最終話 ラストオーダー
「……これはこれは。まだ生きていたんだね」
崩折れたラユ子の視線の先に、見覚えのある人影があった。その人の下半身は魔法に侵され、既に腰のあたりまで茶色い年輪に変化してしまっている。侵攻を食い止めようと必死になって抱き締めるラユ子をよそに、魔法は音もなく体を蝕んでいく。
「どうしてっ……どうしてじっちゃが……!」
「……可愛い孫のためなら、じっちゃはなんだってできるアル」
ラユ子の涙がお爺さんの頬を伝って零れていく。ぼろぼろ、ぼろぼろと流れて落ちていく。……そんな優しい抵抗は、ノエルの魔法に届かない。侵蝕が進む。
「階段上がるのに、ちょっと時間かかっちゃったネ。ラユユ……すまないネ。いっぱい怪我させちゃったアル」
「こんなのなんてことない! じっちゃが気にすることじゃないネ! なんでっ! なんでじっちゃが身代わりになる必要がアルヨ!?」
悲痛な叫びが胸に突き刺さる。あたいたちは動くことも、声を発することもできない。いま目の前で、友達の大切な人が魔法に侵されているというのに、あたいは。
「天使長も老いたものよ。この星の秩序を保っていたあなたが、よもやそんな小娘ひとりのために自らを捧げようとは」
「……ラユユのいない世界なんて、老いぼれには退屈すぎるネ」
チョコレートクリームの侵攻はもう喉元にまで迫り、しかしそれでもお爺さんは精一杯の強がりを見せた。この人は本当に、本当に心からラユ子のことを愛しているんだ。ピンチに気付いて飛び出して、自らの身体を顧みず、あの長い階段を駆け上がり、躊躇なくラユ子の前に立てるんだ。自分の命を投げ打ってでも、ラユ子を守りたいと思えるんだ。そんな、そんなの、敵わない……。
「ほら、もう泣かないネ。大丈夫。ラユユはじっちゃの孫アル。この星の皆のことは任せたネ……」
「じっちゃ! じっちゃぁ!」
魔法は完全にお爺さんを飲み込んで、役割を終えたかのように静止した。頭からつま先まで満遍なくクリームに覆われてしまい、もはや原形をとどめていない。その姿ーーそのケーキは、知っている。クリスマスに好まれる、年輪が特徴的なチョコレートケーキ。それはそれは、嫌というほどに……知っている。
ブッシュ・ド・ノエルだった。
「おや驚いた、私と同じ名をしたスイーツが現れたじゃないか。一体誰がこのような粋な計らいをしてくれたんだ? クククっ。天使の味も興味深い……」
「あぁぁぁぶぅぅぅりぃぃい!」
「は、はいっ!」
突然の目が醒めるような怒声に思わず背筋が伸びる。
「ワタシ、まだ聞いてないアルが、あいつをぶちのめす方法は、見つかったカ?」
「う、うん。考えがあるんだ」
「しる子! ラビ! 何やってるカ! さっさと集まるネ! 早く!」
「……えぇ」
「わ、わかった!」
「君たちは実に愉快な連中だな。この期に及んでまだ勝機を見出すつもりとは……まぁいい、少しくらいは待ってやろう。ただしこれで最後だ。その目論見が外れたなら、今度こそ大人しく一人残らず胃袋におさまってもらおう」
舌舐めずりするノエルに背を向けて、最後の作戦会議が始まった。
「お爺さんのことは、その、どうしようも……」
「それより今はあいつを叩き潰す方法アル! さぁ、考えを話すネ!」
「ちょっと興奮しすぎだビ! 気持ちはわかるビが、少し落ち着いて、ね? この作戦は全員の想いがぴったり重ならないと上手くいかないんだビ」
殺気立つラユ子はかつてお爺さんだったものを見やりながら無理矢理にでも平静を保とうと躍起になっている。その想像もつかないほど凄まじい葛藤の末、荒かった呼吸が徐々に落ち着きを取り戻し始める。
「そう、そうなんだ。あたいたちの魔法は全部、あいつに食われちまう」
「どうやら嫌いな食べ物は無いみたいだものね。だから魔力で……押し勝てるのかしら」
「ラビ知ってるよ! 皆で食べる食事が一番美味しいって! 魔法の強さは想いの強さ、なんでしょ?」
「その通り。だから思い出すビ。あんたらが魔法女子になったきっかけを。そしてこれまでの出来事を。少なくとも僕には、皆楽しそうだったように見えていたビよ」
「痛い思いも苦い思いもしてきたわ。でもそれらが全て楽しくなかったわけじゃ……ないわね」
「ラビは生活が一気に変わって、すごく楽しい毎日だったよ! 友達と一緒にいろんな所に行けて、毎日が輝いてた!」
しる子はしみじみと、ラビはいきいきと思い出を語る。よかった。魔法女子を楽しんでいたのは、あたいだけじゃなかったんだ。
