六十四頁目
王都を後にしたDと人狼だったが、すぐにユーリを探しに行くというわけにはいかなかった。Dの細く小さな体はだんだんと冷たくなっており、危ない状態だった。
「おい、しっかりしろ。寝るな。寝ると死ぬぞ」
「……人間の体って、壊れやすいんだね。ちょっと、血を、失いすぎた……」
「すぐ、治療できる奴のところに連れて行ってやるから」
「…………」
「クソッ、おい、D! 死ぬなよ……!」
壊れ物を扱うように慎重にDを抱きかかえながら、人狼はできうる限りの速さで走った。魔術の心得のない彼には、他にやれることなどなかった。
やがてたどり着いたのは、木々と草に埋もれた郊外の一軒家だった。苔むして緑色の茅葺屋根。斜めに突き出た煙突。円筒形に積まれた石壁に丸い木のドア。人狼はそれを躊躇なく蹴破った。
大きな音と共に内側へ倒れるドア。
中からは「ひゃっ!?」と甲高い悲鳴と小さな破裂音がした。もくもくと煙を吐き出すガラスの管を持った二足歩行の白ウサギが恐る恐る顔を出す。
「オリーヴ、先生はいるか?」
「い、い、いますよ」
「どこだ」
「お、奥でお茶を淹れてます。というか、ドア壊して入ってこないでくださいな!」
「手がふさがっていてな。急患だ、すぐに診てくれ」
「……わかりましたわ。先生! せんせ~い!」
軽い足音を立てて奥へ引っ込んでいく白ウサギ。人狼は中に入ると診療用の寝台にDを横たえた。
「今、先生が来る。すぐに良くなるから、それまで頑張るんだ、D」
だが、その言葉通りにはならなかった。
部屋の奥から出てきた総白髪の男は、Dをひと目見て首を振ったのだった。
「どういうことだ!」
「癒しの技を何だと思っとるんだ、決して万能の魔法なんかではないんだぞ。術を施せば傷は塞がるだろうがね、そこから先の体力が続かんのだよ。魔力で補うにしても、この子の魔力は枯渇寸前じゃあないか。残念だが手遅れだよ……苦しまずに逝かせてやるのも優しさなんじゃないかと思うがね、シン族の」
「ふざけるな! そんなものは認められない、なんとか生かしてやってくれ。必要な物があるなら取ってくる、何でもだ。だから、頼む!」
「人間嫌いの君にここまで言わせるとはね……。まあ、やってみるとしよう。だが、さっきも言ったが……」
「魔力で補えればいいんだろう? 言え、何が必要なんだ」
「魔術師共が占有している魔法薬、あるいは魔法石……だが、どっちも高価すぎて君には手が出んよ、シン族の」
人狼はハッとして自分のズボンのポケットを押さえた。
そこにはDに言われて敵の懐から回収した赤い石が入っている。
「これを……」
「おお! これは魔法石じゃあないか。それも、すごく大きい。どこでこれを? いや、やはりやめておこう。それよりも、使ってしまっていい物なんだろうな?」
「これはこの娘の物だ、使って良いかはわからないが、命には代えられん。やってくれ」
「……わかった。だが、恨み言はわたしは聞かんよ」
老人はそう言って治療に取り掛かった。
白ウサギが助手につき、人狼にはわからない言葉で会話しながら、手際よく処置していく。大きなハサミで血で汚れたドレスが切り開かれ、白い肌があらわになっていく。こんなことなら黒術で部屋が清められ、閉め切られる前にここを出ておけば良かった、とそう思いながら人狼はくるりと向きを変えて壁を見ることにしたのだった。
治療が終わったと声がかけられたのは、拍子抜けするくらいすぐだった。
怪我をしていたのは肩だけで、傷を癒して失った血を取り戻す術をかけたのだという。安静にしていれば回復していくはずだと療術士の老人は言った。
「魔法石は使い切ってしまったよ。すまんな」
「そうか……。いや、いい。助かった」
「なんのなんの。まだまだ君への恩返しにはほど遠い。わたしが寿命で死ぬ前にもっと頼ってくれたまえよ」
「…………」
「先生ったら! なんてことおっしゃるんです!」
白ウサギがふわふわの毛を逆立ててぷんぷんと怒っている。
老人はそれを見て声を立てて笑い、人狼もまた小さく笑みをこぼした。
「はやく目が覚めるといいが……」
「さあな。それは彼女の体力次第だ。それと、あんまり死に近い状態にあると、目覚めてからも色々と不便な部分が出ることもある。後遺症と言うんだがね。そうなってしまったら、長い人生をたくさんの制限を受けながら歩んでいくことになるだろうな……」
「それでも、助けられる命は助けた方がいいんですわ、先生! 生きるのか死ぬのか、それは彼女が決めることです。もちろん、助けた後のフォローもしていきますけどね!」
「君は強いねぇ、オリーヴ。さぁて、わたしは疲れたよ。少し休ませてもらうとしよう。君もゆっくりしていきたまえ、シン族の。ああ! そうだ、そのドアだけは直していってくれよ」
「……すまない」
「まったくですわ」
人狼は大きな体を縮めて頭を垂れた。
白ウサギは三十センチほどしかない体をぐんと反ってそびやかし、さらに尋ねる。
「それで、このお嬢さんのお着替えは? まさかと思いますけど……」
「す、すまない」
「信じられませんわ! アタシの服と手持ちの布で何とかしてみますけど、見栄えは期待しないでくださいましよ」
「助かる。今度、代わりの布を持ってくる」
「結構ですわ。アナタ、趣味悪いんですもの」
「…………」
オリーヴはくるりと背を向けるとさっさと奥へ引っ込んでしまった。人狼はそれを無言で見送っていた。何となくささくれだったような心を抱えて。





