……思う」
なるほど、と胸中で納得した。
ただの悪戯だと思って放置した事で、事前に防止できるはずだった事件が起きてしまった。
だからこそそれをロイスに言い淀んでしまう態度へと繋がったのだろう。
「会長が自分を責める事はないですよ。それにアセ……シアさんも。そんな手紙を誰が信じろというのですか? 仮にその手紙を僕の父に見せたところで、本気にしたかどうか」
前日にそれを見たからと言って、既にミノタウロスはコロシアムに搬送されていた。
動いたとしても精々が警備を厳重にする事ぐらいだが、その点は既に王国騎士団が配備されていたのだ。
それでも賊に侵入を許したのを鑑みると、結果は変わらなかっただろう。
ようやくアリスも決心がついたのか、今度こそロイスに願い出るべく顔を上げた。
「その手紙にはこうも書いてあったの。ドミニク公爵を利用している他国の息がかかった冒険者が暗躍していて、コアラグナ洞窟に潜伏していると」
ここに至り、ロイスはようやく本気で聞く姿勢になった。
厄日だなどと嘆いていたが、この情報を聞けただけでも今までの面倒を帳消しに出来る気分だ。
「なるほど。まさかその洞窟が演習のダンジョンなのですか? 学園に報告はしたのでしょうか?」
ロイスの中で浮かんでいた疑問が少しずつ解消されていく。
「その通りです。来週の演習はコアラグナ洞窟なの。学園にはまだ……。事実整理をしている最中にロイスくんの試験を見てたらつい」
言葉を紡ぐうちにまたアリスを罪悪感が襲っている。徐々に俯き加減で顔を伏せてしまった。
生徒会室から飛び出した時に、アリスはこの願いをするつもりなどなかった。
最初は単純に噂の真相を確かめたかっただけだった。
まず間違いなく、噂は本当なのだと直接本人から聞きたかっただけなのだ。
「僕なら何か出来るとでも思いましたか?」
咄嗟に顔を上げるアリスは「出来るでしょ!」とでも言いたげな表情をしている。
しかしそれを飲み込んで冷静に言葉を吐き出す。まるで懺悔でもしているように。
「わたしがあの手紙を信じてさえいれば、あなたの街に被害は及ばなかったかも知れない。少しでも被害を抑えられたかもしれない。騎士団の命も救えたかもしれない……」
「結果論ですし、仮定の妄想ですよ会長。それにもう過ぎてしまった事です」
それは結果から遡った末の罪悪感がそう見せているだけだ。
罰すべきはもっと他にいるはずである。
「どうかお願いします。わたしたちと一緒に演習に参加してください。君ならきっと……だって」
ここでとうとうアリスは大粒の涙を流して顔を伏せてしまった。
それを見てアセシアは頷き、再度アリスの言葉を引き継いだ。
「ロイスくん……。君は誰に魔術を教わったの? わたしもアリスも同じ師匠に師事している……。君の魔術は師匠とそっくりなの。だから君にも演習に参加してほしい……。お願い」
アセシアは分かっていた。
雨が降り注いだ時にロイスが見せた結界魔術は、いつか見た光景とデジャブしていたから。
だからこそアリスはこの願いを決断したのだと。
ロイスにすればまさかこんな所で因果が巡って来ると思ってもなく、ついうっかりとその名前を口にしてしまった。
ロイスもアリスもアセシアも、あの雨宿りの結界には思い出があった。
「ハンス様……」
それを呟いた後でロイスは犯した失態の重みを痛感する。
「嘘……。やっぱり君もハンス様の……」
まさかアセシアもその名前が出て来るとは思ってなかったようだ。それ以上の言葉を失ってしまった。
逆に今度はアリスが猛然とロイスに被さるように詰め寄って来る。
ドンッ! とテーブルを叩く。
「な、なんで君がハンス様を知っているの! あの方は私たちに魔術を教えてくれなかったのよ! なんで、なんでよ! なんで君は魔術を教わっているの!」
まさに悲痛な叫びとはこの事だろう。
それもそのはずだ。
ハンスはロイスを最後の魔術後継者として弟子にした。それが今から30年前である。
対して、アリスとアセシアが師事し始めたのが10年前なのだ。
この矛盾を誤魔化せる言葉は今のロイスに見つからなかった。
しかも、現在ハンスは行方不明となっている。
それを知ったのはロイスが10歳の時だ。
きっとアリスもアセシアも何がどうなっているのか混乱しているに違いない。
信じるか信じないかはこの際2人に任せて、真実の一部だけでも伝えるしかなさそうだ。
「混乱させてしまって申し訳ありません。僕がハンス様の弟子になったのは30年前なのです。信じられないかもしれませんが、僕は一度死んでからもう一度誕生した転生者なのですよ」
元勇者なのは言う必要のない事だ。
それ以前に、こんな荒唐無稽な話を間に受けるかが問題だった。
――懐かしい名前を聞いて起きてきちゃったわ。
――すみませんクラリス。迂闊でした。
――でもいつかはこの子達も気付いた事じゃないかしら?
――そうかもしれませんが……。
――ほら、この子達にあの花火、見せてあげたら? じゃあ頑張ってねロイス。
そう、クラリスも懐かしむほどにロイスが前世で世話になっていた人物だった。
自分勝手な性格と誤解をされやすいが、実は面倒見が良く常にロイスを気にかけてくれていた、この世界において父とも言える存在だったのだ。
「これを見てください」
ロイスは掌を上に向けて、混乱只中の2人の前に差し出す。
そして、本来のロイスとはかけ離れた口調で言葉を続けた。
「おいおい落ち込んでるのか? じゃあいい物みせてやるよ、だから元気出せ。な?」
そう言って、掌に魔力が集まってほのかに発光する。
アリスもアセシアも、まさかと言った顔をしてそこに注視している。
ハンスはロイスが行き詰っているのを感じると、この魔術を見せて励ましてくれた事がある。子供だまし程度の魔術だったが、その時に見せる笑顔と掌に浮かぶ綺麗な魔術は思いだすだけで今も励まされていた。
「いいか~いくぞ~いくぞ~」
ボンッ! と言う音と共に刻印魔術が円を描いて、中央に魔法が浮き上がる。
固唾を飲んで見守る2人の前に現れたのは、真っ赤に咲いた小さな花火だった。
「な? 綺麗だろ? だからよ元気出せよ。な?」
そう言ったロイスの目にも少なくない涙が溢れて来る。
「ハンス様、どこへ行ってしまったの?」
言葉もなくただむせび泣くアセシアの隣でアリスはそう呟いて顔を両手で覆った。