13 涙と優しい口づけ
私は壁に手をつきながら、震える足取りで部屋の奥に向かった。
涙なのか、病の症状の進行か、視界はぼやけてよく見えない。
何度も倒れそうになりながら、私は部屋の奥、鍵付きの引き出しから一枚の紙を取り出した。
円の中に描かれた七芒星。
転移魔法の簡易媒体だ。魔法が使えない者でも、破れば一度だけ、決められた場所に移動することができる。
亡き両親が持っていた、フォルスター家の屋敷に移動できるものだった。
「⋯⋯」
仕事は退職願いを出している。騎士団長にやめさせて欲しいことと、誰にも知らせないで欲しいことを必死で伝えると、何を思ったのか、私の願いを二つとも叶えてくれた。もし、困っているなら誰でも良いから頼れよ、と言葉つきで、だ。
私は、仕事のこと、カトリナ、ディート、そしてリアムのことを思い浮かべて──一息で、手に持つ紙を割いた。
病が判明して少しして、身体が動かなくなったら屋敷に戻ろうと決めていた。
もう誰も使っていない屋敷だが、ディートの両親が配慮してくれたのか、庭が荒れ放題ということはなく、屋敷の外観はあまり変わっていなかった。
屋敷の中もごく稀に掃除をしているのか、あまり埃は積もっていない。
部屋の家具は、私が屋敷を出ていったときのまま、少しも変わっていない。
私はそのまま床に倒れ込んだ。
目は、見えない。
耳は、聞こえない。
手は、動かない。
足も、動かない。
最後は坂道を下るように悪くなると、本で見たけれど。
こんな風に死んでいくのだろうか。
私は瞼を閉じた。
「⋯⋯ミア! ミア!!」
微かに、私を呼ぶ声が聞こえる。
「⋯⋯ど⋯⋯し、て?」
この声は、確かに愛しい彼の声だ。
私の絞り出した声に、震えた声でリアムが答える。
「職場に行けば、ミアは辞めた、と聞かされるし、心配でお前の部屋に行けば反応が無い。魔法で扉を開けて探してみれば、破られた魔方陣と、積み上がったタフトル病の本の山があった」
そう言えば、本の貸し出し期限はとっくに過ぎている。どこか冷静な私がそんなことを考えた。
「⋯⋯⋯⋯どうして、俺に言わない」
明るいか暗いかしか判別できない今の私の目ではリアムの表情は何も見えない。
「言っても無駄だと思っていたのか? 俺を信じていなかったのか? ミア⋯⋯お前は⋯⋯自分勝手だ。俺はこんなにも、お前を、好きなのに⋯⋯っ、ミア! 息が──」
息が。どうしたのだろう。
自分がどういう状態なのかも分からない。
「ミア、ミア⋯⋯! こんな風にお前を失くすなんて耐えられない。どうか⋯⋯」
──目を開けてくれ。
リアムの目からは大粒の涙が溢れ、ぽた、ぽたと私の頬に垂れてきた。
分からないが、分かる。おかしな表現だが、何も感じなかった頬が急に鋭敏になったかのように、雫の感触を伝えてきた。
つう、と頬を伝い、雫が唇の端に触れる。
「⋯⋯リアムさん⋯⋯?」
「⋯⋯っ、俺が分かるか⋯⋯?」
「⋯⋯リアムさん、キス、してほしい」
天への餞に貴方からの口づけを。
「一生の、お願い⋯⋯だから」
「⋯⋯⋯⋯くそ」
リアムが悪態をつくのは初めて聞いた。
最後になっても、まだ知らない初めてがあるんだ。
やっぱり死ぬのは惜しいな⋯⋯。
ゆっくりと、リアムの唇が触れた。柔らかい感触と、じんわりとした熱が伝わってくる。
何度も、何度も。
リアムは触れるだけの優しい口づけを繰り返した。
「ミア⋯⋯」
不思議とリアムの声が鮮明に聞こえた。
瞼を開けると、涙に濡れたリアムの顔が見える。
私はゆっくりとリアムの頬を掴んだ。
「⋯⋯ミア?」
「⋯⋯リアムさん、私に何かした?」
キスのことではない。
感覚が徐々に戻っている。首を傾げれば、リアムがぎゅう、と私を抱き締めた。
「助かったのか⋯⋯?」
「何で⋯⋯え?」
痛いくらいに身体を締め付けられながら呟くと、視界に青い光が見えた。
雫が淡く発光している。
「涙⋯⋯?」
私は腕から抜け出ると、リアムの泣き腫らした目尻に口づけする。
ふわ、と身体が軽くなる気がする。
「もう一回キスしてくれませんか?」
「⋯⋯あ、ああ」
唇に柔らかいものが触れる。
ああ。やっぱり。
「⋯⋯リアムさん。リアムさんがタフトル病の、治療法、かも」
青い光はリアムの魔力だ。口づけにより、魔力が私の中に流れ込んだことで、症状が改善したらしい。
その後、数回に分けて魔力を送られて、私の身体はすっかり、健常に戻っていた。
──タフトル病は後に、魔力欠乏症と呼び名を変えることになる。
「⋯⋯どれだけ俺を心配させれば気が済むんだ?」
「⋯⋯ごめんなさい。後悔してる」
リアムの涙の跡を、私は指で拭う。
愛する人に、何も知らされず置いて逝かれたら、どんな気持ちだろう。私とリアムの立場を置き換えて考えてみて、ようやく理解した。
心が壊れそうなほどの苦しみを味わわせてしまった、と。
カトリナと、ディートにも、たくさんの心配をさせてしまっただろう。
「⋯⋯だが、生きていてくれて、本当に良かった」
リアムの硬い手が、私の存在を確かめるように輪郭をなぞる。
私は目を細めて、それを受け入れた。
「⋯⋯ミア」
頬で止まったリアムの手が、そっと肌を撫でて離れて行った。
「今日で三十日の恋人は終わりだろう?」
「⋯⋯はい」
期限は今日までだ。私はゆっくりと頷く。
「ミア、今度は期間限定の恋人ではなく、婚約者に、なってくれないか。俺の隣で幸せになって欲しい」
するりと指が絡められた。
そのまま左手の薬指に落とされるキス。
三十日の恋の物語は終わりを告げ、何にも縛られない愛の物語が幕を開ける。
私は感情のままに溢れ出る涙はそのままに、世界一の幸せを感じながら微笑んだ。
「はい。私も、貴方と一緒に幸せになりたい」
End.
最後までの閲覧ありがとうございます
これにて一先ず完結です。いかがだったでしょうか?
最後は少し駆け足だったかもしれません( ´-ω-)
感想、評価などいただければ今後の参考にしたいと思います。
ありがとうございました




