八十頁目
リーナは叫んだ。頭を振って逃れようとするも魔術で固定されて動くことはままならなかった。縛られた手は指がピンと伸ばされ、背骨も反り返り過ぎて折れそうだった。血走った目からは涙がとめどなく流れ、喉が張り裂けそうなくらいに叫んでいた。
やがてそれが啜り泣きに変わり、白目を剥いたリーナは目と耳と鼻から血を流しながら後ろへ倒れた。口の端から泡が滴る。
「おい、これ、拷問と何が違うんだよ」
「知るか!」
逃げ出そうとする犯罪者たちを槍や剣で抑えながら、兵士たちは叫んだ。その間も麗筆はどんどん犠牲者たちを手にかけていく。呆気なく振るわれる暴虐に、味方という立ち位置のはずの兵士たちも怖気づいていた。
「Dちゃん、あれ……やめさせることはできないのかい?」
「止めたいなら行ってもいいよ。麗筆もその方が喜ぶだろうしぃ。でもね、バン。あのひとたちにとってはあれが刑罰なんだから、放っておいたほうが良くない? 死ぬのとどっちがマシかって言ったら、たぶん麗筆の実験の方がまだ優しいと思うよ?」
「…………」
Dは笑みを消して、平坦な声でそう言った。ただのお遊びじゃない、と言いたいのだろう。バンはガシガシと後ろ頭を掻いた。
「でも、なぁ……」
「誰かがやらなくちゃいけないことだし、やりたくないひとに押しつけるより、やりたい麗筆に任せておけばいいんじゃないの? そのうち大人しくなるんじゃないかな。そのうちね」
Dの言ったとおり、段々と騒ぎは落ち着いていった。リーナのように泡を吹いて倒れる者もあれば、意識を保ったままの者もいて、“罰”の効果はまちまちのようだ。
麗筆は最後に残しておいた男の前に立つと、猿轡を外してやった。まるで滝のように汗を流しながら麗筆を見上げる男の名は、セルビノと言った。
「ゆ、許してくれ、ディー」
「セルビノ」
「ひっ……!」
「怯えないでいいのですよ。ぼくの本当の名はレイヒ。貴方を殺すつもりなんてありませんから」
「う、嘘だッ!」
「いいえ。実際、死んでいる人間などいないでしょう?」
「で、でも、魂は啜るんだろう! 俺の魂を、む、無理やり!」
麗筆は跪き、無精ひげの生えたセルビノの荒れた頬を撫でた。
「や、やめろ!」
落ちくぼんだ眼窩に嵌まる目にはもう抵抗する力は残っていなかった。ただただ怯えるだけのセルビノに、麗筆は囁く。
「セルビノ」
「助けて、くれ……っ!」
「お馬鹿さん。貴方はそうやって、すぐに諦めて何もかも投げ出して……。自分に甘く、言い訳ばかりして、そんなだからこんなことになっているんですよ。わかっていますか? 貴方は死なせてあげません。自分の罪と向き合いなさい、セルビノ」
「ディー……」
「川で溺れそうになっていたとき、助けてもらったこと……感謝しています」
「えっ」
麗筆の指がセルビノの額に触れると、セルビノの体からガクンと力が抜けた。そのまま糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる。
「あのときだけは、なんの見返りも求めない、掛け値なしの親切心からの行動でしたからね」
麗筆は微笑むと、ぐったりと倒れ伏したセルビノに背を向けてDの方へと近づいていった。硬い表情のバン、緊張した面持ちのアイ。落ち着いてはいるがいつもの柔らかさのないエーメ、ティナはそのエーメの後ろに隠れるようにして警戒心を剥き出しにしている。麗筆は彼らに軽く目礼した。
「D、そろそろ行きましょうか」
「えっ、私?」
「ええ。最後にひと仕事、残っているでしょう?」
「あっ、えっ? 麗筆、来てくれるの?」
「ええ。ぼくにも立ち会わせてください」
「やったぁ!」
Dはすぐに麗筆の意図していることを理解して笑顔を見せた。ユリアの赤ん坊がもうすぐ産まれるのだ。誰かが取り上げてやらなければならない。
「ごめんね、みんな。私、行かなきゃ!」
「Dちゃん! もう、行っちゃうのか?」
「えっ、もう戻ってこにゃいにゃ!?」
バンとティナが口々に言う。
「ううん、ちょっと行ってくるだけだよ。大丈夫、すぐに帰ってくるから!」
「そうか。……じゃあ、気をつけて」
「うん!」
「ま、待ってください!」
黒いポニーテールを揺らしてふたりを引き留めたのはアイだった。彼女は先ほどからずっと緊張しっぱなしで強張った頬をバシンと両手で叩き、麗筆の前に進み出た。
「レイヒさん、わ、わたしを弟子にしてください!」
「えっ」
「ええっ?」
「えええ〜〜っ?」
まったく何も聞かされていなかった仲間たちから驚きの声が漏れる。それに反応すら見せず、アイは気合のこもった視線を麗筆ひとりに向けている。その真剣な視線を受けて麗筆は、
「嫌です」
と、ひと言で切り捨てた。
その無表情からはどんな感情も読み取れない。アイは食い下がった。
「ど、どうしてですかっ!? せめて理由を教えてくださいっ、でないと納得できません!」
「理由なんて、それこそ貴女に言う必要性を感じませんね」
「お願いします、わたし、もっとたくさん魔術を勉強したいんです! あなたのような魔術師になりたいんです!」
「行きましょう、D」
「えっ。ええっ? だって……」
ハラハラしながらふたりのやり取りを見守っていたDは、突然話を振られて動揺した。麗筆とアイを交互に見ながら口ごもる。
「わたしが、弱いからですか……? 足手まといだからですか!? わたし、強くなります! やれと言うなら、何でもします! だから、お願いします……」
「ア、アイちゃんっ!?」
杖を地面に置き、膝をつき、アイは両手と額を土につけて麗筆に頼み込んだ。Dの口から悲鳴が漏れる。バンやティナたちも口々にアイの名を叫んだ。
「……はぁ。頭を上げなさい。そんなことをされても、ぼくの気は変わりません」
「いいえ! うんと言ってくださるまでやめません!」
「…………さっきまでのあの有り様を見て、それでも弟子になりたいという貴女の気概は買いますが、ぼくに師事してもきっと貴女の役には立ちませんよ」
「…………」
麗筆は眉をひそめてアイを見下ろしていた。その瞳は冷たい。麗筆はさらに深くため息を吐いた。
「あのですね、貴女のしようとしていることは、医者になりたいと言いながら人斬りに師事するようなものです。ぼくに教えを請うより、大陸を渡って聖火国を目指しなさい。そこへ行けば、きっと、貴女なら答えに辿り着けるでしょう」
「…………」
アイはゆっくりと頭を上げた。
彼女の水色の瞳と、麗筆の黒い瞳とが、しっかりと見つめ合った。
「ぼくでは貴女の才能を殺してしまう。悪いことは言いません、聖火国で聖堂の門を叩きなさい。最高の学府で勉強し、己の才を磨き上げなさい」
「……はい、師匠」
「違います」
アイの真剣な返事に、麗筆はフイッと顔を逸らした。





