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必殺断罪人  作者: 高柳 総一郎
羨望不要
95/124

羨望不要(Cパート)






 フィリュネは言われるがまま金貨を持たされ、ファム・ファタール・ストリートの屋敷を出てから、どう部屋まで戻ったかよく覚えていない。アクセサリーの売上でも、断罪の金でも無い。正真正銘、自分の肩にかかった大仕事で、こんな大金を支払われてしまったのだ。

 帝国貴族二十家の一人、ペンドラム卿に連なる令嬢・タマコからの依頼は、大雑把に言ってしまえば人探しであった。それも、会わせればそれで終わるような話でもない。そんなちょっとした用事なら、あの屋敷の老人でも事足りるだろう。

 要は、自分によく似た女を探せというのだ。そして、タマコはそのよく似た女と入れ替わり、何日か──期間については、彼女は頑なに明言を避けた──過ごしたい、と言うのだ。

 もちろん彼女とて、修羅場くらいは何度かくぐっている。そうしたおそらくはダーティな仕事に首を突っ込むのも、初めてではない。そうでもしなければ、エルフ族の亜人の娘──おまけに連れは皇帝を殺した大罪人だ──がまともに生きていけるわけもない。あのタマコというお嬢様も、事情を知ってか知らずか、よくもまあフィリュネに辿りつけたものだ。

「しっかしなあ……どうしようかなあ」

 フィリュネの情報網は広い。元々このイヴァンとは何の縁もゆかりも無かったが、ある日彼女は、エルフ族である事を隠し、生きているものがイヴァンの中にも大勢いることを知ったのだ。エルフ族は気位が高く気難しいが、同じエルフ族となれば別だ。それも、かつてエルフ族を率いた族長の娘ともなれば、同族しか感じ取れぬカリスマとでもいうものが、他の普通のエルフとは違う事を無意識に感じ取る。

 そして、エルフ族は同族のためなら無償の協力を惜しまぬ。かつて皇帝はその能力をもって、好意により人々を支配した。彼が死んだ反動は、人々から『皇帝』を希薄にさせた。亜人達は無用な差別こそされなかったが、帝国を動乱に巻き込んだという事実は残り、良心の呵責と人々の冷たい視線を恐れ、亜人達はほとんど姿を消した。

 エルフ族は耳を切り取れば、普通の人間と変わらない。だからこそ、イヴァンという人のるつぼであれば生きられる。しかし、自分たちの種族を誇れぬ生活は、彼らにとって大きなストレスだ。フィリュネのような人物は、そんなエルフ族にとっての唯一残った『誇り』なのかもしれない。

「とりあえず、聴きこみからかなあ……どうしよう」

 ファム・ファタール・ストリートを折れ、通りを一つ変えると、ストリートの雰囲気は一気に変わる。高級住宅街のすぐそばと言っても、こうした暗くじめじめとした通りは、ことイヴァンのような入り組んだ街にはつきものだった。かつてはソニアと共に、こうした日陰者達の街で暮らし、人目をやり過ごしたものだ。フィリュネも外見こそ可憐な少女であるが、今や立派な闇の住人である。通りから向けられる死人のような人々の視線が突き刺さり、とたんに抜けていく。闇の世界の人々は、自分たちを脅かすものに対し敏感に反応する。それが、殺人も厭わぬ者というのならなおさらだ。もしこのストリートをフィリュネでなく別の女が歩いたのであれば、文字通り骨も残らないだろう。

「あれ?」

 フィリュネはふと立ち止まった。いつのまにやら、客待ち達のたむろしているところまで来てしまったのだ。ここを抜けていけば、再びファム・ファタール・ストリートへと戻る、細い道だ。ここまで来て引き返すことはできないと、意を決して歩き出す。女達の敵意がむき出しのままフィリュネを襲う。視線だけならば、どうということはない。その敵意の視線の先に、フィリュネは一人の女を見た。一人だけ奥の陰に立ち、ファム・ファタール・ストリートの喧騒を遠い目で見つめている。けばけばしい赤いドレス。あまり整っているとは言い難い、ごわごわの茶色のロングヘア。見るものに強烈な印象を残す、黄金色の瞳。口元には、棒付きキャンディが咥えられている。馬鹿な、タマコとは先ほど別れたばかりだ。同一人物なわけがない。フィリュネは一瞬の混乱の後、おそらく彼女が『タマコとは違うタマコ』である事を感じ取った!

