偽物(パチモノ)不要(最終パート)
「フィリュネさん……なんで」
鉄格子にすがりつく気力をも失い、冷たい石畳の上からフィリュネの姿を見上げる。外の光が彼女から出る後光のようにすら感じた。
「助けに来たんです。その、得意なんでこういうの」
フィリュネは鉄格子の扉をいじり、鍵穴を認めた。鍵は近くにはない。恐らく、スカーフェイスなるこの事務所の主人が持っているのだろう。
「……ちょっと待っててくださいね。開けてみますから」
「なんで、僕を助けに来てくれたんです……カールは死んで、僕はもう一人ぼっちなんだ。僕は……何のために生きればいいんだ……」
フィリュネは鍵穴に器具を突っ込む手を止め、彼女を見た。強い視線。その目に、非難の色も憐れみの意味も無かった。
「生きるために生きて下さい。そりゃ、生きるのは辛いですよ。カールさんも死んで、また大変だと思いますけど……生きることから逃げちゃダメです」
「他人事みたいに言わないでくれよ」
「他人事ですからね。だから、これも私の勝手です。逃げましょう」
器具をいじり終えると、鉄格子の鍵が外れ、錆で擦れた音をかき鳴らしながら、重苦しく扉が開いた。手錠の鍵にも器具を突っ込みいじると、あっという間に手錠が外れる。フィリュネはクリスに手を差し伸べる。彼女は少しだけ迷った後、フィリュネの手を取り立ち上がった。
地下牢を抜けたところで、二人の逃走劇はあっという間に終わりを迎えた。ガラの悪い男達、先ほどクリスをさらったツンツン頭とその仲間二人、おまけに、スーツを着込んだ大柄な男が待ち受けていたのである!
「……ネズミめ。俺のギルドに何の用だ? そいつを連れてどこへ行く」
強面の顔に顔を横断するように何度もついた傷。スカーフェイスと呼ばれている男だ、とフィリュネは直感した。そしてこの状況は、非常にマズいであろう、ということも。
「えーっと……友達、とかじゃダメでしょうか……。ダメですかね?」
「……おい、さっき地下牢から最後に出たのは誰だ」
スカーフェイスが地響きのような声で言う。誰もが彼の視線から目をそらす。直接見られていないフィリュネとクリスの二人ですら、威圧感からその場に釘付けにされてしまった。
「ボス、あ、アルスのやつです。俺ァ、ちゃんと鍵をかけろって言ったんですが……」
卑屈そうな中年の男が、下卑た笑いを漏らしながらスカーフェイスに言った。彼の名はジョナサン。スカーフェイスのギルドが壊滅する以前からずっと働いている古株である。彼は罪もない新入りに疑いを向けさせいたぶるのが何よりも趣味なのである! しかし、今回の件に関して言えば、地下牢の鍵をかけるのを忘れていたのはアルスのミスである。ジョナサンの言い様は尤もなのだ!
「馬鹿野郎!」
スカーフェイスの鉄拳が飛び、ジョナサンの顔にめり込み吹っ飛ぶ! 棚に突っ込み皿やらコップやら、入っていたものがこぼれ落ち割れる!
「ジョナサン、ならテメエが指導してねえのがいけねえんだな。エエ? どうなんだ!」
スカーフェイスの左ストレートがジョナサンの顔にめり込む! 血が飛び、歯が飛ぶ! ジョナサンは何の弁解もできず気絶し動かなくなってしまった。理不尽に見えるようだが、これがスカーフェイスのやり方なのだ。責任を自分ではなく、他者のものであると思わせる。自分がこうなることを想定すれば、人はスカーフェイスの言うことに従順になる他ないのだ!
