偽物(パチモノ)不要 (Cパート)
「それで、土産を持ってきたそうだな?」
スカーフェイスはその名に恥じぬ強烈な威圧感と視線を、アルス一行に投げかけていた。立膝をつき、頭を下げる三人組を、スカーフェイスはゴミでも見るように見ていたが、不意に部下を部屋から下げさせると、アルスの顎をぐいと掴み顔を寄せる。
「何を持ってきた? お前がイヴァンの運河の塵になるかどうかはそれで決める」
「は、はい……女です。上玉の」
冒険者としてそれなりの修羅場をくぐったアルスでも、この男の目の前に立てばどうしようもなかった。スカーフェイスはその存在自体が修羅場であり、彼が本気ならば常人を威圧感で失神させることくらいわけないのである!
「女。上玉の」
「はい! そうなんです、スカーフェイスの旦那。いつだったか、困ったときにはいつでも来いと言ってくださったじゃありませんか」
これはハッタリだ。そもそもアルスはスカーフェイスという男が非合法ビジネスに手を染めており、冒険者にそういった勧誘をかけている、という噂程度しかしらないのだ。
「フン、まあ冒険者は腕っ節の強い奴が多いからな。……だがな。それも昔の話だ。俺は今はカタギ同然でな……」
「そんな!」
アルスが絶望混じりの声を上げた瞬間、スカーフェイスの右ストレートが頬に打ち込まれ、アルスは吹っ飛ぶ! 口の中を切ったのか血が流れる。手についた血を確認する暇もなく、今度は左頬を殴られ吹っ飛ぶ!
「やってくれたな、エエ? これで俺はまたお尋ね者よ。今度は本当に塩の交易で一山当ててやろうと思ったのによ……」
「すいません」
スカーフェイスは何事もなかったかのように、スーツの紫色のポケットチーフを取り出すと、優雅に手についた血を拭った。アルスは這いつくばり、ぼたぼたと血を流していた。口から、鼻から血が止まらない。そんなアルスを見て、スカーフェイスは歯を剥いて笑った。
「冗談だよ。カタギに戻る? 笑えるぜ。お前の手土産とやらは売り飛ばして、事業資金にしてくれる。……おう、お前にも手伝ってもらうぞ。お前の連れにもな」
フィリュネは配達を終えた足で、憲兵団本部に足を運んだ。門番から通され、ロビーへと通されると、憲兵官吏は忙しそうに右往左往働いているようであった。いや、一人だけそれに当てはまらない男がいた。ドモンだ。あくびをしながら、執務室から出てきたところだった。
「ドモンの旦那さん!」
フィリュネに呼ばれたことでいかにも眠そうな顔をこちらに向けてきたドモンだったが、聞こえなかったような素振りでまた別の方向に歩き始める。そんな彼を走って追いかけ、無理やり袖を引っ張ることで、ようやくフィリュネのことを認識したようだった。
「何で無視するんですか!」
「何でって……いいですか。あんたが僕に持ち込んでくるのは、大抵トラブルだってきまってるからですよ。そして、僕は忙しいんです。さ、帰った帰った」
「どこが忙しいんですか! 口元にクリームつけて! どうせケーキでも食べてたんでしょ!」
ドモンが必死に袖で口を拭うも、時既に遅し。執務室の向こうから騒ぎを聞きつけ、ガイモンがデスクから立ち上がる姿が見える!
「や、や、まさかあ。え、えーと。何でしたっけ。静かなところで話を聞きますから、こっちへ……」
ドモンがフィリュネの肩を押し、応接室へ押し込むと扉を閉めた。喧騒が途切れ、部屋には二人だけが残される。
「……フィリュネさん。あんたね、何があったのか知りませんけど大騒ぎはやめて下さいよ。変なふうに見られでもしたら……」
ドモンの言い様には目もくれず、フィリュネは応接室の柔らかいソファーに体を沈めていたが、ふと我に帰り真剣な顔でドモンに事の次第を話し始めた。
「私の知り合いの、古物商をやってるクリスちゃんが……大変なんです!」
イオの静止を振り切った後、フィリュネは胸騒ぎを覚え、怪しいリヤカーの三人組を追いかけていた。三人組はとある事務所のそばまで来ると、リヤカーにかけていた布を取り……中でぐったりしているクリスを引きずり出し、抱えて事務所へと運び込んだのである!
