3.神の目を持つ坊ちゃんと、ゼンマイ仕掛けのメイド
扉が開いて直ぐに、参事様のお姿を捉えることが出来た。
応接間の中ほどにある、緑色のベルベットのソファにお座りになっている。
恰幅のいいお体にあつらえた上質な礼服。
指先には、豪奢な指輪がいくつも光っている。
その立派な身なりは、あのお方がこの都市でいかに重きをなす方であるかを、無言のまま物語っていた。
「参事閣下。遅れてしまい申し訳ございませんでした」
入室早々、ヴァレリオ様は深々と頭を下げた。
お膝の横で小さくなってしまった拳からも、反省の色が見て取れる。
そんな真摯な謝罪を受けた参事様は――。
「いえいえ。こちらこそお忙しい中お時間を頂戴し、感謝に堪えません」
そう言って、主人の機嫌を窺うような卑屈な笑みを浮かべられる。
そんな参事様を前に、私は改めてこの一族の巨大さを思い知った。
そう。この都市において、『十人委員会』は表向きの支配者に過ぎない。
アステリアの実質的な支配者は、このサヴィオラ家なのだ。
教皇庁の財務の差配すら掌握する、『大陸随一の銀行網』。
芸術を庇護し、民衆の熱狂を操る『演出力』。
――経済と熱狂。
その両輪を手中に収めるご当主ジローラモ様のことを、人々は畏敬の念を込めてこう呼ぶ。『王冠なき君主』と。
つまりは、ヴァレリオ様もまた、それに準ずるお立場にあるということだ。
参事様があのように萎縮されるのも、無理はない。
「参りましょう」
メイド長様、私、ビアンカちゃんの順でお部屋の中へと入っていく。
これから私は、執事様のお茶出しの補佐をする。
完璧にこなすことが出来れば、また一歩『上級メイド』に近付けるだろう。
そんなふうに思っているからか、正直なところ勇み足になっている感は否めない。
でも、不安はなかった。
歯車に従って正確に動く。
それが私の唯一の取柄だから。
ヴァレリオ様が参事様の向かいに腰掛ける。
手前側がヴァレリオ様、奥が参事様といった具合だ。
メイド長様とビアンカちゃんが、列を離れて壁際へ。
私はそのまま執事様に続いて、ヴァレリオ様から見て斜め後方のあたりにワゴンを止めた。
「で、ご相談というのがですね……」
商談を始められたお二人の横で、黙々とお茶の準備を進める。
執事様が手を向けてこられた。
私はワゴンの上に整然と並ぶティーセットを、一つ、また一つと、執事様の指の間に滑り込ませていく。
そうして、漆黒の大理石のテーブルの上に寸分の狂いもなく器が並んだ。
満を持して、執事様が銀のポットを手に取る。
カップの真上、絶妙な高さから、琥珀色の紅茶が注がれていく。
私はその傍らで清潔なリネンを広げ、差し出された注ぎ口をさらりと拭き取った。
『零せばそれは、汚れです』
メイド長様の教えが、胸の奥で波紋のように広がっていく。
「ヴァレリオ殿? どうなされたのです?」
「……えっ? あ、……えっと……!」
「お心が、どこか別のところに向いていたような……?」
「あ……あぁ゛……っ!」
突然、けたたましい音が鳴り響いた。
ヴァレリオ様だ。どうやらご自分の手で、ご自身の頬を叩かれたらしい。
色白な頬が、真っ赤に染まっている。相当強い力で叩かれたみたいだ。
いっ、痛そう……。大丈夫かな?
