四十五頁目
王都にやってきてすぐに地震に巻き込まれたバンたちには、決まった宿がなかった。もしあったとしても、倒壊していない建物は軍に接収されているから、結局は天幕生活になったわけだが。療術師のエーメ、黒術士のアイがいるため、バンたちのパーティは引き止められ、復興の手伝いをしている。そのため、というわけでもないだろうが天幕が割り当てられた区域はなかなかに良い場所だった。
Dは鞄から取り外した呪文書を膝に置き、その白い革表紙を撫でながら、これまでのことを話した。この体は麗筆のものであり、借り物だということ。Dが本当は人間ではなく、意思ある呪文書だということ。
バンたちは驚きながらも、否定することなく、むしろDの言葉が真実であるという前提で質問を挟んだりして理解を深めていった。アイが頷きながら言う。
「確かにそういう事情なら、レイヒさんが呪文書に戻ったと考えるのが一番納得の行く答えですね。でも、Dちゃんは心配なのね?」
「そうなの……。ただ戻ってきただけなら、私の呼びかけに応えてくれるはずだもの。なのにいつまでたっても返事がないなんて、おかしいでしょう?」
「魔力を使い果たしてしまって、眠っているんでしょうか。そういうことは考えられる?」
「私もそう思ったの! だから、ヴァイゼルが麗筆の魔力結晶を持ってっちゃったのが許せなくて! ……確かに麗筆は『眠りたい』って言ってたけど、こんな風に何も言わずに寝ちゃうなんておかしいもん。魔力は自然に回復するものだけど、意識を本に移しちゃったから上手く回復できてないのかもしれない。魔力を取り戻すことができたら、麗筆も起きてくれるかなぁ」
Dの言葉には誰も何も言えなかった。黒術士として聖堂で学んだアイですら。それも当然だ、麗筆はつい最近、四十年の居眠りから覚めたばかりなのだ。また同じく急に居眠りをしてしまい、次に起きたら百年後、なんてこともあり得るかもしれない。だが、不安そうに涙ぐむDにそんな言葉をかけるのは酷だった。
「うん、私決めた! ソーマの木を探しに行く!」
Dは頭を上げると、決意を青い瞳に宿して宣言した。握る拳がやる気を物語っている。だが、バンたちはわけもわからずポカンとするばかりだ。展開が急すぎる。
「えっと……。ソーマの木って、なんだい、Dちゃん」
「あれっ、バンは知らないの? ソーマの葉っぱには魔力が溜まるんだよ? アイちゃんは知ってるよね? あれ? エーメは?」
「すみません、わかりません……」
「……知らない〜」
「わぉ……。オーヴォの人たちって、緑に囲まれた生活してるのに、植物のこと全然知らないんだね〜」
この場に麗筆がいれば、また長講釈が始まったのだろうが、生憎とオーヴォ大陸の歴史を語れる者はここにはいなかった。興味のあることしか覚えていないDの偏った知識でわかるのは、オーヴォ大陸は麗筆がマティアスのために創った大陸であり、緑に覆い尽くされた土地であるということ。そしてマティアスたち人間は、この大陸の割合で見ればわずかな土地を切り拓いて住んでいるということだけだった。
新たな大陸へ移り住み、開拓して生き残ることに必死だった時代があった。もしかするとその過程で失われてしまった知識なのかもしれないし、もう必要がないと破棄されてしまった知識なのかもしれない。
「こんなに木がいっぱいあるんだから、ソーマの木だってあるはず。使わないなんて勿体ないよ〜」
Dは唇を尖らせて言う。
ソーマの葉からエキスを抽出するのは面倒くさい作業には違いなく、お手軽に使える魔力結晶に比べると使用者への負担があるなど問題点もある。だが、魔力結晶にはない利点がソーマの葉にはあった。希少価値が高く手に入りにくい魔力結晶と違って、ソーマの葉はタダなのだ! 木がある限りいくらでも手に入る。葉っぱを口に入れて噛めば、それだけで魔力が回復する代物なのだ、くちゃくちゃするのが格好悪いからなんて理由で使わないのは馬鹿げている。
「ま、いいや。そうと決まれば、さっそく森へ行かなくっちゃ!」
「よし、じゃあ俺たちも一緒に行くよ。三人もそれでいいだろ?」
「ええ」
「いいよ」
「任せるにゃ!」
「……っ。ありがとう、みんな!」
Dは湧き上がってきた涙を拭った。
怒りでも憎しみでもなく、悲しみでもない、こんなに複雑で形容し難い気持ちがあったとは……。Dはまだ知らなかった。麗筆と体を交換したときには、まさか人間のような感情の揺らぎを自分が経験するなんて思いもしなかったことだった。
死への恐怖を知り、ひりつくほどの渇望を知り、誰かに助けてもらうことのありがたさを知り……Dもまた変わっていく。これを良い変化と捉えるべきか、弱くなったと捉えるべきか、それは誰に判断できることではなかった。しかし、D自身は、この変化を好もしく感じていた。





