56話「苦悩」
お久しぶりです。
インフルで寝込んでおりました。
何とか復活したので投稿します。
小野道好の情報通り、八城山で天野影信が謀反を起こした。周りの城主や国人たちに後に続けと檄文を送っているらしい。畜生、準備が間に合ってない。結局不意を打たれた形になっちまった。
「かくなる上は曳馬城も天神山城もこれに続く可能性が高い。みんなさっきの手筈通り頼む」
「おうっ」
家臣たちは急いで各城に戻っていった。三浦のオッチャンが険しい顔で話し掛けてくる。
「これでもまだ井伊を討たぬと仰せでしょうか」
「ああ、どうしても確かめたいことがあるんだ。その為に頼みがある――」
――曳馬城、飯尾連竜の居室。
「影信、早まりおったか」
送られてきた書状を手に連竜は苦悩の表情を浮かべた。
「天野様は何と仰っておられるのですか」
妻のお田鶴の方が心配そうに声を掛ける。
「檄文だ。天下の為、民草の為に政道を正すべく兵を挙げると。暗愚な氏真公を倒し遠州に安寧をもたらすことが仏の御心にも叶う事、その為に我に続けと」
「まあ、とうとう」
お田鶴の方は口を手で覆った。
「影信め、この文をあちこちに送りつけておるようだ。当然今ごろは氏真公の耳にも入っていよう。すぐに討伐の軍が八城山に向かうだろう」
「それで、殿はいかがなされるお積りですか」
「儂はそもそもこの話は胡散臭いと思うておった。井伊谷からの書状では信玄公の後ろ盾があるとあったが、今の武田は長尾の相手だけで手一杯のはず。遠江にまで手を出す余裕はなかろう」
「まあ、それでしたら」
「恐らく誰かが偽りを申しておるのであろう。それが信玄であるのか井伊直親なのか今村正実なのかは分からぬが。だからこそ、その甘言に易々と乗ってはならぬと止めたのだが、力が及ばなんだか」
連竜は深くため息をつき目を閉じた。
「……小笠原氏興は悪い男ではないが考えが浅いところがある。恐らくこの檄文に乗り、すかさず兵を挙げるであろう。もし儂が応じねば、影信と氏興が討たれて事は治まろう。あるいはそれが最も良い道なのやもしれぬな」
「殿はそれでよろしいのでございますか」
「影信の策は悪くはない。影信らが先に反旗を掲げ、それを討ちに来た今川勢の背を井伊が突く。そこへさらに遠州三河の諸将が乗れば、武田の後ろ盾が無くとも今川勢をこの遠州から追い出すことも出来るやもしれぬ。だがそれには儂がその策に乗らねばならぬ。討伐の軍を分散させ時間を稼ぐには八城山と高天神の二城のみでは足りぬ故な」
「それでしたら」
「田鶴、儂は氏真公が嫌いではないのだ。先日この城に来られて話をしたが、心の根の優しい方であると感じた。あの御方なら恐らく民を虐げ悪政を引く事は無かろう。だが今は戦の世。力が無くては国を守る事は出来ぬ。それを考えるとあの御方には厳しさを感じなんだ」
「それは私も同じにございます。幼き頃より龍王丸様、いえ氏真様を存じておりますが、あの方はお優しすぎます。戦や政には向かぬお方です」
「そうだな。あのお方が悪いのではない、時代が悪いのだ――それを補うが我らの務めと言われれば返す言葉もないが。だがもはや思い悩む時はない。今ここで決断せねばならぬ」
「殿、お心のままになされませ。田鶴はどこまでも付いてまいります。例えその果てが地獄であっても」
「そうか――儂はやはり信じてくれる友を、そしてこの遠州の民を見捨てる事は出来ぬ。今この時より儂は今川氏真に弓を引く。そうとなれば時が惜しい。氏真が戦支度を整える前に事を起こさねばならぬ。急ぎ八城山へ向かう」
「行ってらっしゃいませ。殿がご不在の間、田鶴が城を守っておりますので」
「済まぬ。すぐに戻って参る故、頼むぞ」
そう言って夫婦はしばし見つめ合う。熱い思いが二人の間に通じ合っていた。
――八城山城、天野影信の居室。
「なんと、連竜が来たかっ。すぐにここへ通せ」
待ちわびた知らせに影信の声がひときわ大きくなる。
「済まぬ、待たせたな」
「何を謝る事があろう。お主が来てくれれば百人力、いや千人力じゃ。既に小笠原氏興も立った。これで事はなったも同然じゃ」
「浮かれるな。お主が裏切ったことはすでに氏真の耳に入っておろう。間もなく討伐の軍がこの八城山城目掛けてやって来る。だが儂と氏興の事はまだ露見しておらぬ筈だ。この城が囲まれると同時に儂は城を出て、この城を囲む軍を襲う。その機を見てお主も城から討って出よ」
「おお、さすがは飯尾連竜、今孔明じゃ。儂はお主がきっと来てくれるものと信じておったぞ。何より持つべきものは友よ。井伊が立った後は信玄公も兵を引き連れて来られる手筈になっておる。日の本一と言われる武田の兵よ。それまで耐え抜き、共に力を合わせて氏真を打ち払おうぞ」
――やはり影信は信玄のことを信じておるのか。
飯尾連竜はわずかに表情を曇らせた。武田の助力はほぼ期待できないと思う。それを伝えるべきかとも考えたが、むしろ士気を下げるだけかと思い止まった。自分たちの力でなんとしても今川勢を打ち破らなければ未来はない。
「信玄公に頼っては我らの面目が立たぬ。その前に我ら遠州の兵だけで今川を退けるのだ」
「何と豪儀な、さすがは遠州にその人ありと知られた連竜よのう。儂も負けてはおれぬ」
いくつか打ち合わせた後、連竜は友の元を去った。無邪気に喜ぶ友の顔は連竜の胸の内に小さな痛みをもたらした。
――武田が来ぬと分かった時、影信がどれほど落胆するであろう。それまでに何とか勝たなければ。その為に肝要なのは井伊が背を突く機だ。早すぎても遅すぎても事はならぬ。その機について井伊直親に文を出そう。
そう決意して、連竜は曳馬城へ急ぐ。決戦までにあまり時間はない。
明日は外伝の方を投稿予定です。




