魔王の暮らす場所
ライムは一瞬怯んだが、「あはは…」と苦笑いしながら、魔王と呼ばれてる男の方に向かって歩いていく。
目の前に立つ男は、つぎはぎの作業着に身を包み、長靴を履いて首からタオルを下げている。一見するとどこにでもいる農家のおじさんだが、その体躯から漏れ出る圧倒的な存在感と本能を脅かす威圧感は、どう隠しても隠しきれていなかった。
そんな圧倒的な存在でありながら、魔王は気さくに、
「どっから来たんだ?冒険者ギルドだったらここには用はないはずだぜ?…道に迷っただけなら、仲間に道案内させるけどどうする?」
と優しく声を掛ける。
ライムは近づきながらも、見渡す限りに広がる豊かな農園の景色や、畑の隅で所在なさげに佇む異形な魔物達の姿を見て、
「あはは、すみません別に来たくて来たわけじゃないっていうか…何がなんやらそもそもここがどこかもわかっていません…」
と笑う。
その様子を遠巻きに見ていた周りの魔物が、
「どこから来たかわからないって大丈夫かな…?」
「もしかして記憶ないのかも…」
「可哀想…」
などと、見た目の凶悪さとは裏腹に心配そうにヒソヒソ喋っていた。
魔王はライムの全身を一度注視すると、
「それってさ〜急にここに現れた冒険者ギルドでもこの世界の住民でもないって事か?…まあそれなら納得できるな服ボロボロで魔女の帽子首に掛けて魔王城城下に来るなんて死にに来るようなもんだしな」
と少し笑う。
ライムは笑いながらも冷静に、
「武器もないし争う気もないよ…ただ、帰り道さえわかれば去るから」
と言いながらも、ふと漂ってきた柔らかい土の匂いに誘われるように、手入れされた畑をついつい見る。
「ああ…じゃあ人がいるとこまで連れて行かすが…ってどうした?畑が気になるのか?全部俺達が作業して育ててるんだぜ」
と、自分の誇りを誇示するように嬉しそうに笑う。
「ああ…元いた世界で農作業やってたから…なんか景色も懐かしいしつい見ちゃって」
と言うと、魔王は何か思ったのか、
「じゃあちょっと作業手伝ってくれないか?ほら仲間達はさ作業に向いてなくてなほとんど一人でやってるからさ…手伝ってくれると助かるんだ」
と、使い込まれた鍬を渡す。
風に揺れる作物と重厚な木の柄の感触に、急に鍬を渡されて驚きつつも、
「いいんですか?じゃあ少しだけ」
と、畑に向かう。
「ああその辺耕してくれ俺は種を持ってくるからさ」
と、魔王はその場を離れた。
ライムは畑を耕しながらも、妹と過ごしていた何気ない過去を思い出していた。
(なんか久しぶりに思い出したな…色々とありすぎて忘れてたはずなのに…リタ…)
胸にこみ上げる切なさを紛らわすように、無心で鍬を振り下ろし、黙々と土を耕していく。
「ああ思った通り筋がいいな一人でするより楽だったわ」
と、種が入った袋を抱えた魔王が、笑いながら戻って来た。
「ああ…なんか久しぶりで熱中しちゃった」
と、ライムは額から吹き出す汗を、首から下げた帽子の紐を揺らしながら腕で拭って言った。
「ああ…いや悪かったな帽子ぶら下げてたし被って作業するもんだと思ってたから渡さなかったが麦わら帽子渡せば良かったな」
と、頭を少し下げつつ、魔王は周囲に向かって、
「誰か水持って来てくれ」
と言う。
すると、近くにいたスライムっぽい魔物がとことこと近寄ってきて、コップに自らの口から清らかな水を注ぎ入れた。
「はいどうぞ」
とライムにコップを差し出す。ライムは一瞬だけ苦笑いを浮かべたが、
「ありがとう」
と、その透き通った水を一気に飲みほした。
「やっぱり普通じゃねぇな」
魔王が大笑いする。
「それって……汚いって意味ですか?」
水を差し出したスライムが、しょんぼりと耳のような部分を垂らす。
「違ぇよ。普通の人間なら、そんなもん飲まねぇってだけだ」
「……?」
「でもあいつは飲んだ。俺たちと一緒に畑も耕した。だったらもう、仲間みたいなもんだろ」
「……そういうことですか?」
「ああ、そういうことだ」
スライムは嬉しそうに頷くと、とことこと戻っていった。
西の空が茜色に染まり始め、畑に長い影が伸びていく。
「そろそろ日も暮れるしさっさと種蒔いとこう」
と魔王が立ち上がり、
「手伝えるやつは手伝ってくれ!」
と周りの魔物達に声を掛ける。
大体の魔物達は嬉しそうに種まきを手伝い、ライムも彼らに混ざって手際よく作業を進めていたが、
「おいそこ!種は食べるな意味ないだろ?好きなのはわかるけどさ」
という魔王の高笑いが時折聞こえて来たり、日陰の大木の根元でずっと見守ってるだけのツノの生えた悪魔の女の子が退屈そうに欠伸をしていたり、周りを見渡しても誰もが実に自由に過ごしているのが分かった。
(なんかどこか懐かしいな…)
橙色の夕日と土の匂いに包まれながら思いに耽っていると、ほどなくして作業が終わる。
「よしそれじゃあ水撒きしてくれ」
