失われた頁 2
セルビノがディーを連れて拠点に戻ったとき、彼の仲間はあまり良い顔をしなかった。
そこは自然の洞穴に少し手を入れて簡易な宿泊所に仕立てたもので、ひと仕事終えて根城に戻るところだった彼らは今夜はここで夜を明かすつもりだった。頭領の女房で補佐役であるリーナと、セルビノより少し下っ端の男がふたり、夜に備えて火を熾したり寝支度を整えているところだったのだ。
「セルビノ、あんた確か水を汲みに行ったはずじゃなかったのかい?」
「ああ。思わぬ拾い物をしちまったから、戻ってきた。そっちは別のヤツに任せてくれ」
セルビノの口答えにリーナの目が細くなる。
頭領の右腕だからと規律を破りがちなセルビノのことを、リーナは嫌っていた。だからこそ、重労働である水汲みを命じていたのだ。
不機嫌を隠そうともしないリーナにセルビノは下手くそな愛想笑いを浮かべ、まるで子どもを抱くようにして抱えあげていたディーを地面に下ろした。
「とにかく、まずはコイツを見てほしい。ディーっていう名前でな、ちゃんとは喋れない。多分、どっかで誰かに飼われてた白術士だ」
「白術士ぃ? そんなもん拾ってどうすんのさ。頼まれてんのは黒術士の女だろう。白術士は扱いどころが難しいんだ。……それにこの髪と目、なんだか気味が悪いね」
リーナは露骨に嫌そうな顔をした。セルビノの見立て通りこの優男が奴隷だった白術士だと言うなら、今頃飼い主が捜索の手を伸ばしているだろう。逃亡奴隷風情が痕跡を消しながら逃げられるとも思えない。根城にまで押し掛けられては厄介だった。
それに、もしこれの飼い主が見つかったとして、彼らにこの男の身代金をせびるのは、まぁ悪い手ではないが交渉が面倒ではある。なにせ担当するのはリーナなのだ。
とはいえ、奴隷といえば彼らの飯の種ではある。リーナはセルビノの施した首輪に繋がれた奴隷の鑑定を始めた。すぐに目につくのは泥で汚れてはいるが上等な絹で出来た異国の服だ。これだけでも良い値がつく。
「……確か、母大陸にこんな服を着るような国があったね。その国の帝は白い髪の毛をしているそうだよ」
「へぇ! だが、まさかな」
「偶然だろ。珍しいっちゃ珍しいけどね。飼い主はそっち方面に明るいのかもしれないよ、それでわざわざ作らせたんじゃないのかい? だって本当に母大陸の東から来たのなら、名前がディーってのがおかしいよ。あっちの国じゃもっとこう……普段聞かないような響きの名前をつけるのさ」
リーナの蘊蓄にセルビノ以下ふたりの男たちも感心しながらディーを覗き込んできた。リーナはペタンと座り込んでぼんやりしているディーを医者のような手つきで触診していく。どうやらこの奴隷はとても大事にされてきたのか痩せてはいるが怪我も病気もなく、肌の色艶も悪くはなかった。
「健康体だね。で、ろくに口がきけないっていうのはどういうこと? それで本当に術が使えんの?」
「それが、聞いて驚けよ……なんと、無詠唱で白術を使うんだ、コイツは」
「!!」
これには全員が驚いた。
術を使うためには“力ある言葉”なる、要になる文言を口に出さねばならない。そんなことは子どもでも知っているが、それ無しに術を行使できる者がいる事実はなかなか知られていない。それは謂わば裏技のようなもので、もしそんなことが楽に出来ると知れれば術の恩恵を受けない一般層の人々が、術士に対して大きな嫌悪感と反発を抱くだろうことは想像に難くない。
であるから、その事実をあえて口にする術士などいない。公的な教育を受けた術士ならなおさらだ。また、無詠唱なる裏技を使いこなすことができるのは、術士の中でも位階の高い者だけだと言われている。噂は別として、リーナたちのようなごろつき風情ではそんな上等な術士にお目にかかる機会など今までなかったのだ。
「コイツがどこまでの術を使えるかは、わからねぇ。けど、上手く使いこなせりゃ大金になるんじゃねぇかな。元の主人だって、これほどの術士なら言い値で買い戻すだろうし、今取引してる大将だってこれだけ大きな戦力があるなら欲しいはずさ」
「戦力になるかどうかなんて、わかんないだろう」
「いや、俺が仕込むさ。どうもコイツとは相性が良さそうなんだ。今だって大人しくしてるだろ? 捕まえたときだって暴れたりしなかったし、運ばれてくる間も良い子にしてた。俺が適任だ」
「………………」
リーナはしばらくジロジロとセルビノの顔を眺めていたが、やがて小さく鼻を鳴らして目を逸らした。
「よし、じゃあ、俺が頭領にコイツを見せる。それでいいよな?」
「好きにしな。本来の仕事に手を抜かないならどうだっていいよ」
決して「良い」とは思っていない表情でリーナは言った。気の強そうな鋭い茶色の瞳がディーを睨む。しかし、異国の服に身を包んだ裸足の青年は、相変わらずどこを見ているのかわからない目でぼんやりと座り込んだままだった。
「なんだい、この本。濡らしたのかい?」
しばらく観察していたリーナだったが、ディーがずっと抱えていた白革の大きな本に目を留め、その腕から本を引っこ抜いた。
「あぁっ!……うぅあぁ!!」
「こいつ、いきなり……! このっ!」
すると、ディーは今までの大人しさが嘘のように、リーナに向かって歯を剥き出しに掴みかかろうとした。咄嗟にセルビノが押さえつけなければ、リーナは怪我こそなかろうが爪で引っ掻かれていただろう。
「リーナ!」
「なぁにが大人しいだ、急に狂暴になりやがったじゃないか! くそ、くそっ!」
「よせよ、リーナ。アンタが本を取り上げたからだろ」
「うるさい、奴隷に持ち物なんざ必要なもんか! ルド、ゼフ、この本鍵が掛かってる、どうにかしな!」
リーナは押さえつけられ、下を向かされたディーの脇腹めがけ、つま先が刺さるくらい強く前蹴りを放った。まるで犬が哭くような悲鳴が上がる。
しかし、それでもなお本を取り上げたリーナに向けてディーは唸り睨みつけていた。リーナはさらに蹴りを食らわせた。





