五十ニ頁目
話は少し前に遡る。
ユーリの屋敷の食堂に放り込まれたDは、訳も分からず置き去りにされてしまっていた。探検用の動きやすいシャツとホットパンツは剥ぎ取られ、お湯でゴシゴシ洗われ、小さな傷は魔術で治療され、すっかり乾かされた後は新しい服を着せられてまるで店に並ぶお人形みたいな扱いだ。
Dがクルリと回ると、ごくごく薄いシルクで作られたドレスの裾がひるがえる。それは紫が差し色になった白いドレスで、膝丈まであるシンプルでごく上品なものだった。腰についた大きなリボンが幼さと可愛らしさを演出している。
まるでDのために作られたかのように体にフィットするこのドレスは、あまりにもピッタリしすぎている所と、差し色がユーリの瞳の色というところが偏執的ではあったものの、デザイン自体は素晴らしかったし、Dによく似合っていた。
「うん、可愛い! 下着姿で地下牢っていうのもオツだけど〜、こういうのもアリかな〜。でも、はぁ……」
素敵なドレスもチョコレートも結局、
麗筆のいない所でしか手にできなかった。それを少し残念に思いながら、麗筆の無事を祈りつつちょっぴり貴族令嬢の気分を味わうD。
しかし貴族令嬢でもない彼女にはお目付け役兼お世話係りの侍女なんて用意されていなかった。これでは“枷”を外してもらうこともできやしない。Dは自分の左手首に嵌まっている武骨な鉄の輪を睨みつけた。自分では外せないのだ、この魔を絶つ隕鉄の輪は。
「これさえ外せれば……。ねぇ、誰か〜! 誰かいないの〜〜!」
春の陽射しが降り注ぐ中庭とは対照的に、後宮の内部は冷え冷えとして、目に入るものすべてが最高級品であるにもかかわらずガラクタ同然にも見える。よくよく耳を澄ませば遠くから聞こえてくる女の啜り泣きの他は、この場所に音はなかった。
「う〜ん、ユーリってば本当に趣味がいい〜」
Dは拐われてここへ来たわけだが、道中で聞かされたユーリの目的は『魔力の高い女に子どもを産ませること』だった。
もちろん、Dもそれには気づいていた。なぜなら、ユーリは最初から「オレの子を産んでほしい」としか言わなかったからだ。「愛している」とも「妻になってほしい」とも、決して口にしなかった。Dの「私をお嫁さんにしてくれるってこと?」という質問にも、曖昧に微笑むだけで答えなかったのだから徹底している。
「まぁ、オッケーオッケー。誰かがいるのなら、もしかしたらこの輪っかを外してくれる子がいるかもだもんね。レッツゴー探索ぅ!」
ひとまず開いている扉から覗いて行くことにして、Dは食堂を出発した。そして、Dが見つけたのは、生きる意思すら無くなってしまったのか、ベッドから起き上がれないほど衰弱した黒髪の娘たちだけだった。
それも見つけに見つけて十五人も。彼女らの腕にはもれなく、Dと同じく隕鉄の輪を嵌められていた。それが意味するのは、ユーリによる誘拐と監禁だ。
ここにいる彼女たちも、Dと同じくユーリの目に適った「母親候補」というわけだ。彼女たちすべてがユーリの子を産むために集められたのだとして、それにしても多すぎやしないだろうか。だが、Dが目にした女たちは誰も、妊娠している様子はなかった。
「そういえば、私のことはスペアだって言ってた。じゃあ、本命は誰なわけ? まぁ、そんなことは良いか。誰か~、誰かマトモに話せるひとはいないの~? いたら返事して~! この輪っかを外してよ~!」
「……誰かそこにいるの?」
「いたぁ~! ここね、開けてもいい?」
「……どうぞ」
気だるげな返事はしかし、拒絶の色は含んでいなかった。Dはお行儀よくゆっくりとドアを開き、他よりもさらに豪勢な居室に入っていった。きょろきょろ見回して声の人物を探していると、奥の方から呼びかけられた。
「ここよ。声からわかってたけど、まだ子どもね。どこから入ってきたの? 新しいお手伝いさんじゃないんでしょう?」
寝椅子にしどけなく体を預けているその人物は、見事な白金の髪の毛を結い上げもせずに垂らし、締め付けることのないゆったりとした寝巻き姿だった。それでもなお彼女の美しさは損なわれず、切れ長の澄んだアメシストの瞳には理知的な光が宿っていた。彼女は気遣わしげに臨月の膨れた腹を撫でながら、この場所にそぐわない来訪者を観察していた。
「こんにちは、私はD。Dちゃんって呼んでほしいなっ! ここにはユーリに無理やり連れて来られたの。この輪っかを外してくれるひとを探してたんだぁ~」
「……ユーリに」
「そ。お姉さんは?」
無邪気なDの笑顔につられて微笑んでいた美女、ユリアだったが、何気なくDが口にした言葉に思わず涙ぐんでしまった。ユリアだってなにも望んでここにいるわけではない、望んでこのような状態になったわけではないのだ。それは目の前の少女も同じであり、それどころか弟はまだ結婚適齢期になっていない女の子にまで手を出したのかと思うと、自分があまりにも無力で情けなくなってしまったのだ。
「どうしたの、泣かないでお姉さん。ねぇ、ここはどこなの? 私、麗筆を探しに行かなくちゃいけないのに……」
「ごめんなさいね。わたくしはユリア。クロワのシャティヨン侯爵夫人ユリアです。ここはユーリの後宮なのよ、お嬢さん。ここからは、誰も出られないわ……そう、誰も」
「後宮?」
「ええ。長い話を、聞いてはくれない? わたくしも、もう何ヵ月も誰とも口をきいてないの。どうかここにいて、話し相手になってちょうだいな。そしてユーリのことを聞かせてちょうだい」
「ええ~、どうしようかなぁ~」
Dは面倒ごとはごめんだと思ったのだが、そこはユリアの方が一枚上手だった。
「その腕輪、外してほしいのでしょう? わたくしの話を聞いてくれたら、それを外してあげる。ね、お願い……誰かに聞いてもらわなきゃ、もう、耐えられないの。どうか、わたくしを助けると思って……」
「わかった、わかったから、泣かないでユリアさん。近くに座ってもいい? じゃあ、お話聞かせてちょうだい」
そこから、彼女の長い長い話が始まった。





