七十一頁目
「レイヒ! 貴様、陛下を裏切るつもりか!」
「?」
空気がビリビリと震えていた。
魔力を練り合わせ、雷を呼んで正規軍の最前線を吹き飛ばしてしまおうと片手を上げたディーは、王太子ローレンツの言葉に首を傾げた。
なぜ彼は自分を見知っている風に振る舞うのだろう。
なぜ自分をレイヒと呼ぶ? 裏切るとは?
目覚めた自分が覚えていたのは、ディーという名前だけだった。
だからそれが自分の名だと思った。
でも、違う?
レイヒという名が、頭の中に何度もリフレインする。レイヒ……レイヒ……そう、いつかそんな風に名乗った気がする。
戸惑ったディーが導いていた術を手放し、死ぬはずだったローレンツは危うい命を拾った。次の瞬間、武器と盾を手にした鎧の兵士たちがユーリや盗賊たち、そしてディーへと殺到した。
怒号。悲鳴。武器が武器を打つ金属音。
敵味方入り乱れての戦闘が始まってしまった。
「レイヒ! なぜ貴様がここにいるんだ! ユリウスの味方をしているということは、貴様も反乱軍の一員ということでいいんだな? あの小娘はどうした!?」
「ディー! なにをボサッと突っ立ってる! さっさとそのくそ親父を殺せ!」
「レイヒ、聞いているのか!?」
「ディー! オレの言うことを聞け!」
(うぅ、煩い……煩い、煩い、煩いぃ! みんな、みんな消えてしまえ!)
両方から捲し立てられ混乱したディーは、でたらめに魔力を練り上げた。
ただ叩きつけるだけの攻撃。
これでは児戯にさえ劣る。
だが、その威力は絶大だ。あまりの魔力量に林の中にいたアイとエーメが悲鳴を上げ、兵士たちの中でも魔力に敏感な者はあてられて思わずえづいていた。
大地が揺れる。
風が唸る。
戦っていた者たちすべてが異様な空気に手を止めていた。白髪を振り乱した痩身の青年が右手を空に差し上げた。
「みんな、消え……」
「いんたーーーー、せぷとーーーー!」
どこからともなく脳天気な少女の声が降ってきたかと思うと、実際に空から飛び蹴りのボーズでDが落ちてきた。そのままディーの後頭部めがけてキック!
「っ!」
しかし、ディーは振り向いて一瞬のうちに術を切り替え、【障壁】を展開する。Dはそれに思い切り弾き飛ばされた。
「きゃあん! 仕込んでて良かった低反発!」
「それで、どうなってる?」
「ポチさん、ナイスキャッチ!」
投げ出されたDを空中で抱きとめたのは、全力ダッシュで追いついてきた人狼だった。
先程、カタパルトよろしくDを空中に飛ばしたのは彼だったのだ。白術で身体能力をアップさせることのできないDにはこうするしかなかった。【障壁】に弾かれるのも予想の範疇、だからこそ準備はバッチリしてきた。
「レイヒ!」
「小娘!?」
ユーリとローレンツが同時に叫ぶ。
Dはふたりを振り返りもせず、ただただ自分のパートナーだけを見据えて言い放つ。
「私の名前はディーヴル、Dちゃんって呼んでって言ってるでしょお! ユーリを殺しに来たっていうのにオデコはいるし、麗筆は変だし、めんどくさいから全員まとめてやっちゃうんだからね!」
「なっ、誰がオデコだっ、この馬鹿娘!」
「……へぇ、オレを、殺しに? それはわざわざどうも。しかし、お相手は別の者に任せるよ、花嫁殿。ディー、手加減しなくていい、その女を……殺せ!」
勝利を確信したユーリの恫喝に、人狼は吠えた。
Dを降ろし、背中に庇う。
「ええい、詳しい事情は後で必ず聞かせてもらうぞ! 皆の者、この娘と狼は味方だ、逆賊たちを討て!」
「おおおおおおおおお!」
ローレンツも同じく人狼に倣う。
彼の率いる正規軍が雄叫びで応えた。
「ここでやられてたまるか! こっちもやるぞ、押し返せ野郎共ォ!」
「おおおおおおおおお!」
盗賊の頭領カーンの鼓吹に、荒くれ者たちも負けじと腹から声を出す。正規軍の数は約五十、カーンたちは四十、数の利はなく、すでに負傷で動けない者もいる。
背後は根城へと続く崖、三十メートル四方は何の障害物もない拓けた草原という最悪の立地。
相手はきっちり鎧を着こみ、自分たちはほぼ布、武器の品質にだってリーチにだって差がある。
だが、彼らは粘った。
左右にある疎らな林に逃げ込み、間合いの短い武器でも対等に戦えるようにした。鎧の隙間に刃をねじ込み、ブーツを突き刺し、兜の上から棒で横殴りに殴りつける。
この劣勢を凌ぎ切れば、生き延びれば、仲間が来てくれる。
四十人のユーリの部下だ。彼らが加われば、正規軍の数を上回る。それに、盗賊たちの希望はまだあった。セルビノの連れてきた、あの長い白髪の魔法使い……あいつさえいれば敵なしだ!
盗賊たちの心はひとつだった。
「でも、ダァメ。勝つのは私、負けるのはみんな! さぁさぁ、始めましょう? ポチさんはユーリを、オデコのオジサンは盗賊たちね」
「わかった」
「クソっ!」
小娘に指示された男たちは、それぞれ敵に切り込んでいった。
Dは場にそぐわない可愛らしい服と、手の込んだ二つ結びの三編み髪で、悪戯っぽい笑みを浮かべて白い魔術師に向かい合う。
「それで? 麗筆、なぁんでそっちにいるの? その格好はなに? いつもの悪ふざけなら笑ってよ、麗筆」
「……私は、ディー」
「ううん、違うよ。Dは私、貴方は麗筆! そして私たちは切っても切れないパートナー!」
「…………」
ディーは眉を顰めて頭を振った。
無言で右手に陽の気を集め、目の前の敵を排除しようと構えた。
「……いいよ。そういうつもりなら、とことんやりましょ? 麗筆のこと、叩きのめしてア・ゲ・ル!」
「Dちゃん!」
「バン!」
そこへ脇の林からセルビノを引きずったバンたちが出てきた。
「受け取れ!」
バンが振りかぶって呪文書を投げると、それは最初からそこにあるのが当然のようにDの手にパシッと収まった。
「ありがとう、バン! ……なるほどね。麗筆、私がそのダメになっちゃった頭、治してあげるよ!」
「っ!」
ディーの右手から炎が迸った。





