六十三頁目
バンたちが王都へ戻ってきたのは、Dが騒ぎを起こして逃げた直後だった。たくさんの衛士たちが行き来し、王都の人々も皆色んな所へ集まって噂話に花を咲かせている。
そこから漏れ聞こえるのは、「魔女」「狼男」「討伐」……。
「あ〜、にゃ〜んか、Dちゃんピンチじゃにゃいかにゃ〜?」
「なんで、王都で騒ぎを起こしてるんだ!?」
バンは頭を抱えた。
今は夕刻、王都の空には最後の鐘の音が響いている。
「用事があるから」と言っていたDと別れてから、バンたち四人がまずしたことは、移動手段の手配をすることだった。
Dが囚われていたユーリの屋敷から王都までは、徒歩なら野営の時間を含めて約二日、歩き詰めなら約十二時間。馬車でも徒歩とほぼ同程度の時間がかかるが徒歩より早く、溜まる疲労度も段違いだ。
そんなわけで、一番早いのが馬なのだ。朝一番で契約を交わし、少し仮眠して出発。途中に休憩を挟みつつ、Dに遅れること約六時間、ようやく王都の土を踏んだというわけなのだった。
だが、その疲れを癒やす間もなくキナ臭い噂話が耳に流れ込んできた。Dと覚しき魔女はすでにないようだったが、だからこそ早く行動しなければとバンは拳を握る。
「たぶん、Dちゃんはユリウス殿下のいた場所へ戻って、そこから捜索を始めるはずだ。今すぐ出発すれば、合流できるかもしれない」
「……できないかもしれない」
「何だって?」
バンはエーメの小声の反論に思わず聞き返した。
「エーメさんの言うとおりですよ。わたしたち、ずっと馬で移動しどおしだったんですよ? 今から山へ入っていったら、目的地に着いたときには真っ暗です。ただでさえ注意が必要な山の中へ、こんな疲れ切った体で、夜に、しかも敵がいるのに! 自殺行為ですよ!」
「それは……!」
噛みつくようなアイの攻勢にバンはタジダジだ。
「バン。ワタシたちは、普通の人間だよ。夜目は利かないし、そういう場所での訓練は受けていない。それに、ワタシたちが引き受けたのはレイヒさんの捜索。それを、忘れないで」
「そうですよ。それに、ユリウス王子には敵わないって、そんなの最初からわかってたじゃないですか……」
アイの言葉尻に涙が滲む。エーメもアイも、Dのことを心配していないわけではない。だが、ユーリに対して何もかもが足りていない彼らが、万全の状態だって勝機は毛ほどもない彼らが、疲労困憊のこんな状態でDに加勢したところで何の助けにもならないことを知っていた。
そう、痛いほどわかっていたのだ。
自分たちの未熟を。力のなさを。
バンは拳を握り直す。
知っていてなお、それでもと、望んでしまう。
「ふたりの言いたいことは、わかるよ。自分のやれること、やれないこと、やらなきゃならないこと、きちっと切り分けなくちゃいけないよな」
言い聞かせるようなセリフ。
エーメはいつものぼんやりとした瞳で、アイは懇願するように。バンを見つめていた。
「ちゃんと休んで、体調を万全に整えて、安全なルートを取って。Dちゃんと比べたら、俺は全然強くもないしさ。ユリウス殿下にだって、一対一ならともかく、用兵も知らない俺じゃ、あの軍隊には敵わない。
でも、思うんだ。たとえ一緒に並び立つことはできなくても、そこにいればなにかやれることがあるんじゃないか、って。俺が力になれることがあるんじゃないかって」
「バンさん! そんなの、そんなの……!」
「うん。身の程知らずだろ? 俺なんて、Dちゃんの盾になることくらいしかできないんだろうけどさ」
アイは力強く首を振って否定した。高くひとつに結い上げた黒髪が暴れる。
「ダメっ……! ダメです、行かないで……!」
「アイ、俺は……」
バンの腕を取り、アイは頭を振り続けた。バンの手甲にパタパタと水の粒が降りかかる。
バンはひとりで行くつもりだった。
そして、それにアイも気づいていた。なぜなら、彼は最初から自分についてのことしか話していなかったからだ。一度も「俺たち」とは言わなかった。
危険は重々承知、戦いになれば死ぬかもしれない。ユーリやその配下の実力は元よりその数、そしてDと彼らが激突した際の魔術の余波……あのDが周囲に配慮しながら戦えるとは到底思えない。そんな戦場にエーメとティナ、そしてアイを連れて行くつもりなんてなかった。
だからこそ、アイはバンを引き留めた。
「ついて行く」だなんて言葉、自分には言えなかったから。むざむざ死にに行くような真似はできない。怖い。足がすくんで動かない。悔しさと失うことの怖さにアイは泣いた。
「ごめん。でも俺、行くよ」
「ひとりで行く気にゃ?」
「ティナ」
ひとり沈黙を守っていた猫目の少女がバンの前に立ちはだかった。馬に乗りっぱなしで埃っぽくなってしまったホットパンツを叩くと、ティナはニヤリと笑った。
「安全にゃ夜道の歩き方、あちしが教えてあげてもいいにゃ」
「いや、でも……」
「バンひとりで行ったって、迷って転んで、戦いに間に合わにゃいにゃ〜」
「う、ぐ……」
ティナの言葉にバンは喉を詰まらせた。
「それに、野営にしたってあちしたちがいにゃかったら、交代で休めもしにゃいにゃ。そんにゃんで戦えるのかにゃ?」
「ティナ、ダメだ。行くのは俺ひとりでいい」
「バカ言うんじゃにゃいにゃよ、悲劇の主人公にゃんて、そんにゃの許さないにゃ! 今から行って、向こうで寝る! Dちゃんだってユーリだって、夜中に動くほどバカじゃにゃいにゃ。最低でも朝日が上る頃まで待つに決まってる!
あちしたちもそれに合わせて動けばいいにゃ。エーメが少しは体力回復させる術を使えるし、それに、いざという時のためにこんにゃのもあるんだにゃ!」
ティナが鞄から取り出して見せたのは、液体が入った細いガラス瓶が四本。チリンと涼やかな音を立てた。
「それ、魔法薬じゃないか!?」
「にゃ! めっちゃお高いやつにゃよ!」
「ティナ……」
「行くにゃ。そんにゃの、決まってるにゃ! バンはきっとやる男だって、信じてるんにゃから……」
「ワタシも。信じてる。バンが勝手にひとりで行くなら、勝手について行くつもりだった。……一番最初に、村を出たときみたいに」
「エーメまで。そんな、そんなこと言われたら……俺、頑張るしかないじゃないか」
バンはくしゃっと顔を歪ませて笑った。最後の太陽の煌めきがその背中を押すように温める。
「わたっ、わたしも! 皆さんが行くなら、わたしも行きますよ!」
「ん〜〜? 無理することにゃいにゃよ、アイ〜」
「いいから! わたしにもそれ、ください。そのお高い魔法薬!」
「わかったにゃ。飲んだにゃ? じゃあ、はい、金貨二十枚!」
「にっ、にじゅっ!? 高〜っ!」
アイの叫び声とティナたちの笑い声が混ざりあった。





