羨望不要(Bパート)
日曜日。ミサを終えた神父イオは、慎重に献金箱の蓋に向け、十字を切っていた。何せ、貧乏教会なものだからミサでもらうことのできる献金は、イオにとっての生命線にほかならない。
「主よ、我に今週いっぱいパンとワインを与え給え……いやワインじゃなくてもいいから、ミルクを……うーん……やっぱパンだけでも与え給え……」
ぶつぶつと届くか分からぬ身勝手な想いをとうとうと語り終え、彼は献金箱の蓋を開け、中身を聖書台にぶちまけた。貧乏教会に集まる信者の層は、おして図るべしだ。もとから過度な期待はしていないが、銅貨ばかりがじゃらじゃら鳴っても、がっかりしてしまうだけだった。
「ひい、ふう、みい、よお、いつ、むう……。おお、主よ……今週もあなたのお陰でパンにはありつけそうです」
「ひとりごとが多いですねえ、あんたも」
後ろから呼びかけられた事に驚き、イオは声の主からまるで逃げ隠れでもするように、必死に小銭をかき集め、献金箱へと戻す。声の主はドモンだった。憲兵官吏は不定休だ。こうして、日曜日でも関係なく見回りをする時もある。
「なんでェ、旦那! 脅かすんじゃねェや」
「脅かすも何も、あんたがぶつくさわけの分からない事を言うから気づかないんでしょう。……んな隠さなくったって、僕はあんたのメシの種まで奪おうなんて考えちゃいませんよ」
ドモンは不機嫌そうに、聖書台の側のベンチにどっかと腰掛けた。イオは聖書台の上で頬杖をつきながら、彼の不満でも聞いてやろうと神父らしく話しかける。
「おお、子羊よ。そのように荒れた様子で当教会にやってきて、いかがなされたのですか?」
「や、実は。先日、客待ち狩りをやりましてね。夜中に呼び出されて、面倒だったもんで適当にやってたんですが……憲兵官吏みんなが結構手を抜いたようでしてね。客待ちを一人も捕まえられなかったんです」
イオは、自他共に認める遊び人でもある。見てくれもいい彼は、生娘から玄人、はたまた人妻まで幅広く遊びを極めているが、あまり『客待ち』を好かない。何せいつ捕まるかわからないという、危険と隣り合わせと言うこともあって、客待ちの女というものは総じて余裕が無く可愛げがない。とにかく穴があればいい、という人間ならば喜ぶだろうが、女との面倒なやりとりを含めて遊びであるとの持論があるイオには、どうにも相手をしたくない人種だったのだ。
「別にいいじゃねェか」
「ところが、そうはいかないんですよ。憲兵団にもメンツがありますからね。来週から二週間ほど、客待ち撲滅キャンペーンって事で、徹底的に取り締まりをするってんですよ。それも、夜中にですよ? これが面倒でなくて、一体なんだって言うんですか」
ドモンはそう怒鳴ると、不機嫌そうにがりがりと寝ぐせだらけの黒髪を掻いた。ただでさえ面倒くさがりなのだ。夜中に仕事をするなど、彼にとって到底容認できるようなことではないのだろう。イオは哀れな憲兵官吏に一瞬だけ信者に向けるような哀れみと慈愛に満ちた聖職者らしい視線を向けたが、そんな視線を向けたからと言ってどうにかなるわけもなかった。
客待ちの仕事は、内容はともかくとして、勤務形態は楽だ。日が高くなるまで寝て、ふらりと裏通りに立てば良い。表通りには立てない。それが南地区のスラムのような治安が悪いところだろうと、北地区の高級住宅街だろうと。客待ちは陰に咲く花、そういえば聞こえはいいが、しょせんはそれまでだ。
大抵、客待ちなどしている人間は、誰も彼もが生活に困っている。おまけに、住む家さえ怪しい者もざらだ。夜だけ現れるものもいる。色街からあぶれ、枯れかけの花が精一杯咲こうとするのが、夜の裏通りだ。いつかは、こうして『枯れかけの花』になるのだろう。
どうしてここまで身を落としてしまったのか、いやそもそも這い上がることができなかったのか、とタマは考える。タマのねぐらは、裏通りの崩れかけのボロ住宅の一室だ。客待ち仲間と身を寄せあって、なんとか暮らしている。
タマとて、一人の年頃の女だ。飾り立てた服を着て、良い物を食べて、まともに恋をしてみたい、と考えている。しかし、客待ちの身では叶わぬ夢だ。なにしろ、生まれ落ちた時から、タマはこの裏通りで暮らしているのだから。
「あたし達は、どうせこのままだぜ」
ある日となりに立った、名前も知らぬ金髪の客待ちが言った。
「女を売れるのは、長くてももう十年。あたし達は所詮、飾り立てた花だ。長くは生きられない。あんたも、気をつけなよ」
