1.夢の終わり、物語の始まり
坊ちゃんは、子供の頃から絵を描くのがお好きだった。
色々なものを描くのではなく、一つのものを何度も何度もお描きになる。
時にお辛そうだけど、ある時にはとても嬉しそうな顔をされていて。
そんな調子だから、坊ちゃんは……いえ、ヴァレリオ様は、一生涯絵を描き続けるんだろうなと思っていた。なのに――。
「…………」
ある時突然、筆を折ってしまった。
丹精込めて描かれた絵を、ビリビリに切り裂いて。
カラン……。
ヴァレリオ様の顔料まみれの手から、パレットナイフが滑り落ちる。
「坊ちゃん、あとは私どもの方で片づけておきます。今はゆっくりとお休みください」
見兼ねた様子で老齢の紳士が、ヴァレリオ様に声をかける。
ヴァレリオ様の専属執事のモーリス様だ。
ヴァレリオ様は何も応えない。
無言のまま顔を俯けている。
まだ十八歳とお若いはずなのに、その姿はまるで……重い病に伏した老人のようだった。
眩い銀髪は、艶を失って白髪のようにくすみ、やせ細ったお体に対して、白いシャツの襟ぐりはあまりに広く……お労しい。
そんなヴァレリオ様の周辺には、十人ほどのメイド達の姿があった。
いずれもせっせとホウキを動かして、ヴァレリオ様の夢の残骸を大判布に放り込んでいる。
「フィオーラ、手伝って」
恰幅のいいメイドが、私に声をかけてきた。
姉のアルベリーナだ。よくよく見てみると他の姉達……リリーナ、カミリアの姿もある。
「申し訳ございません。ただいま――」
そう言って姉の手伝いに加わろうとした時、ヴァレリオ様がお顔を上げた。
爽やかな夏の海を思わせるようなサファイアブルーの瞳は――空っぽで。
ああ、もう本当に……夢を捨ててしまわれたのですね。
痛感して、胸が苦しくなる。
「参りましょう」
執事様に連れられて、ヴァレリオ様がアトリエを後にする。
私は礼をしてお二人を見送り、姉達と共に片づけを始めた。
私は見習いを卒業したばかりの『下級メイド』だ。
出来ることには限りがある。
けど、何か一つぐらい、坊ちゃんのために出来ることがあったんじゃないか。
そんなことを、ついグルグルと考えてしまう。
バカね。今更後悔したって仕方がないのに。
「あ……」
ふと、一枚の切れ端に目を止める。
そこにはネコが描かれていた。
茶色の毛をしたネコで、尻尾の先だけが白い。
何とも変わった模様のネコだ。
「…………」
切れ端は五センチほど。これなら入る――。
「……っ」
意を決して、ポケットにしまう。
これは主人の命に背く行為だ。
決して赦されることじゃない。
だけど、どうしても手を伸ばさずにはいられなかった。
この『夢の欠片』を戒めとして、心のよりどころとして、手元に置いておきたかったから。
もう二度とこのような真似は致しません。
私は内心で猛省しつつ、決意を固める。
一日でも早く、坊ちゃんのお役に立てるメイドに。『上級メイド』になろうと。