「クズが……アルス。今回は許してやる。ジョナサンの指導不足だ。だけどな、お前もケジメつけろや」
すっかり顔を青くしていたアルスだったが、スカーフェイスの言葉に飛び上がりそうになるのを我慢し、彼の視線を受け止めようとした。
「いいか。この女をバラせ。お前が連れてきたほうは地下牢にぶち込んでおく。『就職先』が決まってんだ。逃すわけにゃあいかねえ」
フィリュネの顔色が真っ青になるのを見ながら、アルスは重苦しいプレッシャーに悩まされていた。一日に、二度も殺しをしなくてはならない。その事実は重かった。柄を握ろうとする手が震え、ようやく剣の柄を握った時、事件は起こった。いきなり事務所の扉がけたたましく叩かれ始めたのだ。
「おい! いるんだろう! 憲兵団だ! ちょっと話を聞かなくちゃならん!」
スカーフェイスは舌打ちすると、部下の一人にジョナサンをすぐに片付けるよう指示した後、扉に向かってできるだけ平静に聞こえるように答えた。
「すみませんサイの旦那、今取り込み中なんです」
「こっちも緊急なんだ。開けないならここを蹴破るぞ!」
扉を叩いているのは、憲兵官吏のサイだった。以前、ドモンと仲が良いということを聞いたことがある。フィリュネの顔色が戻り始め、安堵から人知れず息を吐いた。ようやくジョナサンを隣の部屋に移動させたのを確認し、スカーフェイスは事務所の扉を開けた。他の連中は落ちた皿だのコップだのを掃除している。サイはため息をつきながら、質問した。
「一体何の騒ぎなんだ」
「ウチのジョナサンが棚にぶつかって倒しやがったんですよ。すみませんねえ」
「……実はな。俺の知り合いの知り合いが、ここの事務所に入っていったって……お、そうだ、そいつだ」
サイはフィリュネを指さすと、できるだけ不遜な態度で彼女に近づいた。サイにとってみればここは敵地である。ナメられないための手段なのだ。さりげなくフィリュネに近づくと、短く耳打ちした。
「……ドモンのやつから情報を貰ってな」
スカーフェイスはそれが気に入らなかったのか、サイに向ける表情をいつもより恐ろしげに変えた。今まさにフィリュネとともにいる少女・クリスは、自分の犯罪を立証する証拠そのものなのだ!
「旦那、一体何なんです。その女は勝手に侵入してきたんだ。私には関係ない」
「だろうな。この女は連れて行く。今日、ここじゃ何も無かった。それでいいだろ」
サイはフィリュネの手を引く。共に出れば、クリスも自由の身だ。憲兵団のお墨付きでだ。しかし、クリスはフィリュネの手を離してしまった。しかも、自分の意志で。
「クリスちゃん……? 行こう?」
「おう、嬢ちゃん。それはダメだ。その子から何を聞いたか知らないが、その子は就職先を決めてるんだ。この後も、打ち合わせがあるからな。旦那の顔を立てて、ここに入り込んだことは忘れてやる。さっさと行け」
クリスはなにも喋らない。俯いたまま、立ち尽くすのみだ。フィリュネは何度もクリスの名を呼ぶが、反応はない。
「フィリュネちゃんだっけ? 行こう」
「ダメです……ダメですよ! クリスちゃん、一緒に帰りましょう! 生きるんですよ、カールさんのためにも……」
「出来ない」
クリスが俯いたままつぶやく。押し出すように。
「出来ないんだ。僕は、フィリュネさんみたいに、前向きに生きることはできない。もうダメなんだ。限界なんだよ……」
「そんなの……わからないじゃないですか! 生きるんです! 自由に、カールさんの分まで!」
必死に彼女にすがりつこうとするフィリュネを、サイは羽交い絞めにして引き止めた。彼には、全て察しがついていた。クリスはスカーフェイスにどこか遠くへ売られることも、自分がフィリュネを助けることは出来ても、商品となってしまったクリスを助ければ、スカーフェイスに潰されるのは自分であるということも。そして、彼女を助けたからといって、スカーフェイスを完全に潰すことはできないということも。
「僕の部屋の鍵……中のもの、全部フィリュネさんにあげる。ベッドの下のものも」
「そんな……何言ってるんですか!」
クリスはフィリュネの首に自分の部屋の鍵のついた紐をかける。それが、彼女のさよならの合図だった。
「もうやめろ、フィリュネちゃん! おい、また来るからな!」
強引にサイに連れだされたフィリュネには、それ以上取りうる手段を持たなかった。ただ、泣いた。サイに連れられ、ソニアに引き取られてからも、ずっとそうしているばかりだった。部屋に帰るまで、彼女の涙は止まらなかった。
夕方。部屋に帰った後、ようやくフィリュネは泣くのを止めた。
「悔しいのか」
部屋の中でも黒いサングラス姿のソニアがタバコを吸いながら、ぶっきらぼうに聞いた。彼はいつでも、フィリュネの思うことの中心を撃ちぬいてくる。そうだ。悔しい。フィリュネはただただ自分の無力さを痛感した。何もできなかった自分が腹ただしかった。フィリュネは涙を袖で拭い、怒りとともに自分とソニアの部屋の扉を押し開ける。隣の部屋の鍵穴に、貰った鍵を突っ込み、整理整頓された狭い部屋を見渡す。ベッドの下に、衣装箱が入っていた。中には美しいドレスが一着。彼女の思い出が詰まった一着だろう。
フィリュネは夕方となり、逢魔が時の赤く染まった街を走る。手には、美しいドレス。これを着ていた少女は、どこか遠くへ売られてしまった。フィリュネはその処分を託された。自分ができることのために、彼女にしてあげたいことのために、使いたいと思った。
聖書台の回りには、既にドモンとソニア、そして教会の主イオが、聖書台の上のロウソクの炎を見つめていた。フィリュネが断罪の依頼を持ってくるのだと聞き、彼女を待っているのだ。