ある日よく似た女が、無残に殺されているのを見た。客待ちが住むのはそういう世界だ。殺されても、まともに心配などしてもらえない。だからタマも、友人らしい友人を作らなかった。男も信じなかった。どうせいつか、タマは死ぬ。それで誰かのために何をしてやって、何が残るというのだ。
「わたしは、好きに生きる。生きたいだけなんだ。それの、何が悪いっていうのさ」
小汚いベッドの上に転がり、寝息を立てる男の側で、銀貨を数えながら、財布から金貨を抜き、ひとりごちた。いつもやっている手であった。ダマされる方が悪いのだ。どうせ、隣に寝ているこの男も、良くは分からないが人を食い物にしているのだ。抱かれる女に騙されても仕方のない男に違いない。半ば彼女は強引にでもそう思うようにしていた。そうでもなければ、自分がどうしてこんな楽しくもなんともない仕事をしているのか理由がつかない。
タマは、金の使い道をよく知らぬ。時折、客待ちを食い物にする悪党どもが、ショバ代と言わんばかりに売上をかすめとっていく。元締めがいないということは、こうした暴力で女を支配することしか知らぬチンピラの良い食物なのだ。金髪の女は、それを払えなかったので死んだ。タマは、ショバ代に食うものと家賃、着るもの以外の金の使い道を知らなかった。
きらびやかな大通りの側で、タマはひたすら行き交う金持ちの姿を見ていた。タマの知りたい答えを、行き交う人々は誰も教えてくれなかった。
「いつか、あの通りを歩きたい」
タマは、裏通りから人々を見ていた。いつかその中のひとりとして、歩きたいと願いながら。ただ今の彼女にあるのは、寝息を立てる脂ぎった男の肉体と、おぼろげに揺れるランプで照らされる、カビたベッドと自分だけだった。
一方、フィリュネは、アクセサリーの訪問販売へと向かっていた。最近、ヘイヴンの情報掲示板に訪問販売する旨のお知らせを貼り付けたところ、これが中々反響が大きく、暇を持て余した有閑マダムなどが使用人を通して来るように言ってくるのだ。足を運んだ全てが報われるわけではないが、たまに戯れを起こして買ってくれることもあり、ただ店でぼーっと待っているより効率が良い。
「ええと、このへんかな?」
フィリュネがやってきたのは、ファム・ファタール・ストリートであった。イヴァンで財を成した金持ちや、貴族の別宅が並ぶ高級住宅街だ。どこか場違いな雰囲気に押され、きょろきょろと当たりを見回す。行き交う人々の着る、滑らかで美しい色とりどりの召し物は、フィリュネのあまり綺麗とは言い難い白いフード付きマントとは比べ物にならぬ。
「……さっさと終わらせちゃおう。でも家がなあ……」
「おい、貴様! こんなところで何をしている」
頭上から鋭い声がフィリュネに浴びせられる。彼女が恐る恐る顔を上げると、背の高く鋭い鷹のような目をした男が、そこに立っていた。口を真一文字にしたその男は、白い憲兵官吏のジャケットを羽織り、剣を帯びている!
「聞こえなかったか? ここで、何を、している?」
「いや、その、あの……わ、わたしアクセサリー屋の……」
「何度も言わせるんじゃない!」
ぴしゃりと男はフィリュネの言葉を遮った! いや、そもそも話させようと言う気が無いのやもしれぬ。びくっと飛び上がりそうになる身体を何とか抑えて、フィリュネは男をきっと睨んだ!
「なんだ、貴様! その眼は。怪しいやつめ……」
「怪しいやつじゃありません! 私はアクセサリー屋のフィリュネです。これからペンドラム家の別宅にお呼ばれしているんです!」
男はふん、と鼻を鳴らし、改めてフィリュネをじろじろと見た。周囲も憲兵官吏が大声を発したことに驚いたのか、ひそひそと何か話しながら、こちらの様子を伺っていた。
「ラズロの旦那。いったいどうなさったんで」
いつの間にか、ラズロという憲兵官吏の後ろには、背を丸めた小柄な男が、手もみをしながら立っていた。駐屯兵であることを示す、茶色のジャケットを袖に手を通さず羽織りながら、へらへらと卑屈な笑みを浮かべている男だ。
「うむ。怪しいやつだ。見ろ。マントで隠しているようだが、この俺にはごまかせんぞ。……貴様なかなか……男好きをする身体をしているようだな」
「へへへ……確かに、そのようで」
あまりに失礼な物言いに、フィリュネは身体を掻き抱きながら、さすがに怒気を強めた! 天下の往来で、嫁入り前の女にかけて良い言葉ではない!