「ラユ子は……どうだ?」
「……ワタシ、ワタシは、皆と違って人間じゃないから、魔法なんていらなかったアル。でもノエルを倒す戦力になると思って近付いた魔法女子に、気付いたら自分もなってたネ。戦いを重ねていくうちに、皆となら、ノエルを倒せるって確信したアル。ワタシだけの力ではできなかったことが、もうすぐできそうネ」
しる子、ラビ、ラユ子。皆それぞれにいい顔をしていた。今ならいける。そんな気がする。皆の想いがひとつに重なる。
「よし、これならやれそうだ。この作戦の鍵はエビカツにある。皆、最初にエビカツを齧って魔法女子になったのは覚えてるよな? そのエビカツに四人分の想いを込めてぶちかましてやろうぜ!」
「井戸端会議は終わったかな? どれ、君たち最後の悪足掻きを見せてもらおうか」
もはや武器を構えることもせずに踏ん反り返っているノエルと真っ正面から対峙する。並んだ四人の中心に、エビカツが勇ましく浮いている。
「さぁ皆! 張り切っていくビよ!」
エビカツの号令を合図に最後の魔法の準備が始まる。
エビカツエビカツ……そういや食べたのは授業中だったっけ。いきなり窓から飛び込んできて、ありゃあ見事なホールインワンだった。それが全ての始まりかぁ……なんか胃もたれした印象が強いけど。
(私だって不意打ちよ。碌に味わう暇もなかったわ。しかもあぶりの食べかけだし)
うお、しる子が脳に直接語りかけてくる!
(あんたらは今僕を通して繋がってるビ。失礼なこと考えてたらすぐにわかるビよ!)
(気付いたら口に刺さってて、その上熱々の拉麺放り込まれたネ!)
(ラビはあぶりと同じ魔法使いになれて嬉しかった! 皆と友達になれるきっかけを作ってくれたエビカツ、大好きだよ!)
(ビひひ! もっと言ってもいいビよ!)
エビカツに想いを馳せていると、唐突に呪文が流れ込んで頭の中でぐるぐると回りだす。これが最後の呪文……。この一撃に全てを賭ける。全部全部終わらせてやる。皆、用意はいいな?
(やってやるわ! これで終わりよ!)
(全てをぶちまけてやるアル!)
(終わったら皆で、ぱぁーっとやろうね!)
エビカツを含めた全員が純白の輝きを身に纏い、風を集めて渦を巻く。湧き上がる想いを逃さぬように、ひとつ残らず魔法に込める。一世一代の大勝負、皆の力をひとつに重ねて。
「ラストオーダー・エビカツデストロイ!」
四人の叫びは寸分違わず重なり合って、希望の旋律を奏でる。煌めくエビカツの全身から強大なエネルギーをもった光の奔流がノエルに向かって解放される。その神々しさたるや。これこそ福音と呼ぶに相応しい、あたいたちの全力だ。
「んビぃぃぃぃぃぃっ! 今なら時空を超えた何かになれそうだビぃぃぃぃっ!」
「ふっ……そんな馬鹿馬鹿しいもので……!」
燦然とほとばしる輝きはノエルのベルとマントを奪い去り、より一層勢いを増して直線距離を駆け抜ける。ノエルの顔に張り付いていた笑みが消え、焦りと戸惑いで強張り始める。
「な、なんだこの威力はっ! ふざけた揚げ物如きが放つものとは思えん……! あ、ありえない! そんなありふれた揚げ物如きに、この私が……っ!」
「家庭の味を馬鹿にすんじゃねえ!」
部屋を埋め尽くすほどの光の洪水に飲み込まれ、ノエルの姿は影すら見えない。ついに光は倒れたモミの木を吹き飛ばしながら壁を突き破って夜空を貫いた。
「ぐぅぅ……っ、おのれおのれぇ……っ! 諦めるものか! 私は、私は決して諦めはせん……! いつの日か、いつの日か必ず……っ! この星を食い尽くしてやる……っ!」
途切れ途切れの断末魔が藍色の夜空へ溶けるように、消えた。
*
*
*
儚さと軽やかさを同時に感じることのできる季節は春をおいてほかにはない。桜を見るたび触れてしまう感情は、心躍る喜びよりもやり場のない切なさの方が大半だ。三月も後半、春休みのただなかに祝勝会と称した花見を行っているのはいいものの、場所が場所だけに若干の引け目を感じてしまう。
「大層綺麗な眺めですこと……」
ラビオリ邸の広大な庭は薄桃色で囲まれて、足元は高級料理で埋め尽くされる。音も姿も残さずに、ただ湯気の立つ料理だけが次々に増えていく。相も変わらずパーフェクトな執事っぷりだ。……なーんか、違うなぁ。
「もっとさぁ、こうコンビニの唐揚げとかでいいんだよ。缶の炭酸ジュースでいいんだよ。酔っ払いおやじが下手な歌とかうたってさ。……なにこれ。フルコースにシャンメリーって。こんなシャンメリー置いてるスーパー見たことねぇよ」