「話は分かったか」
ソニアが語り終え、ドモンとイオはうつむきがちに頷いた。それぞれ、自分たちに非が少しあるような気がした。
「僕らは断罪人です。金さえあって相手が悪党なら、お望み通りたたっ殺してやりますよ。ですが、フィリュネさん金持ってるんでしょうね? 金が無いんじゃあねえ」
「同じく。嬢ちゃんの頼みでも、俺はただ働きはしねェ」
ドモンとイオは口を揃えた。ソニアも、身内の頼みとは言えタダで動く気は無かった。しばらく男達の間で沈黙が続いたが、教会の扉が開き、フィリュネがゆっくりと入ってきた。
「話は聞きましたよ、フィリュネさん」
「なんというか……残念だったなァ」
そう二人が呼びかけるのも聞こえないように、フィリュネは財布から八枚の金貨を聖書台にばら撒いた。思わぬ大金に、三人は目を丸くする。
「クリスちゃんの部屋にあった、高そうなドレスを売ってきました。一人金貨二枚。標的はイヴァン塩貿易ギルドのギルド長、スカーフェイス。新しく配下に加わったギルド員のアルスとその部下二名です」
ソニアはたばこを床に押し付け消すと、吸い殻を咥え直し、金貨を二枚取った。ドモンとイオもそれに続く。ソニアとフィリュネは、連れ立って夜の闇に消えていった。教会には、イオとドモンの二人だけが残されていた。
「相手は憲兵団も手玉に取る大物って聞いてる……割にあわねェよなあ、旦那」
イオはぶつぶつ文句を垂れながら、ドモンに同意を求めた。
「それだけ安い命ってことでしょう。クズにはお似合いですよ」
ドモンは歯を剥き笑う。イオも釣られて笑った。どうせクズ同士だ。死ぬのが遅いか早いかどっちか、試してやるのも面白いだろう。
「では、後はお願いします」
馬車の荷台を引き継ぎ、イヴァンの西大門から遠ざかる馬車の影を見ながら、アルスは胸をなでおろしていた。クリスと呼ばれた少女は無事出荷される。どこへ運ばれ、何をされるのかは聞かされていない。
「アルス、俺達は先に戻るぜ」
ガイの顔色はあまり良くなかった。始めて人を食い物にしたのだ。当然だろう。ミエラは逆に肝が座ってしまい、自分より作業に積極的だった。ともかく、アルス達は使えることを証明した形になる。これからは、もっとスカーフェイスにアピールをしなければ。
その時である。骨を折るときのような、空気が破裂する音に似た音が辺りに響く。ガイが巨体を起こし、回りを見回すが、深夜のイヴァンは暗く、月明かりの下では何が起こっているのかわかりづらい。
「なによ、この音」
「わかんねえ。アルス、ちょっと俺向こうをみてくるぜ」
「頼む」
ガイが暗い曲がり角の先を見に行くと、そこで誰かにぶつかった。大男のガイには、蚊が刺したようなものだった。男が尻もちをついており、倒れている。
「おっ、すまねえ。暗くて見えなかったんだ」
「こちらこそ、失礼を致しました」
ガイが手を差し出すと、ちょうど曇がかっていた月が晴れ、男──イオの顔を浮かび上がらせた。美しい顔に、さわやかな笑みを浮かべており、左手にはロザリオが握られていた。彼が右手でガイの手を掴むと、一気にガイの体が痙攣し始める! 右手には短い痺れ針が握りこまれていたのだ! そんなことに気づくことも出来ず、ガイはただ痙攣するのみだ。イオは容赦なくロザリオの先を喉に押し込む! ゼンマイが回転し、先から飛び出した針が喉に打ち込まれ、ガイは絶命! そのまま倒れこんでしまった。
イオはそのまま夜の闇に溶け込み、消えた。
「ちょ、ちょっと……嘘でしょ。ガイ、ガイ!」
ガイが倒れ、ミエラが走って近づくも、既にガイの巨体は冷たくなっていた。顔を手で覆い、パニック状態に陥りそうになる自分をなんとか押しとどめようとするミエラ。そんな彼女を、アルスはどこか他人行儀に見ていた。何が起こっているのかわからない。自分が人を殺し、ガイが死んだ。なぜ? 答えを出すことができなかったアルスは、剣を反射的に抜いた。
「ミエラ! 身を守れ! ヤバいぞ!」
「で、でも……」
ミエラはなにか言おうとしていたが、次の瞬間頭を吹き飛ばされ死んだ。アルスが通りの建物の屋根の上に、黒い影を見た。屋根の上にはソニアがおり、拳銃の硝煙を吹き消していた。そんな状況を分析する間もなく、次の瞬間にはアルスの中では恐怖が優っていた。いったい自分に何が起こっているのだ。次に死ぬのはもしや……自分なのではないのか。
「や、これはこれは。誰かと思えば、魔王を倒そうと立ち上がった勇者殿じゃないですか」
アルスは声がする方に切っ先を向ける! 建物と建物の間の細い通りの影から現れたのは、いつぞや捕まりそうになった憲兵官吏だ。あの時は恐ろしかったが、今となっては味方──いや、そんな保証はどこにもない。
「け、憲兵の旦那……頼む、仲間が……仲間が殺されちまったんだ。助けてくれ」
「助けて? おかしな事言いますねえ。あんた、魔王を倒そうとしてるんでしょ。そんなら自分の実力で何とかしないとダメじゃないですか」
「馬鹿言うな! 仲間が殺されてるんだぞ! お、俺はスカーフェイスさんのギルドで働いてるんだ! つべこべ言わず、助けろよ!」
ドモンはぼりぼりと頭を掻いた後、言葉を続けた。
「剣を抜いてるのに何を怖がっているんだか。いっそのこと死んじまったほうがあんた自身のためじゃないですか?」
「てめええ!」
アルスが怒りのままに振り下ろした剣を、ドモンは神速の抜剣で受け流す! 一歩踏み込み、アルスの胴を真一文字に両断! アルスは剣を取り落とし、腹をかかえる。血が、臓物が、命がこぼれ始める!
