四十四頁目
「どこにいるの〜? だってぇ! よっく言うぜ、自分はこんなとこで男と乳繰り合ってたくせによ」
「お前っ!」
「バン!」
ヴァイゼルの挑発にまたもバンが前に出ようとするのを、今度はティナたちが取り縋って止めた。バンの拳は突然やってきてDを侮辱した少年に対する義憤に震えていたが、仲間の手を振り払うことはしなかった。それでも、「もしもこのままあいつがその態度を崩さず、その結果としてDちゃんが泣くことになったら、そのときは容赦はしない」とバンは決意を胸に刻んだ。
そんなバンの胸中を知ってか知らずか、目の前の少年、ヴァイゼルは睨まれても挑発的な態度をやめない。彼は彼で、自分の思い通りにならないDを泣かせてやりたくてたまらないのだった。
情報を持っている分ヴァイゼルが優位、それは確かだった。だが、ひとつだけ……彼に誤算があったとすれば、Dの精神状態の危うさを知らなかったことである。体の入れ替わりにより、その精神に変化が現れたのは麗筆だけではないということだ。特に、せむしのガランに殺されかけた後のDは、麗筆に向ける執着をさらに深めていた。
「もう一度だけ聞くけど……、麗筆は、どこ?」
その底冷えするような声に、ヴァイゼルは一瞬、言葉を詰まらせた。
「っ……! どこって、そんなの俺が知るかよ。先生は、風になって消えちまったんだもんよ」
「消えた……」
ヴァイゼルの漏らした情報に、Dは目を見張った。「風になって消えた」ということは、白術の【風化】によって魔力で作った体を消去したということだ。麗筆の意識が抜けた体は、すぐに心臓を止めて普通の死体になってしまう。麗筆はそれを嫌って体を処分してから意識を本体である呪文書に戻したのだ。
(麗筆は戻ってきてるってこと? じゃあ、じゃあどうして、返事してくれないの……!?)
Dの心は乱れた。
呪文書に戻ってきたのなら、Dの問いかけに応えてくれても良かったはずだ。それなのに、走り回ってまで探していたDを無視するだなんて!
胸の前できゅっと手を握り込むDの姿に、勢いを取り戻したヴァイゼルが嘲りのこもった笑い声を浴びせた。
「お前、今度は自分が置いてけぼりにされたんだなぁ、D! いい気味だぜ! 先生はお前には出来ないからって、俺に頼みごとをしてきたぞ。それも先払いでな! 俺の将来に投資したいって。お前より俺の方が信頼されてんじゃねぇの?」
「それっ、麗筆の魔力結晶じゃない! 返して! 返してよ!」
「や〜だね! これは俺がレイヒ先生から貰ったんだ。お前と違って俺は頼られてるから。じゃあな、D!」
「〜〜〜〜〜っ!!」
ヴァイゼルの手の内にある小さな赤い宝玉に、Dは思わず叫んでいた。駆け寄って取り返そうとするも、ヴァイゼルの方が背が高く、それは叶わない。それどころかヴァイゼルは軽いステップでDを躱すと、言いたいだけ言って雑踏に消えてしまった。Dの声にならない怒りが爆発する。
「ヴァイゼル! 許さない……許さないんだからっ!」
風が逆巻き、Dの踏みしめていた煉瓦床にビシビシと亀裂が入っていく。空気が重く変質し、まるで光が歪んでいるかのように辺りが暗くなっていく。
「これは……!」
悲鳴が飛び交っている。突然の事態に人々は怯え、戸惑い、助けを求めた。周囲を見渡し、状況を掴もうとしていたバンだったが、ふとした既視感にDの方を見やった。
「Dちゃん? やめるんだ、Dちゃん!」
「……えせ……返して!」
Dが左腕を振り上げると、風はさらに強くなった。さらに、地面に引き寄せられるような重圧がバンたちを襲う。
「ダメだ、Dちゃん! 気持ちはわかるけど、落ち着いて……周りをよく見てくれ。大変な事に、なる前に」
「…………バン?」
バンは後ろからDを抱きしめた。Dがいるのは重圧の中心だ。体中の骨が折れそうなほどの圧に耐えながら、バンはその左腕を取り、ゆっくり下ろさせながら優しく諭す。ここでDが感情のままに暴れて、蜘蛛の女王と戦ったときのようになってしまったら、彼女はきっと後悔することになるだろうから。
「どうやってレイヒさんを探すか、一緒に考えよう、Dちゃん。大丈夫、俺たちがついてる。絶対に見つかるさ!」
「でも……でも……! うぇぇぇん、バン〜〜〜!」
Dはくるりと向きを変え、バンの胸に飛び込んだ。風と重圧が解け、空気もまた晴れていく。すすり泣くDの側へ、エーメたちも集まってきた。
「……場所、変えよ。全部話して?」
あやすようにDの背中を撫でてエーメが言う。Dはコクンと頷いた。





