八十六頁目
ケテル王国の王都カクタスは、今夜行われる前夜祭に向けて大いに賑わっていた。
数日前に大地震に見舞われてから、人々は力を合わせて王都の復興に尽力していた。怪我人や病人、赤ん坊やお年寄り、助けを必要としている者すべてに手を差し伸べた。亡くなった人々を見送り、新しい生命の誕生を助け、少ない物資をやりくりしながら立ち直りつつある中にもたらされた嬉しい知らせ。王都の民は、老いも若きも全力で喜んだ。
「こんなに盛り上がるなんて、お祭り騒ぎが好きなのですね、ケテルの民は」
馬車の窓硝子越しに街の様子を見て、麗筆が呟いた。同乗しているのは王妃シンティアとその孫娘ユリアである。
「慶事が重なりましたもの。当然ではなくて?」
ツンと澄ましてシンティアが言い、ユリアは小さく笑い声を上げた。久しぶりに再会した祖母と孫娘は手を取り合って隣り合わせに、麗筆はその向かいにひとり座っていた。
「そうですねぇ。地震を引き起こした魔女も無事に退治されましたし、行方不明だったクロワの侯爵夫人も見つかり、王太子には新しい子が産まれ……それに、貴女も帰ってきましたしね、シンティア」
「フンッ、おだてても何も出ませんわよ」
「本当のことですよ」
「うふふっ、おふたりは仲がおよろしいんですのね。レイヒさんはお若くお見えになるのに、不思議」
「仲良くなんて、ありえませんよ! この男は敵です!」
「お祖母様ったら! すみません、レイヒさん」
「いえいえ、いつものことです。こんな風に嫌われていますが、ぼくは敬愛していますので、ご心配なさらず。ああ、あと、ぼくの見た目は実際の年齢とは違いますから。こう見えて、千年以上生きているのです」
「まあ! 世界は広いですわ」
ユリアは驚きながらも上品に口許に手を当てた。麗筆は穏やかに微笑み返す。シンティアは頑なに麗筆への警戒心を緩めなかったが、ユリアはすっかり打ち解け、和やかな雰囲気で話が弾んだ。
王都を半分ほど進んだところで、麗筆は馬車を止めるよう頼んだ。
「何です、これは貴方の馬車じゃないんですよ」
「まぁまぁ、いいではありませんの。レイヒさんも少しだけと仰っておりますわ」
「ありがとうございます、ユリア」
馬車はゆるやかに路肩へ停まった。麗筆が降りていくと、それに気づいた子どもたちが、わっと寄ってくる。
「せんせいだぁ!」
「レイヒせんせー、なにしてるの?」
「ああ、クリス。元気でしたか? この前会ったときより、顔色が良いですね」
「うん! 僕もみんなも元気だよ!」
「本当だわ! ヴァイゼル、レイヒ先生よ!」
「……先生、こんな所で何してるんだ?」
「馬車から貴方がたの姿が見えたものですから」
まだ顔の痣と包帯が痛々しいのは浮浪児たちの頭、ヴァイゼルだ。見た目はこんなだが、Dがかけた術のおかげでほとんど回復している。その横を支えるように歩いていたウィンリアはパンの袋を抱えている。どうやら買い物帰りらしい。
子どもたちはウィンリアがたしなめるのも聞かず、麗筆にまとわりついて騒ぎ立てている。そろそろウィンリアの雷が落ちるかというタイミングで、麗筆はどこから取り出したのか飴の入った缶を渡して子どもたちの興味を逸した。そして静かになったところでヴァイゼルの方へ向き直る。
「ヴァイゼル、貴方にお届け物です」
「へ? 俺?」
「ええ。ローレンツ殿下から、貴方に。失くした指輪の代わりの物を」
「あっ!?」
麗筆は自分の指から引き抜いた印章指輪をヴァイゼルの前に差し出した。ヴァイゼルはユーリの部下ガイウスに捕まり、ボコボコにされて放り出されたとき、ローレンツから預かった印章指輪を取り上げられていたのだ。
「……俺は、それを受け取る資格がねぇよ。赤い石も、指輪も、俺の力不足で失っちまったんだ」
「ええ。でも、ぼくが教えた強壮剤のレシピは、覚えているでしょう? あれはまだ有効です。陛下のためにも必要ですし、それに、もしかしたらローレンツが失ってしまったものも、取り戻せるかもしれませんし、ね……。あくまでも可能性ですけど」
麗筆はやや不自然に頭に手をやった。
「本当に俺でいいのか?」
「おや。ぼくは、ひとを見る目だけはあるつもりなんですが。でも、断ると言うのなら……」
「待った! やっぱ、引き受けるよ。……ありがとな、先生!」
「いえいえ。ぼくの方こそ、あのとき言っていたことを守ってくださってありがとうございます。おかげさまで、どん底だった信用が、ほんの少し持ち直したようですから」
「……?」
ヴァイゼルもウィンリアも、麗筆の言う言葉の意味がわからず曖昧に微笑んだ。だが、馬車から様子を窺っていたシンティアの、麗筆を見る目つきが柔らかくなっていたことを考えれば、子どもたちへ売った恩は何倍にもなって返ってきたのだと麗筆には思えたのだった。
「では、お元気で」
「先生もな。……また、会えるかな」
「さぁ、どうでしょう。ぼくに会わないほうが、きっと幸せなんだと思いますよ。お祭りを楽しんで!」
麗筆がさっと手を振ると、たくさんの花びらが空から降ってきた。子どもたちに笑顔で見送られ、麗筆たちを乗せた馬車は城へと進んでいく。
「可愛い子どもたちでしたね。私の子も、きっと大きくなっているはず……」
「二年経っていますからねぇ。立派に成長しているでしょう」
「ああ……今すぐ、抱きしめたい……」
「ユリア……」
シンティアがユリアの肩を抱き寄せた。
「二年も経っていたなんて、思わなかった……。記憶を失った私は、あの聖堂教会で、黒術士の女性たちと貧しくも助け合って、楽しく幸せに暮らしていたの。でも、長すぎたのね……。みんなが私を必死で探してくれていたというのに、まったく、思い出せなくて……」
「いいのよ、ユリア。貴女は悪くない」
「でも、結局、ユーリには会えないままで……。あの子、死んでしまったのでしょう? 勇敢に、戦って……。まだ、子どもだと思ってたのに……!」
透き通ったアメシストの瞳からポロポロと涙を流しながら、ユリアは泣き笑いをした。
「ごめんなさい、泣いたりして」
「いいえ。ぼくもシンティアも、気にしませんとも」
「ありがとう。それにしても、お祖母様の言うとおり、何もかも重なったのね。この歳で弟ができるなんて。……しかもこのタイミング…………もしかして、その子の父親は、本当は……!」
「ユリア。父親が誰であるにせよ、貴女の弟になる子なんです。祝福してあげてください」
「もちろんよ。……ええ、そうよね。親が誰かなんて、関係ないわ。私たちの新しい家族なんですもの」
「抱いてあげてください、ユリア。城に着いたら」
「ええ」
ユリアは屈託なく微笑んだ。途中から涙のせいで喋ることができなくなっていたシンティアは、目許に押し当てていた絹のハンカチを下ろすと、麗筆に感謝の視線を送るのだった。