「あの世で本物に、勇者の何たるかを語ってもらえ」
ドモンは首に刃を当て、息を吐き、大きく振り抜いた。アルスは絶望に表情を固定させたまま、惨たらしく死んだ。ドモンは剣についた血を振って納める。月はまた雲に隠れており、ドモンはゆっくりと夜の街を歩くのだった。
スカーフェイスは今日の儲けを計算し終え、帰路へとついていた。脳内では今後のビジネスに想いを馳せている。人身売買はやはり儲かる。アルスたちをうまくこき使えば、また今まで通りの、いや今まで以上の儲けを得られるだろう。
「カタギに戻るのはまだ先だな……今はとにかく、カネだ」
含み笑いを漏らしながら、夜の街を歩く。細い通りの中央に、スカーフェイスは人影を見た。誰かがうずくまっている。
「おい、誰だ。そんなところで……」
フードを被った、小柄な影。肩を揺らすが、頑として動こうとしない。
「こんなところだ。危ねえし風邪を引くぜ」
肩を持ってこちらを振り向かせると、中身は女だった。しかも、昼間事務所に忍び込んできた女──フィリュネだ。それだけならスカーフェイスは何の反応もしなかっただろう。だが、女は銀色に鈍く輝くナイフを手に布で固定していたのだ!
「死ね!」
つきだしたナイフを、スカーフェイスは顔をかすめながらも避ける! フィリュネは勢いで地面から土埃をあげながら転がるも、目は死んでいない! スカーフェイスは直感する。殺しに来ている。
「待て、待てよ、嬢ちゃん。そんなちっぽけなナイフで殺せるわけねえだろう。やめとけよ……」
フィリュネは聞く耳持たず、スカーフェイスに突進! スカーフェイスはフィリュネの手首をうまく掴むと、そのまま建物の壁に押し付ける! 左手で首を掴むと、そのまま押しつぶさんと体重をかけた!
「甘いんだよ、お嬢ちゃん! その程度で殺されるスカーフェイスだと思うか、エエ? 後悔して死にな!」
スカーフェイスがさらに体重と握力を込めようとしたその時である! 通路に銃声が高らかに響き、スカーフェイスの腹を銃弾がえぐった! 一気に力を失ったのを機に、フィリュネは手の拘束から逃れ、憎悪と共にスカーフェイスの心臓めがけナイフを押し込む!
「あぐあッ……」
スカーフェイスはマヌケな声を吐き、目を丸くしていたが、そのまま仰向けに倒れこみ、動かなくなった。フィリュネの息は荒く、止まらなかった。ようやくナイフを抜いたところで、屋根の上から降りてきていたソニアが彼女を抱き上げる。二人の間に言葉はなかった。フィリュネは、安心からなのか意識を失っていたのだった。
三日後には、クリスたちが入っていた部屋には次の住人が入っていた。聖人通りのアパートはそういうものなのだ。常に誰かが入り、誰かが去っていく。フィリュネは今日も店番をしていた。ヘイヴンで行き交う人々を見ながら、フィリュネは考える。この中で、何人が本当に自分が思うがまま生きられているのだろうか。自分は、思うがまま生きることが出来るだろうか。
「……そんなの、生きてみないとわからないよね」
そう自分の中で結論付けると、行き交う人々にアクセサリーの宣伝を威勢よく始めた。明日には、自分も、ソニアも、どうなっているかわからない。だから、精一杯生きるしか無いのだ。
偽物不要 終