「こんなご馳走と貸し切りの桜を前にしてよくもまぁ言えたものね。庶民が贅沢抜かしてんじゃないわよ」
「……慌てて食べなくてもまだいっぱいあるよ、しる子お姉ちゃん」
「ハイ、じっちゃ、アーン」
「アー……。もう、く、苦しいネ……入らないヨー……」
ブッシュ・ド・ノエルを退けたことで町に溢れたスイーツたちは元通り人間に戻り、ラユ子のお爺さんも無事元の姿に戻った。スイーツにされていた間の記憶は誰一人残ってないようで、だから皆気付いた時にはクリスマスの翌日を迎えていたことになる。テレビのニュースでも「消えたクリスマス」としてしばらく話題になっていた。あの夜のことはあたいたちの心の中に仕舞ってある。
そうそう、ラユ子は一度中国に戻るらしい。なんでも「また騒がしくなってきた」とかなんとか。少し寂しくもあるけど、なにせ彼女たちは地球の秩序を保っている天使、わがまま言って引き留めるわけにはいかない。ラユ子も「魔法で大暴れしてくるネ!」と意気込んでたし、向こうで何があったのか、土産話にでも期待しとこう。
「かっはぁーっ! たまらんなぁ、想い人との花見酒は! あいらぶゅーだザッちゃん!」
「ちょ、バカ! 声がでかい! 人目を気にしいよ!」
「ねぇねぇ。今日もあれ読ませてよお。なんだか大笑いしたい気分!」
「僕の花園を笑うな! もう二度と見せないからな!」
スイーツ四天王ともすっかり馴染みの仲で、ノエルを倒した後も交流が続いている。ところどころ聞いたことのあるようなないような秘密が漏れてきているようだが、さぁて、なんのことだかあたいにゃわかんねぇや。
ところで、祝勝会があの後すぐに行われずこの時季にまでずれ込んだのにはちょっとした理由がある。
「ぜっっったいにお花見! 満開の桜の下じゃないと祝ってやらないビ! 僕の活躍を忘れたビか? 僕がいなかったら今ごろどうなってたかビねぇ! あ、そうビ! どうせなら屋根代わりになるくらい密集した桜の中で大量の酒とご馳走とおねいさんたちを侍らせて……」
……とまぁ、それだけなんだけど。最後の活躍をやたらと鼻にかけているエビカツだったが、それも事実なので致し方ない。癪だけど。エビカツのおかげで勝てたんだ、認めないわけにはいかない。癪だけど。
あたいたちの戦いは終わった。地球は救われ、久々に平和な日々が訪れる。すぐに冬休みが来たこともあってとにかくひたすら寝まくった。だってお布団様があたいを離してくれないんだもん。これまでの分を取り戻すように正月もごろごろ三昧だったし、二月三月も授業ほとんど寝て過ごしてたから一瞬だった。受験が来年でほんとよかったわ。気兼ねせずにごろごろできて……いやぁ充実した毎日でした。
「本当にあんたは食っちゃ寝食っちゃ寝してたビねぇ。すっかり気抜いちゃって……ま、それはあぶりだけの問題じゃないビがね。ビほん、えー、魔法女子の皆さん、ここで僕から重大なお知らせがあるビよ。心して聞くビ。皆さんがこれまで魔法習得のために摂取してきたカロリーを計算してみたところによると……」
「だぁーっ! その話はやめてくれ!」
「体重計もろとも蜂の巣にしてやるわ!」
「成長期のラビには必要な栄養だから問題ないよね?」
「ワタシ食べても太らないネ! 人間は大変アルネェ」
その数字はある意味ノエルの存在よりも脅威的な破壊力をもってしてあたいたちを打ちのめした。体脂肪という新たな敵が相手では、どんな魔法も通じない。真の戦いはまだまだ始まったばかりだとでもいうのか。辛い現実から目を背けるように香り立つ料理へと伸ばした手を、もう止めることはできない。あたいの中の食欲という魔物はもはや歯止めが効かないほど傲慢に成長してしまっているのだ。花びらは密となり影を落とす。その影が覆い被さってあたいを隠してくれている。けれどもしも叶うなら、全てを花びらに乗せて散らせてしまいたいと思うあたいであった。
桜という木は賑やかだ。ただそこにあるだけで、そこに咲いているだけで賑やかな木だ。誰にでも平等に満開の笑顔を振りまいてくれる。それに勝るとも劣らないあたいたちの全開の宴は、いつまでもいつまでも続いていくようで。
ここまで読んでいただいた皆様、ありがとうございました!
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