三十八頁目
金貨五千万枚……およそ一個人に返せる金額ではない。ふっかけられた方も困っていたが、ふっかけた方も心中穏やかではなかった。返済は無理だろうと踏んで設定したこの金額、それが相手の、保護者の懐から全額ポンと出てきては困るのである。
そう、これは駆け引きであった。
『牢獄で強制労働が嫌なら金で贖え。それも出来ないと言うなら、その金額分、我が国のために働いてもらおう』と、これがローレンツの出した条件だった。
巧みな魔術の使い手はどこであっても重宝される。
いかに国が彼らを繋ぎとめておきたくても、非常時ではないため徴兵できず、無理に手元に置くことはできない。彼ら術士の就職先と言えば、まず金払いの良い貴族の私兵か、大店の商人の下につくことになる。もちろん国家に仕官してくれる者もいるが、それだって人手が余っているわけではない。いつだって優秀な人材が欲しいのである。
そこへ、実力だけなら折り紙つきの魔術師がやってきた。しかもまだ少女である。うまくいけばこの国で結婚して、子孫代々国王に仕えてくれるかもしれない。
そんな思惑あって、ローレンツはふっかけていたのだ。レイヒという名の魔女に。
(騙し討ち? 卑怯? 傾きかけた国を前に、そんな悠長なことを言っていられるか! 何も「死ぬまでここに居ろ」というわけではない、私が望む間、ここで力を尽くしてもらうだけだ!)
詭弁であった。
だが、それほど切羽詰まっていたのだ。
国の中心である王は老い、その象徴である宝珠は刻々と輝きを失っている。かつてあれだけ勢いのあった王都の経済は停滞し、国土の拡大に伴って問題ばかりが増えていっている。
隣国は飢饉と貧困に喘ぎ、彼らの国ケテルに縋りついている。創造王マティアスは勿論惜しみない援助を与え、皆はそれを讃えた。しかしそれが何年も続けば国民も不安を覚え始める。マティアスの慈悲の心は豊かな国庫を目減りさせていった。
他国に支援した分、彼らの領地から得られる収入にも影響し、その皺寄せから足並み揃えていたはずの貴族院の和が乱れた。彼らは我先にと資産を掻き集め、抱え込み、やがて金こそが彼らのパワーバランスを決める鍵となってしまったのだった。それにより起こったのは、一部の貴族の腐敗と横暴である。だが、それを正す力はもう、彼ら王族には残っていなかったのだ。
国王がこの有り様を知れば、腐敗を切り捨て貴族院を浄化しようとするだろう。だが、それをしてしまえば今度は国か立ち行かなくなるのは目に見えていた。金のない理想にひとはついては来ない。貴族たちが反乱を起こせば逐われることになるのは老いた王と自分たちであると、ローレンツには分かっていたのだった。
「すみませんが、さすがにそんな高額の持ち合わせはありません」
「っ、そ、そうか! ならば契約を……」
自らが本物のレイヒだと名乗る白髪の青年魔術師の言葉に、ローレンツは我に返った。そして、ここぞとばかりに交渉を進めようとしたが、それは彼によって遮られた。
「ですので、ぼくの代案を聞いてくださいませんか」
「はぁっ!?」
「貴方のお父上、マティアス国王には死の影が纏わりついています。ぼくがそれを祓って差し上げたら、それが対価にはなりませんか?」
「な、何を言っているのだ。不吉な言霊で陛下に呪いをかけるつもりか!」
「……そう思いたいなら勝手になさい」
ローレンツは動揺していた。
マティアスの具合が良くないことは城の外には漏らさぬようにしていたからだ。年齢のせいと言ってしまえばそうなのだが、それでも不安に思う者たちはいる。今マティアスに倒れられるわけにはいかないのだ。
ざわめき始めた近衛兵たちを下がらせ、ローレンツは麗筆に近づいた。他の者に唇の動きを読まれぬため、ギリギリまで顔を寄せると、中性的な美貌の魔術師は蠱惑的に微笑んだ。
「……お前、どこまで知っている?」
「どこまで、とは」
「とぼけるな!」
「さっきまでお会いしておりましたよ。すぐさま悪化するとは思えませんが、だいぶ弱っておいでです。……ぼくは彼の古い友人でもあります、見殺しにはしたくないのです」
「…………!」
顔を背けつつ言う青年の言葉に、ローレンツは息を飲んだ。
その隣でDもまた小さく悲しそうな声を上げる。
「罪に問わず、自由を束縛しないと約束してくれるなら、彼のために薬を作って参りましょう。ああ、もちろん、口約束だけで解放してもらおうなんて思っていませんよ」
甘く囁いた麗筆が懐から取り出したのは、親指の第一関節ほどの大きさの透き通った赤い石だった。
「なんだ? 魔法石……いや、違うな。これは魔力結晶か!」
「ええ、かなり上質な品です。金貨に替えても良いのですが、そのままお持ちの方が何かと便利に使えるでしょう?」
「……あと、幾つある?」
「おやおや。あまり欲張ると、何もかも失いますよ? 言ったでしょう、貴方のお父上とは交遊が深いのです。ぼくの身の自由くらい、彼に頼めばすぐですよ」
ローレンツは麗筆を睨みつけたが、青年魔術師はその棘のある視線をやんわりとした笑みで受け止めるだけ。ローレンツの方が先に折れた。灰色の筋が混じった錆色の髪を撫でつけ、彼は一歩引き、平静さを装う。
「仕方がないな……」
「ふふ、交渉成立ですね。さぁ、行きますよ、D」
「へっ? あ、は〜い! じゃあね、オ・ジ・サン!」
「っ! この!」
「D……」
「はいは〜い、ゴメンナサーイ!」
きゃらきゃらと笑い、麗筆に続くD。怒りに満ちた空気を物ともせず、二人は軽やかに歩いて城を出ていった。
「ね、麗筆」
「なんでしょう」
「さっき、私の足を踏んづけたでしょう!」
「貴女が悪い子だからですよ。あんな場面で笑うなんて」
「だあって〜! 麗筆ってば演技が下手くそなんだもん!」
麗筆はやれやれとため息を吐いた。
ローレンツにはああ言ったが、マティアスはまだまだ元気だ。「見殺し」だなんてとんでもない。それを見破ったDはからかっているのだ。
「……嘘は苦手なんです」
「歌もダメ、ダンスは無理、楽器は演奏できない。麗筆ってば舞台には立てそうにないね〜」
「ほっといてください」
ぴょんぴょん体を弾ませながら、Dは麗筆の周りを回る。
「ね〜、次はどこ行く〜?」
「探索者の庭へ。薬の材料を探すために」
「アイアイサー!」
「……それ、どんなおまじないの言葉なんです?」