「あの、あなた……タマ……」

 少女はフィリュネが近寄った事に驚いたのか、目を剥き、棒付きのキャンディをぽろりと地面に落としてしまった。フィリュネの呼びかけにも振り向くこと無く、全速力で逃げ出す少女。人混みに紛れ、あっという間に見えなくなった後ろ姿を、彼女はただ呆然と見つめるしか無かったのだった。

「あんた、タマに何か用なの?」

 くわえタバコのウェーブがかったショートカットの女が、気だるげにフィリュネに尋ねた。咄嗟の事で反応が遅れそうになるが、かろうじてフィリュネは体裁を保つことができた。

「あの、実は……仕事を頼もうと思っていたんです」

 今度は赤毛のそばかすだらけの女がからから笑う。

「仕事お? あのタマに? やめときなよ。タマって名前はねえ、猫みたいに気まぐれでずる賢いってとこからつけられたって言うぜ。……あたしには分かるよ。あんたもカタギじゃないんだろ。悪いことは言わない。あの子は、やめときな」

 そう言うと、フィリュネから背を向けるように 女達はファム・ファタール・ストリートとは逆の、闇の方向へ歩いて行った。その場には、呆然と立ち尽くすフィリュネが一人残された。






 夕方。自由市場ヘイヴンは、少しずつ店じまいの様相を呈し始めていた。イヴァンの人々は仕事熱心だ。こと、太陽が登っている時だけは。人々は家族の団らんと夕飯への楽しみを胸に、帰り道をいそぐ。

 しかし、不機嫌そうにぶらぶらと夕暮れの中を歩くドモンは別だ。客待ち狩りは今日から一週間、ほぼ毎日行われる。ある時間から各地区を担当する憲兵官吏が一斉に捜査を始め、客待ちと分かった時点で問答無用で憲兵団拘置所へ放り込む。おまけに客待ちとの交渉を避けるため、毎日地区をランダムで入れ替える、という念の入れようだ。

 別に、客待ちがどうなろうと知ったことではない。しかし、よりにもよって夜働かなくてはならないのは不満であった。断罪とは違って、金も出ない。残業代などあるわけがない。

「まったく……ほんと、やになりますよねえ」

 その時であった。路地裏からヒソヒソと、小さくドモンを呼びつける声があった。

「旦那さん! ちょっと!」

「なんです、フィリュネさんじゃありませんか」

 けだるそうにドモンは路地裏を覗く。フードを目深に被ったフィリュネが手招きしていた。一体何の用だと言うのだろう。のそのそとあたりを見回してから、逢魔が時の暗闇の中へ足を踏み込んだ。

「僕は今大変不愉快な気持ちなんです。あんたの胸揉ませてくれるとか、そういういい話でもなけりゃ聞く耳持ちませんよ」

 フィリュネはにやり、と笑うと、懐から握りこぶしを抜き出すと、ゆっくりと目の前で開いた。中には、なんと金貨一枚! 彼女には似つかわしくない、大金だ!

「や、や、これは……金貨!」

 釣られるように伸びた手を、フィリュネは左手でぱちんと叩く。金貨を触らせる機など、さらさらないようだった。

「実は、いい仕事があるんですよ。旦那さん、良かったら一口乗りませんか?」

「……客待ち狩りが、とたんに馬鹿らしくなってきましたよ。一体僕は、何をしたらいいんですか?」

「耳を貸してください」

 にやにやと手もみしながら、ドモンにひそひそと自分で描いた絵図を伝える。仲間の客待ちをひっ捕まえて聴きこみをすると、少女が客待ちのタマと呼ばれていることが分かった。彼女を見つけることがドモンの任務だ。捕まえて引き渡すには、少し骨が折れる。しかし、憲兵官吏であればつけこむ隙はあるはずだ。フィリュネは稼ぎのために必死だった。今は守銭奴のドモンを使ってでも、なんとかせねばなるまい。

「なるほどね……ちょうどいい具合に、今夜から客待ち狩りなんですよ。見つけたら……間違いないんですね」

「ええ。見つけたら、金貨三枚もらっているので……この金貨一枚差し上げますよ。うまく連れて来られたら、銀貨五枚追加です」

 フィリュネは、後金の事を正直に話すほどお人好しでも馬鹿でもなかった。しかし目の前のこの男は、後金の事は思いつかなかったようだった。







「旦那、しかし憲兵団を挙げて客待ち狩りたあ……なんともオマヌケと申しますか」

 ランプを揺らし、ぶつぶつと文句を垂れながら、ゲイルはラズロを誘導していた。当の憲兵官吏のラズロは、見せつけるようにふんぞり返った態度で、のしのしと道を練り歩く。

 彼の担当はファム・ファタール・ストリート周辺であるが、今回の客待ち狩りでは、ヘイヴン周辺を割り当てられた。ヘイヴンは色街に近く、そこからお役御免になった客待ちも多くいる。

