12 さよなら、三十日の恋人
豪奢なシャンデリア。
ホールに入った瞬間、明るい光が目を焼いた。
集まった大勢の人たちは食事に、ダンスに、会話に夢中になり、楽しそうな声に満ちている。
水に入ったような耳にも美しい演奏が流れていると分かった。
「リアムさん⋯⋯」
「何だ?」
「あの、今さらですが、すっっごく恥ずかしいです」
「⋯⋯気にするな」
しかし、今、私は顔を上げられないほどの羞恥に襲われている。
簡単に考えるのではなかった。
一人、パートナーに抱えられて移動しているのがどれだけ恥ずかしいことか。
道行く人が、どうしたんだ? と顔を向ける。
何でもないような表情で歩くリアムを見て、貴婦人が、片時も離れたく無いのかしら、と頬を染める。
私とリアムが他人の目には熱い恋人同士に見えるようで、遠巻きに生暖かい視線が送られるのだ。
「⋯⋯なんならダンスもこのままするか?」
「え!? い、いや、できれば遠慮したく⋯⋯」
「冗談だ。そんなに慌てなくても良い」
リアムは、ふ、と唇の端で笑って、誰でも座れるよう準備してある椅子に腰かけた。
「⋯⋯?」
隣に座ろうと、身体を動かすが、身動きが取れない。
「⋯⋯あの、リアムさん?」
「何だ?」
「ありがとうございます。私、隣に座ります」
「ここで良いだろう」
なぜ。いや、良くないだろう。
リアムがいくら鍛えているといっても、成人女性の体重を抱えているのは体力を消耗するはずだ。隣は空いているのに。
身をよじると、ぎゅう、とさらに拘束が強まった。
「ちょっと」
「──リアム?」
驚いたような、信じられないものを見るような目で、ご婦人が私たちを見ていた。
女性の後ろから、色香を纏った壮年の男性も顔を出す。
「父上、母上」
リアムの呟きに、私は抱えられたままびくりと身体を震わせた。
確かに、美男美女のご夫婦だ。リアムにもよく似ている。
私は慌ててリアムの膝の上から退こうと、動くが、リアムの拘束は緩まなかった。
「⋯⋯ええと、そちらがパートナーのお嬢様かしら?」
「ええ、母上。ミア・フォルスターです。ミア、俺の父のエアハルト・ブランシュ。母のヴィラ・ブランシュだ」
私は慌てて頭を下げる。
「ミア・フォルスターと申します。本日はこのような姿勢でのご挨拶、申し訳ありません⋯⋯」
立てないにしても、せめて膝の上から降りるのは礼儀だろう。
離してくれないリアムを涙目で睨めば、場違いなような笑い声が聞こえた。
「はははは、リアムが離してやらないようじゃないか。そんなに頭を下げなくても良い」
「今日はミアの調子が悪く、無理矢理連れ出してしまったため、抱えているんです」
「あら、そうなの? 大丈夫かしら」
ヴィラが膝を曲げ、私の額と首に手を当ててくる。リアムと一緒だ。
純粋な心配を向けてくれることが申し訳無く、私は眉を下げて、礼を口にした。
「ご心配をおかけしてすみません。ご配慮ありがとうございます」
「良いのよ、無理しないでちょうだい」
優しく声をかけられて、ヴィラの手が離れて行った。
「全く、こんなに大事な恋人がいるなら、手紙でも良いから教えて欲しかったわ。バーデン家のお嬢さんがうるさくて大変だったったら」
「ああ⋯⋯コンスタンツェか⋯⋯」
「そう! なるべく貴方の意思を尊重しようと思ってたけど、あの子をパートナーにしていたら、少し考えたわね。一度は貴方との婚約を破棄した癖に、自分が恋人と別れたら婚約したいだなんて」
ヴィラは漏れてしまったため息を手で隠すと、にこり、と私に笑顔を見せる。
「でも、可愛らしいお嬢さんで良かった。リアムをよろしくね」
「⋯⋯はい」
簡単に嘘をつく口が恨めしい。
後は二人でどうぞ、と取り残された。
「⋯⋯ア、⋯⋯ミア、ミア?」
ぼうっとしていた私は、何度も呼ばれていたらしい。心配気なリアムに優しく頬を掴まれてやっと、反応を返すことができた。
「あ、ごめんなさい。どうしましたか?」
「⋯⋯だ。⋯⋯、て体調⋯⋯か?」
あれ。上手く、聞こえない。
「だ⋯⋯丈夫か? ミア?」
「あ、だ、大丈夫、です⋯⋯」
「⋯⋯さすがに嘘だと分かるぞ。今日の目的は果たした。もう帰ろう」
立ち上がったリアムの胸元を、ぎゅ、と掴んだだけで、私は何も言うことができない。
帰りたくなかった。
帰ったらリアムとの関係も終わりだ。
舞踏会が最後だと決めていた。
リアムを引き留める言葉も、もちろん、病を打ち明けることもできずに、抱えられたままの私は煌びやかなホールを後にする。
馬車の中で、私の頬には涙が流れていた。
「辛いか⋯⋯? 悪かった、やはり来なければ良かったか」
「ううん。違う⋯⋯違うの」
リアムの声が遠くに聞こえる。
私はぼやける視界で、リアムの顔をじっと見上げた。
「⋯⋯リアムさん、本当にありがとうございます。最高の思い出になりました」
心からの幸せな気持ちで微笑めば、リアムも笑い返してくれる。
強く抱き締められたと思えば、額に優しい口づけが降ってきた。
「⋯⋯今日は早く寝た方が良い。ベッドまで運ぶか?」
家の扉の前で、そう提案してきたリアムに、私は、大丈夫、と返して腕から下ろしてもらった。
ふらついている姿を見られないよう、足に力を入れて立とうとする。
「⋯⋯心配だが⋯⋯食べるものはあるか? 手伝えることは?」
「大丈夫です。ふふ、今日はリアムさんの世話焼きな一面も見れました」
微笑んで返せば、リアムは一つため息を吐く。
「心配するのは当たり前だ」
「⋯⋯ありがとうございます。⋯⋯じゃあ」
私は再び溢れそうになる涙を堪えて、ドアを開くと身体を滑り込ませた。
もう、これで終わりだ。
「さよなら、リアムさん」
リアムの眉がぴくりと動く。
構わず私は作った笑顔でドアを閉めた。
また明日、はもう言えない。
さよなら、三十日の恋人。




