二十一頁目
Dは本気で訳がわからなかった。たかが人間の子どもがひとり死にかけているというだけなのに、麗筆がそれを気にかけるだなんて!
(どうしちゃったの、麗筆ぅ?)
Dは弱々しい小さな子どもの側に屈んで、その背中をさすってやりながら麗筆に話しかけた。まだ三つか四つくらいの子どもは、なかなか整った顔立ちをしていた。クシャクシャにもつれている麦わら色の髪の毛も、お風呂に入れてやって整えればお人形さんみたいに可愛らしくなるだろう。
(いきなり幼児趣味に目覚めたんだったら、早く言ってくださいよね。そんなのって、楽しすぎる~)
『違いますよ!』
(きひひひっ!)
『彼の肺の大きさが、標本にするのに非常に手頃なのです。全体がまんべんなく病魔に冒されていて、珍しさもありますし、是非ともぼくのコレクションに加えたくて。貴女がちょっとおびき出してくれたら、とても助かるのですが』
(ん~)
何とも言えない返事をするDを、麗筆はなおも熱っぽく口説く。
『血液の代わりに保存液を流さねばなりませんから、生きているうちが望ましい、それには今のタイミングしかないのです。たかが浮浪者の子どもひとり、消えたところで誰も気になんて留めないでしょう?
そうだ、ぼくが医者のふりをして彼を診ましょう。貴方はぼくを紹介してくれるだけでいいんです。ねぇ、それならいいでしょう? それに、肺さえ貰えれば体は返したっていいのです、それなら家族だという彼らも納得するのでは?』
(……べつにぃ、いいですけどぉ)
『ありがとうございます。感謝しますよ、D』
ため息をこぼしつつ立ち上がったDは、湿っぽい白い髪の毛を手で払いつつヴァイゼルに向き直った。不機嫌な表情は変わらずだ。
「ちょっとだけ貴方たちにつきあってあげてもいいですよ。別に、私は貴方の助けなんて必要ないんですけど。仕方なくですけど!」
「お?」
「あと、この子、お名前は? この子をお医者さまに診せてあげましょうよ。とってもいいひとを知ってるから」
「……名前は、クリスだ。医者にかかる金なんか、ねぇぞ」
「大丈夫、とっっても奇特なひとだから、お金なんて取りませんよ~」
暗い顔をするヴァイゼルに、Dはにっこり笑ってみせた。
(ねぇ、麗筆ぅ?)
『もちろんですとも』
こうしてDは浮浪児の親玉、ヴァイゼルの下に身を寄せることになったのだった。子どもばかりが全部で二十一人、ままごと遊びの城の中を取り仕切るのは十二歳の少女ウィンリア。勝ち気で世話焼き、口うるさいことこの上ないが、優しくてあったかい。すでに肝っ玉母ちゃんの貫禄が備わっている。
ヴァイゼルとウィンリアの庇護を受けた子どもたちは、日々を楽しく逞しく、ごみ漁りからスリ、かっぱらいまでありとあらゆる小悪に手を染めて暮らしていた。聞けば孤児院を飛び出してかれこれ四ヶ月になるという。厳しい野宿生活から始めて、ようやく拠点を持って活動できるようになってきたのだとヴァイゼルは誇らしそうに話す。
しかし、彼らのこんな生活も長くは続かないだろうと、Dは冷静な目で見ていた。彼らから離れ、ひとり土手の草むらに寝転びながら横に置いた麗筆に話しかける。
(偏った食事にひっどい衛生環境、これに冬の寒さが加わったら最悪~。衛兵が炙り出し作戦に出てるくらいだもの、そのうち全員捕まって孤児院に逆戻りですよね? もしかすると牢獄か、それとも縛り首?)
『さて、どうでしょうね。マティアスの政治手腕はわかりません、眠りから覚めたばかりで時勢を知りませんし。まぁ、興味もないんですけど』
(ふふっ、王さま、どんなひとなんでしょーね。麗筆、怒られたりしない?)
『なぜ?』
(だぁって、外傷もないのに肺だけなくなった子どもの死体をその辺に放り出しておくつもりなんでしょう? そんなことができるのって、ひと握りの人間だけでしょ。王都に麗筆がいるって知ってたら……ねぇ?)
『………………』
(怪事件ってみんな大好きだから、すぐに王さまの耳にも入るでしょうね~。嘘のつけない麗筆だもの、王さまに会ったとき、平気な顔でいられます?)
『で、では、遺体を返さずに丸ごと標本にするとか……』
(どーぞどーぞ! あの子がいなくなったらヴァイゼルたちは騒ぐでしょうし、私のことも誰彼構わず喋るでしょうね。そうしたらきっと……)
『D、ぼくの邪魔をしたいのですか!』
(ううん、違うよ。私は麗筆が困ってるのを見るのが楽しいだけ! 麗筆の浅はかな計画を黙って傍観してただけで、邪魔なんてしてないでしょ~? がんばってね、麗筆~)
『~~~っ、なんて性格の悪い……』
(きっひひひ! ひっどぅい~!)
『いいです、こうなったら、自分で信用を勝ち取って何とかします!』
ムキになる麗筆を見て笑い出すD。「どうやって?」とその顔に書いてある。
『こうやってですよ……』
白革の本の隙間からほっそりした指先が現れると、パラパラとページがめくれ上がった。本が開いて煙のように中から出てきたのは、白髪黒瞳の中性的な美貌の青年だ。少しくすんだ白のローブ姿に特徴的な額の銀環、ありし日の麗筆そのひとであった。
「わぁお!」
「いかがです? 魔術を極めれば魔力で肉体を作り上げることも簡単なのです」
「麗筆! すごい、本物の麗筆だ~!」
「わっ、抱きつかないでくださ……あっ!」
「やぁん、相変わらず非力ねっ」
「まったく貴女というひとは……」
Dに体当たりされ一緒に土手を転がる麗筆。むっとした表情も一瞬のもの、顔を見合わせて二人は笑った。