「フン。社会のダニ共の駆除だ。面倒でも命令なら仕方あるまい」

 ラズロは灯台のごとく長い首を伸ばしながら、暗闇の中を見回した。旧知の中でもある駐屯兵のラズロの言葉を借りるなら、『オマヌケ』な事に、どうやらどこからか情報が漏れてしまっているらしかった。普段なら奥の裏路地に入れば、おぼろげなランプを持ち男の手を引く客待ちの姿を見ることができるはずだ。それが一人もいない。

「誰もいませんぜ、旦那」

「逃げたか。やはり、情報が漏れているようだな」

「しかし、他の旦那方がバラすとも思えませんがね」

 ゲイルはあごを得心がいかない様子でさすった。ラズロの意見は彼とは違った。往々にして社会のクズ共というのは、あらゆる手を使って権力に取り入ろうとするものだ。憲兵官吏が、女にたぶらかされ、重要な情報をバラす。ありえそうな話だ。

「俺は不正を許さん……こうして作戦は失敗している。誰かが情報を漏らしている事に疑いはない」

「そんなもんですかねえ……ま、誰もいない街を練り歩くのも味気ありませんや。旦那、噴水広場を抜けたら本部に戻りやしょう」

 ラズロはゲイルの言葉を聞き流しながら、不正の温床──役立たずのクズ共のリストアップを始めた。あのガイモンの口だけぶりには辟易しているし、引退直前のモルダもいい加減目障りだ。若造の癖に態度のデカいサイも気に食わぬ。何より、忌々しいあの最悪の役立たず──ドモンだけはいっそのことこの手で斬り殺して……

「そうか、ドモンだ……あいつ……とうとうあからさまな不正に手を出したか」

「ドモンの旦那がどうかなすったので」

 ラズロが苛つき始めたのを見て、ゲイルはため息をついた。不正を憎むくせに、はやとちりとでっち上げで問題をいくつも起こすラズロは、憲兵団の中でもよく思われていない。当然、駐屯兵達の人気も低いのだが、何分割り当て区域が高級住宅街だ。そこから得られる実入りがいいので、駐屯兵であるゲイルへの金払いもいい。ゲイルが彼に付き従っているのは、それ以外に理由がなかった。

「旦那。……いやしたぜ」

 ゲイルが親指で先を示す。そこには、赤く丈の短いドレスを着た女が、息を切らして膝に手を置いていた。どうやら走ってきたようだ。ラズロはぺろりと舌なめずりをしてから、尊大な態度で悠々と彼女の前に姿を現そうと足を踏み出した……その時であった。

「や、またお会いしましたねえ、『タマ』さん。そんなに急いでどちらに」

 聞こえてきた間抜け声に、とっさの判断でラズロとゲイルは姿を隠した!

「ど、ドモンの旦那……」

 タマが疲れきった顔を上げると、そこには猫背気味の身体から見下ろす笑顔のドモンの姿があった。

「おっと……まあその辺にしましょうよ、ねえ? 実は、いい話があるんです」

 ドモンの声は小さくこもり、ラズロの耳には全く届かない。タマと呼ばれた客待ちは、ひたすらうんうんと頷くばかりだ。最終的に一際長く唸る。相当決断が難しいことであるらしい。ラズロとゲイルの二人には、ドモンとタマが何を企んでいるのか、結局わからずじまいであった。

「だ、旦那さん! や、や、やっと追いつき、ました」

 その時である。息を切らせて女がもう一人やってくる。ラズロは少しだけ身を乗り出し、女の顔を確認しようとする。白いフードの女。どこかで見覚えがある。どこかで。

「さ、フィリュネさん。彼女はなんと、協力してくれるそうです」

「本当ですか!」

「なんか知らないけど……旦那が仕事だってんなら、それなりにちゃんとしてる仕事なんでしょ」

 タマは息を整え終えたのか、どこか納得行かなそうな面持ちで茶色のロングヘアをかきあげていた。何にしろ、言質はとれた。フィリュネはニヤリと笑った。大儲けまちがいなしだからだ!

「じゃ、旦那さん。善は急げです。今からペンドラム家のお屋敷に行きましょう!」

「僕もですか? 疲れたんで、帰りたいんですけどねえ」

「あたりまえじゃないですか。夜道で女の子二人ですよ? そんなだからモテないんですよ」

 フィリュネはさらりとドモンに暴言を吐くと、二人連れ立って闇の中へと潜ってゆく。そんな後ろ姿をみながら、ラズロは笑みを浮かべていた。

「ゲイル。……これは、ドモンの奴はとんでもない大悪党やもしれん」

「はあ」

「行くぞ。俺の推理が正しいなら……おそらくドモンの後ろには大悪党がついているに違いない」

 

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