二十二頁目
Dと一緒にやってきた白髪の青年はとても医者には見えなかった。白のローブは着ているものの、あまりにも若すぎる。柔和な微笑みを浮かべた彼は、薬草を入れたかごを手にヴァイゼルたちの住む橋の上にやってきた。そして警戒心をあらわにする彼らに怯みもせずにため息を吐いた。
「……思ったよりもひどい環境ですね。ここにはシャボンの木は生えていないのでしょうか。確かオーヴォにもあったはずですが」
「シャボンの木ってなんだ?」
「おやまぁ。西部大森林であれば採り放題ですのに、面倒なことです。あ、ちょっと、汚い手で触らないでくださいよ。今、石鹸を出しますから、皆さん全身それで洗っていらっしゃい。ついでにお洗濯も」
そこから先は大騒ぎだった。ウィンリアが主導して子どもたちの体を洗うのだが、なにせ数が多い。Dもヴァイゼルも、果ては「絶対に嫌です」と突っぱねていた麗筆までが腕まくりをしてこの大仕事に参加することになったのだった。
天気の良い日で、風も暖かく気持ちが良い。洗い終わった子どもたちは河原で甲羅干しよろしく並んで座って、ウィンリアに順番にその髪の毛を梳いてもらっていた。麗筆はさっそくクリスの診察を始める。とはいえ、治療する気はさらさらないのでかなり適当だ。
「さぁ、咳が落ち着く薬ですよ。すぐには効きませんが、しばらくすれば楽になります。咳が出ないだけでもちょっとは違うでしょう」
「ありがとう、せんせい」
「どういたしまして」
麗筆はクリスの頭をそっと撫でた。風が吹くだけで折れそうな痩せ細った体に血色の悪い顔。三つくらいに見えるが本当はもう六歳になるのだという。こんなにボロボロな状態でよく寝たきりにならないものだと感心する。
(本当に、よく今まで生きていてくれました。すぐに取り出して差し上げますからね。……ああ、新しい標本が手に入ると思うとわくわくしますね!)
そんな外道な考えなどおくびにも出さず、麗筆はさらに痛み止めの薬などをクリスに与えていく。クリスは久しぶりに痛みを我慢していない心からの笑顔を浮かべ、疑い半分だったウィンリアもそれを見て感激し、涙を流して喜んだ。
「ありがとうございます、レイヒ先生!」
「おれにも、おくすりぬって!」
「ぼくも! お膝が痛いの!」
「お腹痛い~」
「ちょ、ちょっと待ってください、押さないで。こら、引っ張るんじゃありませんよ」
押し合いへし合いする子どもたちを並ばせ、麗筆は診察と手当てをしていくのだった。一方、水浴びを終えてズボンを履いたヴァイゼルは、裸の上半身を拭きながらDのもとへやってきた。
「ありがとな、D」
「……べつに~。私はなんにもしてないです」
「素直じゃねえなぁ。助けるつもりが助けられてた、本当に感謝してるんだぜ、これでも」
河に敷設されていた桟橋に座り、足を水に浸していたDは立ち上がった。
「あんまり私に近づかないで! ウィンリアとの仲を邪魔するつもりなんてないんだから」
「なっ! 俺たちは別に……」
「嘘つき。少なくともウィンリアはそのつもりでしょ。私、貴方みたいな男は大っ嫌い! 貴方となんか仲良くしませんよ~、私がここにいるのは仕方なくだって言ったでしょう?」
「……そうかよ。じゃあ、不本意だろうが何だろうが、ここに留まってる間はせいぜい役に立ってもらわねぇとな。あの闇医者は金になる、患者を連れてこい、D」
「ふ~んだ! 嫌ですよ~!」
「あっ、こら、どこに行くんだよ!」
「しらなーい!」
裸足のままのDは靴を持ってヴァイゼルの手から逃げる。ひょいひょいっと軽やかなステップ。ひとり人垣から遠ざかり、ぷうっと頬を膨らませて当て処もなく歩き始めた。
(麗筆ってば、ちやほやされて舞い上がっちゃって! 私なんて、結局探索者にもなれてないし、チョコレートも食べてないし、可愛いドレスも着てないのにぃ! い~~っ、だぁ! も~、つまんない、つまんない、つまんな~~い!)
エナメルの靴で地面を蹴ると、つまさきに泥がはねていてDは泣きそうに眉をしかめた。
(……それに、ヴァイゼルみたいなのは危ないのに。バカだから魔術も効きにくいし。狡賢くて汚い手だって何だって使うくせに、根っからの悪党でもなくって、いざとなったら善人側に立ってるんですもん。あのちっちゃな子がいなくなったら、絶対にうるさく騒ぎ立てるに決まってる)
だというのに、麗筆ときたらそういう人間を相手取ってからかうのが好きなのだから困ったものだ。痛い目にあったのも一度や二度ではないのに懲りないのだから仕方がない。長く退屈な人生に刺激を求めているのかもしれないが……
(私がいるのに!)
Dは独占欲を爆発させていた。
麗筆の本体は今もDの背中の鞄にベルトで留められている。あちらにいるのは魔力で練ったただの人形、だから麗筆がDから離れていくことはない。それは分かっていても、それだけでは嫌なのだ。
Dはしょんぼりとうなだれて、道の端っこに座り込んだ。白い革の本を鞄から外して抱きしめる。
「麗筆のばかぁ。また私のこと、ほっとくつもりなの……?」
本だったときのDは、麗筆に封印を解いてもらったものの気まぐれに放っておかれていた期間の方が長かった。麗筆は普通の人間と違って食事はしないし、読書に没頭したらそれこそ何日も書斎にこもりきりということもあった。おまけにここ四十年間はぐっすり眠っていたのだから。
「どうしたの、お嬢さん。迷子かしら?」
「えっ?」
ふっと差した影にDが顔を上げると、そこにはパンを入れたかごを持った若い女が立っていた。小さな子どもを三人も連れている。
(ひゃお~~、びっじ~ん! 腰ほっそ~い、オッパイやわらかそ~~!)
「わたしはすぐそこの孤児院で働いているトリッシュよ。大きな道くらいまでなら案内してあげられるし、馬車も呼んであげられるわ」
「私、私、お父さんが死んじゃってからおばさんの所で暮らしてたの。でも、おばさんは私をここに置いて行っちゃったの!」
「まぁ、そんな……。いいわ、一緒にいらっしゃい。お名前はなんていうの?」
「Dちゃんって呼ばれてたの」
「そうなの。よろしくね、ディーちゃん」
「うん!」
トリッシュに抱きつきながら、Dは隠れてにんまりと笑った。