「そりゃあんた……誘拐じゃありませんか!」
「でしょう! はやくあの事務所に行かないと……」
ドモンは口を手で覆い、少しだけ考える。
「……ちょっと待った。その事務所、なんてとこです」
フィリュネもドモンと同じようにどうだったかを考えていたが、やがて思い出したのか指を鳴らした。
「ええと、そう。塩貿易ギルドとか書いてありました!」
ドモンは頭を抱えるしか無かった。ついさっき、ヘイヴン北辺りでマフィアの大物・スカーフェイスが塩の貿易を始めたと言うことを聞いたばかりだ。
「マズいですねえ……そこはマズいですよ。スカーフェイスってんですけどね。前は人身売買で大儲けしてたんですが、こないだ捕まりましてね。その間にルートを全て潰してやったんです。つまりは、名目上やつは一般人に戻ったってことです……」
「じゃあ、なおさらおかしいですよ! 全然反省してないんですから!」
フィリュネの言うことも尤もだった。しかし、スカーフェイスの恐ろしいところは、人身売買組織の全貌を、結局バラさなかったことだ。奴が頭目なのは間違いないが、細かく分業し、自分が何をやっているのかも分からなくさせていた。結果、憲兵団は未だ彼の組織を捉えきれていない。頭を潰さない限り、いくらでもルートは復活しうるのだ。
「その通りです。ですが、憲兵団は慎重になってます。仮に本当に奴が人身売買をやり始めたからといって、すぐに踏み込めばまた釈放されるように段取りをつけてくるでしょう。そうなれば、二度とヤツはしっぽを出さない」
「何が言いたいんですか」
ドモンは珍しく言いにくそうに頭を掻いた後、意を決してフィリュネに言葉をぶつけた。
「憲兵団は、目先の被害者より、今後スカーフェイスを叩き潰す方を優先するでしょう。……一応、管轄の官吏で僕の友人にも言っておきますけど……」
「でも、人が……」
「僕はそう思ったりしませんけどね。こうなったら、憲兵団は貴族でも攫われない限りは動きませんよ……残念ですが」
ドモンはそう言うと、逃げるように応接室を去った。フィリュネは自らの膝の上で拳を固めたまま、動けなかった。悔しかった。ドモンは、諦めろと言っているのだ。クリスのことなど、何も知らない。せいぜいが、朝挨拶をするくらいだ。苦労して、カールという老人と暮らしている。健気な少女だ。同じ人間なのに、なぜ貴族と比べられなければならないのか。
フィリュネは拳と共に決意を固めていた。憲兵団が頼れないなら、自分でやるしかない。
「アルス、ねえ! あんた頭おかしいんじゃないの!」
ミエラがヒステリックに叫ぶ。彼女の金切り声が、地下室に響いていた。アルスは耳を塞ぎもせず、地下牢へと繋がれた少女を見る。左手首に、頑丈な鉄製の手錠。自分が連れてきた少女だ。
アルスには金がない。道もない。未来もない。だが、負け犬として故郷に帰ることだけはゴメンだった。少女を見たとき、チャンスだと思った。彼女を金にできれば、全てが変わると思った。大物・スカーフェイスに取り入り、邪道を歩み、金を掴むのだ。
「ミエラ、そう言うなよ。アルスだって、考えて考えてこういう手段を取ったんだぞ」
ガイがアルスを肯定する。アルスが彼を連れている理由は二つある。腕が立つこと。そして、馬鹿でアルスの事を信じきっていて、常に肯定してくれるからだ。ミエラはそれなりに常識があるので、ガイをぶつけてやると黙る。彼女は多数決で自分の意見が負けると、自分の意見を間違いだと思うタイプだからだ。
「でも……アルス。ねえ、大丈夫なのよね。金はともかく、私殺されるのだけはゴメンだよ。あいつ、アルスをぶん殴ってきたし……」
「スカーフェイスの旦那は大丈夫さ。使える間は絶対にな。……お前らも、下手を踏むなよ」
その時だった。鎖が石畳をこする音が、地下室に響いた。少女が起きたのだ。ぼうっと光るロウソクが、ねっとりと地下室を照らしている。少女──クリスはようやく自分の左手首の手錠に気づく。そしてアルスを見て、鉄格子にすがりついた。
「なんで……どうして! カールを……カールをなんで殺したんだよ!」
「あんたが商品になると思ったからだ。悪く思わないでくれ……俺には……俺達には金が必要なんだ」
クリスは全てを察し、泣いた。地下室に響く声で。自分が最後に失ったものを悼むように。そして、とうとう自分には失うものが無くなってしまった事実に絶望した。涙はすぐに止まった。こうして泣いても、イヴァンには、この帝国には、いやこの世界には、自分に同情してくれる何者をも存在しなくなってしまったのだ。
「僕は……僕はどうなるんだ……」
「スカーフェイスの旦那によれば、お前はこれから……売られる。どこかは教えてくれなかったよ」
アルスは無表情に、淡々と述べた。自分に非がある、恨んでくれて構わないといった表情で。ミエラやガイは少女に視線を向けることが出来ず、さっさと地下室を去ってしまった。
地下室には、誘拐した者とされた者、二人だけが残された。
「カールを殺した。お前は……なんで殺した。なんで殺す必要があった。彼は、彼は……僕の、たった一人の……たった一人の家族だったんだ……」
クリスの言葉は嗚咽で詰まっていた。そんな状況にも、アルスには全く響いていないようだった。クリスには、暗い地下室の中で彼の表情を伺いしることは出来なかったが、言葉に体温がこもっていないことだけはよくわかった。
「決まってるだろ。すぐそこにいて、狙いやすかったからさ……」
アルスが地下室を後にすると、そこは暗闇そのものに変わった。クリスには、なんの力も残されていなかった。自ら死を選び、この世の苦しみから開放されようとするための力すら、クリスには許されていなかった。
「カール……」
かつての老執事の名を呼ぶ。お嬢様、と呼ぶ声は聞こえなかった。その代わり、再び扉が開いた。眩しい光がクリスの顔を襲い、顔をしかめながら手でひさしを作る。
「クリスちゃん!」
力強く自分を呼ぶ声。隣人のはつらつとした声。そこに立っていたのは、フードを深く被った小柄な影……フィリュネだった。




