第16話
表通りから少し外れた高級料亭の一室。
上座に座る恰幅の良い男、三大ギルド監査委員会の委員長は、満足げに冷酒のグラスを傾けていた。
「倉間君。先日のマスコミ対応は見事だったよ。ハイエナのような彼らを威圧で騙されたのは実に痛快だった」
「別に、俺は、俺が守るべき名誉を守っただけだ」
三大ギルド監査委員会。
これは、串間高校を代表する三つのギルド、『ミリオネア・ラウンド』『アトラス』『アビス・ダイバーズ』の三つの実態を監査する組織だ。
倉間の目の前に座るのは、委員長の橋田。
もうそろそろ、任期が終わるが、おそらく引き続き、委員長を務めることになるであろう男でもある。
「守るべき名誉。か……まぁいい。君がミリオネア・ラウンドを守れば、私のところまで責が飛ぶこともない。私の任期の間に問題が起こらなければ、それで構わないからねぇ」
「なるほど、正直に言えば、冷や汗がびっしょりだったと」
「あまり、大人の沽券を傷つけるようなことを言わないでくれんか?」
「沽券を傷つけたくなくなるようなカッコいいところ、アンタには一個もねえからな」
「っ……」
こうして高級料亭と言う席を用意した以上、体裁というのはあるだろう。
ただ、倉間としては遠慮がなく、橋田は苦虫を噛み潰したような顔になるだけだ。
おそらく、これまでにも、似たようなことはあったのだろう。
倉間としては、多少の嫌味は言いたくはなるが、別に引きずり降ろそうとは思わない程度……。
要するに、橋田のことを悪だとは思っていないが、三大ギルドを監査する立場のトップとして器が足りていないとは思っている。
そんなところだろう。
「と、ところで、今回のあの威圧はなかなか見物だったが、これまでやっていなかったはずだ。何故、やらなかったのかな?」
「……ん? あぁ、まぁ、記者を黙らせる方法なんて、俺くらいになるといろいろあるからな。一番楽なのは威圧で黙らせることだが、条件がかみ合っただけだ」
「その条件とは?」
「あの会見の場にいたのは、他所の探索科学校の御用記者と、ゴシップが大好きなハイエナばかりだった。言い換えれば……」
倉間は橋田を真正面から見る。
「あの場には、涼花を守ろうって考えてた身内は、俺しかいなかった。目の前にいるのは全員『敵』だった。それだけだ」
「な、なるほど……」
流石に、身内が目の前にいて絨毯爆撃などやらない。
それをやっても問題ない環境だったからこそ、威圧で黙らせた。
……もっとも、『目の前にいるのが全員敵だった』から威圧を選ぶということは、身内だろうと敵認定さえすれば、あの殺気が飛んでくるということでもあるが。
「ところで、委員長。最近、ちょっと面白い名前を耳にしましてね」
「ん? なんだね」
「『カサンドラ総合研究所』……委員長、ご存知ですか?」
倉間が尋ねると、橋田はグラスを置く手をピタリと止め、怪訝な顔をした。
「……カサンドラ? 聞いたことがないな」
倉間はスマホの画面を操作して、あるウェブサイトを表示し、テーブルの上を滑らせた。
「いや、俺の知り合い……ちょっとばかり『経済に明るいガキ』のところに、ここのアナリストが視察に来たらしいんですよ。なんでも、ギルドの監査委員会にもレポートを出してる優秀な組織だとか」
橋田は眉をひそめながら、滑ってきたスマホの画面を覗き込んだ。
そこには、カサンドラ総合研究所のトップページと、デカデカと掲げられた企業理念が映し出されていた。
『適切な負債で、安全な未来へ』
そのキャッチコピーを見た瞬間。
橋田の顔に、あからさまな不快感が走った。
「……あぁ。思い出したよ。三年前、私のところに鬱陶しいレポートを持ってきた連中だ」
「ほう。どんなレポートで?」
倉間が探るように目を細める。
「馬鹿馬鹿しいシミュレーションだよ。『現在の安全体制は、いずれ魔物の進化や装備の供給不足で破綻する。だから今のうちに大規模な借金をしてでも、防衛インフラを根本から作り直すべきだ』……とな」
橋田は鼻で笑い、冷酒をぐいっと煽った。
「呆れたよ。彼らは数字の遊びに夢中で、現実の組織運営を分かっていない。ただでさえギルドは予算が厳しいんだ。そんな『起きるかどうかも分からない未来の危機』のために借金を抱え込んで、運営を悪化させろと言うのか? 私の任期中に、そんな無責任な汚点を残せるわけがないだろう」
「……なるほど。で、その提言を蹴り飛ばした、と」
「当然だ。ギルドの決算は美しくなければならない。だから彼らにはお引き取り願ったよ」
橋田にとっては、自分の経歴を守るための『正しい経営判断』だったのだろう。
だが、倉間の頭の中では、今の一言でバラバラだったパズルが不気味な音を立てて繋がり始めていた。
(三年前、カサンドラは『今の体制では破綻する』と予測し、監査委員会はそれを無視した。……そして、その一年後)
倉間の脳裏に、血の匂いと、空を覆うほどの魔物の群れの記憶が蘇る。
――二年前の、大スタンピード。
絶対に安全だと言われていた防衛線が、前触れもなく決壊したあの日。
倉間たち『最強の三人組』が、文字通り命を削って鎮圧しなければ、街が一つ消え去っていた未曾有の人災。
(まさか、カサンドラのシミュレーションは当たっていたのか? ……いや、だとしたらなぜ、彼らは今になって再び動き出した?)
あの時、スタンピードという『破綻』は現実に起きた。
しかし、委員長たち上層部はそれを「イレギュラーな自然災害」として処理し、倉間たち英雄の活躍という『美談』で蓋をした。
結果として、ギルドは借金をすることなく、安全神話は現在まで延命されている。
「……綺麗な経営。ですか。なるほど」
倉間はスマホを回収し、立ち上がった。
まだ確証はない。二年前のスタンピードが彼らの仕業だとは、流石の倉間としても想像が飛躍しすぎている。
だが、一つだけ確かなことがある。
(三年前の予測が正しかったのだとすれば。奴らは『次の破綻』が近いことを嗅ぎつけて、アンジュのところに現れたってことだ)
「おや、もう帰るのかね倉間くん」
「ええ。英雄様は忙しいんでね」
料亭の部屋を出た倉間は、薄暗い廊下で低く舌打ちをした。
腐った土台を隠し続ける大人と、未来の破綻を囁くシンクタンク。
その間に挟まれるのは、いつだって前線で血を流す探索者たちだ。
(正しいことと、必要なことは違う。どんな正しいように見える提言でも、必要なければ蹴っていい。それは確かだ)
倉間は料亭を出て、一度だけ、振り向く。
(だからこそ、判断する立場にある人間は、『必要』を嗅ぎ取る嗅覚が求められる。必要なことをやらない組織は、その分の報いを受ける)
倉間は料亭に背を向けると、再び歩き出した。
「……まっ、だからこその『備え』か」
そんなことを呟くと、倉間は去っていった。