目を丸くする参事様を前に、ヴァレリオ様はまた深々と頭を下げる。
「もっ、申し訳ございません。もう一度初めからお願いします」
お疲れなのかな。
内心でヴァレリオ様のご体調を案じつつ、ワゴンを押してビアンカちゃんの隣に向かう。
執事様はヴァレリオ様の斜め後ろで待機だ。
「今日も完璧☆」
ビアンカちゃんが小声で褒めてくれる。
メイド長様に目を向けると、誇らしげな表情で頷いてくださっていた。
ありがたいことに、私はメイド長様に目をかけていただいている。
通例では『中級メイド』に就任するのは二十歳以上とされている中、十八歳という異例の若さで昇進出来たのは、ひとえにメイド長様のご指導の賜物だ。
少しずつでも、この御恩に報いていきたい。
「坊ちゃんも見惚れてたよ♡」
また、そんなことを……。
私は小さく肩を竦めて、無言のまま「止してよ」と返す。
ビアンカちゃんは、私のこともファンにしたいらしく、やたらとヴァレリオ様の魅力を説いては同意を求めてきたり、こうして隙あらばファンになるきっかけをねじ込もうとしてくる。
当のヴァレリオ様には迷惑がかかっていないようだから、私自身はビアンカちゃんの推し活? を否定するつもりはない。
ただ、同じ熱量になるのは難しい……かな。
私にとってヴァレリオ様は絶対的な主人だ。
憧れたり、ましてや愛でるなんてことは、恐れ多くてとても出来そうにない。
「『建都記念祭』のために、とある画家に七点の『美徳の擬人像』を依頼していたのですが……どうにも一点、間に合いそうにないのです」
「なるほど。では、納期は三か月ということですね。残っているのは何でしょう?」
「『剛毅』でございます」
「ふふっ、なら適任がいますよ。もうこれ以上ないくらいの適任が!」
「なっ、なんと!?」
ヴァレリオ様は言うなり、一枚の絵を持ってこられた。
あれは『聖母子像』だ。
「ご覧ください! このほとばしるような感情表現を!!」
「おぉ……」
「まるでそう……今この瞬間、この場に、聖母と御子がおられるようだ!!」
「たっ、確かに……。実に写実的ですな」
「僕は、聖母の眼差しから慈しみを、御子を抱く腕からは覚悟を感じます!!」
「うっ、うむ……」
参事様もそっちのけで、絵画の魅力を語り始める。
その内容は、ビジネス上の提案というよりは、もはや一愛好家の感想だ。
ヴァレリオ様はあの通り、美術のこととなると周りが見えなくなる。
そんなところは三年前と――絵を描かれていた頃と何ら変わらないのだけれど、私にはそれが嬉しくもあり……少し寂しくもある。
「ヴァレリオ様」
執事様が小声で窘める。
お陰で、ヴァレリオ様は我に返ったようだ。
大きく咳払いをして切り替える。
「とっ、とにかく、これほどまでに感情表現に長けたアレッサンドロであれば、『剛毅』を――困難や苦しみに直面しても善を貫く、そんな強靭な精神を描くことが出来ると思うんです」
「アレッサンドロ? はて、そのような画家がこのアステリアにおりましたかな?」
「ははっ! ご存知ないのも無理はありません。先日独立したばかりの無名の画家ですから」
「なんと! まさに青田買い。『神の目』のなせる業、というわけですな」
「いっ、いえ! そんな大層なものでは……」
「ぜひ、こちらの新進気鋭の画家にご依頼したく存じます。お話を進めていただけますかな?」
「ありがとうございます! それでは、いつも通り細かいお話は、兄としていただくとして……」
――こうしてアレッサンドロ様は鮮烈なデビューを飾り、『慧眼の士』たるヴァレリオ様への信頼は、揺るぎないものとなった。
賞賛を浴びるヴァレリオ様は、一見すると、とても喜ばれているように見える。
だけど、ふとした瞬間に見せる横顔は、どこかお寂しそうで。
……これも私の勝手な思い込み、なのかな?
胸がきゅっと痛むのを感じながら、ポケットの中にある巾着袋を――ヴァレリオ様が描かれた『ネコの絵』が入った袋を、そっと撫でた。




