失われた頁 5★
「俺の、望みだと……? はっ、言えば叶えてくれるとでも言うのか? 馬鹿馬鹿しい!」
セルビノは怒ったような声を上げ、勢いよく立ち上がった。だが、その目線は本の紙面に釘付けだった。ディーの細く白い指がまたしても文字を指し示す。
『叶えましょう。貴方の望みをすべて』
「あぁん……?」
ディーが指で示せば文字が変わる。セルビノは驚きに目を見張り、さらに続きを待った。
『私と契約を。貴方の死後の魂と引き換えに、この世のすべてを意のままに』
「契約、だと……」
死後の魂。
生き物は死ぬと“永遠の円環”へ還ると言われている。魂は一度休息を得てから、またどこかで生まれ変わるのだと。すべては巡りめぐって環を成す。
その、魂を引き換えにするとは、どういうことだ。
差し出せということなのか。
誰もが繰り返すその環から外れて、それでどうなる。
セルビノは自問したが答えは見つからなかった。
「アンタと契約したとして、俺の魂はどうなるんだ?」
「…………」
ディーの指は動かなかった。
「おい、答えろよ!」
『魂は私の糧』
「糧、だぁ? 糧ってつまり……食うのか! 俺の魂を食うって言うのか!」
『その代わり、生きている間は貴方の望むままに、どんな願いも叶えて差し上げます』
「信じられるかよ!」
嫌悪感からセルビノは叫んだ。
魂を食われてしまったら、セルビノはもう二度と生まれ変わることはない。今世ではもう、所帯を持つことも諦めきって怠惰に、狡賢く、人様の幸せを踏みにじって生き長らえているだけの盗賊だ、人並みの幸福なんて望むべくもない。
だが、この人生をまっとうすれば、次に生まれるときには幸せな道が待っているかもしれない。もっとマシな家庭に生まれ、まっとうに愛され、誰かを愛して、子どもの親にだってなるかもしれない。
他の誰もがその権利を持っている中で、セルビノだけが、自分だけがその権利を手放すのか。そんなの嫌に決まっている。たとえ今のセルビノの記憶がなくたって、次に生まれてくるのも同じ魂を持った自分自身なのだ。来世を永遠に放棄してまで、今の人生をどーんと派手に面白おかしく生きられるものかよ!
「くぅ……」
「!!」
小さくDが鳴いた。
セルビノはいつの間にか自分が肩で大きく息をしていることに気がついた。吹き出した汗が、滝のように拳を伝い落ちていく。まるでセルビノのことを心配しているかのように、座り込んで下から顔を覗き込んでくるディーの目を見て、セルビノは言った。
「……だったら、そうだな、まず証拠を見せろ。このまま人買いに捕まった状態で、身売りして金を稼ぐことの他に、アンタになにができる? 金でも出せるのか? できないだろ?」
「…………ん」
ディーは髪の毛に手を差し込んだかと思うと、握った拳をセルビノの前で開いた。その白い掌には小さな、小指の先程しかない透明な石が乗っていた。
「水晶、か? こんなもん、どこに隠して……。なっ!?」
セルビノはそれを火に透かして驚愕の声を上げた。その石の内部でキラリと光が弾けたのだ。それはただの貴石ではなく、魔力のこもった魔法石であった。
セルビノの頭の中で、素早く金勘定が行われた。この魔法石はどちらかと言えば屑石であり、そんなに価値があるわけではない。だが、それが無限に湧き出るとすればどうだ?
「ディー、こいつをもっと出せるか? それも、もっと質のいいヤツをだ」
『魔力があればいくらでも。お望みなら、血のように紅い、ルビーのような最高級品だって出せますとも』
「すげぇ……こりゃあ、上手く立ち回りゃ……」
思わず、セルビノはこの魔法石を売買して大金持ちになり、貴族たちを足蹴にする自分を夢想した。だが、それは死後の自分の魂と引き換えの成功なのだ。
「…………しばらく、考えさせろ」
『御意に』
「あ、ちょっと待て。その契約ってのはどうすればいい? 俺以外とも契約できるのか?」
『貴方の意志と、血が数滴ほどあれば契約には足ります。今は貴方が私の主人、他の誰かに契約を持ちかけることはありませんが、貴方が断るというのなら……』
「じゃあ、他の誰にもこのことは言うな。知らせたり、わかるように誘導するな。いいな?」
『御意に』
「それと……俺やアンタの身に危険が迫ったとき、魔術が使えないんじゃ困ったことになるだろ。首輪から隕鉄を抜いておく。これで魔術は使える。だが、それはいざってときのためだ、普段は使うなよ」
『御意に』
「俺の役に立てば、契約してやる。今はまだ、駄目だ。少なくとも大将に気に入られて、専属で雇ってもらえるようになってからだ。アンタ、攻撃の術は得意か? 白術士って触れ込みで話を持ちかけるんだからな」
『それには魔力が足りません。契約せずとも、魔力だけは今、少しわけてくださいませんか?』
「そう、だな。それくらいは仕方ねぇ。それで? 血でもやればいいのか」
セルビノが嫌々ながら聞くと、ディーは薄く微笑んで頷いた。やはり、コイツは化け物なのだとセルビノは再認識する。ナイフを手の甲に滑らせ小さく傷を作ると、セルビノはそれを差し出した。
ディーは嬉しそうにその紅い雫を舐め……しかし、口を抑えて固まってしまった。
「おいおい、どうしたんだよ? まさか、飲めないのか?」
コクコクと小さく頷くディー。まだ口を抑えたままである。
「そんな、酒じゃあるめぇし……」
『あの甘いのをください。そうしたら、それで代償としますから』
「甘いのって、あの飴か。しょうがねぇなあ、もう」
瓶を開け飴を放ってやると、ディーはそれを急いで口に入れ、にっこりした。よほど飴が気に入ったのか、セルビノの血が不味かったのか。セルビノは嘆息した。
「じゃあ、俺はそろそろ寝る。お前も、別のヤツがちょっかいかけてきても、上手くあしらえよ」
細工をした首輪をディーに嵌め、セルビノは彼から本を取り上げて寝床へ向かった。次の不寝番はゼフだ、すっかり寝入っている彼を蹴飛ばし交代すると、セルビノは自分の枕の下に本を挟み込んだ。
(これさえありゃ、ディーは俺の言うことを聞く。契約だとか糧だとか、訳のわからんことばかりだが、金になるのだけは確実だ。伸るか反るか、ともかく、死なさねぇようにしなくちゃな……)
セルビノの野心が燃え上がる。夜明けまでの間に彼が見た夢には、名もつけてやらなかった友が出てきて、ディーの側で彼と一緒に気持ち良さそうに寝そべっていた。
★今回のNGシーン★
セルビノ「この文字は! ……読めねぇや」
麗筆「くぅん……」
セルビノ「ウソウソ、ウソだって。拗ねんなよ」
ふて寝する麗筆であった。





