八十一頁目
にっこりと手を振るアイに見送られ、麗筆とDは空を飛んでユリアのいるあの屋敷へ向かうことにした。ローレンツにずいぶん引き留められもしたが、何とか説得に成功し、抜け出すことができた。麗筆はその間中、ずっと注がれている視線を無視し続けていた。
飛びながらDが言う。
「アイちゃんのこと、もっと冷たくフッちゃうと思ってた」
「……そんなことしたら、絶対についてくるじゃないですか。嫌ですよ、面倒くさい」
「じゃあ、ポチさんは? ついて来てもいいの~?」
「あれは、声をかけたらなおさらついてくるじゃないですか……」
麗筆は疲れたようにそう言った。Dはくすくすと笑う。
確かに、麗筆と人狼がひとたび話を始めたら、なかなか終わりそうにない。そして、何も言い返せなくなった麗筆が捨て台詞を吐いて飛び去るのだろう。そんな想像をしてDは楽しくなった。
麗筆はと言えば、もういつものどこを見ているのかわからない表情に戻っていた。しばらく飛び続け、ユーリの屋敷が近づいて来た頃、麗筆はポツリと呟いた。
「D、ぼくは、赤ん坊を届けたらこの国を離れます」
「えっ!? 嘘、どうして……」
「やりたいことができたので。あ、でも、Dは好きにして構いませんよ。あの探索者たちと行動を共にするなり、城でローレンツをからかって遊ぶなり、好きにすると良いです。この国は良いところですよ、D。マティアスも貴女を歓迎するでしょうし、ヴァイゼルもいますしね。ふふっ、彼は二兎を追う者というか、物好きといいますか……」
突然切り出された別行動の提案にDは固まった。
麗筆と別れるだなんて、彼女にはとうてい受け入れられることではない。せっかく、麗筆の抱えていた「未来への恐れ」が取り除かれて自由に動けるようになったのに、どうしてここで別れなければならないのか。Dにはまったく理解できなかった。
「どうしてそんなこと言うの……」
「どうしてって、だって貴女、まだSランク探索者になっていませんし、王都だって見て回っていないでしょう? それに、今の貴女には仲間がいるじゃないですか。あの金髪の青年、以前はやめた方がいいと言いましたが、かなり成長していますし」
「バンのことは関係ないもん! 私はっ、どうしてって聞いてるの! 私と一緒にいるのが嫌なの!?」
冷気をまとった風が暴れる。
身を切るような鋭さを持ったそれを魔術でいなしながら、麗筆は幼子を見守るような微笑みを浮かべた。
「子ども扱いしないで!」
「落ち着きなさい、D。別に、一緒にいるのが嫌だなんて言っていないじゃありませんか」
「じゃあそんなこと言わないで! 私は、麗筆が好きなの! 麗筆と一緒にいたい! 麗筆さえいればみんないらないもん! ずっとずっと麗筆を側で見てきたんだから……これからも麗筆と一緒にいるぅ!」
雲に届くかというほどの上空で、Dは麗筆の胸に飛び込んだ。その細い体は少女の突進を受け止めきれない。いつかの土手で起こったように、麗筆はDに押し倒されて転がった。
ふたりを支えていた【硬面】からはみ出て麗筆は慌てた。白術で浮かべているだけの足場がぐらぐらと揺れる。麗筆もDにぎゅっと抱きついた。
「ちょっ、ま、待ちなさい! 暴れないで!」
「麗筆のばかぁ!」
「危ないんですってば!?」
見下ろしても地面がよく見えない高さなのだ。落ちる途中で何とかできるとはいえ、術を導く腕に抱きつかれていては、さしもの麗筆も慌てるようだ。
Dは今にも泣き出しそうな顔で麗筆を睨んでいる。サファイアの瞳がきらきらと光って怒りを映し出していた。
「D……ぶさいくな顔して……ぷふっ」
「っ!? 麗筆っ!! もう、落ちちゃえ!」
「あっ、ちょっ。おやめなさい」
Dの拳の力が強くなっていき、麗筆はさすがに防御することにした。Dの手首を魔術で拘束し、バンザイの格好のまま宙空に持ち上げる。ぷら〜んとぶら下げられたDはふくれっ面だ。
「謝ってよ〜!」
「はいはい、すみませんでした」
「ちゃんと謝って! じゃないと本当に暴れるんだから〜!」
「ふふっ。好きですよ、D」
「えっ」
麗筆はスーッと【硬面】を動かし、Dと視線の高さを合わせると、ククッと悪い笑みを浮かべた。
「貴女のそういう無様な姿は、見ていて実に面白いです」
「!!」
「貴女を捨てようだなんて、思っていませんよ、D。でなければ自分の体なんて貸すものですか。ぼくの用事に付き合わせてしまうことで貴女の時間を無駄にしてしまうことが、少し心苦しかっただけですよ……」
「本音は?」
「お墓参りに行きたいので、ひとりになりたかったんです。まさか泣くわけありませんが、すごくプライベートな問題ですから、見てほしくないです。ついてきたら雁字搦めにして“枷”を嵌めて恥ずかしい格好で放置しますからそのつもりで」
「えっ、やだ! そんなのときめいちゃうぅ!」
Dは色白な肌を歓喜で薔薇色に染めて体をくねらせた。
「やはり、あのとき燃やしておけば……」
「ちょっとぉ!」
真顔で呟いた麗筆にDが噛みつく。
ふたりはどちらともなく笑い出した。
「ねぇ、やっぱり一緒に行こうよ、麗筆。お墓参りの間は、ちゃんと他所で待ってるから」
「そう言って貴女は覗くんですよね、知ってます」
「しないしない〜」
「どうだか。一度王都へ寄って、お別れを済ませて、それから行きましょうか。ぼくと貴女、結局最後はふたりきりになるのですから、少しくらい離れていたってどうということはないと思ったのですがねぇ」
「えっ、それってひょっとしてプロポーズ!?」
「どこをどう聞いたらそうなるんでしょうねぇ。一度、医者に見せた方がいいかもしれませんね〜」
「ひどぅい! ところで、麗筆、これほどいてよ」
「縛られるのがお好きなんでしょう? もうしばらくこのままでいなさい」
「はぅん、ゴウイン……! 麗筆のえっち……!」
「焚書……」
「きゃ〜〜だ!」
ひとりと一冊の旅はまだまだ終わりそうにない。