「な、なんなんですか、一体! 旦那さん、あんまりにも失礼じゃないんですか!」
「フン。確かにそうやもしれんな。だが、貴様が客待ちなら別だ。憲兵団が今、客待ちの摘発にやっきになっているのは知っていよう。どこの誰か知らぬが、そういう目的でこのストリートに入ってきたのなら、この俺がいる限りは許さぬ」
あまりの怒りにフィリュネはくらくらになり、何も言えなくなっていた。そんな彼女に対し、ラズロは身を屈めてフィリュネにさらなる追い打ちをかける。
「しかし、貴様も事情が分からず入ってきたのやもしれん。今日は許してやろう。早く行くのだな。言っておくが、二度はないぞ。……どうしてもここで商売をやりたい、と言うのなら……まあ、貴様も商売女だ。男の俺にどう願い出るか、その頭でも見当はつこうと言うものだろう? ……ゲイル。行くぞ」
「へい、旦那。……嬢ちゃん、旦那の温情に感謝するんだな」
そう吐き捨てると、二人の男達はゆっくりと去っていった。取り残されるフィリュネ。とまらない周囲のひそひそ話に耐えられなくなり、フィリュネはフードを目深に下ろすと、足早に歩き出す。
目的地の屋敷の裏口の扉を、とんとん叩いた。弱々しい返事の後、老人が顔を出す。彼はこの屋敷の使用人であり、ヘイヴンでフィリュネの店を通りがかり、今回の依頼を決めたのだと言う。
「おお、これはこれは……本当にわざわざ来て下さるとは」
「遅れてしまってすいません。憲兵官吏の人に、へんな疑いをかけられてしまって」
老人はすこしばかり眉を潜める。
「ラズロの旦那ですか」
「確か、そんな名前でした。酷かったです、ほんとに」
「災難でございましたな。あのお方は、仕事熱心がから回って、有る事無い事ならばまだ良いのですが……無いこと無いこと全てをでっち上げようとするのです。お気になさらぬほうが良いと言うもの……さ、中へ」
老人の落ち着いたフォローに、フィリュネはなんとか気持ちを鎮め、屋敷の中へと入った。ただっぴろい、静かな屋敷だ。階段を登り、今回アクセサリーを所望しているという『お嬢様』の部屋の前へと、フィリュネは辿り着いた。老人は立ち止まり、フィリュネが中へ入るよう促す。どうやら、一人でということらしい。意を決して、ノックする。
「どうぞ」
「失礼致します」
フィリュネは巨大な扉を押し開け、これまた巨大なベッドの上で佇む少女の姿を見る。年の頃は、15、6といったところか。ダークブラウンのロングヘアの間から覗く、金色の瞳が、半目で眠そうなまぶたの中から、フィリュネを見つめた。いつも近くにいる気だるげな男の事を考えたが、その数倍は気だるげだった。
「お初にお目にかかります、お嬢様。私はフィリュネと」
「ああ、そういうのはいい。堅苦しいのは苦手だ。……こっちに来なさい」
ふわふわのベッドを叩き、少女はフィリュネに座るよう促す。
「私はタマコ。ペンドラムなどという家名もついているが、今はどうでも良いことだ。フィリュネと言ったな」
「はい」
「実は、アクセサリーなどどうでもいい。お前には別の事を頼みたい。こうして一族と一族に連なる者以外と話せるのは、化粧品か服か、アクセサリーについて商人と話す時くらいのもの。しかも、一族の息がかかっていない出入商人がいないのはアクセサリー屋だけなのだ。許せよ」
タマコは気だるげにゆっくりと、尊大に話した。今日はそれ以上にひどい目を見たので、フィリュネは彼女には冷静な気持ちで話を聞くことができた。
「は、はあ。あの、タマコ様。で、私は何をすればいいんですか?」
「話をする前に、お前にこれをやろう」
タマコはこれまた巨大な枕の下へ、病的に白い手を突っ込むと、まばゆいばかりに黄金に光る、金貨を取り出した。それも一枚ではない。三枚も!
「私にとって、重要なことなのだ。これは前金だ。成功すれば、後もう五枚やる」
フィリュネは今日あった嫌なことが露骨なまでに浄化されていくのを感じていた。金貨が八枚も。八枚もあれば、もう少しいい服も買える。いや、引っ越しを考えることだって……フィリュネの脳内で欲望の星が星座を作り、回転を始める!
「いいか、よく聞け。私は、ここに軟禁されている身だ。しかし、私も年頃の女。世の流行や世情に、心動かされる時もある。それが、今だ。私は、自分自身で、このイヴァンを歩き、眼と耳で聞いて回りたいのだ。そのためには……身替りがいる」




