17話「評定」
やあ氏真君久しぶり。
このまま元康君のお話になるかと思ったよ。
「――以上がこれまでに分かりました事にございます」
精神的、肉体的疲労で三浦のオッチャンの顔に斜線が掛かってる。こりゃだいぶ来てるな。
岡部元信からの早馬が駿府に着き、岡部正綱を岡崎へ送った後、徐々に詳細が分かってきた。尾張に侵攻していた諸将からの報告が届き始めたからだ。やはり桶狭間で義元が討たれたのは間違いない。義元の首は取られたが、遺骸は庵原忠縁が運んで途中の三河に埋葬したらしい。今川軍は混乱の中織田による追撃を受け、多くの将兵が討ち取られた模様。今後を考えると痛いが歴史的事実だから仕方ない。
これらの情報は他へ漏らさぬように命じてはいるけど、人の口に戸は立てられない。伝令が馬を変えるために立ち寄った城などではすでに情報は伝わっているだろうし。義元討たれる――この衝撃的なニュースを今川の家臣たちはどのように受け止めているんだろうか。すでにこの駿府に押しかけて喚いた奴らもいるらしいが、評定が始まるまで待てと言って各自に見張りを付けて閉じ込めてある。方針が決まらんうちにワーワー騒がれたら堪らない。
「覚悟はしておりましたが、予想以上の痛手ですね」
寿桂尼ばあちゃんも結構ショックを受けているようだ。そりゃあそうだよね。それだけの大軍がここまでコテンパンにやられるなんて想像できないもん。信長、なんてチートな奴なんだ。敵にまわしたくないよなあ。それにしてもかなり眠い。他の人と比べてショックが少ない分、眠気が来る。今って何時なんだよ。時計がないのは不便だ。やばい、あくびは駄目だ。父親が死んだと聞いたところなんだから。……俺にとっては知らない人だけど。
「お疲れでしょう、しばしお休みになられては」
「有り難うございます。では夜明けまで休ませてもらいます。尼御台さまもぜひ」
「ではそうさせて頂きましょう」
助かった、ちょっと眠ろう。朝まで何時間寝れるか分からんけど、徹夜よりましだ。
今朝も早川殿に起こされて目が覚めた。ちょっと寝るだけでずいぶん違うね。早川殿は義元が討たれたことを聞いて俺の事をすごく心配してくれた。まあ俺にとっては会った事の無い人だから、そこは別に大丈夫なんだけど。義父である北条氏康と義兄で現当主である氏政への手紙を頼んだら、さっそく今から書いてくれるという。本当にいい子だ。中身は「義元が死んでも氏真がしっかり今川を率いていくので、今後も変わらぬお付き合いを」って感じで。
朝ごはんを急いで食べて、寿桂尼ばあちゃんと三浦正俊のオッチャンとで評定前の最終打ち合わせ。ボディーガードとして出席するノリくんこと蒲原徳兼にも一応話を聞いておいてもらう。無口な彼には仕事を頼んでおいた。実はノリくんの父親である蒲原氏徳も桶狭間に出て、どうも銃で撃たれて傷を負ったらしい。でも心配だろうけど何も言わない、強い人だな。
それにしても大学のゼミの発表でも緊張するのに、こんな会議出たくないけどしょうがない。ここが正念場なんだから。でもいつもは評定には出ないというばあちゃんも、今回ばかりは後見人として出てくれるって言うから心強い。全体的な流れや例の計画についても大体打ち合わせたところで、そろそろ会議の時間だ。今川の未来を決める重要なポイントだ。失敗して裏切り者続出、なんてことになりませんように。
「皆の様子はどうだ?」
「かなりざわついております。大殿が亡くなられたことを知る者、知らぬ者が言い合っておるようで」
「そうだろうな。んじゃ始めようか。正俊、よろしく」
「当主、氏真公のお出ましである。諸将、お控えあれ」
先に入った三浦のオッチャンの声で襖が開かれ、ゆっくりと中に入っていく。出来るだけ重々しい雰囲気が出るように。顔もちょっと険しい感じ。並んで座っているおっさん達が俺の顔を見て何やら囁き合ってる。公家メイクをやめたことに驚いてるんだろうな、きっと。
「続いて尼御台様のお出ましである」
俺の後に寿桂尼ばあちゃんが入ると、家臣たちが明らかに動揺した。
――尼御台さまがお越しになるとは、やはり大殿の噂は本当なのか。
囁き合うみんなの様子にも全く動じず、ばあちゃんは静かに俺の横に座った。
「ではこれより評定を始める」
「大殿が織田にお討たれになったというのはまことでござるかっ」「さような事になれば、この今川の行く末はどうなる」「それが事実とあらば、今すぐに兵を起こし織田を討つべし」「敵討ちじゃっ」
三浦のオッチャンが開会を宣言すると同時にあちこちから声が上がる。大騒動だがまあこの辺は予想通り。オッチャン、打ち合わせ通り上手くやってくれよ。
「皆々様方、静まれよっ! 今分かっておる事をこれからお話し申す」
オッチャンが大音量で叫び、その勢いで騒ぎは何とか納まった。
「なおそれぞれ存念もあろうが、まずは黙って儂の話をお聞き下され。途中話を挟むことは禁ずる。禁を破った者は誰であれ、ただちにこの間を出て頂く」
「三浦内匠助、その方何の権があってそのような事を」「そうじゃ、僭越ですぞ」
オッチャンの独断専行に批判的な声も上がるが、そこも打ち合わせ済みだ。
「これは全て――氏真公と寿桂尼様のおぼしめしである」
「なんと、尼御台さまが……」「信じられぬ」
オッチャンの言葉に合わせて俺とばあちゃんがゆっくり頷いて見せると、皆が驚いたように小声で囁き合う。おいおい聞こえてるぞ。ばあちゃんだけじゃなく氏真も同意してるんだからな。軽く見やがって、今に見てろ。
皆が静かになるのを待って三浦正俊が話し出す。
「すでに聞いておるかと思うが、尾張にて大殿さまが織田の奇襲を受けお亡くなりになった。この未曽有の危機に――」
「内匠助、大殿が討たれたのは間違いない事なのかっ。いかがするのじゃ。大殿なくしてこの今川を誰が率いて行くのじゃあっ」
一人のオヤジが立ち上がって叫び始めた。さっきの話聞いてなかったのかよ。こいつは目が鋭くてキツネっぽいのが嫌だ。いかにも何か企んでそうな顔。キツネって呼ぼう。
――葛山城主、葛山氏元殿にございます。
俺のすぐ斜め後ろに座っているノリくんが小声で囁く。ノリくんに頼んだ仕事は二つ。目立っている奴の名前を俺にこっそり教えることと、目立ってない奴も含めて誰が氏真に好意的で誰が批判的なのかを見極めること。あとでいろいろ考える上で大事な事だからね。
次は20時頃の投稿予定です。