と魔王が指示を出すと、水魔法を得意とする魔物達が一斉に詠唱し、畑の真上にだけ優しい夕立のような恵みの雨を降らせていく。雨粒が土に染み込み、心地よい濡れた土の香りが周囲を満たした。
作業を終えたライムの方に魔王が近付いてくると、
「ありがとう一人だったら明日も作業してたかもしれないけど1日で済んだ…そうだ腹減ってないか?今日取れた野菜だ食べてみろよ」
と、採れたての瑞々しいカブのような野菜を差し出された。
「ありがとうちょうどお腹空いてたんだ」
と受け取り、ライムはそのままカブにかぶりつく。果汁が溢れ出す感触はあるものの、
(やっぱり味はしないな…)
と虚無感を噛み締めながら、
「あはは…美味しいですね」
と笑顔で言った。
魔王は一瞬だけ嬉しそうに、
「そうだろ?みんなで一生懸命に作ったからな!」
と言ったが――次の瞬間、どこか静かで寂しそうな眼差しでライムを見つめ、
「だから次は本当の事言ってほしいな…」
と、夕風の音に紛れるようにボソッと言った。
あたりが薄暗くなり始めた頃、今まで日陰に居た子が、いそいそと魔王城の方に向かってパタパタと飛んで行く。他の魔物達も片付けや色んな作業をしている中で、ライムも使っていた道具を一緒に片付けていた。
「ああその辺に置いといてくれ、あとは僕達がやるから」
と魔物に言われ、ライムはその場に道具を置いた。
井戸端で軽く手を洗い、水気を服で拭うと、首元にある魔女の帽子に少し指が触れる。
そこに魔王が歩み寄って来て、
「ああ、帰るとこはあるのか?なかったら城に来ないか?手伝ってくれたし、もう仲間みたいなもんだし遠慮しなくていいぞ。…まあ一部うるさく言うし人間嫌いもいるし居心地は保証しないけど、どうだ?」
と提案された。
「元々嫌われ者だし泊まるとこ探してたんだ、行くとこもないしよろしくお願いします」
と深く頭を下げる。
「おお!来てくれるか」
と、魔王は力強い手で肩をポンと軽く叩いて喜んだが、すぐにライムの全身を見回して、
「じゃあまずはそのボロボロの服を着替えろ、風呂に入ってからな…じゃないとあそこの魔王は人攫いをしてるって変な噂が立つだろ?大丈夫、ちゃんとお前に合った服を用意させとくからさ」
とカラッと笑う。
「あはは…そんなにボロボロかな?まあ色々とあったしな…」
魔王は笑いながら、
「ああ、獣臭いし焦げた匂いもするし泥もついてるし、もう捨てた方が良いぞ」
とズバっと言った。
「ああ、本当にそうだね…」
と、自分の衣服から漂う煤や土の匂いに苦笑いをする。
城の中に通されると、石造りの広々とした浴室へ案内され、
「とりあえず先に風呂に入れ、話はそれからだ」
と浴室に放り込まれる。
脱衣所と繋がった広い湯殿の中には、先客の魔物達もいたが、特に気にした様子もなくニコニコとこちらを見ていた。
(あれ?魔王がいなくなったら睨みつけるとか何かあると思ったのに、全然そんな事なかったな…嫌いな奴もいるとか言ってたのに)
とどこかホッとしつつ服を脱いでいると、ガラリと扉が開き、さっき日陰に居たツノの生えた女の子が入って来た。
ライムは慌てて手で体を隠すが、女の子はクスクスと可愛らしく笑って、
「大丈夫、なんとも思わないから。着替え渡しとくね。今着てたのは処分するように言われてるから、悪いけど捨てるね…」
と言う。ライムは慌てて首の帽子を取ろうとする。
「ああ、それは大丈夫。多分大事な物だし捨てるなって言われてるから」
と言うと、ボロボロの衣服だけを抱えて去っていった。
(なんだったんだ…?)
と困惑しつつも、魔王の配慮にどこかホッとして、湯気の立ち込める大きな浴槽に入る。
(見た目魔物なのに、人と変わらないな…)
とどこか冷静に湯船の周りを走り回ってる子供の魔物や、湯船にどっぷり浸かって「はぁ〜」と深く癒されている魔物たちを見つめ、そう感じていた。
風呂から上がって、用意されていた服に袖を通して驚いた。下着の上に羽織る黒いローブだけで、下半身が妙にスースーする。
(え…?なんか勘違いされてないか…?)
とちょっと引きながらも、脱衣所に残されていた魔女の帽子を首に掛けて、ハッと納得した。
「あはは、普通に魔法使いか…でもせめてズボンは欲しいな…」
と言いつつ脱衣所の外に出ると、ドアの脇にさっきの女の子が立っていた。
「ふふふ…とっても似合ってるわよ…」
と半笑いで言うと、ライムも苦笑いしながら、
「せめてズボンは欲しいな」
と言う。すると女の子は、
「まあ…そうよね」
と、脇の袋に入っていたズボンを差し出した。
(あったんだ…)
と思いながらも急いで履き始めていると、
「ああ、魔王さんが食事を用意して待ってるから、食堂に一緒に来てね。なんでも歓迎会をするそうよ?なんでだろ、人間なのにさ」
と呆れたように言う。
「そうなんだ…あはは、嬉しいな」
と喜びつつも、(やっぱり人嫌いもいるんだ…)とさっきの魔王の言葉を思い出しながら、ライムは彼女の後について食堂へと向かった。




